238 歪んだ聖戦 5
祖母のとの邂逅……
その女性は茶色がかった柔らかな色合いの金髪を結い上げ、優しげなオレンジ色の瞳で私を見つめていた。
彼女がミハイルの祖母だとしたらそれなりの年齢のはずだが、魔力の高い高位貴族のせいかその外見はまだ四十歳ほどでしかなく、その顔立ちは……亡くなったお母さんとよく似ていた。
「……あら、ごめんなさいね。亡くなった娘の名を呼ぶなんて、どうかしているわ」
「いえ……」
困ったような顔で寂しげに笑うその女性に、私はなんて答えていいのか分からず小さく首を振り、互いの間に奇妙な空気が漂う。
「……セシリア。大事ないか?」
そんな空気を読んだのか辺境伯が気遣うように声を掛けると、セシリアと呼ばれたその女性はハッとした顔で辺境伯に頭を下げた。
「ベルト様……申し訳ございません」
「いや……お前たちが無事ならそれでいい」
そう言って二人は互いの無事を確認するように抱擁すると、二人はすぐに夫婦ではなく上級貴族の顔を見せる。
「とりあえず話が聞きたい。これまでの事を教えてくれ」
「かしこまりました、ベルト様」
「ミハイルっ! お前は屋敷の者を率いて敵の対処に当たれ! 儂は遠話の魔導具で陛下に報告するっ」
「はいっ!」
辺境伯の命にミハイルが緊張した……それでいて何かを察した、祖父母と私を気遣うような視線を一瞬くれて城壁へと駆け出した。そんな孫を見送った辺境伯は私のほうへ向き直り、少しだけ苦い物を口に含んだような顔をする。
「……アリア。ミハイルを助けてくれ」
「はっ」
辺境伯は私へも指示を出し、そんなベルトに伴って屋敷のほうへと歩き出したセシリアは、心配げにミハイルを見送ってから、何度か後ろ髪を引かれるように私を振り返っていた。
「…………」
あの人がお母さんの……。でも今はそれを考えている時間はない。
私は〝血縁〟かもしれない二人が屋敷に入るのを見送り、もう一人……血縁かもしれない彼を追って城壁へと駆け上がる。
だが、そこに――
「――【魔盾】――っ!」
パリィインッ!!
私はミハイルに放たれた魔力攻撃を咄嗟に【魔盾】で受け流すが、予想外の高威力に【魔盾】が玻璃が砕けるような幻聴をたてて砕け散り、庇われたミハイルが目を見開いた。
「アリアっ!」
「大丈夫」
今の攻撃は攻撃魔術? でも属性魔術ではなく無属性の魔素だった。それでも戦技とは違う。
『のこのことこんな場所まで邪魔をしに来たか、冒険者の女っ!』
今ここを攻撃している部隊とは別の一団が現れ、先頭で馬を駆る外套の男がそう叫んだ。姿は確認できない。でも、この声は……
「……アモルか」
王弟アモル。いや、辺境伯がここに辿り着いた時点で元王弟となるはずだ。
裏手から攻撃していたアモルがこちらに辿り着いた。あと少し私たちの到着が遅れていれば鉢合わせしていた可能性もある。
アモルは城壁の上に立つ私の姿を見留め、集団の中から単騎で飛び出すと、先に攻撃をしていた部隊を飛び越すように馬ごと宙に舞う。
アモルの馬は強化済みか……。
「貴様だけは許さん! お前だけは許せんのだ!」
「やってみせろ」
アモル迎撃のために私も城壁から飛び出し、宙に舞う。
「!?」
私の虚を突くようにアモルの左腕が伸びる。一瞬の悪寒。嫌な予感に私はそれを受けずに空を蹴って位置を変え、分銅型のペンデュラムでその腕を打ち、汎用型でアモルの首を狙う。
ガキンッ!
アモルの右手の剣がペンデュラムを打ち落とす。伸ばした腕を打たれたアモルは馬ごと体勢を崩すが、落ちながらも戻した左腕に無属性の魔素を溜め始めた。
先ほどの魔力攻撃か!
「――【神撃】――」
私の戦技、【神撃】の一閃が衝撃波の魔素を切り裂きアモルを襲う。だがアモルは腕力だけで強引に手綱を引くと馬を盾にして戦技をやり過ごし、そのまま地面に落下していった。
仕留め損なった。私は一瞬で意識を切り替え、城壁に引っかけておいた刃鎌型のペンデュラムを基点に壁を真横に駆け抜けながら、壁を登ろうとしていた騎士たちの梯子を分銅型のペンデュラムを放って打ち砕く。
意思の消えた騎士たちは自分に直接の攻撃がなければ咄嗟に動けず、砕けた梯子から碌な抵抗もできずに地に落ちた。
「貴様、よくも殿下を!」
だが、その中に混じっていた意思のある騎士がアモルを落とした私に、梯子の上から槍を振るってくる。
「――【幻痛】――」
「ぎがっ!?」
意識があるのなら【幻痛】が通じる。
悲鳴をあげる騎士を蹴り飛ばしながらその手から槍を奪い、そのまま手近な騎士の心臓に突き立て、その周辺の梯子をすべて打ち砕いてから振り子のように城壁の上に駆け戻った。
おおおおおぉ――……
わずか数秒の攻防で敵の大将と攻城手段を潰してきた私に、メルローズの兵士たちから思わず声が漏れた。でも、まだ終わっていない。
「おのれぇえええ!! 冒険者の女ぁああああっ!!」
地に落とされたアモルが怨嗟の声を響かせる。何やら私に恨みがあるようだが、私に攻撃が集中するのは望むところだ。
それにしても馬ごと地に落ちて怪我もないとは、やはりアレも不死となったか。それ以上に破けたフードから覗くその〝顔面〟に私は眉を顰める。
「人間もやめたか?」
「不遜であるぞ! 私は脆弱な人間を超えたのだ!!」
アモルの頭部は、左半分が蠢く小さな虫の集合体と化していた。あれは……不死者の中にいた奴か。恐らくは左腕もそうだろう。あのときアモルの攻撃を受けていたら何が起きていたか分からない。
不死者を作るという時点で薄々予感はしていたが、本当に人間をやめたらしい。
元から感情的な男だったが、今のアモルの眼からは狂気しか感じない。
先ほど手合わせした感じでは今のアモルの身体能力なら、単騎で城壁を越えて蹂躙する程度は出来ただろう。
それをしなかった理由は何か? 屋敷の人間を辺境伯を呼び寄せる餌とするためか、あの変貌と狂気が知性まで落としているのか?
それとも、他に大きな理由があるのか……?
「者ども、攻撃を始めよ! あの女をあそこから引き摺り落としてやれ!!」
『ぉおおおおおおおおおおおお!!』
アモルの叫びに第二騎士団の不死者たちが声をあげる。でもやはり、アモルは自分から動かず部下に城攻めを任せた。
私もすぐに打って出るべきか。アモルを倒せばおそらく不死者も動きを止めるはず。それでも私一人で百の不死者とあのアモルを同時に相手はできない。
背後には守るべき人たちがいる。考えなしに戦いを始めればその人たちを危険に晒すことになる。
メルローズの騎士たちと協力すれば活路は見えるが、王女の護衛とはいえ冒険者の私と協力が出来るのか?
「レイトーン嬢っ!」
そのとき辺境伯に付いていた護衛騎士が現れ、私のことを呼ぶ。
「辺境伯夫人がお話があるそうです。おいでいただけますでしょうか?」
「…………」
攻城用の梯子を壊した今なら多少の時間はある。それでも私はここを離れると咄嗟の事態に困ることになる。
「アリア、行ってくれ。たぶん……必要なことだと思うから」
「ミハイル……」
彼を振り返る私に、ミハイルは静かに頷く。周囲に視線を向けるとメルローズの騎士や兵士たちも少しだけ瞳に活力が戻り、何か知っているのか頷いてくれた。
「行ってください。ここは我々で持たせてみせます」
「……了解した」
彼らの誇りに任せて私は迎えに来た騎士と共に屋敷へと向かう。
初めて中に入るメルローズの屋敷は、今は交戦中だからか魔術光の明かりも最低限に抑えられて薄暗く感じた。
「こちらです」
どういう理由か、一介の冒険者に対する以上に丁寧な態度で接する騎士の案内で邸内を進むと、奥にある場所へと通された。
そこは宰相の執務室でも応接間でもない。言うなれば家人が使う場所のように思えたが、案内の騎士が下がってそこに残された私は、室内を見渡してその壁に掛けられていた大きな『肖像画』に目を奪われた。
この〝女性〟は……。
「――その子は、十五年以上前に家を出た、私の娘なのよ」
入り口からセシリアの声が聞こえた。彼女が部屋に入ってきた事には気付いていたけど、私はその肖像画から目を離せなかった。
軽く結い上げた〝桃色がかった金髪〟の女性。その人は……私の記憶よりも少し若くて、今の私よりも少しだけ年上で、私を優しげに見つめていた。
「……ミハイルもこの絵が好きだったわ。幼い頃に姿が見えないと、必ずこの絵を見つめていたの」
今の私のように……。
セシリアは返事をしない私の隣まで来ると、一緒に絵を見上げた。
「メルローズの女性は、ベルト様のお姉様も叔母様も、皆さま強い方だったわ。皆を導いて希望をくれる……そんな人たちだったの」
セシリアが昔を懐かしむようなゆっくりとした声で語り出す。
「私は、私が出来なかったあの方たちの自由な生き方が好きだった。だからこの子も、自分の思いを叶えるために、あっさりと地位も立場も捨てて羽ばたいていった。あの子にも自由な〝銀の翼〟があったのね」
自由な生き方。それを非難する人もいるけれど、それはただの我が儘ではなく常に誰かのためだったと教えてくれた。
……お母さんも、王妃候補の一人でありながら、王妃となる友人のために身を引いて市井へと下り、心を通わせていたお父さんと一緒になった。
「少し前に、行方知れずとなっていた、この子の娘が見つかったって話があったのよ。でも、私はその子を孫娘とは思えなかった……」
「……どうして?」
私がようやっと声を出すと、わずかに時が止まるような静寂ができる。
「……そうね。〝繋がり〟を感じなかった。そんな曖昧な理由かしら? それ以上にその子は〝メルローズ〟らしくなかった。そしてあの子も、ベルト様のお姉様も、とても綺麗な桃色の髪をしていたわ。〝月の薔薇〟と同じ色……そして、あなたも」
「…………」
私がその言葉に振り返ると、セシリアが何かに耐えるような潤んだ瞳で私を見つめて……そっと、私を抱きしめた。
「私は……」
「何も言わなくていいわ。ベルト様も仰っていらしたわ。あなたはもう、あなたの考えがある一人の人間だって。あなたを縛ろうとすればどこかへ羽ばたいて消えてしまうだろう……と」
「…………」
メルローズ辺境伯。ずっと互いに一線を引いていたあの人も、そんな思いで私を見ていたのだと初めて知った。
私は、あの女が求めた『運命』から逃げるために自由を求めた。自由のために力を求め、〝運命〟に抗う力を手に入れた。
運命は変わり始めた。もうここには、私を縛ろうとする枷はない。
もう偽る必要はないかもしれない。でも……それでも。
私はまだ戦う相手がいる。
決着をつけなければいけない相手がいる。
守ると決めた人がいる。
「……あ」
私が細い肩に触れて彼女から離れるとセシリアが小さな声を漏らす。
私は胸元から、お母さんに渡されていたお守り袋を取り出すと、セシリアの手を取りそっとそれを握らせた。
「今はまだ……」
「ええ……」
「いつか、きっと……」
「ええ」
私の想いを伝えきれない拙い言葉に彼女は――〝お祖母様〟は静かに頷いて強く手を握り返す。
「……行ってきます」
その温かな……お母さんと同じ優しい手を離して、私は戦場へ向かうために彼女に背を向けると、その背に掛けられた小さな声が私へ届いた。
「行ってらっしゃい。……アーリシア」
私がセシリアとの話を終えて玄関から外に出ると、そこには屋敷にいた騎士や兵士、戦える者たちが私を出迎え、その場で膝をついた。
この人たちは何をしているのか……? それを問う前にその中からミハイルが現れ、彼は以前とは違う〝理解〟をした瞳に私を映す。
「アリア。辺境伯閣下からの正式な辞令だ。すでに王都から国王陛下と王女殿下の命により第一騎士団が出立した。彼らの到着までここで持たせるが……ここまでされてこのままじゃ終われない」
すでにメルローズ側にも少なくない死傷者がいる。騎士たちやミハイルの瞳にもその怒りが見てとれた。
「ここにいる全員、この場では最も力のある君の指示に従う。……やってくれるか?」
「了解」
元からそのつもりだ。気負いもなくミハイルに頷き返して歩き出すと、騎士や兵士たちが道を空けて私の後に続く。
「反乱者アモルとその軍を討つ!」
「「「ハッ!!」」」
私の言葉に返事をする彼らの声には、臨時の指揮官に対するだけでない意気込みのような活力が感じられた。
まだ結論は出ていません。
結末は卒業パーティーで。
次回は、ダンドール側に視点が戻ります。
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