229 不死人
10月17日後半を微修正しました。
それが始まったのはいつからだろうか?
それ以前からこの大陸には幾つかの〝物語〟があった。
魔術学園に入学した一人の少女は、幾つかの恋を経て異国の青年と共に砂漠の国へと渡り、二国の架け橋となって平和をもたらした。
砂漠に生まれたとある少女は、魔族王の孤独を知り、彼を愛することで魔族と人族の戦争さえ止めてみせた。
子爵家に生まれた一人の少女は、他国からの過度な干渉を避けるため、王妃として王の盾となることを選んだ。
それは歴史の片隅に埋もれた少女たちの物語。そしてこの時代に始まる物語は、そこに一つの綻びが生じることで幾つもの運命が狂うことになる。
ある時、未来の知識を持つ一人の女が生まれ、〝物語〟に干渉するべく動き始めたことから始まった。
きらびやかな舞台で運命と踊る少年少女たち。異物を阻む現実を知ったその女は、一人の少女に成り代わろうとして逆に命を散らし、それでも残した情念によってもう一人の少女の運命さえもねじ曲げた。
ヒロインとなるはずだった少女は、女の情念を弾いたことで必要な知識だけを得て、運命に抗うことを選んだ。
物語に絡むはずのなかった少女は、残された情念だけを得て、大いなる運命を得る野望を胸に抱いた。
自分の名前さえ忘れた少女。未来の知識を有するあの女が記憶を取り戻すとき、前世の自分を肯定するために今世の名前を捨てたように、新たな運命を得た少女もそれまでの自分を捨て去り、〝アーリシア〟という新しい名を選んだ。
それでも愛称である〝リシア〟と呼ばせるようにしたのは、何もかも〝偽り〟である自分が捨てきれなかった意地かもしれない。
少女は、自分には〝何もない〟ことを知っていた。
夜の仕事をしていた母譲りの美貌だけが少女に残されたものであり、幼い頃から男を頼りにして保護してもらうことを自然と知っていた。
その美貌を活かせばきっと幸せになれる。そう教えてくれた母も魔物の襲撃で亡くなり、孤児院の厳しい生活の中で、少女は常に幸せとは何かをずっと考えてきた。
食事が足りない。貢がせればいい。仕事がきつい。他にやらせればいい。
男に頼ること。自分の美貌を活かすこと。それを実践して年上の少年たちを使ってきたが、少女はそれが母から聞いた〝幸せ〟とは何か違っているような気がしていた。
本来の人生なら、少女は母と同じような運命を辿っていただろう。
少女は〝幸せ〟に憧れた。それを本当の意味で知らなくても、もっと幼い頃に母の友人たちが気まぐれに話してくれた、王子様と結婚して幸せになる物語に憧れて、憧れるだけで終わったはずだ。
そんなとき……少女は、半分欠けた〝魔石〟を拾った。
その角で作った切り傷から浸透してきたのは、ある女の何十年も掛けた〝情念〟であり、その世界を生きるための知識はどこかへ消えていたが、その世界で成り上がる……〝幸せ〟になる知識を教えてくれた。
「……うん、わたし……〝幸せ〟になりたい」
少女は何も持っていない。戦う力もなければ資金もなく、あるのはただ自分の器量とこれから起きるはずの知識だけ。
だからこそ少女は何も怖れない。幼い頃に夢見た『幸せになる』という夢を叶えるため……この世の誰よりも愛されるために、自分の命さえも投げ捨てるように賭け金としてただ真っ直ぐに走り出した。
***
第二騎士団で怪しい動きがある。セオからその情報を得た私は王都の近くにまで戻っていた。
この国の騎士団は王族が住まう王宮を近衛騎士団が護り、それを中心として第一騎士団が王城周りと王都を守護している。
第二、第三、第四、第五騎士団は王都とその周辺の護りに就いているが、第三騎士団以降が有事の際には地方へ遠征することも考慮した編成をされているのに対し、第二騎士団は王都の護りではなく治安を守る〝衛士〟としての側面が強く、それ故に他の騎士団より一段下に見られることもあった。
もちろん、衛士は重要な任務であるし、住民からは最も信頼される立場としてそれを誇りとしている騎士も多いが、それを面白くないと考えている騎士がいるのも確かだ。
南部の辺境伯であるメルローズ家は精強な海軍があり、北方の辺境伯であるダンドール家は北部からの侵攻と魔物に備えて二千以上の騎士がいる。
それらに比べても下に見られることもある第二騎士団の中には、王都の治安を守る誇りと周囲の評価から、貴族派に踊らされてエレーナを襲撃した〝拗らせた〟騎士が潜在的に存在する。
それでも大多数の騎士は誇りを持って王都を守護しているが、一部には確実に『現状に不満を持った騎士』がいるはずだ。
でも、そんな不満を抱えた騎士でも自ら動くことはない。彼らも王国の騎士であり、国に弓引く逆賊とはならない。
だが、それを先導する旗頭となる者がいた場合は話が変わってくる。
私も少し調べてみたが、私程度が数日調べた程度では暗部が確認した内容以上のことは分からなかった。
武器や装備を調えるのは、騎士として当たり前だ。一般的な装備は国から支給され、それ以上の物が欲しければ、上に進言して認められるか個人で揃えるしかない。
各騎士団は三個大隊から編成される。今回装備が更新されているのは一個中隊約二百人分で、それが王弟アモルの賛同者であると見られている。
だが、その予算はどこから出ているのか?
予算の出所はスタンレイ伯爵とまで分かっている。伯爵の弟であるスタンレイ男爵が大隊長の一人であり、彼への個人的な寄付とされているが、寄子の少ないスタンレイ伯爵家にそこまでの資金はないはずだ。
でも問題はその資金源よりもその目的だ。その情報は暗部ではまだ掴めていない。それでもエレーナから離れた今の私ならやりようはある。
分からないのなら、知っている人間に聞けばいい。
「止まれ、女」
「…………」
星明かりだけが照らすスタンレイ伯爵領の街を歩く私の前に、四人の男たちが姿を見せた。
街に住む平民らしき服装に護身用の短剣を帯びただけの格好だが、今の私も髪を下ろしてワンピースを着ただけの〝町娘〟の姿なので、変装としてはお粗末なものだ。
「……こんな夜更けに何のご用ですか?」
私がそう問うと、最初に声を掛けてきた男が顔を歪めて言葉を吐き捨てる。
「それはこちらの言うことだ。こんな夜更けに一人で歩く町娘などいるものか。貴様が数日前からこの町で怪しい動きをしていたのを知っている。どこの手の者か話してもらうぞ」
「…………」
この町で怪しい資金の流れや他国資本の商会などを調べていたが、それを知られていたようだ。
「あなたたちは何者? 衛兵には見えないけど」
「それをお前が知る必要はない。質問をしているのはこちらだ」
「断ったら?」
「……愚かな背教者め、我らがこの地にいたのが不運だったな。暗部の騎士だろうが、その程度の戦闘力で我らから逃げられると思うな」
「……分かった」
よく分かった。少なくとも街の衛兵ではなく、どこからか派遣された、暗部に調べられて困るような組織に属するものだと言質は取れた。
会話の内容からして聖教会の人間か? 正体を隠しているが短剣の作りと彼らの戦闘力からして神殿騎士だと推測する。
資金源は聖教会か……これまでこの一帯にあった貴族派の資金源となるような商会は潰しているので、とうとう第二騎士団と王弟アモルの裏にいる〝聖女〟が動き出したのだと理解した。
「理解したか、背教者め。素直に話すのなら、苦しみなく神の御許へ送ってやる」
「……慈悲はないの?」
「……お前がそれを知る必要はない」
「そう……」
これ以上、会話で情報を抜き取るのは無理だと判断する。
聖教会の人間から情報を引き出すのは難しい。それ以上に、今会話をしている男はともかく、無言のままでいる他の三人からは普通とは違う奇妙な違和感を覚えていた。
せっかく魔法を使って色々と色々と誤魔化してきたけど……
「なら……もういいか」
「なにっ!?」
私が【幻覚】で偽っていた姿と戦闘力を解放すると、神殿騎士が一瞬目を見張る。
「強引にでも事情を聞かせてもらう」
「……貴様っ! 〝灰かぶり姫〟か!」
さすがに戦闘力を見せれば気付かれるか。
「――がぁあああああああああ!!」
その瞬間、獣のような雄叫びをあげて男の一人が剣を抜いて飛び出した。獣を思わせる粗野な動きで、それでも鍛錬した正確な軌道で私の首を狙う刃を半歩下がって躱しながら、私は爪先の刃で短剣を持つ肘関節を蹴り上げる。
「ぎゃあああああああ!」
「うごぁああ!!」
男の悲鳴と被せるように、もう一人の大男が奇妙な叫びをあげて襲ってきた。
その男も動きと行動が一致していない。鍛錬により身体に染みついた正確な剣技。だがそれを扱う本人が正気とは思えない行動をする。
「周囲を囲め!」
バラバラに攻撃を仕掛ける男たちに最初の男が声をあげるが、大男はそれが聞こえなかったかのように短剣を振るい、私はその刃に沿ってナイフを滑らせるように躱しながら、大男の無防備な首を斬り裂いた。
一瞬理性が戻ったように愕然としながら大男が倒れる前に放ったナイフは、大男が崩れ落ちると同時にその後ろにいた男の眉間を貫く。
「貴様……っ!」
一瞬で一人目が行動不能となり、他の二人も斬り殺した。そのまま血の付いたナイフを向ける私に、最初の神殿騎士の目がわずかに揺れた。
「――っ!」
その瞬間、その瞳を過ぎった微かな影と同時に振り返り、目前に飛び込んでくる刃を躱しながら先ほど殺したはずの男の首を斬り裂いた。
「……どういうこと?」
「言ったはずだ、灰かぶり姫……我らが来ていたのが〝不運〟だったと」
男は優越でもなく顔を歪めながらもそう言った。
私の目の前で、眉間を貫かれて死んだ男も、二度殺した男もゆっくりと立ち上がり、もう一人の男も腕の傷を再生させながら再び武器を構え、獣のような唸りをあげた。
「……不死者か?」
その現象には見覚えがある。だが、私の呟きを聞いた最初の男が目を剥き怒りの感情を顕わにする。
「この者たちを不浄の者と一緒にするな! この者たちは神に殉じ、あの方より精霊の力をもって大いなる力を与えられたのだ!」
不死者ではない? 〝力〟を与えられた? 精霊の力ということはこれが【加護】だというのか?
知性さえも犠牲にする不死になんの意味があるのか? それでは悪魔が生み出すゾンビよりも劣化している。
それは怒りを顕わにしたこの男も理解しているのだろう。神に殉じたとは言ってもやっていることは神の教えに反しているはずだ。
彼ら自身がその力を忌避している。それでもそれを受け入れたのは……聖女の力が原因か。
不死の力……それが本当ならたった二百人でもまずいことになる。でも……
ゆっくりと黒いナイフとダガーを構える私に、神殿騎士たちは獣のように唸りをあげながら武器を握る。
「無駄だ! 我々は精霊の――」
「――【兇刃の舞】――」
男の叫びを遮るように私は三人の不死人に向けて【戦技】を発動する。
左右から放たれる怒濤の八連撃。でもこれは〝敵〟を斬り裂くためじゃない。ただ目の前の人間を模した〝物〟を〝人〟に戻すため――ただ破壊するためだけに繰り出された私の刃は不死人の首を断ち切り、頭部を断ち割り、心臓を割いて不死者の急所を解体した。
「――精霊の力が……」
「あっても関係ない」
これまでも何体も不死者と呼ばれる者たちを殺してきた。その中で誰一人、本当の意味で不死身だった者はいなかった。
解体された肉体が心臓を残して消滅し、その心臓も魔石を残して消滅すると、残された神殿騎士が唖然とした顔で大地に膝をつき、私は彼の心を折るようにそっとダガーの切っ先を向けて冷たく見下ろした。
「安心しろ……神に抗う完全な不死など存在はしない」
不死の正体とは何か? それをもって何をするのか?
あとでちょっと直すかも。
いよいよ10月20日、2巻発売です! よろしくお願いします。





