256 卒業イベント 『儀式』
「――っ!」
王城の破壊された会場の大窓から、遠くに見える神殿の上で戦うアリアの様子を見ていたエレーナは、突如その方角から襲ってきた衝撃波に思わず身を伏せた。
「ご無事ですかっ!?」
衝撃波が通り過ぎ、耳鳴りの中で微かに聞こえてきたセラの声にエレーナが顔を上げると、その場にいた王族たちは近衛騎士たちの盾で護られ、エルヴァンやクララも互いを守るように抱きしめ合い、怪我をしているものはいなかった。
戦場は王城から王都へ移ったが王族たちはいまだ退避してはおらず、護衛侍女の手を借りて立ち上がったエレーナは、窓から見えるその光景に目を見開いた。
「王都が……燃えてる」
***
『アアアアアアアアアアアアアアッ!!』
聖炎に焼かれて崩れ散るコレットの身体から黒い靄のようなものが飛び出し、靄の中に浮かび上がる顔が悲鳴をあげる。
魔力の大部分を消費して力を落としていたとはいえ、これまで猛威を振るっていた夢魔は最期の足掻きとばかりに〝呪い〟を使おうとした。
悪魔の〝唄〟は魔法ではなく呪いだ。その叫びを間近で浴びたカルラはまだ聖炎で燃えあがる右腕を夢魔と――王都に向けて解き放つ。
『――――――――――――――』
夢魔は放った呪いごと悲鳴さえあげることもできずに消滅し――
「カルラっ!」
さらに広がろうとしたその炎の前に、自分を盾にするように【魔盾】を展開した私が飛び込んだ。だが、その炎は魔盾を張った私ごと回避するように分裂し、六つの方向に大きく飛び散った。
何をする気だ? 睨み付ける私にカルラはいつもと変わらない笑みを浮かべ、その背後――いや、王都の六つの方角から炎の柱が立ち上るのが見えた。
「……何をした?」
「まさか、アリア。私が王都を燃やすのに他人任せにすると思ったの?」
王都を囲むように立ち上る炎の柱……でも、白い光が混じる炎の色からして、あの六つの炎は〝聖炎〟だ。
炎と光の複合魔術で、不死生物や悪魔に対して高い効果を持つが、一般的な火魔術と違い炎としての延焼ダメージは低い。だとしたら、あの炎自体が攻撃を意図したものではなく、王都を破壊する布石ということか。
六つの柱……六芒星? 六芒星は悪魔召喚の魔法陣などにも使われる、魔力や魔術の増幅術式だ。無限の魔力を使えるカルラがどうしてそんな術式を……
「……まさか」
私の漏らした呟きにカルラは一瞬目を瞑り、静かに目を細める。
「いくら私でも、なんの補助もなしにレベル8の火魔法は難しいわ」
レベル8――もはや人が扱えるものではなく、伝説や神話の領域。もしそんなものがあるのなら、王都は確実に崩壊する。
「カルラ!!」
「来て、アリア」
空を蹴るように飛び出した私にカルラが楽しげに応えた。
「――【火炎槍】――」
「――【魔盾】――」
パキィン――
カルラの放つ火炎槍を受けて魔盾が玻璃が割れる幻聴を立てて砕け散る。その割れた魔力の残滓を目眩ましに飛び込んだ私の蹴りを、カルラが仰け反るように体術を使って回避する。
「――【跳水】――」
私の目の前に突然出現する水の塊。とっさに私が魔力を流した黒いナイフでそれを斬り裂くと、飛び散る水滴の向こうで体勢を立て直したカルラが私に指先を向けているのが見えた。
「――【氷の嵐】――」
指向性の氷の嵐に、私に付着した水が一瞬で凍りつく。
「ハッ!」
私はドレスの裾に纏わり付いた氷を蹴り砕くように脚で蹴り上げ、その反動で氷の嵐の範囲外に逃れながら、スカートのスリットから引き抜いたナイフを投擲した。
「――【氷の鞭】――」
即座にカルラの繰り出した氷の鞭が飛来するナイフを打ち落とす。
「――【闇の錐】――」
その瞬間、カルラの周囲に私の放った闇の錐が出現して、複数の闇の錐が同時にカルラへ襲いかかった。
「――【雷撃】――」
カルラが自身に纏うように撃ち放った電撃が闇の錐を吹き飛ばす。
その瞬間に飛び込んだ私がドレスの裾を飜しながら放った蹴りを、カルラも蹴り上げるように大きく飜したドレスの裾が、私の足を巻き込むように受け止めた。
「ハアアア!!」
私は身体強化にものを言わせ、そのまま強引に蹴り抜く。
「――っ」
堪らずカルラが飛び下がる。でもその指先が追撃しようとする私へ向けられているのを見て、私もカルラへ指先を向けた。
「「――【幻痛】――」」
幻痛が殺気と共に迸り、おぞましいまでの激痛に私とカルラは一瞬魔術の制御を乱して、上半分が吹き飛び、いまだ燃えさかる神殿に舞い降りる。
「「…………」」
炎の海原の中で私たちは無言のまま見つめ合う。
私も魔力を減らしているが、魔術師であるカルラはそれ以上に減っているはずだ。
なぜカルラは【加護】を使わないのか? おそらくカルラは限界に近い。平気な顔をしているが今もその身に激しい苦痛があることは、カルラの【幻痛】を受けた私が一番分かっている。
「王都をどうするつもり?」
私が先に口を開くと、カルラが少しだけ微笑んだ。
「知っているでしょ? 私の運命を狂わせた人たちに刻みつけたかったの。その罪を。絶望を……私が生きていたことを」
父親の実験によりまともに生きられる身体でなくなり、それをした者たちとそれを認めた人たちすべてにカルラは贖罪を求めた。
知っていた者、知らなかった者、死ぬ運命にあったカルラにとって、その屍の上で幸せに笑うすべての人が対象だった。
「わざわざ悪魔との戦いを王都まで誘い込んだ甲斐があったわ。一瞬で六芒星に火を点さなければいけなかったけど、いくら無限の魔力でも、私の〝器〟ではまだ着火と発動を同時に出来ないもの」
「…………」
魔術の増幅と行使を同時に行うため、油の染み込んだ導火線代わりに瘴気を使い、聖炎を使って発動させた?
導火線となる瘴気を撒き散らす悪魔を呼び寄せるために、カルラは王都から動かなかったのか。無貌の悪魔との戦いも、アモルや夢魔との戦いを王都で行ったのも、すべてはこのためなのかと気付く。
「これがカルラが望んだこと……?」
そこまでして恨みを晴らしたいのか。そう問う私にカルラが少しだけ目を瞑る。
「そうよ。……と言いたいところだけど、実のところ、もうどうでもいいの」
そんな言葉に私が睨むように目を細めると、カルラはそっと自分の胸に手を添えた。
「アリア……あなたと戦えるなら、もうどうでもいいの。この国も、この世界も」
カルラはゆっくりと視線を巡らし、話を続ける。
「あなたは、絶望の中で死ぬしかなかった私に〝光〟をくれた。私を殺してくれると言ってくれたことが、ただ一つの希望だった」
「……覚えている」
初めて会ったときの約束。そしてダンジョンの中で決めた私の誓い。
カルラは私の漏らした言葉に嬉しそうに微笑む。
「私はそれを確かなものにしたかった。その約束だけが私が縋れるものだったから。だから私は禁書で読んだ記述だけで魔術を組み上げた。完全に再現はできなくて、ほとんど自爆魔法のようなものだけど、ちょうど良かったわ」
カルラがその時、少しだけ苦笑するように眉を下げる。
「私が加護を発動したその時から、この王都を包む炎を媒介として、六芒星が私の魔力を吸い上げ起動する。これなら……」
そこで一瞬言葉を止めたカルラが私を真っ直ぐに見つめ、満面の笑みを浮かべた。
「これなら、絶対に私を殺さなくてはいけないでしょ?」
カルラを殺さなければレベル8の火魔法が発動する。
「カルラ……」
カルラは気付いていたのだろう。死を望み、それを叶えてくれるはずの私と、自分でも気付かないうちに馴れ合うような空気があったことを……。
自分がそのことを受け入れてしまい、何もなくなって死んでしまうことをカルラは恐れた。
そこまでして死を求めるのか……。
これはただ死ぬためだけの殺し合いではない。
人が産まれたことを祝うように、人が死んだことを悼むように、これはカルラにとって自分が生きた証しを世界に刻み込む〝儀式〟だった。
私たちは殺し合う。カルラが生を刻む儀式を行う、炎に包まれた王都という〝舞台〟で――
「……行くよ」
「ええ、来て」
私たちは同時に魔力を高め、炎の舞台に飛び出した。
「――【鉄の薔薇】――」
「――【魂の茨】――」
――〝死〟が、二人を別つまで――





