250 卒業イベント 『妄執』
ざわり……と、次から次へと起こる展開をただ見つめていた観衆たちから、息を呑む音がさざ波のように広がっていく。
その理由は私から見ても理解できる。聖教会の教えを信奉している貴族たちは、怪しい力の影響があったとはいえ、自分で彼女の人柄を見て自分で〝聖女〟を認めて、彼女を崇拝していた。
だからこそ気付いた。聖女である彼女の中身が〝別物〟に変わってしまったことを。
「あれぇ? わたし、ナニをしていたたたたたた――」
傾げようとした彼女の首が折れそうなほど真横に曲がり、右目と左目が違うものを見るように動き出すその横から、そっと白いメイド――コレットが囁いた。
「契約者殿は〝幸せ〟になるのですよ」
「――そうっ! 私は幸せになるの!」
ミシッ……。
そんな言葉に、折り曲げていた首をねじ曲げ、無理矢理顔を向けた彼女の首関節が悲鳴をあげて嫌な音が響く。
「私は、は、は、はぁあ――私の中に入ってくるなぁああ!」
突如悲鳴をあげた彼女の瞳が激しく揺れて、一瞬正気に戻り掛けた目がぐるんと裏返り、次の瞬間にまたけたたましく笑い声をあげる。
「きゃはははははははははっ! そうよ! 〝私〟がヒロインになるの!」
そのあまりの異様な光景の中で、彼女になったその〝なにか〟は、周囲を見回した中で見つけた〝私〟の名を叫ぶ。
「アーリシアぁあああああああああああ!」
狂気を感じさせるこの声音……。妄執に満ちたその表情を見て私は彼女に入り込んだその〝正体〟を理解する。
「……〝あの女〟かっ」
ずっと前、何も知らなかった幼い頃、孤児院から抜け出した私に成り代わろうとした、前世の記憶を持つあの女。
私はあの女の記憶を封じた〝魔石〟に血が触れたことで断片的な知識を得た。それでも、私に流れてきた〝知識〟はあの女がこの世界で得た知識だけで、あの女が執着した〝本質〟の部分は、私が無意識に拒んだことでその影響を受けることはなかった。
その魔石も出来る限り砕いたが、表層部分は脆くなっていても中心部分は強固で砕くことができず、ドブに捨てるしかなかった。
傷口に触れさえしなければいずれ風化すると考えていた。でも……今にして思えば、脆くなっていた部分は私が知識を得た部分なのだろう。その部分はそれで役割を終えたのだ。残った中心こそあの女の本質が記録されていた部分で、風化することなく残ったそれを波長の合った誰かが拾ったということか。
「その女を取り押さえろっ!」
「皆の者、即刻この場から退避せよ!」
そこに総騎士団長のダンドール辺境伯が声をあげ、国王陛下が事前に決めていたとおり、卒業生と一般客に退避を命じる。
その声に今回に限り多めに配置されていた警備の騎士たちが押し寄せた。
「迂闊に近寄るな!」
それを見て私は思わず制止する。あの女も異様だが、あのコレットもあきらかにおかしい。髪が白くなっていることを別にしても、気配そのものがすでに〝人〟とは思えなかった。
「アリア!」
私の様子を見て、エレーナが自分の護衛である私に事態収束の命を出す。でも私が動き出すその前に動いた者がいた。
「――【火炎槍】――」
「!?」
ほぼ真後ろから放たれた火魔術に、飛び出しかけていた私は側にいたエレーナを伏せるように押し倒す。
「カルラっ!」
「ふふ」
私の叫びをカルラが笑い、彼女の放った【火炎槍】は会場を飛び抜け、あの女を庇ったコレットを直撃した。
ドォオンッ!
『キャアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!?』
『ぐぁああああああああああああああああああああああっ!』
飛び散る炎と熱。こんな場所で人を殺す攻撃魔術が放たれたことで、正気に戻った一般客の貴族たちが悲鳴をあげて逃げ惑い、間近で炎の余波を受けた騎士たちも床を転がり回る。
「非道いヒト……」
左腕で炎を受け止めたコレットは、炭化した腕の代わりに線虫で新たな腕を作り出しながらカルラに向けて暗い瞳を向ける。カルラもふわりと宙を舞い、三階建てほどもある高い天井からコレットを見下すように笑みを浮かべた。
あの能力はアモルと同じ力? だとするなら彼女は――。
「あなた、〝悪魔〟ね……」
よく通るカルラの声が騒乱の会場によどみなく流れた。それが聞こえた人たちは一瞬足を止め、その意味を理解した者は目を剥いた。
この一年ほど王都は悪魔の脅威に怯えていた。でも、それを撃退できる者がいて、聖教会が聖女を前面に出すことで人々は不安に潰されることはなかった。
だが、その悪魔を王都に……城に招き込んだのはその聖女だった。
コレットが悪魔? あの町で出会った冒険者の少女……。途中でその姿は見えなくなったが、彼女は最初から悪魔だったのか?
「魔導士団、前へ! それを押さえ込めっ!」
そのとき声が響き、壇上にいた筆頭宮廷魔術師――レスター伯爵が自分の部下に指示を出す。
「娘を巻き込んでも構わん!」
そんな非情な言葉に、魔術師たちは躊躇もせず、水や風の攻撃魔術をカルラを巻き込むように撃ち放った。
コレットがいまだに挙動のおかしいあの女を抱えて飛び下がり、カルラが風の防御で魔術を弾く。
「……お父様、どういうことかしら?」
「ふん。王女殿下を巻き添えにしようとしたお前とも思えん言葉だな。王家の礎となって死ねるのだ。お前も本望だろう」
目を細めて訊ねるカルラに、その父であるレスター伯爵が吐き捨てるように憎しみの感情を返す。
「やめい! レスター伯もカルラ嬢も争っている場合ではないだろう!」
そこに、床に伏せたエレーナと私を庇うように前に出た国王陛下が声をあげ、父と娘を諫めようとした。
でも――
「わたくしは自由にさせてもらいますわ。せっかく〝役者〟が揃ったのだから」
カルラは悠然と言葉を放ち、父や陛下に向けていた瞳を再びコレットに向けた。
「あなたも、そのままでいいの? 〝脇役〟も必要ではなくて?」
その言葉は何を意味するのか? それを聞いたコレットが歪な笑みを浮かべて、傍らの女に語りかけた。
「契約者殿……、アナタの幸せを奪う者がいます。ソレでイイのですか?」
その瞬間、異様な言動を繰り返していた彼女の動きが止まり、ぐるんと目玉を動かすようにコレットを濁った瞳に映す。
「ダメよ! ダメダメダメダメ、カルラを殺せ! アーリシアを寄越せ! この国の王妃となるのはこの私よっ!!」
泡を吹くように喚き出す女の言葉を聞いて、コレットは満面の笑みを浮かべた。
「――御意――」
次の瞬間、コレットから膨大な魔力と瘴気が溢れ、あの女が取り憑いた少女から生命力が失われていった。
いや、消えているのは命じゃない。消費されているのは基になった彼女の〝魂〟だ。
『――――――――――――――――――――――――――――ッ!!』
コレットが人では聞き取ることもできない叫びを放ち、壁一面に張られた飾り玻璃窓が砕け散る。逃げ遅れた一般客にその破片が降りそそぎ、阿鼻叫喚となったその窓の向こうに見える建物から混沌の魔力が立ち上るのが見えた。
ピシッ、と遠くから何かがひび割れる音が響き――
「――手伝ってあげるわ」
カルラが複数の火球をそこへ向けて撃ち放つ。
夜空を斬り裂くように幾つもの火球が飛び、その建物の屋根を業火に包み込んだ。
ドォオオオオオオオオンッ!!
遠くから炸裂音が響き、まだ無事だった一般客がその方角を見て悲鳴のような声をあげる。
「神殿がっ!?」
その方角にあったのは聖教会の神殿だ。そしてその屋根の上にあったのは……。
「アモル……」
『アアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!!』
神殿の方角から聞こえてくる叫び声。いや、人のものではない獣の咆吼が響き渡ると燃えさかる炎の中から巨大な人型が動き出した。
アモルは神殿の上で、カルラによって倒された。その遺骸は溶けることなく凍りついていたが、カルラは凍らせただけでとどめは刺さず、悪魔もそれを利用しようとしていた?
でも、あれはもうアモルじゃない。アモルの魔石を残しただけの怪物だ。その証拠にあの蟲の怪物はこちらに来るでもなく、神殿の屋根から飛び降りて、住民を襲い始めていた。
「アリア、行きなさい! 私たちは気にしないで!」
「……了解」
近衛騎士たちが王族の周りを固めるのを確かめ、私はエレーナに頷いて彼女の傍らから飛び出した。
まずはコレットを止めるべきだが、アモルも放ってはおけない。不測の事態に備えてドルトンたちにも待機してはもらっているが、仲間たちが辿り着く前にどれだけの住民が犠牲になるのか分からない。
「っ!」
だが、飛び出しかけた私を留めるように襲いかかってくる者がいた。
「アーリシアぁあああああああああああああ!」
あの女かっ! 基になったあの少女〝リシア〟の身体能力は低く、魔力値もほとんど感じられないほど低下していたはずだが、その攻撃は私の動きを止めるほどの鋭さがあった。
【名称不明】【種族:人族♀】【ランク――】
【魔力値:542/0】【体力値:120/173】
【総合戦闘力:――(身体強化中:――)】
基礎魔力値が0? だが魔力があるのは、あの魔石に悪魔が魔力を溜め込んでいたのか、戦闘力は分からないが肉体の限界を無視した身体強化を行い、わずかに動いただけで骨がひしゃげて血を噴き出していた。
「ドコ行くの? アリアサン」
その真後ろに浮かぶように、彼女を操る者がいた。
「コレットっ!」
コレットの皮を被った悪魔は睨み付ける私に向けて、あの町で会ったときと寸分違わぬ顔で微笑んだ。
「……最初から悪魔だったの?」
「フフ……〝悪魔たち〟の相手をしてくれてアリガトウ」
そう言って浮かべた笑みは、悪魔とは思えない慈悲に満ちていながら……悪魔らしい狂気に溢れていた。
これが悪魔の恐ろしいところだ。悪魔の恐怖は強い力や残酷性じゃない。
たとえ弱い悪魔でも彼らは自分の滅びを恐れず、仲間の滅びにさえ喜びを見いだし、愉悦のためにすべてを裏切り、そのためなら自分の滅びにさえ歓声をあげるだろう。
コレットは最初から悪魔だった。どこで入れ替わったのか知らないが、私と出会ったときにはすでに悪魔だった。
その擬態能力と骨悪魔や無貌の悪魔を子ども扱いしたことから、この悪魔はあの二体よりも年を経た悪魔だと推測する。
「二人だけで遊ぶなんてずるいわ」
その瞬間、放射状の炎が薙ぎ払い、飛び避けるコレットの背後にあった会場と逃げ遅れた人たちを炎に包み込む。
「――黒髪の……女っ!」
「私とも遊んで」
邪魔をされたコレットが魔力の閃刃を放ち、カルラが雷撃で受け止める魔力の余波が吹き荒れた。
「アーリシアぁああああああああああああああっ!」
その間もあの女は叫びをあげながら襲いかかってくる。
私は【影収納】から暗器を取り出して腕や首に斬りつけるが、その傷は蟲が埋めて致命傷にならない。
アモルを変えたのもコレットの能力か……。あの町にいた〝悪夢〟の正体もコレットなら、悪夢で死者を操るのも、不死者を作るのもこの蟲が原因か。
「ちょうだい、あなたをちょうだい! 私が一番幸せになるのぉおおおおっ!」
「くっ」
過剰な肉体の行使に彼女の筋肉が裂けて、骨が砕ける。その動きは速いがそれでも身体能力だけだ。でも私も、このままではアモルを止められない。
私が焦りを感じたその瞬間、足下から強大な気配と殺気が迸る。
『ガァアアアアアアアアア!!』
私の〝影〟から黒い巨体が飛び出し、その爪があの女を吹き飛ばした。
「ネロっ!」
ネロは私の影に潜みながらも、人同士の争いに関わろうとしなかった。ネロがいてくれるのは私を守るためで、人を守るためではないからだ。
でも、そのネロが姿を見せた理由は……。
『ガァ……』
ネロが城の外に目を向ける。その方角には燃えさかる聖教会の神殿があり、今も人々の悲鳴が聞こえていた。
私の意を汲んでくれたのか、それとも一度逃がした〝獲物〟と決着をつけるためか。
「任せた、ネロ」
――了――
そう言葉を残したネロが破壊された窓から飛び出し、神殿へと向かうその姿を私は目で追うように見送った。
「いたぁい!」
ネロに吹き飛ばされたあの女が血塗れのドレスで立ち上がる。その胸元はネロの爪でざっくりと裂かれていたが、その傷も蟲が埋めるように塞がっていく。
「アーリシアぁああああ、やっと見つけたぁああああ! 私はあなたになるの! 私が幸せになるために、ににににににに――」
私を見つけて狂気じみた笑みを浮かべていたその顔が、攻撃を受けた衝撃からか壊れたように表情が変わり、ぐるぐると回る目玉が私を見ると、片目だけ狂気が消えた瞳から一筋の涙が流れた。
「…………」
まだ〝リシア〟の心が残っているの?
おそらくは元からあの女の魂が残っていたわけでもなく、あの女の妄執という記憶がリシアの魂を上書きしているだけなのだ。
それでもやはり〝魔石〟という物質には、完璧に記憶や想いを封じることはできず、半端に塗りつけられた妄執に魂が苦しんでいるのが伝わってきた。
「……分かった」
お前に情けをかける義理はない。お前があの魔石を拾い、その〝知識〟を使ってきたのなら、同じ魔石から知識を得た私にだけはわかる。これまでやったことは魔石に操られたのではなく、お前の意思なのだろう。
お前を救う義理はない。ただ……私もあの女に貸しがある。
私は非対称になっている黒いドレスの右側のリボンを解き、自由にした右足に括り付けていたナイフとダガーを構えた。
情けはない。でも――
「お前は、私が殺してあげる」
今回の副題は『妄執』としました。
アイデアをくれた方々、ありがとうございます!
次回、アリアと元凶……題名はあとで考えますw
書籍三巻、コミック一巻、両方とも売り上げは良いようで、ありがとうございます!





