225 浸食する悪意
今回より新展開
「皆様、本日はお忙しい中、おいでくださり大変嬉しく存じます」
王都にある迎賓館の一つで第一王女エレーナ主催の夜会が行われていた。
招待客には王国に滞在する各国の大使。国内からは王家派である貴族たちがこぞって名を連ねていた。
周辺各国にも思惑はある。第一王女が王位を得た後の関税や利権問題など、王女の人となりを見極めようと粗を探すように彼女を見つめていた。
エレーナはそれらの視線に気づきながらも、笑顔の中で彼らを冷ややかに見つめていた。
隣国である彼らとの関係は慎重であるべきだ。招いた他国の中で重要なのは、大国であるカルファーン帝国、貿易国家であるガンザール連合王国、北との繋がりを得るためのカンハール王国、そして聖教会の本部であるファンドーラ法国だけだ。
もちろん、周辺隣国との友好関係は大事だが、貴族派が色々とやったことで利益よりも実害のほうが大きくなっている。特にソルホース王国から貴族派が大量の麦を輸入したことで、その地方の農産業に大きな痛手を受けていた。
だがエレーナはそれ以上に、自分自身に腹を立てていた。
メルローズやダンドールの協力がなかった初手から、兄王子やその周辺を排除できなかったのは確かだが、まだ政治的な駆け引きだけで平和的に解決できると考えていた。だが、その相手がここまで考えなしだと気づいたときには、政治的に排除できるか難しい情勢になっていた。
(……つくづく砂漠に飛ばされていた三ヶ月が、これほどの痛手になるとは思わなかったわ)
王女エレーナを排除することで王国の弱体を目論んだ、魔族の思惑は正しかったと言える。だが、エレーナが腹を立てていたのは、そのせいで大事な友人を再び闇の世界に戻らせてしまったことだ。
ミハイルが情報を調整して流したことで、王女の側近であるアリアが消えたことも、死亡説を含めて大きな騒ぎもなく受け止められている。
エレーナがエルヴァンやクララとの会談で仄めかしたことで、死亡説が流れたのは王太子派閥からだが、エレーナの思惑通り、これでアリアも動きやすくなったはずだ。
(……絶対に取り戻す)
予定は変わらない。王太子エルヴァンが卒業するあと数ヶ月の間に、国民が納得する王太子派閥と聖女の問題となる証拠を揃え、自分が王となる利益を纏めて国王陛下に伝え、決断してもらう。
今の情勢を考えれば、まだエルヴァンと聖女の排除はできない。でも、アリアが身を隠したのは、裏からその力を削ぐつもりなのだとエレーナには理解できた。
数ヶ月後、王城で行われる魔術学園卒業パーティー。それまでにアリアが表舞台に戻れる地盤を作り出すと心に決め、エレーナは本日の目的の一人である、聖女を認定するためにファンドーラ法国より来たと目される人物に朗らかな笑顔をもって話しかけた。
「お初にお目に掛かりますわ、ハイラム様」
***
クレイデール王国西部にあるヘールトン公爵領。
旧公国であるダンドールとメルローズがクレイデールと一つになる前からある、古い家系を誇る公爵家であるが、現在は三代前に一人の姫を王妃として嫁がせただけで、王族との血の繋がりは薄い。
本来なら王家の血筋を護るべき公爵家であるが、現在の公爵にその思いは希薄で、財も権力もある二大辺境伯に隠れた影の薄い上級貴族家の一つでしかなかった。
それでも公爵家という地位には誇りはあるが、それはねじ曲がった驕りでもあり、今代の公爵から、内需を優先する王家と反目するようになった。
元々ヘールトン公爵家は隣国ソルホース王国から王国を護るために存在する。だが、公爵は王家の意向を無視して大量の安い麦を買い付け、王国内に流通させていた。
ヘールトン公爵の派閥は湿地帯のある領地が多く、麦があまり育たない。巨大な湖から魚介類は捕れるが、足の早い魚介は領内で消費するだけで、干物にしても他領であまり売れるわけではない。
領民が飢えない程度の作物は採れるが、それでも公爵として寄子から充分な税があるわけでもなく、数年前に公爵が自ら国境沿いに現れた幻獣を討伐しようとしたのも、自らの権威を取り戻すためだった。だがそれは一部の冒険者によって幻獣が撃退され、その策は不発に終わっていた。
ヘールトン公爵もクレイデール王国の貴族だ。王国を害したいわけではない。
公爵がソルホース王国から麦を輸入するのも、隣国との関係改善を行い、国境沿いの軍費を減らし、領内で採れる高い麦を買わずとも民に充分な食料を与えるためだ。
あくまで公爵本人は寄子と領民のために善行をなしたと信じている。農地は減っているが、減らした兵を含めてその分を特産品の開発に回せば、いずれ税も増えると考えていた。
それ故に内需を優先し、国力を上げる事を是とした今の王家と反目することになり、ヘールトン公爵は貴族派の主要貴族となった。
確かに公爵の政策は誰も損をしない。その隣国に野心さえなければ……。
そのヘールトン公爵領内で、二十年ほど前から台頭した商会があった。
ハーマン商会。食料品や生活雑貨を扱い、特に隣国ソルホースから輸入した麦は、領内や他領から持ち込まれる麦より多少質が悪くとも、これまでの三割以上安い麦を売ることで民の信頼を得て、この二十年で、十以上の領地で八十以上の店を構える大商会として知られていた。
だが、ソルホース王国の麦とてそこまで安くはない。輸送費などの経費を考えれば、ほぼ儲けなどないどころか赤字になるはずだ。ならばハーマン商会はどこから利益を得ているのか?
「男爵閣下……困りますねぇ。麦を買ってくれと言い出したのはそちらでしょう? 今年に限って買値を上げてくれ、は通じませんよ?」
「……だ、だが、ゼル殿、それでは領民が飢えてしまう。どうにかならないか?」
ヘールトン公爵の寄子であるケリー男爵は、屋敷の応接室にてハーマン商会の番頭の一人と対峙していた。
ハーマン商会が安い麦を売るようになり、ケリー男爵領で作られる麦を買う商会はなくなり、値を下げなくてはいけなくなった。
それまで男爵領にあった商会が麦で利益を出すには、これまでの六掛けで仕入れる必要があり、その商会も長年の付き合いから頑張ってくれていたが、麦が売れなくなったことで商会の存続さえ難しくなり男爵領から撤退した。
現在、ケリー男爵領にある食品取り扱いをする店舗の六割はハーマン商会の傘下にあり、男爵は安値でもハーマン商会に麦を売るしかなかった。
「では男爵閣下も麦の生産を減らして、他領のように木材を売られては? 初期投資が必要な村は我が商会が貸し付けしましょう」
「……木材などこの辺りではありふれている。金を借りても返せるかどうか……」
「その辺りは、多少のお目こぼしをしてくだされば、我が商会でなんとかかいたしますよ?」
ゼルは腰掛けていたソファーの背後を振り返り、目配せされた護衛らしき冒険者が仮面のような笑顔で頷くのを見て、男爵は静かに息を吐く。
以前なら贅沢さえしなければ生きることはできた。今でも食料生産を元に戻し、他に移った商会を呼び戻せば以前と同じ生活はできる。
だが、ヘールトン公爵の肝いりで呼び寄せたハーマン商会がいるかぎり麦は売れず、追い出すこともできない男爵は頷くことしかできなかった。
幾つかの農村では麦の生産を減らして林業に転業していたが、ケリー男爵の懸念通りありふれた木材がそう簡単に売れるわけはない。ある村では、その結果として借りた金を返せなくなり、村ごと農奴としてハーマン商会に身売りをすることになった。
クレイデール王国では人権のない奴隷は違法だが、農奴は合法である。
だが、ハーマン商会はその法の隙間を突き、生産力の高い若い家族を丸ごと他に移して利益を上げると同時に、王国の生産力を削っていた。
それが、危険な炭鉱開発や娼館でも、ソルホース王国では合法なのだ。
「大丈夫か? 隣町までもう少しだ」
「うん」
最低限の荷物を持った二十代の男が若い妻を連れ、わずかな月明かりだけを頼りに夜の街道を移動していた。
彼らのいた村では、仲介に来たハーマン商会によって村ごと農奴になることが決まった。生まれた村を離れて生きていく術を知らない村人たちは、それも仕方ないと割り切っていたが、その村人は偶然にもハーマン商会の護衛たちが、何人の若い農民を奴隷としてソルホース王国へ連れていけるか話しているのを聞き、まだ新婚だった彼は幼馴染みの妻を守るためにその日の夜に夜逃げした。
だが――
「困るんだよ。若い奴を逃がすと俺らの報酬が下がるんだ」
「なっ!?」
突然道の先に現れたその男は、ハーマン商会の護衛をしていた冒険者だった。
村の男が妻の肩を抱いて下がろうとすると、背後からも冒険者の仲間らしき二人の男たちが姿を見せた。
「ど、どうして追ってくる!? 俺たちはまだ農奴契約をしていないっ」
「そうだなぁ……。だから村に帰れなんて言わねぇから、このまま連れていくことにするから、まぁ、諦めろや」
「なんだと……」
せせら笑うような冒険者の台詞に、村の男は妻を背後に庇うように伐採に使う鉈を引き抜いた。
護衛たちはソルホース王国のランク3冒険者で、国元より雇われた人間だ。もちろん農民などに負けるつもりはないが、筋力だけはある追い詰められた農民を無傷で捕らえるのは難しいと判断して、最初の冒険者は疲れたように溜息を吐いた。
「面倒だなぁ……じゃ、いいや。女だけ連れていくから、男は殺しちゃえ」
そんな言葉に背後から来た男たちがゲラゲラと笑う。
「くっ……」
「あなた……」
村の男が呻きをあげ、妻が男の背に縋り付くと最初の冒険者が面倒くさそうな顔をしながら、背中の長剣を引き抜いた。
「やれやれ、実力差ぐらい分かりやがれ。あんまり抵抗はすんなよ? 女が傷つくと面倒だからな」
「誰かっ!」
「誰も来ねぇよ! いい加減に――」
――その時、その場にいた全員の耳に遠くで吼える〝獣〟の声が聴こえた。
狼やゴブリンの声じゃない。もっと恐ろしい肉食獣を思わせる咆吼に最初の冒険者が顔を顰めると、夫婦の後ろにいた冒険者の一人が何か気づいて振り返り、次の瞬間、二人の冒険者を巨大な黒い影が真横から攫うように飛び抜けていった。
「なにが……」
最初の冒険者が突然消えた仲間たちに唖然とした声を漏らしたとき、その冒険者の男も〝何か〟に気づいて、振り返るように長剣を真横に振るう。
そこにいたのは生成りの外套を纏う、まだ子どもか少女のような小柄な人間だった。
何者か知らないがこのタイミングでは躱せない。躊躇することなく即座に必殺の一撃を振るえる、自分の実力を誰よりも知っている冒険者の男が、口元に微かな笑みを浮かべた瞬間――
「なっ……」
その人物は正確に首に振られた刃の腹を右の掌で押し上げるように上に逸らし、驚愕する男の顎を左手で掴むと、そのまま真横にへし折った。
「――!?」
何をされたか一瞬で理解できなかった。理解できる実力の範疇を超えていた。
筋力だけじゃない。技とタイミングでさほど力も入れずに首をへし折られたことを理解した冒険者の男は、仰向けに崩れ落ちて、死に際にフードに隠れた冷たい瞳で見下ろす、〝桃色髪の少女〟を見上げた。
「夜に騒ぐな」
男は唐突に理解する。自分の力を過信してこんな夜の森で騒ぎ立てた結果、こんな恐ろしい〝夜の怪物〟を呼び寄せたのだと――
西に辿り着いたアリア。
だがそこには貴族派の裏にいる隣国ソルホースの影があった。
次回、ソルホース王国
書き始めのころ、アリアのkill数カウントしようかと思ったのですが、途中で諦めました。





