249 卒業イベント 『断罪』
「メルローズ……」
会場の誰かが零した言葉に、参加者が状況を理解し始める。
誰もが新しい婚約者を『聖女アーリシア』だと考えた。王太子エルヴァンが選んだクララ・ダンドールに罪があるのなら王妃に相応しいとは言えず、聖教会に認められた聖女としての名声は、国内だけでなく諸外国にも喧伝できる相応しいものだからだ。
あえて問題があるとするなら、彼女が子爵令嬢で王太子妃として家格が足りないことだろう。現在の正妃が元子爵令嬢であることは現状で良き前例にはならず、そのせいで国力が下がったことに憂いていた古い貴族家は難色を示すはずだ。
だがその問題は、聖女アーリシア・メルシス本人から『メルローズ家』の血筋であることが明かされ、その事実に驚きと共に解決されたように思えた――が。
「……何を言っているの!?」
静まりかえった会場に聖女リシアの声が響く。
その睨むような視線の先にいるのは黒いドレスを纏った桃色髪の少女。その少女は自分こそが『アーリシア・メルローズ』だと名乗り、メルローズ辺境伯本人からそう呼ばれた。
かつて互いに排除すべき〝敵〟だと認識した少女が、最も面倒な場面で厄介な敵となって姿を現した。
「その人はお姫様の護衛でしょ! どうしてそんな人が危険なことをしているの!?」
叫ぶようなリシアの言葉に、周囲の貴族たちも彼女が死亡したという噂を思い出す。その少女がどうしてメルローズを名乗り戻ってきたのか? その答えを求めて集まる視線の中で、メルローズ辺境伯ベルトはリシアを鼻で笑う。
「それは我が孫娘である〝アーリシア〟が、魔物の襲撃により行方知れずとなっていたからだ。それは其方もよく知っていよう」
リシアも町を襲った魔物の襲撃で親を失い、幼少期を孤児院で過ごした。
ベルトの娘夫妻は、その生死さえ不明であったことから、その遺児である孫娘が生きている可能性に辿り着くまでかなりの時間を要し、その結果としてリシアのいた孤児院に辿り着いた時には本物の〝アーリシア〟は孤児院から消えていた。
リシアも〝ゲームの知識〟として、本物のアーリシアが孤児院にいたことは知っていたが、同性に興味のなかったリシアの記憶に彼女は残っていなかった。
そこにいた〝本物〟が目の前にいる少女なのか? リシアがその桃色髪を見ても彼女を〝ヒロイン〟だと認識できなかった理由は、その異様な〝強さ〟だった。
「貴族のお嬢様が、そんなに強くなれるはずないでしょっ!」
ゲームの知識にある優しげな印象が邪魔をして、彼女をヒロインだと思えず、自分と同じ境遇の孤児がどうしてそこまで強くなれるのか、リシアには理解できなかった。
「王族の護衛はほとんどが貴族出身者だ。騎士団長も宮廷魔術師も全員が貴族の者で、手練れの女性もいる」
そんなリシアに対してベルトは淡々と追い詰めていく。
元々貴族というものは、遙かな昔にその地域を武力で纏めていた〝最も強い者〟の末裔であり、現在の位の高い貴族ほど祖先がそれだけの勝利を重ねてきた証だった。
「……っ」
でもリシアにはそれが分からない。ゲームの知識でしか貴族を知らないリシアにとって〝貴族〟とは、きらびやかな世界で踊る〝幸せ〟の象徴だった。
このサース大陸最大の大国であるクレイデール王国。リシアを虐げてきたすべての女性から羨望を向けられる〝王太子妃〟の地位。
これまで、それを手に入れるために動いてきた。そのためにすべてを手に入れて、必要な犠牲として捨ててきた。それを簡単に諦めるなど出来るものか。
「……だからと言って、その人が本物だなんてどうして言えるの? その指輪だって本人の物だと言えないわ」
桃色髪の少女の手にも、リシアの指に嵌まっている物とよく似た指輪があった。もし本当にあれが本物で、リシアの指輪と比べられたら面倒なことになるが、それでも言葉を止めることはできなかった。
ベルトはその発言を聞いてわずかに怒気を滲ませながらも、余裕を持って応じる。
「なるほど、そう思う者もいるだろう。だが、この子を我が孫と考えたのは指輪のことだけではない。――〝アーリシア〟」
「はい」
ベルトの声に桃色髪の少女が前に出て、人々の好奇の視線が注がれた。
光沢のある黒いドレスを纏う凜とした立ち居に観衆たちは感嘆の溜息を漏らし、高位の貴族たちほど、少女の姿にベルトの言葉の〝意味〟を理解する。
「……シェリル様?」
そう呟いたのは親世代らしき婦人だった。
その名は行方知れずとなっているメルローズ家の女性の名で、その名を聞いた者たちは、かつて自分たちが憧れたメルローズ家の〝姫〟たちの面影と、目の前にいる桃色髪の少女の姿が重なっていった。
月の薔薇……メルローズ女系の特徴である〝桃色がかった金髪〟に、かつて魅せられた懐かしい記憶が呼び起こされた。
「その通り。この娘こそ、我が子であるシェリルが遺した、私の孫娘だ」
その言葉に貴族たちは、あらゆる意味で『月の薔薇』が戻ってきたことを知った。
だが――
「その人がどなたであろうと関係ありませんっ! この場で王太子妃に一番相応しいのは、〝聖女〟である私なのです!」
傾きかけた運命の天秤をリシアが止める。
「皆様ならおわかりになるでしょう! この国に本当に必要なのは誰なのか!」
運命の天秤を再び自分に傾けるため、リシアは自分が持つ『魅惑』を行使する。
『魅惑』の対価である魔力値の減少は、対象のリシアに対する好感度で変化する。簡単な魔術さえ難しくなったリシアだが、今の彼女には〝聖女〟としての名声があり、ベルトや壇上にいる王族はともかく、会場にいる信者や中立の者を自分側に引き寄せるだけならそれほど対価は必要としなかった。
魔術的な能力である『魅了』と違い、『魅惑』は防ぐことができない。観衆の思考が『魅惑』の力で誘導され、流れがリシアに傾き始めたことに気付いた〝黒髪の少女〟が嘲るような笑みを浮かべ、それを〝桃色髪の少女〟が視線で止めた。
だが――
「……リシア、もう止めるんだ」
その流れを止めたのは、渦中の人物の一人であるエルヴァンだった。
「エル様っ?」
リシアは目を剥くように彼に振り返り、エルヴァンはクララの肩を抱いたままリシアを憐れむように見つめていた。
本当に『魅惑』がエルヴァンに効かなくなっていることを自覚しながらも、リシアは本来の自分が持つ〝言葉〟をもってエルヴァンを惑わす。
「何を言っているんです? エル様。聖女である私以外に、誰が王太子妃になるのですか? その肩を抱いている罪人ですか? 突然湧いて出てきた桃色髪の方ですか? 今の王妃様も元子爵令嬢ですもの、私がなれないはずがないんですっ!」
今の国王が子爵令嬢を正妃としたために国は乱れ、それを正すために上級貴族家から王妃を出す必要があった。
前例は良き前例にならず、そのために自分がメルローズ家の血筋だと嘯いていた子爵令嬢のリシアだったが、それが叶わぬとなった今、今度はそれでも〝前例〟があるのだから、自分が正妃になれないはずはないと叫ぶ。
王妃を貶めるような不敬の言葉で、前提を何度も引っ繰り返すような支離滅裂な理屈であっても、リシアの『魅惑』なら周囲を味方にして、多数の意見として押し通すこともできる。
最終的な決定権が国王にあるとしても、乱れた国内情勢を纏めるために貴族との繋がりを欲した国王は、多数の意見を無視できない。
だが、それを止めるのも〝彼〟であった。
「リシア、君には僕の【加護】を教えていなかったね……」
エルヴァンはクララと理解するまで話し合い、クララの『予見』をもってやるべき事を決めていた。
エルヴァンとクララは見つめ合い頷きあうと、寄り添うように立ち上がり強い瞳をリシアに向ける。
「僕の能力は『完全鑑定』だ。亡くなった叔父上である第二王子と同じ能力で、その人のすべてを見ることができる。クララが特殊な記憶を持っていることも、そちらの桃色髪の女性が本物であることも、リシア、君が……貴族を騙った、平民の孤児であることも知っている」
「エル様……何を……」
唐突なエルヴァンの語りにリシアは言葉に詰まる。
「リシア……君は王太子妃にはなれない。僕は王太子の座をエレーナに譲るからだ」
「!?」
エルヴァンの言葉にリシアは目を見開き、クララがエルヴァンの手を強く握る。
「それが君やナサニタル、アモル叔父上と共に酷いことをしてきた僕の贖罪だ。クララも承知している。だから……」
エルヴァンは数秒目を瞑り、再び開いた泣きそうな瞳に愕然としたリシアを映す。
「もう君の加護……『魅惑』で、人の心を歪めることは止めてほしい」
「――っ!」
その言葉の意味することに周囲は即座に理解が及ばず、一瞬の静寂がこの場を満たしたその中で、時を見計らったように動き出す人物がいた。
「あなたがその能力を使って、人々を謀っていたことは調べが付いています」
「……お…姫さま?」
王女エレーナが桃色髪の少女を伴って舞台に上がる。
「本来なら聖女とは光魔術とは違う神聖魔法を使える者を指します。その力がないあなたが聖女となれたのは、魅惑の能力を使い聖教会の方々の心を操っていたからだと、ファンドーラ法国のハイラム殿と、兄上から証言を得ています」
「なんですって……」
リシアが視線を巡らした騎士たちの後ろに、ファンドーラ法国より聖女認定に訪れていたハイラムの姿が見えた。
「ええ、私は王女殿下の発言が嘘偽りないことを誓います」
神聖魔法とは【戦技】に近い単音節の魔法であり、光魔術と違って広範囲に効果が現れる。精霊から寵愛を得た者のみ使えるとされるが、政治的な聖女なら神聖魔法が使えずとも良い。
だが、その政治的な聖女でも〝悪魔〟が関わっているとなれば話は変わる。明確にリシアが悪魔と関わっていた証拠は出ていないが、複数の状況証拠を提示して、噂でもそれが聖教会の醜聞になると、エレーナが政治的な駆け引きをしてハイラムをこちら側に引き入れた。
「その他にも、上級貴族メルローズ家の血筋であると虚偽の申告を行い、王族を貶める発言など今ここで確認しています。すでにあなたを迎え入れたメルシス家から、養子縁組解消の報告を受けております」
すでに水面下での準備は終わっていた。エレーナがリシアの一人芝居のような態度を放置していたのは罪状を増やすためだった。問題はいつ動くか分からない黒髪の少女だったが、彼女は桃色髪の少女が睨みを利かせていた。
エレーナの言葉が終わると同時に『魅惑対策』をした近衛騎士たちが現れる。その中にはセオを含めた暗部の騎士も紛れており、不測の事態に備える。
「――ごほっ。……あれ?」
その緊張した空気の中でリシアは口元を濡らす吐血に声を漏らす。
自分の身に何が起きたのか分からず、口元を拭った血塗れの手を見てリシアが周囲を見回すと、自分を見る周囲の瞳が変わり始めていることに気付いた。
疑念、怒り、憐れみ……。リシアが精神を歪めるという、王太子を退くことを決めてまで伝えたかったエルヴァンの発言によって、貴族たちの中立だった心の天秤が傾き、発動していた『魅惑』の対価が増大して、リシアの魔力値をすべて削り取っていた。
魔素が満ちているこの世界の生物はすべて魔力を持っている。たとえ魔法が使えなくても、生きる上の必要な要素として、血液の塩分のようになくてはならない物だった。
エレーナが意図していたことではないが、彼女が話を始めた時点でリシアの『魅惑』はほぼ効力を失っていたのだ。
「なんで……なんでっ!?」
これまで味方だった者たちが敵となり、断罪され、自分の生命が減っていくのを感じながら、リシアは訴えるように声をあげた。
「みんな、私が王妃になるって言ってくれたじゃないっ! 私が聖女だって褒めてくれたじゃないっ! どうなっているの!? 話が違うわっ!」
魅惑の効果は薄れても、見た目が幼いリシアの悲痛な叫びに、これまで聖女を信奉していた者たちが気まずそうに目を背けた。
命を懸ける覚悟はあった。最高の幸せのためなら悪魔にさえ魂を売るつもりでいた。誰にも理解されなくてもいい。平民の中でも最低の場所で生まれたリシアにとって、たとえ一瞬でも最高の幸せを手に入れられるのなら、命を懸ける価値があったのだ。
でも、こんな結末は受け入れられない。
だがその最後の叫びは、観衆でもエルヴァンでもなく、天に向けて発せられていた。
「――下がって!」
リシアの周りに異様な魔力を感じた本物のアーリシア――アリアがエレーナを庇うように前に出ると、リシアの周りに白い靄のような物が集まり、真っ白な髪をしたメイドが姿を現した。
「……コレット?」
悪魔がいた小さな町で出会った冒険者の少女。アリアは彼女を見て声を漏らし、白いメイド……コレットはアリアにニコリと微笑みながらリシアの傍らに立つ。
「あんたっ! 問題ないって言っていたじゃないっ! エルヴァンの能力だって気付いていなかったのっ!? あんたも〝魔石の中の女〟も嘘ばっかり!」
リシアが血を吐くように叫びながら白いメイドに掴みかかると、コレットは優しく微笑んで、小さな魔石を懐から取り出した。
「ええ、問題ありませんよ」
「あんた――がっ」
その瞬間、コレットの手がリシアの胸元に突き立てられていた。
「……な、なんで――」
どうして悪魔が契約者である自分を攻撃するのか?
コレットの手が引き抜かれると同時にリシアが白目を剥き、その傷が線虫のような蟲に覆われて塞がれる。
それを見てコレットは一歩下がると、白目を剥いて立ち尽くすリシアに恭しく頭を下げた。
「ようこそ、我が〝契約者〟殿」
次の瞬間――
「――――きゃははははははははははっ!」
唐突にリシアだった少女はけたたましく笑い出し、周囲を見渡しながらアリアを見つけて、狂気に歪んだ笑みを浮かべた。
「アーリシア……見ぃつけたぁあああ」
きちゃった……
ついに現れた悪魔の真の契約者! もう小難しい話は終わりです!
バトルです!
次回、あの女の脅威が迫る。二文字の題名が思いつきません!
次からアリア視点に戻ります!





