227 ハーマン商会
三人称になります。
ハーマン商会会頭、グラン・ハーマンはソルホース王国の商爵である。商爵とはクレイデールにはない爵位で、国家に一定以上の貢献をした商家に与えられる下級貴族位だ。
現在は国家への寄付などで買える爵位ではあるが、商爵はその地域における一定の利権だけでなく責任も付与される。
ソルホース王国の外商部は、以前より繋がりがあったクレイデール王国のヘールトン公爵より麦の輸入を打診され、クレイデール王国との国境付近に拠点があるハーマン商会に白羽の矢を立てた。
ソルホース王国は大農耕地がありクレイデール王国より麦が安い。それでも移送費を考えれば目に見えて安いはずもなく、湿地帯を通る事故などを考えればソルホース王国に旨味は少ないが、それでもソルホース王国はヘールトン公爵の求めに応じた。
ソルホース王国がグランに命じたものは貿易ではなかった。適度に質の悪い麦をただ売るだけでなく、クレイデール王国西部の生産力を下げることでソルホース王国に依存させ、影響力を高めることで経済侵略を企てた。
「国の連中も甘いことよ」
五十年配の男グラン・ハーマンはヘールトン公爵領にある屋敷にて、酒を呑みながら国元の策を嘲笑う。
グランはソルホース王国では下級貴族でもクレイデール王国では平民扱いになる。だが、そのことでグランが不満を見せることはなく、今いる屋敷も呑んでいる酒も、ソルホースにいた頃よりもよほど上等な物だった。
ただ国元の言うとおりにすれば、狙い通り、ソルホース王国に依存させることができるだろう。だがグランはソルホースの下級貴族ではあっても国への忠誠心はなく、商人として当たり前のように利益を求めた。
計画が進んでさえいれば補助金がある。国の情報を使って上級貴族との繋がりも構築できた。それを使って焼き畑のように他の商会を追い出し、生産力の下がった村々に返せない金を貸し付け、クレイデール王国の国民を鉱山や娼館の奴隷にすることで莫大な富を得ようと企てた。
グランが笑っていたのは国の政策ではなく、自分のような商爵が国のために動くと考えた愚かさだ。
だが、違法すれすれの行為で富を得ようとすれば当然だが敵もできる。現地の盗賊ギルドのように金で懐柔できる組織はいいが、金が返せなくなって追い詰められた貴族家や、特にクレイデール王国の暗部にソルホース王国との繋がりを知られるわけにはいかなかった。
そのためにグランはソルホース王国で使っていた冒険者を共犯者として引き込み、この地の暗殺者ギルドに接触して貴族の狗や暗部騎士を狩らせた。
たとえクレイデール王国がハーマン商会を怪しいと気付いても、何も知らないヘールトン公爵が守ってくれる。だが――
――カァンッ!
「なんだ!?」
突然響いた鐘の鳴るような音にグランが顔を上げる。これはなんの音か? 昔の記憶を頭から探しているとドタバタと走る音が聞こえてきた。
「旦那様!」
「……なんだ騒々しい」
番頭の一人がノックもせずに部屋に入ってきたことでグランは顔を顰めるが、その若い番頭は血相を変えて首を振る。
「も、申し訳ございません! ですが、地下の警報が……」
「なんだとっ」
そこでようやくグランも地下の隠し部屋にある警報だと思い出した。あの警報を設置して十数年、これまで屋敷に忍び込める者さえ皆無であり、実際にそれが鳴るのは初めての事だった。だがそこには、国元へ送るはずの報告書がある。
「すぐに冒険者どもを向かわせろ!」
「は、はい!」
怒鳴り散らすグランの剣幕に若い番頭が部屋から飛び出していく。
「……ちっ。暗殺者の役立たずどもめ」
高い金を払って雇っていたがまんまと賊の侵入を許したらしい。だが、これまで暗殺者たちが賊を通したことは一度もなかった。その者たちが用意した軍用犬もいたはずだが、それをどうやって潜り抜けたのか?
「……ちっ」
グランはもう一度舌打ちをしてソファーから腰を浮かす。
報告書は絶対に外には出せない。賊がどの程度の規模か分からないが、幸いなことに今は決算期と言うことでほぼ全員の冒険者がこの邸内に集まっていた。
忍び込んだ手際は見事だが、どれほど賊が隠密に優れていても数十名の冒険者と暗殺者を相手に逃げ切れるはずがない。そう考えてグラン自らが地下に向かうと、すでに屋敷にいた十数名の冒険者が地下の入り口である階段下に集まり、その中に冒険者たちのまとめ役として連れてきた、若い頃から交友のある壮年の冒険者を見つけてその背中に声を掛けた。
「カーディス! 何をしている!? さっさと賊を捕らえんか!」
「……旦那、今はジフたちが入ってる。さすがに全員は入れませんて」
「そ、そうか……」
昔なじみの呆れるような口調にグランも引き下がるように頷いた。
ジフとその仲間は若手ながらランク4にもなった者たちだ。多少金には煩いが、それだけに金さえ出せば他の冒険者たちより積極的に行動する。
おそらく手柄を立てるために一番乗りで飛び込んだのだろう。ならばすぐに出てくるはずだと入り口に目を向けた瞬間、暗がりにジフらしき影が浮かぶ。
「おおっ、ジフか! 賊はどうした!?」
グランがそう言いながら歩み寄ろうとしたその時、突然カーディスがグランの肩を掴んで止めた。
「旦那下がって!!」
カーディスがグランを庇うように前に出る。その瞬間、ジフを模した真っ黒な〝影〟が飛び出すように走り出し、即座にカーディスが片手剣で斬り裂いた。
「なにっ!?」
影が一撃で霧散する。わずかに生まれた一瞬の隙。それと同時に外套を纏った〝賊〟が地下より飛び出し、冒険者たちも咄嗟に応戦して投擲ナイフを投げ放つ。だが、複数のナイフは賊が脱ぎ捨て広げた外套に巻き取られ、その外套の向こう側から突き破るように放たれた投擲ナイフが、油断していた冒険者二人の眉間に突き立てられた。
「旦那を守れ!」
困惑する冒険者たちにカーディスの指示が飛ぶ。だが、広げられた外套が地に落ちてその向こう側から現れた〝賊〟の姿に全員が一瞬で視線を引き寄せられた。
「……女?」
グランの声がぽつりと漏れる。そこには黒いドレスのような革鎧を纏った、まだ年若い少女の姿があった。
桃色がかった金の髪。顔立ちは幼さは残るが充分に美形に入るだろう。
だが……これだけの敵を前にしてわずかな脅えもなく、目を細めて悠然と構えるその〝雰囲気のある立ち姿〟に、冒険者の何人かが呑まれたように息を呑む。
「……女。ジフたちはどうした?」
カーディスが一瞬で殺された仲間たちを見て警戒した様子で訊ねると、少女は全員を視界に収めたまま静かに呟いた。
「生かしておく理由がない」
「――!」
その瞬間、長い戦闘経験のあるカーディスが理解する。
目の前にいる少女は、忍び込んで見つかった盗賊でも、罠に嵌まった哀れな兎でもない。その死体を数えるような冷たい視線にカーディスはこの少女が自分たちを殺しにきた〝バケモノ〟だと理解した。
「敵襲――ッ!!」
外にいる暗殺者たちを呼び寄せるために全力で声を張り上げた。
冒険者の数人がその声に応じてグランを抱えて後ろに下がり、さらに数人の冒険者が短剣や手斧を構え、少女を敵と認めて攻撃を仕掛けた。
「この狭い場所でまともに戦えると思うな!」
少女の見た目からして斥候系か軽戦士だろう。ならば戦い方は素早さを活かした回避重視となるが、階段のあるここのような狭い場所では回避する空間は限定され、素早さも封じられた。だが――
「ぐがっ!?」
少女は迫り来る刃を素手で押しのけるようにそっと逸らすと、そのままナイフで冒険者の喉を斬り裂いた。
それを見て一瞬飛び込むのを躊躇した冒険者に、少女は滑るように接近して流れるように顎下からダガーを突き刺した。
「【火……」
火魔術を唱えようとした冒険者の一人が突然首筋から血を噴き出して崩れ落ちる。
「気をつけろ! 何かがある!」
カーディスは一瞬だが少女の周囲に宙を舞う糸のような物を見た。それが何か分からないが、周りの者たちに警告を発すると同時に少女が動き出した。
「くそっ!」
それに応戦して一人の冒険者が盾になるように前に出る。だが、どれほど力量に差があればそうなるのか、少女より二回りも巨体の大男が一瞬で膝をへし折られ、崩れる途中で顎を掌底で打ち抜かれて首も真後ろにへし折れた。
「……馬鹿な」
ここに居る冒険者たちはソルホース王国でも手練れの戦士だ。ランク3でも戦闘力は500以上あり、中にはカーディスやジフのようなランク4になる者もいた。
少女を見てただ者ではないことは気配から分かっていた。それでも見た目の可憐さから心のどこかで侮っていた。若い者なら特にそうだろう。カーディスでさえも少女の見た目だけで【鑑定】さえしていなかった。
「……2400……?」
あり得ない戦闘力を見た。どうすれば十代半ばほどの少女がそれほどの力を得られるのか? 自分が半生を掛けて鍛えた戦闘力でも1000程度しかないというのに……。
このクレイデール王国……いや、ソルホース王国を含めてもこれほどの戦闘力を持つ者はいないだろう。
――最強――
そんな言葉がカーディスの脳裏に過ぎる。若い頃はそれを求めて生きてきた。だがそれを諦めて生きるようになったのはいつからか……。
「全員、広い場所まで下がれ! 得意の得物を使って応戦しろ!!」
運がない。舌打ちして唾を雇用主に吐きかけたい思いに駆られながらも、カーディスはそれを叫ぶことしかできなかった。
おそらくはランク5の上位である敵。そのレベルになると常識は通じない。どれだけ斥候職に不利な狭い場所でも、同時に二人までしか攻撃できないのならその理由だけで対処されてしまう。
その戦闘力を他の冒険者に知らせてどうするのか? 他の者を怯えさせるだけだ。カーディスはすでに戦うことを諦め、グランを確保して逃げるつもりでいた。
他の冒険者はその時間稼ぎをする生け贄だ。得意の武器を使って周囲を取り囲み、少しでも時間を稼いでもらうしかない。
だが、それさえも甘い考えだと気付くのに時間は必要としなかった。
「カーディス! どうなっている!?」
「旦那、落ち着いて聞いてください」
広間にはまだ残りの冒険者に囲まれたグランが残っていた。この状況でまだ逃げずにいる雇用主に内心で舌打ちしながらも、カーディスは即座に駆け寄り彼だけに聞こえるように囁いた。
「あれはやべぇ奴ですぜ。今は逃げたほうがいい」
「馬鹿を言うな! あの地下の物が外に出たら儂は破滅だ!」
「命あっての物種でしょう!」
命さえあればなんとかなる。最悪はヘールトン公爵に匿ってもらってでも再起を図るのが最善手だ。
殴ってでも連れ出すか。そんな考えが脳裏に浮かぶが、戦闘はすでに広場へと移り、取り囲んだ冒険者たちが得意の武器を向ける中で、少女が不意にカーディスとグランに目を向けた。
「――止めろ!!」
カーディスが叫んだ言葉に根拠はない。ただ、あの少女は真っ直ぐに自分たちを狙うと直感した。
「ぐあっ」
少女は、両手斧を振るう男の頭に手をついて飛び越えながら、首を捻るように砕き折る。
「うぁあああああ!!」
飛び越える途中の少女に向けて槍を放った若い冒険者は、突き出した槍の上を道にされて頭蓋が割れるような音を立てて蹴り殺された。
道を塞ぐ者。抗おうとする者。そのすべてがただの障害物として殺されていく様子は現実感のない悪夢としか思えなかった。
「……なんだ、あれは……」
グランがようやく自分たちを襲っている者を認めて唖然と呟いた。
「だから言ったでしょうが!」
少女の姿をした〝死神〟が迫り来る。だがその時――
ガシャンッ!!
もう逃げ道はないかと諦め掛けた瞬間、屋敷の窓を突き破るように数名の男たちが飛び込んできた。
「契約外だが、屋敷の中も許してくれるかな?」
現れた頭部にターバンのような布を巻いたクルス人の男たちは、暗殺者ギルド中央西支部の暗殺者たちだった。
「シナン! そいつを殺せ!!」
「承知」
シナンと呼ばれたクルス人の優男がニコリと微笑み、空気が変わるような殺気を見せて桃色髪の少女を瞳に映す。
「若い女性を殺すのは気が咎めるが雇用主のご依頼だ。犬どもを躱して潜入した手際からして手加減はできんな。悪く思うな少女よ」
シナンは細身の長剣を両手で構えて、ゆるりと少女に向け、周囲の暗殺者たちも一斉にシミターと呼ばれる曲刀を少女に向ける。
シナンはランク5の戦士であり、少女の戦闘力に内心は驚いていた。
この国の裏社会で手を出してはいけないと言われる二つの存在がある。その中の一つは暗殺者ギルド北辺境地区支部を壊滅させ、シナンの中央西支部でさえも被害を受けたことがある。
シナンはそれに関わったことがなく、その情報を重視してなかった。所詮、戦闘力は目安であり、戦いのすべてではないことも理解していたからだ。
状況と戦術、仲間と捨て駒になる冒険者……これを使えばどんな相手であろうと対処できると、口元に微かな笑みが浮かぶ。
「さあ、冒険者たちよ、反撃だ! 仲間たちの無念をここで晴らすぞ!」
「「「おう!」」」
自信溢れるシナンの姿と言葉に、心が折れ掛けていた冒険者たちも活力が戻ったように武器を構えた。
「…………」
それでも少女は無言のまま、少しも変わることなく悠然と武器を構えていた。
その姿にカーディスが不安を覚え、シナンが微かに眉を顰めながらも部下たちと同時に攻撃を仕掛けたその時、桃色髪の少女が微かな声で呟いた。
「――【鉄の薔薇】――」
世界が〝朱〟で染まった。
目の前の空間すべてに血飛沫と血煙が飛び散り、驚愕の表情を張り付かせたまま宙を舞うシナンの生首が、生を失う寸前に動かした唇の動きを読み取ったカーディスは、自分が何と敵対したかを悟った。
この国で絶対に敵対してはいけない二つの存在。
一人は、裏からも表からも怖れられる〝茨の魔女〟――
そしてもう一人……この国の裏社会のすべてから怖れられる者――
『――〝灰かぶり姫〟――』
桃色の髪を灼けるような灰鉄色に変え、光の粒子を銀の翼のように広げた怪鳥が、黒いダガーとナイフで自分とグランの眉間を貫くのを見ながら、カーディスは自分の不幸を神に呪った。
***
『ガァ……』
「うん。行こう、ネロ。次だ」
私は屋敷から逃げ出した者たちを始末してくれたネロと合流し、火を放ち燃えさかる屋敷を背にして夜の森へと駈けだした。
サツバツ!
次回、新たな戦局
実際、ここまできて一般人相手に苦戦はしないと思います。





