224 王国の闇 後編
偽ヒロインとの邂逅
「ここから先は、立ち入り禁止ですよ」
その少女は口元だけを笑みに変えて私を見下ろしていた。遠い記憶……どこかで見たことのあるような少女の姿に一歩踏み出そうとした瞬間、彼女の周囲にいた神殿の騎士らしき者たちが庇うように前に出る。
「待ってください」
一瞬剣呑な雰囲気さえ感じられた彼らを、少女はニコリと笑みを浮かべて止めた。
「……お知り合いですか? 聖女さま」
「学園の生徒さんですよ。こんにちわ、レイトーンさん」
「…………」
これが〝聖女〟か……。彼女は私のことを知っていたようだが、私も彼女のことを噂以上に知っている。
聖女である彼女の言葉に神殿騎士が後ろに下がる。だが、その距離は何かあってもすぐに庇える位置にあり、『聖教会の重要人物』という以上の忠誠心を感じた。
その聖女である彼女がこの場に現れたことで、それに気づいた神官や一般の信者たちが彼女の側に集まりはじめた。
私たちが知っている情報は、彼女が学園入学時から王太子に付きまとっていた女生徒の一人であり、それがいつの間にか王太子を籠絡し、王弟や神殿長の孫を巻き込んだ混乱を引き起こしていることだけだ。
エレーナはその起点になっているのが彼女だと考え、王太子諸共排除すると決めて動きだした。
……だけど私はもう一つのことを知っている。
私が今の〝私〟になった原因……『乙女ゲームのヒロイン』に成り代わろうとしたあの女は、私がヒロインだと言っていた。
私がいなければ……私が物語から離脱すれば、それは始まらないはずだった。だがそのヒロインの位置に納まり、私と同じ〝アーリシア〟を名乗る彼女が現れた。
あの女の言っていたことがすべて妄想という可能性もある。理性的に考えれば私もそう思うが、現状があの女の記憶にある遊戯とあまりにも似すぎていた。
実は彼女こそ〝本物〟で、あの女が私と勘違いしただけなのか? でも、そのヒロインの親族らしきメルローズ辺境伯は、髪の色と顔を見て私が捜し人だと確信しているようだった。
そしてお母さんから渡された、お守り袋の指輪には、ミハイルの家と同じ家紋が記されていた……。
状況的にはやはり〝本物〟は私ということになる。だからこそ、何故彼女がその位置にいるのか分からない。
実際に会ってみた印象は本当にただの少女だった。魔力値も貴族とは思えないほど低く、どうして彼女が聖教会に『聖女』と認められたのか理解できない。
だからこそ厄介だと思った。彼女がただの少女にしか見えないのなら、それ以外の部分……彼女の人柄や容姿が優れているからだ。
一目見て理解できた。エレーナからの話を聞き、暗殺まで視野に入れた相手だというのに、彼女を見た瞬間に彼女は本当に人柄の良い人物なのではないかと思えた。
でも――
「……ふぅ」
私は人々に囲まれて笑顔で応じている彼女を見て、大きく吸った息を吐く。
いや……あれは違う。どれだけ好意的に思えても、私は彼女のことを教えてくれたエレーナやセオの言葉を信じる。
だとしたらこの気持ちもまやかしだ。理性的に考えろ。だとするのならこの原因は……あれが持っている【加護】だ。
強い力じゃない。この感じる『好意』が〝攻撃〟だと理解した瞬間、私の中にあった彼女への好意が霧散した。それと同時に理解する。
この少女を生かしておくことはエレーナの害になる。
私の中で偽りの聖女への殺意がわき上がった瞬間、彼女が振り返るように私を見た。
「「…………」」
わずかに目を見開いた彼女と、わずかに目を細めた私の視線が絡み合い、次の瞬間、彼女が不機嫌そうに唇を歪めた。
『――ガァアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!!』
突如響き渡る獣の咆吼――一瞬影が差し、神を奉るはずの聖教会に空から、三体の異形の魔物が舞い降りた。
「……あ、悪魔だぁあああああ!」
誰かが叫ぶ。その声を皮切りに一般の信者が悲鳴をあげて逃げ惑う。
【獣の悪魔】【種族:下級悪魔】【難易度ランク4】
【魔力値:848/850】
【総合戦闘力:933/935】
「下級悪魔が三体っ!?」
やはり、悪魔召喚には聖教会……いや、神殿長オストール家が関わっているのか。
『ガァアアアアアアアアア!!』
歪な猿のような下級悪魔三体が咆吼をあげ、【石弾】に似た無数の岩を生み出し、私目がけて撃ち出した。
「ハァアアアアアアアアアアアアアア!」
周囲にはまだ逃げ遅れた人たちがいる。私は気合いと共に息を吐き出し、放った四つのペンデュラムを旋回させ、周囲に降りそそぐ岩の弾丸を弾き飛ばす。
次の魔法は撃たせない。打ち落とすと同時に地を蹴った私は黒いナイフを抜き放ち、『滅ぼす』という意志を刃に込めて大きく後ろに振りかぶる。
「――【神撃】――っ!」
『ガッ――』
空中で放った戦技の一撃が真正面にいた一体の首を斬り飛ばした。
だが戦技を放った私は硬直し、それを見て一体の悪魔が豪腕から爪を振るう。その瞬間、私の身体は不自然に後ろに引かれ、仰向けに悪魔の爪を躱した私は、硬直が解けた爪先の刃を悪魔の左目に叩き付けた。
『ガァアアアアアア!?』
思わぬ反撃を受けた悪魔が後退する。戦士を名乗るのなら誰でも戦技の硬直は知っている。だから私は飛び出す瞬間にペンデュラムの刃を床石の隙間に突き立て、糸による空中での動きを確保していた。
この一瞬の攻防に反撃を受けた悪魔だけでなく、残ったもう一体も怯んだように身を引いた、その次の瞬間――
「――【浄化】――」
子どものような声が聞こえ、二体の悪魔の背中から光が浴びせかけられた。
「今です!」
『おおおおおおおおお!!』
その瞬間を狙い、神殿騎士たちが手に持つ槍で二体の悪魔を貫き、下級悪魔たちはそのまま黒い塵となって消滅した。
そのあっけないほどの最期に、聖女の周りにいた者たちが即座に声をあげた。
「おおおお!」
「悪魔を倒したぞ!」
「さすがは聖女さまだ!」
「聖女さまと騎士さまが悪魔を倒したぞ!」
信者たちが聖女と神殿騎士を讃え、歓声に包まれる。
私は喜ぶ彼らを見ながら立ち上がる。信者の一部が私のほうへも顔を向けたが、彼らが声を発する前に聖女が声を出して彼らの注目を集めた。
「皆さん! もう大丈夫です! ここには〝本物〟の私がいるから!」
聖女である彼女の言葉に再び歓声が湧き上がる。
「…………」
なるほど……そういうことか。
彼女が『本物』と言葉にして信者たちはそれを『聖教会に認められた本物の聖女』と受け止めた。でも彼女はそれを口にするとき、無意識なのか一瞬だけ私を見た。
自分こそが〝本物〟であると……。
私はそのまま背を向けて聖教会の神殿を後にする。あの少女のことはもう理解した。私のするべき事も……。
私は離れた神殿を一度だけ振り返ると、そのまま人気のない区画へ向かい、人がいなくなった裏路地で【影収納】から取り出した紙にエレーナへの報告を書き込み、王家から報償で貰った認識阻害のペンダントに括り付けた。
私がエレーナの囮を務めるのに必要な物だったが、これからの私が王家の宝物を持っているわけにもいかない。
「――待て」
裏路地で背後から掛けられた声に私はゆっくりと振り返る。するとそこにはまったく同じ白い外套を纏った三人の男たちがいた。
「君をこのまま帰すわけにはいかない。申し訳ないが――」
「神殿騎士か」
男の言葉を私の言葉で遮ると彼らがわずかに震え、声を掛けてきた真ん中の男が諦めたように顔を隠していたフードを下ろした。
その顔は見たことがある。あの少女の隣にいた騎士の一人だ。
「何か用?」
私が静かに問うと、彼は口元を歪めながらも口を開いた。
「レイトーン家……確か王家派閥の者だな? 悪魔を倒すのに協力をしてくれたのは感謝している。だが……その力が聖女様の妨げになるのなら、我らは力を尽くさねばならない」
「……それは、あなたの意思で?」
「……そうだ」
あの奇妙な精神干渉を受けているのか……彼は外套の下にある武器の柄を強く握りしめて、苦渋に満ちた声を零した。
「我々もこれが正しいとは思っていない。聖女様の行いもすべて正しいとも思えない。それでも我らは聖教会の正しい教えのために、罪なき者を断罪してきた。正しい世界のために必要な悪も存在するのだ」
「それが必要だと……?」
「そうだ。……いや、そうではないかもしれん。だが、罪の意識に苛まれる我らを聖女リシア様はお許しくださった。安らぎを与えてくださったあの方のために、我らは戦うと決めたのだ」
その言葉が終わると残り二人の騎士も剣を抜く。
彼らは操られているのではない。元からあった心の隙間を聖女の【加護】によってこじ開けられ、甘言で肯定されることで堕とされた。
「行くぞ!!」
三人の騎士が同時に地を蹴り、剣を振るう。三人ともランク3の上位だが、戦闘力では表せない熟練の技の冴えを感じた。でも……
それがあなたたちの意思なら、もう私も遠慮はしない。
「――【鉄の薔薇】……【拒絶世界】――」
私の桃色がかった髪が灼けたような灰鉄色に変わり、全身から放たれる光を纏う私を三人の剣がすり抜け、すれ違いざまに三人の首を素手で打ち砕いた。
「…………」
首が折れる以外外傷のない三人を一瞥し、私は【拒絶世界】を使ってペンダントをエレーナのいる城へ送る。
同じく狂っていてもカルラには共感できる部分もあった。だからこそ私もカルラの願いを叶えてあげたいと思った。
だが、あれは違う。あの聖女は〝あの女〟と同じだ。あの女と同じく乙女ゲームを知り、自分の好む世界へと塗りかえようとしている。
自分が〝本物のヒロイン〟になるために……。
今の私は〝私〟らしくない。
私はエレーナを護ることで私たちの運命を変えられると思っていた。だからこそ、闇にいた私が表舞台に上り、孤独な戦いをしていたエレーナの盾になった。
いや、違うな……師匠と同じで、彼女の側にいるのが心地よかったからだ。
私はエレーナの隣に立つことで安息を得たが、しがらみも生まれてしまった。
でも今なら、エレーナの側にはロークウェルやミハイルもいる。ダンドール家やメルローズ家も彼女を守るだろう。
悪魔が私を狙ったことから、あれは私が敵だと認識した。そんな私は尚更エレーナの側にいないほうがいい。
あれを絶対に生かしてはおけない。あの女と同じように遊戯を知るあれが勝手に動けばエレーナも危なくなる。それでも聖女としての名声がある以上。下手に手出しをすれば、王太子や信奉者たちがどう動くか分からない。
だから、私は今一度闇へと戻り、王太子の卒業までにあれの周りをすべて始末する。エレーナには私が感じた事を伝え、私が死んだことにするように頼んだ。
余計な者がいなくなればエレーナは絶対に負けないから。
「私は私のやり方で、あの少女を……アーリシアと名乗る女を排除する」
***
「……あの桃色髪の女」
聖女リシアは、現れた桃色髪の少女が消えた街並みを窓から見つめて、手の中にある〝魔石〟を強く握りしめた。
おそらくはあれが〝本物〟だ。乙女ゲームのシナリオを知る彼女だからこそ、彼女が本物だと理解した。
もうこの物語の主人公は自分だ。今更異物にかき回されてすべてを失うわけにはいかない。
エレーナ、カルラ、クララ……この三人の悪役令嬢こそが最大の障害だと考えていたが、今日邂逅したことで彼女こそが自分の最大の〝敵〟だと認識した。
「あの桃色髪の女を殺す。私が持つすべてを使っても」
アリアは一時離脱し、暗殺者に戻る道を選びました。
エレーナもそれを理解したからこそ、アリアにそんな決断をさせた自分に怒りを感じました。
次回、アリアの戦い。
そろそろクライマックスが近づいてきました。





