234 歪んだ聖戦 1
まずはメルローズから始まります。
「……ミハイル。何をしけた顔をしている?」
「なんでもありません、お祖父様」
王城から王都郊外にあるメルローズ所有の屋敷に向かうその途中、宰相であるメルローズ辺境伯ベルトは、同乗している嫡孫ミハイルのどことなく煤けた姿に静かに溜息を吐く。
ミハイルの様子がおかしいのにはベルトにも心当たりがある。
レイトーン男爵家の養女で、王女の護衛であり、ランク5の冒険者でもある少女が突然姿を眩ました。彼女と懇意にしている王女がそれとなく〝死亡説〟を流したことで、彼女を知る者ほど困惑したが、その後に第一王女と敵対する派閥やその資金源が潰され始めたことで、ベルトもその背景を理解した。
暗部を使ってそれとなく彼女と接触させ、陰から支援することでその動向も掴むことはできたが、できることならこちらにも話を通してほしかったと、心臓が止まる思いをしたベルトは心の中で独りごち、そんな二人の様子にもう一人の同乗者である侍従のオズが声を掛ける。
「お飲み物でもご用意しますか?」
「いや、今はいい」
オズの気遣いに少しだけ気分を持ち直したベルトは、あらためて今回の原因を考える。
おそらくはあの『聖女』のせいだ。爺バカのベルトも彼女をもう孫娘などと思ってはいないが、一度は保護した手前、他家や分家の目もあって放逐はしなかった。
だが、あの娘が〝毒〟であることに気付いたときには、すでにメルローズの手を離れて王太子や王弟、聖教会まで取り込んだ派閥を築き、暗殺することさえも容易く行えない影響力を持つまで成り上がっていた。
今更養子縁組をなくそうとも、あの影響力があれば貴族派が養子として取り込んでしまうと考えたベルトは、最後の枷として『子爵家の養女』に留め置くことにした。
政治的に後手に回った結果、あれを野放しにしてしまい、それをあの娘――アリアは王女という政治的な枷から一度離れ、その力を削ごうとしたのだろう。
だが、王女の側近として〝仲間〟だと思っていたミハイルは彼女から何も知らされなかったこと――ではなく、王女のように即座に意図を理解して動けなかった自分に嘆いていた。ベルトから見れば子どもじみた感傷だが、その想いは理解できる。
確証はない。本人も認めない。だがベルトはあのアリアこそ、亡くなった末娘の忘れ形見である〝アーリシア〟だと確信していた。
自分の下に孫娘として戻ってほしい。でも、彼女がそれを拒むのならせめて自由に生きてもらいたい。
貴族を拒むのなら見守るだけでもいい。生きてさえいてくれたらいい。だが、祖父と呼んでもらいたい。ベルトの妻にも会わせてやりたいという気持ちが常にあった。
自分もミハイルと似たようなものだ。だからこそ今回は気晴らしのためにミハイルも屋敷に帰らせた。
王都の郊外にある屋敷に戻るのも半日は掛かるので、ベルトも週に二回程度しか戻らない。ミハイルは学園に入学してからもある程度は屋敷に顔を出していたが、王女の側近となってからは月に一度程度しか戻らなくなっていた。
ミハイルの両親は、ベルトに代わってメルローズの領地を治めているので、王都にはいないが、ベルトの妻はミハイルが帰らないことを寂しがっていたので、ミハイルを連れて帰ればどちらにも良い気晴らしとなるだろう。
できることなら妻にアリアを会わせてやりたいが、強行すればあの娘はどこかに消えてしまうこともベルトは理解していた。
「旦那様、ミハイル様」
突然、警戒を促すようなオズの声にベルトが顔を上げると、それに反応してミハイルが馬車の外へと視線を向けた。
「……お祖父様。何かおかしくはありませんか?」
「何がある?」
ベルトは何か言おうとしたオズを手で止め、あえて顔を顰めてそんなことを言い始めた孫に問い返すと、ミハイルはわずかに口ごもりながらも感じたことを話し出す。
「アリアや暗部の騎士たちと関わるようになって、私にもようやく感じ取れるようになった事があります」
「……なるほどな」
ベルトも二人の様子から〝外〟の様子に気付かされた。
戦場やそうなる場所には独特の〝空気〟がある。虫や動物たちの気配。人々の表情や話し声。誰かが通った道の跡……それが積み重なった事柄が〝空気〟となって分かる者だけに感じられるようになる。
ミハイルも王女の下で相当鍛えられたのだろう。それとは逆に〝現場〟に赴くことが少なくなったベルトは、同乗している二人よりもその独特な雰囲気に気付くのが遅れてしまった。
「誰か――」
「――旦那様っ、正面から馬が!」
ベルトが何か行動に移す前に馬車が停まり、御者がそれを知らせてきた。
「馬だと? 何事だ!」
御者が気付いたということは、すでに随従しているメルローズ家の騎士が対応しているはずだが、襲撃にしては戦闘音が聞こえないことと嫌な予感を感じたベルトは、ミハイルに目配せすると己の剣を掴む。
「旦那様、私が見て参ります」
「いや、我らも出る。ミハイル、行くぞ」
「はい!」
自分も短剣を掴んだミハイルの返事に、やはり胆力的に鍛えられたのだとベルトは内心で感心しながら外に出た。
襲撃に備えるのなら貴人は馬車から出ないほうがいい。特に暗部の騎士であるオズがいるのなら任せたほうが得策だ。
だがこの場に庇護すべき婦女子はなく、多少なら腕に覚えがあるベルトやミハイルなら、囲まれる前に外に出るのも戦術的にはありだと考えた。特にメルローズ家の人間は行動的というべきか、そういう傾向があると思いだし、オズはそっと溜息を漏らした。
「何事だっ!」
「……だ、旦那様!」
ベルトが声を掛けると、先頭にいる騎士と何かを話していた男がベルトに気付いて、叫ぶような声をあげた。
「ニルスか? 何があった?」
彼のことは知っている。屋敷にいる侍従の一人で、暗部の騎士ではない一般人だが比較的落ち着いた人物だと記憶していた。その彼がこれほど慌てている理由は何か? 何故屋敷から離れたこんな場所にまで来たのか?
何事か問い糾すベルトに、ニルスは馬を下りるともつれるような足取りでベルトに近づき、必死の形相で声を張り上げた。
「旦那様、大変でございます! 騎士団と思しき者たちが屋敷のほうへ向かっております! それを誰何するべく赴いた騎士がその場で殺されました!」
「なんだと!」
それを聞いたベルトが詳しい話を聞こうとニルスに歩み寄り――その瞬間、腰から剣を引き抜いた。
「だ、旦那様っ!?」
キンッ……!
「……どうやら泳がされていたようだな」
どこからか飛来した矢を斬り払ったベルトに、オズや騎士たちが武器を構えて周囲を警戒する。
王都からメルローズ家の屋敷へと向かうルートは複数あり、その日、どの道を選ぶかベルト本人かオズのような侍従しか知らなかった。だからこそ、危機を知らせようとしたニルスは〝敵〟に泳がされた。
暗い夜道の向こうからさらに三つの騎馬が現れると、その先頭にいた弓を構えた男が騎乗のまま会釈する。
「メルローズ宰相閣下とお見受けする」
「……貴公、カークランドか」
「いかにも。第二騎士団中隊長、カークランドであります。こうして面と向かってお話しするのは、久方ぶりでございますな」
「そのほう……なんの真似だ?」
先ほどの矢を放ったのは彼だ。まだ三十ほどの美丈夫である彼はカークランド子爵家の次男で、ベルトも夜会などで若いが有能な騎士として紹介された覚えがある。
ベルトも暗部から王弟アモルが第二騎士団を取り込み、その一部に武器を集めているという報告は受けていた。
総騎士団長のダンドール辺境伯とも協議の上、王都の警戒と騎士団と暗部による監視を派遣するということで話は終わっていたが、それはわずか二日前のことでその後の報告はまだ届いてはいなかった。
兵を集めて何かするのでも、わずか数百人で出来る事はたかがしれている。少なくとも何か事を起こすのなら、その数倍の兵がいなければ王都周辺を警戒する第三騎士団と遭遇し勝利できたとしても、疲弊からまともな用兵も困難になるだろう。
それにアモルは仮にも王弟だ。現在はおかしな女に傾倒しているが、それでも王家の一人として短絡的に動くことはないと、常識的に考えていた。
どこかを襲撃するのか? それでどうなるのか? それでたとえ何かを成したとしても、その後には国家反逆という汚名と、討伐された〝死〟という不名誉な結果しか残らないはずだ。
アモルはそこまで愚かな人間ではなかった。アモルが末弟の王子だった幼かった頃から知っているベルトはそう考えていた。
少なくとも何か始める場合は、その兆候を感じることはできたはずだ。だが――
「それはもちろん、宰相閣下。あなたと総騎士団長を誅し、正当なる王太子殿下を王とするためですよ」
「なんだと……?」
カークランドの発言にベルトが思わず目を剥いた。はなから自分の意見を押し通そうとする者はまともではないことが多いが、これは度を越している。
ここまで愚かだったか? ここまで短絡的だったのか?
「第三騎士団とは会わなかったか」
「いいえ、もちろん出会いましたとも。哨戒をする小隊でしたが幾つか潰させていただきました。以前の我らなら、こちらにも被害が出たのでしょうが、今の私共には王弟殿下の〝加護〟がございますからな」
「…………」
王弟アモルの加護……そのまま聞けばアモルの指揮下で戦う栄誉と思えるが、アモルには実際に【加護】があるとの噂があった。
「たかが三人で勝てると思っているのか?」
ベルトの警護をする四人の騎士はランク3の者が務めており、暗部の騎士であるオズもランク3の猛者だ。一線を離れたとはいえベルト自身もランク3であり、ミハイルもこの歳でランク2ほどの力はある。
カークランドの実力は、ランク4に届かないまでもランク3の上位で戦闘力は600近くあると聞く。共にいる第二騎士団の騎士もランク2の上位ほどはあるようだが、たかが三人ではベルトたちは倒せない。
「ふふ……さすがはメルローズ家。良い騎士をお持ちですな。だがっ!」
数で勝るベルトたちを前にしてカークランドは不敵に笑う。その顔から以前の野心的ながらも知性のある面影は失せ、ある種の狂気が感じられた。
「我らは〝神〟の遣いである聖女様に選ばれた! この国を正しく導くために力を与えられ、無敵の存在となったのだ! さあ、君たち、その力を見せてやれ!」
「「……ぁああああああああああ!!」」
カークランドの声に無言で佇んでいた騎士が叫びをあげ、馬を駆って飛び出した。
「ベルト様をお護りしろ!!」
オズが叫び返し、それに応じて四人の騎士が馬を駆って槍を突き出す。
槍を使った騎馬の突進は、駈ける速さがそのまま威力となる。だが、技量の差があれば、その突進をカウンターとしてそのまま相手に返すこともできた。
「――っ!」
槍を構えたメルローズの騎士が突き返すように腕を伸ばし、先に穂先を第二騎士団の騎士に当てる。腕の力のみで放つ下手をすれば腕が折れかねない荒技だが、それでもメルローズの騎士は敵の無力化を優先した。
だが――
「あああああああ!!」
その第二騎士団の騎士は肩を貫かれながらもそのまま前へと進み、片腕が引きちぎれても、その手の槍をメルローズの騎士に叩き込んだ。
「がはっ!」
メルローズの騎士が血を吐きながら馬から落ちる。もう一人の騎士も自爆のような相打ちとなっていたが、それを見てカークランドは軽く眉を顰めた。
「やれやれ。すでに意思はないが……死にすぎると獣臭くなるのであまり殺さないでくれるかな」
「貴様……っ!」
カークランドもすでに戦闘に入っており、オズと一人の騎士がそれに当たっていたがどちらも有効的な攻撃ができずにいた。
だが、『あまり殺すな』とはどういう意味か。それはカークランドの行動で理解させられた。
「……『立て』!」
カークランドの命令に倒れていた第二騎士団の騎士二人が立ち上がる。しかも片方の騎士は千切れた腕を拾い、傷口に押し当てることで繋げてみせた。
不死の騎士……。その光景に寒気を感じながらもベルトはそれがアモルの【加護】であると考えた。
それが、アモルが無謀にも動いた理由であり、カークランドのような狂気じみた自信にもなったのだと察した。
「そうだ。この力があれば有象無象などいかほどのものか。我らは神の戦士なのだ!」
「……だが、死にすぎれば意思がなくなるのではないのか?」
それはカークランドも零していた言葉だ。不死の騎士ならば過剰な自信にもなるのだろうが、それで意思が消えるのならそれは恐怖とはならないのか?
ベルトは何か打開策はないのか思考しながら、老獪な言葉をもってカークランドの精神を揺さぶろうとした。それでも……
「ははは、殿下は事が終われば心を戻してくださると仰った。そして、殿下は何度死んでも心は失わなかった! 弱兵ならいざ知らず、殿下のように選ばれた戦士である私なら数度の死で心を失うはずがない!」
カークランドの精神はすでに『不死』と『選ばれた者』という高揚感により、他の言葉を聞くことができる状態ではなかった。
おそらくはアモルだけの影響ではない。甘言をもってその心を歪めた者がいる。
「さあ、お喋りは終わりだ! そろそろ私の相手をしてもらおう、閣下!」
カークランドが叫びながら飛び出すと、配下の騎士たちも応じるように飛び出した。その騎士たちをもう一人の騎士が抑え、ミハイルもなし崩し的にそちらに対応しなくてはいけなくなる。
「お祖父様!」
「気を逸らすな、ミハイル!」
孫を叱咤しながらベルトも前に出る。すでに一人の騎士がカークランドの剣に倒れ、オズの剣がカークランドの首にめり込むが、それをものともせずにオズを弾き飛ばしたカークランドはその剣をベルトに振り上げた。
「これで終わりだ! 老獪なる先代の遺物よ! その悪しき魂ごと滅びるがいい!」
『――お前がな――』
その〝声〟は突然、夜の闇から聞こえた。
夜空から零れ落ちる月光の如く、髪を燃える灰鉄色に染めた少女がその手のナイフをカークランドの頭上に打ち込み、銀の翼のように光の粒子を纏わせながら、その身体を真っ二つに斬り裂いた。
始まった戦い。
アリアはどう戦うのか。カルラはどう動くか。
――ご報告――
この度、『次にくるライトノベル大賞』、通称『つぎラノ』に本作がノミネートされました!
『つぎラノ』のサイトにて12月15日まで毎日一回どなたでも投票できますので、応援おねがいします!
これも応援くださり推薦してくださった皆様のおかげです。ありがとうございます。
なんか、他の作品が凄いのばっかりなんですが……。





