226 潜入
明日はコミカライズの更新です。
ハーマン商会。ヘールトン公爵が纏める西方貴族領を中心として、クレイデール王国にて勢力を広げている商会だ。
取り扱う物は多岐に渡るが、主な取引は麦などの穀物と生活雑貨を扱う輸入業だ。薄利多売で元からあった商会を追い出し、その地の市場をハーマン商会で独占することで多方面に影響を与えていた。
それに関しては合法だ。多少質が悪くなってもそれを求める者がいるかぎり、それも売買としての手段の一つなのだから。
でも通常なら、質が悪くて少し安い物を求める人と、多少高くても質の良い物を求める者がいて、ある程度は釣り合いが取れるはずだけど、ハーマン商会の品はあきらかに利益を度外視した低価格で販売されており、他の商会を潰して市場を独占する他の商会から嫌われる手法を取っていた。
でも、その足りない金を出しているのは誰か? それはミハイルたち暗部が調べてエレーナから聞いている。
ソルホース王国。それが貴族派の……そして王太子派閥の資金源として裏にいる存在だった。
「行こう、ネロ」
――是――
私たちは再び夜の森で動き出す。
先ほど襲われていた村人夫婦から話を聞いて、資金源の一つを確認した。
ハーマン商会のやっていることはギリギリだが非合法ではない。クレイデールの国民をソルホースで売ることは、資金の貸し付けと契約を盾にして、あくまで『新たな仕事を紹介する』となると、国外まで調査できなければ罪に問うことは難しい。
でも、心情的に良くはない。本来なら、この地の元締めであるヘールトン公爵が強権発動してでもそれを止めるべきだが、公爵は資金源であるハーマン商会を切れない。
だからこそエレーナもハーマン商会に手を出せなかった。ハーマン商会だけじゃない……鉱山の利権を争うコンドール王国やイルス公国を含めて、幾つかの周辺国家が似たような事をしているからだ。
現状、王家の力が弱くなって貴族派が力を増している今こそ、周辺国家にとってはクレイデール王国の国力を削ぐ大きな機会なのだ。
国力がある状況なら周辺国家にある程度の利益を与えてもいいが、現状だと貴族派を排除してでも国益を重視するしかない。
『……ガァ』
「なんでもないよ」
思わず自嘲気味に漏らした笑いにネロが反応してくれた。
これではグレイブと同じだな。あれは国家の安寧を求めて必要ならエレーナさえも殺そうとした。今なら王太子と聖女を殺すために喜んで動いていただろう。あいつは私が自分の後継者になると言った。私にもいずれ解ると……。
グレイブ。お前は正しい。でも私はお前の正義を認めない。
私は〝刃〟だ。大きな力を持つ者が自分の正義で動いてはいけない。
私はお前との戦いでそれを理解した。
お父さんとお母さんは、心から悪い人はいないと言った。人には個人の正義があり、それがぶつかり合うだけで、本当の正義など存在しないからだ。
エレーナは私の良心だ。だから私は、エレーナを信じてそのために刃を振るう。
いつか、同じ大きな力を持ちながら、救われていないあの子を救うためにも……。
***
私はヘールトン公爵には手を出さない。周囲に影響を出さずにそれをどうにかするのはエレーナの役目だ。そのために私はヘールトン公爵の資金源になっているハーマン商会の本拠に忍び込み、ソルホース王国との関わりを見つけ出す。
でもそれは難しいと考えている。そんな物を後生大事に残しているほど連中も馬鹿ではないだろう。だが、ハーマン商会はここに来てミスを犯した。
私が思うにハーマン商会が村人を売っているのは彼らの独断だ。国元の命で動いているとしても二十年もクレイデール王国で動いていた彼らは、独自の〝旨味〟を求めた。
人身売買。クレイデール王国で違法であるソルホース王国での売買に関する証拠があれば、それは彼らを呼び込んだヘールトン公爵の責になる。
私が倒した冒険者も認識票にソルホース王国の刻印があったことから、彼らも国に雇われているはずだ。だが、そんな彼らも旨味を求めて、人身売買の片棒を担いだ。
……あの村人夫婦は私に村を救ってほしいと言っていた。でも元を絶たないかぎり、あの男爵領の一支店を潰しても村の借金は無くならず、彼らの境遇は変わらないし、私に出来ることもない。
「ネロはその辺りに隠れていて」
『…………』
「大丈夫だから」
私は闇に隠れながらジッと見つめるネロの首元を軽く撫で、振り返るように遠くに見える巨大な屋敷を瞳に映す。
ヘールトン公爵のお膝元である街から少し離れた郊外に、ハーマン商会の会頭が住む屋敷があった。
店は街の中にあるが、私がそちらではなくこの屋敷のほうへ来たのは、店舗のほうは普通の警備しかなく、こちらには普通ではない警備がされていたからだ。
あきらかにおかしい者たちがいた。大きい商会なら裏社会に通じて、盗賊ギルドに金を払って警備を代行させている場合もある。だが、そんな普通の連中がいたのは店のほうだけで、こちらの屋敷の警備をしていたのは、あきらかに裏社会の戦闘に慣れた戦闘力の高い者たちだった。
距離があるので正確な戦闘力は分からないが、動きや足運びから察するに戦闘力500以上……1000に達する者もいそうだ。
最低でもランク3以上。4以上もいるかもしれない。実際に一人か二人……こちらの視線に気づいたように辺りを見回していた者もいた。
しかも広い敷地の中には何頭か犬が放してあった。だからこそ暗部の諜報員が調べきれなかった。おそらくはセラやヴィーロでも通常の手段で潜入することは難しいはずだ。あの敷地内に入ることが許されているのは、ソルホースの人間か、裏社会の人間だけなのだと察した。
通常の足運びをしている警備はソルホースの冒険者だろう。それなら、音を消すような足運びをしている人間はソルホース王国の暗部だろうか?
……いや、違うな。国家の人間もいるかもしれないが、暗部のような組織は忠誠心の高い者でなければ重要な仕事は任されない。あのグレイブでも、歪んではいたが国家に対する忠誠心は誰よりも高かった。そんな人間がハーマン商会の好き勝手を許すと思えない。だとするなら……
「……クレイデールの暗殺者ギルドか」
浅黒い肌のクルス人が多いことから、中央西支部の暗殺者だと思う。ここまで厳重なら、まともな人間は調査を断念するしかない。
「……【拒絶世界】……」
拒絶世界の【闇】を使い、私は一瞬で屋敷の敷地内へと移動する。
このまま【闇】を使い続ければ誰にも見つからないと思う。でも、証拠を見つけるまでどれだけ掛かるか分からない以上、魔力の無駄遣いは控えたほうがいい。
軽く肺の空気を吐き出し、周囲の雑草を土ごと引き抜いて外套に擦り付ける。
魔素を目で〝視る〟ことができる私は隠密なら猫種の獣人にも匹敵する。ここまで得た情報で危険だと思ったのは、高ランクの隠密巧者が居た場合、互いに気づかずに接触することだ。私は色と形で認識できるのである程度回避は可能だが、一番厄介なのは徘徊する犬だと考える。
野生の動物なら気づかれない。けれど隠密を発見することを訓練された犬がいた場合は、発見されなくても微かな匂いで気づかれてしまう可能性があった。
厄介だが悪いことばかりじゃない。隠密をして犬に敵対されることを避けるために、暗殺者ギルドの人間も隠密を使わずにいるからだ。
それに、動物を使うことも良いことばかりではない。
「…………」
私の目前にその犬がいる。魔狼のように巨大な犬で、私に気づいていなくてもその場から動かないのは、匂いで違和感を覚えているのだろう。
唸り声さえ発しないのはかなり訓練されている証拠だ。その犬が何かを探すように動いて私の所で視線を止めた。
だが、その犬は数秒睨み合うとそのまま視線を逸らしてそっと道を空け、私はそこをそっと通り抜けた。
理由は簡単だ。私の身体には微かにネロの匂いが残っている。そして私自身もすでに普通の人間とは違っているのだろう。
今まで野生の動物が私に気づけば怯えていた。でも、竜にとどめを刺してからは、私を見た野生動物は〝死〟を悟るように逃げ出すことはなくなった。
私は建物に近づくと壁にへばり付くようにして中の気配を探り、誰もいない場所を見つけて操糸で操った糸を隙間から忍ばせる。
(……【影渡り】……)
完全な無詠唱はやはり精度が下がるが、私は糸を使った影渡りで室内に入ると、そのまま高い天井付近まで上り、天井に張り付くようにして移動をはじめる。
下手に天井裏には入らない。私ならまともな人間が通らない場所には罠を仕掛けるからだ。
人が通りかかれば動かずにやり過ごす。正直に言えば、難易度は兵士が多かった魔族砦よりも高いが、緊張感としては似たようなものだ。
中にも多くの冒険者と暗殺者らしき者たちがいたが、『発見されたら殺される』という前提を無視すれば隠れ続けるのもそれほど苦ではない。
半刻ほど徘徊すると中の様子もだいぶ分かってきた。
下の階は応接室や調理室、それと警備たちのいる場所だ。二階建てで上の階にはハーマン商会の会頭らしき人物もいて、書斎のような場所もあったが、私はそちらに少し違和感を覚えた。
他の警備の厳重さに比べて、その書斎には罠しかなかったからだ。致死性の罠だけにすれば人員を配置する必要は薄くなるが、それでは普段使いが難しくなる。
何か見落としているのか? だとするのなら……一番警備が厳重な場所。
「……地下か」
再び一階に降りて地下の入り口を探す。一番警備が集まっていたのは庭だったが、外部の人間である暗殺者ギルドを邸内に入れないからだとすると、やはり入り口は屋敷の中になるはずだ。
最初に回ってみた時には気づかなかったが、地下があると思って探してみると、二階に上がる階段の下に不自然な棚があり、そこの隙間から地下への隠し扉が見つかった。
棚自体が扉のように開く仕掛けだが、私は鍵を開けずに再び【影渡り】を使って扉を潜り抜けた。おそらくそうだろうとは思っていたが、致死性の罠はなかった。当たり前だ。この商会の重要人物が使う場所に万が一の危険な罠を使うはずがない。
同時に重要な書類があるのなら、それが傷つくような仕掛けはないはずだと考えていた。
中は暗いが極少量の魔術光さえあれば文字を読むのにも不便はない。
室内には簡素なテーブルと簡素な棚があるだけで、そこには数字の詰まった書類があったが詳しく調べる時間はない。それでも何か使えるかと、軽く目を通しながらすべてを【影収納】に入れていく。
そのほとんどは商売に関する出入額の収支だ。軽く見ただけでも隣国からとんでもない安値で仕入れていることが分かった。
だがここまでは普通の収支決算書だ。違和感だらけだが犯罪の証拠ではない。
「……?」
棚にあった書類を全部収納すると、棚の一部が動くことに気づいた。
同じ仕掛けを二度も使うか……まさかすべての書類を持ち帰る間者がいるとは思わなかったのだろう。でも、それをそっと動かすと遠くで警報のような音が聞こえた。
ここにきて罠か。たぶん、一定の手順を踏まないと警報が鳴る仕組みか。致死性の罠は警戒していたが、こういう単純な物は逆に対処が難しい。
「…………」
私はそのまま棚を開けると、中の書類を読んでいく。
やはりソルホース王国からの指令書の類いは無い。けれど、その中に一枚だけ、会頭本人の手書きによる物か、とある人物に宛てたまだ書きかけの活動報告書と、その中に今期中に送ることができる奴隷の記述があることを発見した。
おそらくはまだ書き足りない部分があるのだろう。数日忍び込む日にちがずれていたら送られていた可能性もある。
「動くなっ!」
その時、バンッと扉が開かれ、武器を抜いた数名の男たちが降りてきた。
私が報告書を【影収納】に仕舞いながら振り返ると、ランク4の冒険者と思われる男たちが私が一人だと知ってわずかに気を抜いた。
「クレイデールの間者か。よくここまで入り込めたものだ。だが、ここまで来た以上、生きて帰れるとは思うなよ」
「ちょうど会頭がいらっしゃる時期で不運だったな。今日は周辺にいる手練れも警備として集まっているので、じっくりとどこの組織か話してもらうぞ」
その瞬間に、私は外套を男の前に広げる。ランク4の男たちが咄嗟に避けるが、その先頭の男を外套越しに私のダガーが眉間を貫いた。
幾ら私でも証拠がなければ何もできない。
証拠があってもヘールトン公爵に任せれば、村の借金が消えることもないだろう。
……でも、私にもようやくそれをする理由ができた。
破れた外套と血煙の中、私は驚愕する男たちに向けて黒いダガーを向ける。
「もう遠慮する理由が無くなった」
ついに牙を剥いた灰かぶり姫。
次回、ハーマン商会との戦闘。
 





