248 卒業イベント 『本物』
今回も三人称になります。
(ついに来た……)
婚約者であるエルヴァンの口から『婚約解消』という言葉を聞いて、分かっていたとは言え、クララは心の奥に棘が刺さるような痛みを感じた。
会場には王太子であるエルヴァンが成人するとなって、卒業生の親族だけでなく、古い血筋を持つ貴族家の者も集まっており、彼の突然の発言に会場に集まっていた貴族たちがざわめいていた。
その中で同じく聞かされていた、元々王妃となる予定もなかった公爵家のパトリシアも血の気を失った顔をしていたが、彼女はどことなく安堵しているように見えた。
一人だけどこか愉しげにしているカルラの心情は……それが理解できるのなら誰も苦労はしていない。
クララはこれまでずっと『乙女ゲーム』の運命に抗ってきた。だが、その運命という鎖はクララの心を絡め取り、彼女を『悪役令嬢』たらしめ、こうしてエルヴァンは乙女ゲームと同様にクララとの婚約を無くそうとしている。
でもここは、〝乙女ゲームの世界〟ではなかった。意思のある人間が生きて、人間の心で変わる、生きている人間が住む世界だった。
前世の記憶を取り戻したばかりのクララは、この世界が乙女ゲームの世界であると信じ、必ず乙女ゲームの物語に沿って進行すると思い込んでいた。
それ故に自分の命が失われるような酷い目に遭うと考え、今世でも早死にすると怯えたクララは、〝ヒロイン〟を排除するために、ゲームのクララと同じ悪行に身を染め、多くの人々に迷惑を掛けてきた自覚がある。
けれども、そんな自分に寄り添ってくれる人たちもいた。
最初は利用しようと拾い上げた元暗殺者ギルドの者たちは、クララを信じて命まで懸けてくれた。
家族も微妙なすれ違いはあったが、ゲームと違い早くに和解できたことで、クララが王妃を望んでいないことを理解してくれた。
そして……
(エル様……)
この〝卒業イベント〟の場で、自分たち婚約者に婚約の解消を告げる彼の辛そうな視線に、クララは心が締め付けられる思いがした。
乙女ゲームのクララは心が弱かった。貴族令嬢としての矜持ゆえに完璧であろうとして、誰かに頼ることができずに孤立した。
今のクララから見てもそれ自体は悪行ではない。王太子として弱いエルヴァンを支えるために元孤児であるヒロインが王妃となった場合を危惧して、彼のために〝悪役〟に身を落とした。
だがそこに〝愛〟はなかった……。
クララにあったのは心を削るような貴族としての使命感であり、それが心のすれ違いを生み、不幸にもエルヴァンの心が離れる原因となった。
同じ使命感を持ち、同じく抗ったクララの叔母である第二王妃は、最後の一歩で踏みとどまったが、ゲームのクララは止まれなかったのだ。
今世でのクララは心が弱かった。異世界の一般人として生きた常識がクララを弱くした。でも、貴族令嬢としての重圧に耐えかね、そんな弱さを表に見せたからこそ、同じ〝弱さ〟を持つエルヴァンが寄り添ってくれた。
それは二人にとっての救いだった。生粋の王族であるエレーナやすべてを殺すために生きてきたカルラのような者たちからすれば、貴族として情けない姿であろうと、クララとエルヴァンにとっては唯一の救いだったのだ。
でも、その弱さ故にエルヴァンは可憐な花に見せかけた〝毒花〟に絡め取られ、後ろめたさからクララと距離を置くようになった。
そんな異様な雰囲気となった会場の只中で、クララは祈るように自分の手を握りしめる。
(それでも……あなたを信じています)
*
(ここからだ……)
エルヴァンはなけなしの勇気を絞り出して、覚悟を決める。
ざわめく会場の中でエルヴァンが会場へ顔を向けると少しだけざわめきが収まり、彼はゆっくりと視線を巡らすように話し始めた。
「突然、私がどうしてこんな事を言い出したのか気になる者もいるだろう。……婚約者だった彼女たちに非はない。私がこんな事を考えるようになったのは、〝彼女〟の存在があったからだ」
エルヴァンが向ける視線の先にいる一人の〝少女〟――聖女リシアは、エルヴァンの言葉にニコリと微笑んでみせていた。
その姿に〝魅惑〟され、彼女の存在を思い出した貴族たちの顔に納得の色が浮かぶ。
「彼女……アーリシア・メルシス嬢は、昨年魔術学園に入学して、王太子として、王族として思い悩む私の心に寄り添ってくれた。誰にも話したことのない苦しみを理解してくれて、私がずっと望んでいた言葉をくれた」
エルヴァンが話す内容に人々が静かになり、聞き入っていく。
男子の長子であるエルヴァンが王太子になるべきと考える古い貴族家は、その内容に顔を顰めながらも納得し、彼が弱いとしてエレーナ側に付いた貴族家は訝しげな顔をして、貴族派は満足げに頷いていた。
「自分は自分のままで良い……。そんな、まるで導かれるような言葉に、私は彼女を気に留めるようになりました」
「エル様……」
聖女リシアから、国王陛下もいるこの場に相応しくない〝愛称〟を呼ぶ呟きが漏れるが、人々はリシアの姿を見た瞬間に、不敬に眉を顰めるより先に彼ら二人の深い繋がりを感じて、溜息のような息を漏らす。
「それでも力の不足を感じていた私に、アーリシア・メルシス嬢はあることを提案してくれた。深く苦しいダンジョンに潜り、仲間たちと苦難を乗り越え、ついにその成果として私は【加護】を得ることができた」
エルヴァンの発した【加護】という言葉に周囲からどよめきが起こる。
一般から見た〝加護〟とはお伽噺の出来事であり、過去の数多の英雄がそれを求め、その力で世に平和をもたらしたと言われていた。
その加護の力でエルヴァンは英雄になったのか? ならばやはり王太子に相応しいのは彼なのではないか? そんな想いが貴族たちの脳裏を過ぎる。
「そしてアーリシア・メルシス嬢も、共にその苦難に立ち向かい、この功績をもって聖教会より〝聖女〟の称号を賜った」
人々の視線がリシアに集まる。英雄を助ける若き聖女……そんな言葉が思い浮かび、人々の憧憬にも似た瞳にリシアは少し恥ずかしげに微笑んでいた。
ここまでの話を聞けば誰もが納得せざるを得ないだろう。そんな出来過ぎた話に違和感を覚えた者がいても、聖女の微笑みを見るだけでそんな疑問は消え失せた。
誰かを貶めて婚約者を代える話は物語にもあるが、エルヴァンは自分なりの理由を告げて、誠意を持って婚約を解消しようとしている。その行為自体に誠意はなく、婚約者たちに同情の視線も集まるが、それでも王太子としての権威を笠に着て強引に婚約者を代えるよりは好感が持てた。
誰もが理解した。この場は『婚約の解消』と、『新たな婚約』の場であると。
ならば新しい王太子の婚約者は誰か? 次の正妃には誰がなるのか?
政治的に見ても、国内の有力貴族と縁を結ぶことができなくなり、内政的に悪手に思えるが、国内の中立派と聖教会という民意の象徴にもなる〝聖女〟と縁を結ぶのなら、隣国も認めざるを得ないだろう。
人々の視線が再び聖女リシアに集まり、彼女が感極まった潤んだ瞳で一歩前に踏み出そうとした、その瞬間――
「……クララ……」
エルヴァンはリシアの前ではなく、壇上にいる赤髪の少女の前で跪く。
「何もかも無くしてしまう僕だけど……ずっと一緒にいてくれる?」
「……はい。はい、エルヴァン様っ!」
飾らない彼本来の飾らない言葉に、ぽろぽろと流れる涙を拭いもせずクララは壇上から降りて、エルヴァンの手を取るように跪いた。
どうして一度婚約を解消した相手の手を取るのか? 突然の展開に会場の全員が唖然として、ずっと険しい顔でエルヴァンを見ていた王族たちもかすかに顔をほころばせるその中で、ぼそりと少女の呟きが零れた。
「…………なによそれ?」
*
掠れるような小さな声だったが、それは思いのほか大きく響いた。
聖女リシア。いつもの彼女であったなら、すぐそれに気付いて取り繕うこともできたのだろうが、リシアはそれすらせずにクララを指さした。
「何故、彼女なんですかっ!? その人はエル様に相応しくありません!」
聖教会に認められた〝聖女〟とはいえ、上級貴族を貶める発言をしたリシアに、再び周囲からざわめきが起こるが、リシアは微かに笑みを浮かべてその集まった注目を利用した。
「聖教会の調べで、その人が裏社会と関係を持って、自分の手勢を使って私の命を狙ったと分かっていますっ! そんな人が王妃になるなんてあり得ないわっ!」
人々の視線がクララに集まり、それまで同情が含まれていた瞳が、リシアが持つ〝好感度〟によって嫌悪に変わるのを感じて、クララが身をすくませた。
(どういうことなのっ!?)
リシアは余裕の笑みを浮かべながら、契約した〝悪魔〟に呼びかける。
ゲームの通りに聖女となり、エルヴァンの好感度も最大限まで上げてきた。彼の心の闇など最初から知っている。それをすべて利用して肯定してあげれば、面白いように手の上で転がってくれた。
リシアが得た『魅惑』の力と『夢魔』の存在。それにあの女の知識があれば、できないことは何もない。
そのためにアモルやナサニタルを捨て駒とし、その力をもって民衆の意識にまで干渉して、自分が王太子妃になる手筈を完璧に整えてきた。
それでもわずかに残った彼女への想いは、リシアの加護と夢魔の力によって完璧に上書きされたはずだった。
それなのに何故、最後の最後でエルヴァンが自分を選ばないのか? その理由が理解出来ずに困惑するリシアの頭に、悪魔の声が聞こえた。
《――無問題――》
悪魔はこうなることも想定していると言った。こんな時のためにあの女の〝魔石〟を悪魔に調べさせ、そこから得た〝知識〟を用いて聖女派の者に裏付けを取らせ、クララが最後に足掻くことを予想して証拠を集めていたのではないのか?
(……そうね。その通りよ)
ゲームの内容から外れたことまで証拠を揃えることはできなかったが、ゲームの通りなら極刑は難しくても国外追放までは持ち込めるはずだ。
クララは王妃にはなれない。そうなればリシアしか相応しい相手はいない。貴族の常識的にも世論的にも、理性的に考えるのならそうならないはずがない。
だが――
「それが本当かどうか私には分からない。幾つか本当のこともあるのだろう。でも、それで彼女が罪に問われるのなら、僕も同じ罪を背負う」
エルヴァンはリシアの言葉に心を動かされることはなく、怯えるクララの肩を強く抱き寄せた。
「エル様……」
見つめ合う二人の姿にリシアが睨むように目を細め、そんなリシアにエルヴァンは複雑な顔をして頭を下げた。
「……君には感謝をしている。こんな結果になったが君の言葉に救われたのは確かだ。でも、僕に必要だったのはクララなんだ。クララは王太子ではない僕を僕として必要としてくれた。それに……」
エルヴァンはクララの手を握り、哀れむようにリシアを見た。
「君では、王妃にはなれない」
その言葉に聖女を信奉する者たちが色めき立ち、わずかに眉を顰めたリシアは余裕の笑みを浮かべる。
この〝イベント〟は乙女ゲームにもあった。本来、世論に後押しされた聖女であろうと、子爵令嬢であるヒロインは王妃にはなれない。裏の設定として現在の正妃が元子爵令嬢で内政的な問題が起きていることも起因する。
リシアの『魅惑』と『夢魔』の力で、起こらないかもしれないイベントであったが、逆にこのイベントが起きたことで乙女ゲームが正常に進んでいることを実感した。そのイベントではクララがそれを言うのだが、現状では些細な違いだ。
「それなら問題ありませんわ。私はメルローズ家の娘ですから」
リシアが袖から取り出した〝指輪〟を指に嵌めて、それを見せつけるように腕を前に差し出した。
「私の亡くなった母はメルローズ家の者で、この指輪を私に遺してくれましたっ! そうでしょ、〝お祖父様〟っ!」
リシアが国王陛下の側に控えていたメルローズ辺境伯に呼びかける。
〝本物〟の〝ヒロイン〟はいない。生きているのか死んでいるのかさえ分からず、もし生きていて自分の出自を知っているのなら、あんな過酷な孤児院にいた子どもが貴族の世界を夢に見ないはずがなく、名乗り出ない理由がないからだ。
魔石の中の〝知識〟には、ゲームの中にあった〝メルローズの指輪〟の形や色までも正確に記憶されていた。
それを覚えていたあの女の執念には驚かされるが、ゲームゆえ、形状にわずかに差違はあっても数十年も前の物を完璧に覚えている者はいないはず。証拠が残らないようにそれを作ったのも悪魔だったが、たとえそれに違和感を覚えてもリシアの『魅惑』が打ち消してくれる。
この力こそ最強なのだ。戦いでは一般兵士にさえ及ばずとも、文明社会にいるかぎり『魅惑』と『夢魔』の力を得られる自分こそが〝最強〟だと、リシアは満面の笑みを浮かべた。だが――
「……何を言っている?」
その呼びかけに〝祖父〟であるベルトは嫌悪を顕わにする。
「その指輪が本物であるものか。〝本物〟はすでに見つけてある。〝アーリシア〟」
その呼びかけに、王女の側にいた一人の〝少女〟が前に出る。
観衆の中にはその少女を知っている者もいた。頼れる味方として忌むべき敵として、美しい少女だと認識はしていても、それ以上の感情を持つ者は少なかった。
だが、ベルベットのような光沢のある黒いドレスを纏い、輝く桃色がかった金髪を結い上げた少女の、あまりの美しさに思わず息が漏れた。
彼女を知らなかった者たちも、その美しさに息を呑み、親世代の貴族たちはずっと以前に憧れた『桃色髪の令嬢』の面影を見いだして、幻でも見たように目を細める。
そして少女は凜とした表情で、自分の指に嵌まった〝本物の指輪〟を見せつけた。
「私が、アーリシア・メルローズです」
ついに名乗りを上げたシンヒロイン〝アーリシア〟!
次回、『断罪』
今回で断罪まで辿り着きませんでした……。
書籍第4巻も鋭意製作中! 第一部ラスト・大規模ダンジョン編です!
お楽しみに!
 





