255 卒業イベント 『悪魔』
「フェルド、どうして……」
フェルドを含めた虹色の剣の皆には手を出さないように頼んでいた。カルラとの決着もあるけど、戦闘力5000もの戦いはその攻撃を回避できる手段がなければ一撃死もあり得るからだ。
三年前のダンジョン攻略時のランク6のミノタウルス・マーダー戦において、ドルトンがランク4を下がらせたのも同じ理由だった。だから仲間たちは私の我が儘に納得してくれた。フェルドも納得してくれたはずだった。
「大丈夫だ、アリア」
フェルドは油断なく悪魔を視界に入れながら、落ち着いた声で話す。
「お前は〝独り〟で戦うな。俺もまだ強くなる」
「フェルド……」
冒険者とは適材適所で戦える者が戦えばいいと思っていた。でも、違った。
フェルドは……虹色の剣の仲間たちも冒険者である前に〝戦士〟だった。フェルドは異常な力を持った私の隣で戦うために、強くなってくれると言ったのだ。
そのためなら命を懸ける。それは私が運命に抗うためにやってきた事と同じで、それを止めるのは私自身の信念も否定することになる。
「……分かった。一緒に戦って」
「任せろ」
私たちは視線を合わさないまま隣から力強い声が返る。でも、顔を合わせてなくて良かった……こんな状況なのに、今の私はきっと笑っていると思うから。
「来るぞっ!」
フェルドの警告と同時に、悪魔から魔力の高まりを感じた私たちが飛び退くと、それまで私たちがいた神殿の屋根が瘴気弾によって吹き飛んだ。
『…………』
コレットは先ほどまでのニヤけていた顔を不快そうに歪めて、夜空から私たちを見下ろし、無言のまま左腕に生やしたあの女から瘴気弾を撃ち出した。
私はそれを回避して、フェルドは躱しきれない瘴気弾を大剣で斬り裂く。
並の武器なら魔力を纏わなければ腐食する瘴気弾でも、闇竜の角から作られた大剣には曇り一つ付けることは出来なかった。
私たちを攻撃するコレットの顔が不快そうに歪む。
それは、フェルドが私との戦いに割り込んできたからか? フェルドの強さが想像以上だったからか? でもそうじゃない。フェルドが悪魔を恐れていないからだ。
フェルドが来てくれたことで私の中にあった〝焦り〟が消えていた。それを負の感情を食らう悪魔は不快に感じたのだ。
『……消エロ』
コレットの姿が視界から消える。私やフェルドの目ですら追いきれない速さで飛びだしたコレットは、元凶となったフェルドを狙ってきた。
「くっ!」
感覚だけで察したフェルドが大剣を振るうが、剣の重さと戦闘力の違いからかわずかに間に合わない。
「ハァ!」
『ッ!』
フェルドに気を取られた一瞬の隙を突いた私が、横手からコレットに斬りつける。
「うぉおおおおおおおおおおっ!!」
その一瞬で私たちの速さに追いついたフェルドの大剣がコレットに振り抜かれ、コレットは咄嗟にあの女を盾にして致命傷を避けた。
闇竜の大剣なら上級悪魔にでもダメージを与えられる。実際に倒せるかどうかは問題じゃない。コレットはフェルドの存在を無視できなくなり、そのわずかな隙が結果として表れた。
フェルドは強くなる。それまで私が死なさない。
『ギィイイアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!』
強烈なダメージにあの女が悲鳴をあげてコレットが飛び下がる。でも、あの女の魔石は切り裂けなかったのか、悪魔の魔力で瞬く間に再生していった。
でも――。
「フェルド、気をつけて! 様子がおかしいっ!」
コレットの顔から表情が消え、私は異変を感じて足を止める。
嘲りも不快もすべて消え失せ、静かに上空へと昇り始めたコレットが左腕に生やしたあの女を私たちへ突き出した。
私たちに瘴気弾では決め手に欠けると分かっているはずだ。それなのに空に上がったのは何か奥の手を使うつもりなのかと、警戒した私は鉄の薔薇を使うために内にある魔力を高めたが……。
「さあ、出番ですよ、契約者サマ」
ズバンッ!
コレットの魔力があの女に注ぎ込まれ、それをコレットが手刀で切り落とした。
何を考えている? 悪魔の強さは魔力量に依存するはずだ。それを自分の戦闘力を下げてまであの女に魔力を注ぎ込み、それを捨てた?
悪魔の魔力の大部分を受け取ったあの女が自らの重みで落ちてくる。
「来るぞ、アリア!」
それを警戒して私とフェルドの注意があの女に向いたその時、上空に残っていたコレットが腕を翼のように広げて、高らかに唄い始めた。
『―――――――――――――――――――――――――――――――――ッ!』
ざわり……と夜が震えた。背筋を奔る悪寒に目を凝らせば、王都中から魔素のようなものがコレットに集まるのが見えた。
コレットはこれ以上何かするつもりなのか、減っていた魔力が再び増え始めるのを感じた。
「フェルド、あの女は任せる。私は悪魔を――」
「アリアっ!!」
私の言葉を遮るように前に出たフェルドが、空に飛び上がろうとした私を庇うように剣を振るう。
ギギィッ!!
「っ!」
「フェルド!?」
〝何か〟の攻撃を弾いたフェルドがわずかに顔を顰める。
「気を逸らすな!」
フェルドの叫びに私も身構えると、落ちてきた蟲で出来たあの女の上半身が、下半身を再生させながら立ち上がろうとしていた。
『キハハ』
ニタリと嗤ったあの女に罅が入り、砕け散ると同時にその内側から小柄な人影が飛び出した。
『キャハハハハハハハハハハハッ!』
霞むような速さで飛び込んでくるその〝影〟に、今度は私がフェルドを庇うように前に出てカウンター気味にダガーを突き出した。
ガギンッ!!
「っ!」
まるで岩を叩いたような衝撃に顔を顰めながらも、私はその〝影〟が繰り出す腕を振るうような攻撃を仰け反るように躱して、ブーツの踵で蹴りつける。
体重は見た目通りなのか、私とその〝影〟が蹴りの威力で弾き合うと、それを隙と見たフェルドが前に出て大剣を振り下ろした。
だが――
『――【治癒】――』
ニタリと〝知った顔〟で嗤うその〝影〟から黒い閃光が迸り、その光を浴びたフェルドの腕が裂けて血が噴き出した。
「フェルド!」
私は瞬時にフェルドの前に立ち、魔盾で奇妙な黒い光を遮りながら黒いドレスの裾で魔素を払う。今の攻撃は? いや、それよりも……
「なんだあれは……」
腕を庇いながらフェルドが唖然とした声を漏らし、私もそれを目にして眉を顰める。
よく知っている顔……あの顔は。
「……〝私〟だ」
『キハハッ』
私の表情を見たあの女は晴れ晴れとした〝顔〟で笑い声を上げる。
あの女の執着と執念を核として悪魔の力で作られた妄想の虚像……。黒い髪。真っ黒の目に黒い肌。蟲で出来た襤褸布のようなドレスを纏うその顔は、私と酷似していた。
けれど、今の私よりも全体的に小柄で、顔立ちも幼く髪型も違う。でもその姿には見覚えがあった。
それは、私の中にあるあの女の〝知識〟――その中にあった乙女ゲームのヒロインである、〝原作のアーリシア〟の姿だった。
でも、あの力は何? 私の原作知識はほとんどない。でも大まかな粗筋だけは知っている。その中で遊戯の〝私〟は特殊な力を得て聖女と呼ばれていた。
「……〝神聖魔法〟……」
「なに?」
私の漏らした呟きにフェルドが気配を揺らす。彼も知っているようだが、私も師匠からその手の特殊な魔法を聞いていた。
神聖魔法は、魔術よりも〝原初の戦技〟に近い技術で、精霊に認められた者だけが扱うことができる『聖なる魔法』だ。あの女の妄執があったとして、そんな力を悪魔の力で生み出されたあの女に使えるとは考えられない……けれど、あの女の〝知識〟がある私は、師匠の教えと合わせて一つの可能性に辿り着く。
「気をつけて、フェルド!」
私の叫びにフェルドが飛び退き、黒いアーリシアが〝それ〟を唱えた。
『――【解毒】――』
再び闇色の閃光が放たれ、それに触れた大気に黒い霧が混じる。
「下がってっ!」
「アリア!?」
それが何か察した私が飛び下がりながら、一瞬動きが遅れたフェルドの胸を蹴り飛ばして、神殿の屋根から蹴り落とすように強引に下がらせた。
その黒い霧が炎に触れて巻き上がり、それに触れた元信者の死体が一瞬で変色して腐り果てる。
やはり、この力は神聖魔法じゃない。これは――
「……〝暗黒魔法〟……」
神聖魔法は、精霊が認めたことにより、光属性の魔術に聖属性を与えて範囲と効果を拡大する。過去の聖女はそれを使って多くの人を救い、乙女ゲームのアーリシアもそれを使って魔族やカルラと戦っていた。
ならば〝精霊〟ではなく〝悪魔〟に認められた力は何になるのか?
黒いアーリシアが使った毒を消去する【解毒】は、大気に触れることで毒を生み出した。最初に使った【治癒】は、傷を治すことなくフェルドを傷付けた。
効果の逆転――。【解毒】は【毒異常】となり、【回復】は【負傷】となる。
その答えが〝暗黒魔法〟だ。
『キャハハハハハハッ!』
〝黒いアーリシア〟を模したあの女が、歪んだ顔で嗤いながら殴りかかってきた。
稚拙な攻撃でも、速度さえあれば必殺の一撃となる。膨大な魔力を使った身体強化で矢の如き速さで迫る〝黒いアーリシア〟を、私は宙返りするように躱しながら刃を出したブーツの踵で蹴りつけた。
ギンッ!
やはり堅い。レベル5の戦技なら斬り裂けると思うが、この速さで当てられるか?
だが離れたら暗黒魔法が来る。拒絶世界ならそれを躱せるけど、鉄の薔薇を使えば戦技が使えない。
大きなフェルドがいた安心感が失われ、私の心にわずかな不安が宿る。でも、私はその想いをそっと心の奥に押し込め、目を細めながら呟いた。
「いいよ……」
ギンッ!!
また恐ろしい速さで迫り来る〝黒いアーリシア〟に、私はカウンター気味に黒いダガーを叩き込む。
『キィ?』
眉間にダガーを叩き込まれた〝黒いアーリシア〟が不思議そうな顔をした。私は意識さえすることなく反射だけで前に出て、右手のナイフで〝黒いアーリシア〟の首を斬りつけた。
『キハッ』
それに応じるように〝黒いアーリシア〟が殴りつけてくる。至近距離から轟音を立てるその拳を肌で躱し、さらに距離を詰めた私が真下から顎を蹴り上げた。
『キハッ!?』
そう、これはケジメだ。七年前、お前に襲われて真実を知り、私は運命から逃れる〝知識〟を得た。
お父さんとお母さんの死さえも〝物語〟の一部だなんて誰にも言わせない。
私は乙女ゲームを否定する。それを求めたお前を否定する。お前如きに奥の手は使わない。お前の〝知識〟で得た〝私〟の力で殺してあげる。
『キカカッ』
〝黒いアーリシア〟が出鱈目に腕を振る。速さだけならコレットにも劣らない。その魔力の動きだけを〝眼〟で追い、探知で動きだけを観て、迫り来る風圧を肌で察してその攻撃を避けながら、黒いダガーを繰り出した。
ギンッ!!
まともに叩けば私の腕にダメージが来る。でも、その瞬間に手首を捻り、当たった瞬間に腕関節と筋肉で衝撃を逃がし、衝撃と魔力だけを敵に打ち込む。
『キハッ!?』
突然動きの変わった私に〝黒いアーリシア〟が困惑した顔で蹴りつけてくる。
神経を研ぎ澄まし、全身の感覚で速度と威力を予測し、攻撃が繰り出される前に動き出した私は、その蹴りに手をついて飛び越えるように、肘打ちを顔面に撃ち込んだ。
『キカ、カカ、カ!?』
外傷はなくでも徐々に溜まり続けるダメージに、〝黒いアーリシア〟が混乱したように飛び下がる。
『――【浄化】――』
闇の閃光が広がり、暗黒魔法の【浄化】が膨大な瘴気を撒き散らし、燃えていた神殿の屋根を崩壊させた。
私はそれを新たに得た〝心の眼〟で観て、唱えていた光魔法の【浄化】で躱し、それを魔力制御で纏わせたナイフで、黒いアーリシアの顔面を斬りつける。
『キィイッ!?』
コレットがあの女にこの力を与えたのは、〝黒いアーリシア〟が私の天敵であるからだ。まともに戦えば拒絶世界でも手こずり、私は無駄に消耗して、無駄に時間を稼がれていた。
これは時間稼ぎ。コレットの奥の手は〝黒いアーリシア〟ではなく、王都中から集めた〝負の感情〟だった。
上空でコレットは私の視線に気付き、〝もう遅い〟と、その歪んだ笑みがそう言っていた。
夜天に掲げた右腕に王都中から、不安、恐怖、怒り、悲しみ、憎しみ、猜疑心などすべての〝負の感情〟が集まり、膨大な瘴気が生み出されようとしていた。
悪夢を操る〝夢魔〟の力。直径十数メートルはある瘴気の塊が王都に落ちれば、その地点を中心に瘴気が何十年も大地を穢すだろう。
私一人なら逃げられる。でも逃げ遅れた住民や、避難誘導をしている兵士や騎士たちは全滅だ。下手をすれば被害が王城にいるエレーナたちへ及ぶ。
私を見るコレットの笑みが深くなる。犠牲者を増やしたくないのなら、死ぬのを覚悟して全力で〝私に受けろ〟と言っているのだ。
『サヨナラ、アリアさん』
夜空から声が聞こえ、私に向け瘴気弾の狙いを定めた。
でも……コレット。
「悪魔たちは命ある者を甘く見すぎだ」
ドシュッ!!
後ろに下がろうとしたコレットの胸元を、真後ろから血塗れの白い腕が突き破る。
いつの間に現れたのか、病的な笑みを浮かべる黒髪の少女にコレットが獣のような顔で叫びをあげた。
『カルラァアアッ!!』
コレットの手から巨大な瘴気弾が零れて、放たれることなく王都へ落ちる。
攻撃として撃たれたものでなくても被害としては変わらない。単体の対人戦を意識した私の能力では、たとえ鉄の薔薇や拒絶世界を使っても、あの大きさの瘴気弾を破壊することは出来なかった。
でも、落ちるまでの時間は稼げた。
心の眼に目覚めた瞬間から私は〝繋がり〟を感じていた。近くにいる。戦っているのが分かる。〝お前〟も分かるよね。
――ネロ――
私が心の中で呼びかける〝声〟に遠くからそれに応じる〝意思〟が届いた。
『ガァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!!』
ドゴォオオオオオオオオオオオオオンッ!!
燃える神殿の向こう側から、獣の咆吼と共に繰り出された〝爪撃〟によって、破壊された神殿と巨大な蟲が宙に吹き飛ばされる。
巨大な爪痕を刻まれた蟲がまるで枯れ枝のように宙を舞い、瘴気弾と触れた瞬間、夜空に炸裂した。
衝撃波が飛び散り、神殿を中心とした王都の一角を揺らし、崩れかけていた家屋が倒壊する。瘴気の被害はあるだろうが直撃よりマシだ。逆に今まで燃えさかる炎が瘴気を天に巻き上げてくれていた。
『ガァアアアア!』
ネロが宙に飛び出し、ずたぼろになって落ちてくる巨大蟲の〝魔石〟をその爪で撃ち砕き……その瞬間、微かにアモルの叫びが聞こえたような気がした。
『――――――――――――――』
『アアアアアアッ!?』
その最期の叫びか、それとも彼の存在に思い入れがあったのか、神殿の屋根から近場にある建物まで飛ばされた〝黒いアーリシア〟が悲鳴のような叫びをあげ、その全身から闇色の魔素が迸る。
『――【解呪】――ッ!』
暗黒魔法の【解呪】――逆転する特性からすると、その効果は【呪詛】か!
すべての魔力を振り絞るような広範囲の呪いは、同じ建物まで飛ばされていた私の回避空間までも侵食していく。
でも……私は、回避など考えず、飛び出すように前のめりとなったその後ろから大きな影が飛び込んできた。
「――【地獄斬】――っ!」
屋根から落ちてなお舞い戻ってきたフェルドの放つ闇竜の大剣が呪いさえも切り裂き、戦技の威力で吹き散らす。
『アアアッ!!』
「お前はそろそろ死んでいろ」
その瞬間に前傾姿勢で飛び出した私が黒いアーリシアに迫る。
「――【兇刃の舞】――」
左右から繰り出される怒濤の八連撃が、魔力の低下した黒いアーリシアの四肢を斬り裂き、首を斬り飛ばしてその中に見えたあの女の〝魔石〟をダガーが貫き、粉々に撃ち砕いた。
「――【浄化】――」
空間ごと塵になった魔石に残っていた瘴気を浄化すると、あの女の悲鳴が幻聴のように響き、蟲で出来た黒いアーリシアの顔があの女に戻るとそのまま消滅するように消えていった。
残るは悪魔コレットただ一人――。
「――【聖炎】――」
空からカルラの声が聞こえ、コレットを貫いた腕を中心に膨大な炎が放たれた。
『アアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア……』
魔力を消費したコレットが為す術もなく焼かれ……でも、これは違う!
「カルラっ!」
それを察した私が空を飛び、私にニコりと微笑んだカルラの炎が悪魔を焼き尽くすだけでなく、王都に向けて撃ち放たれた。
ついに動き出すカルラ。
次回、激突!





