223 王国の闇 前編
すみません、また長くなったので前後編になります!
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「殿下、こちらでございます。お二人はまだ到着されておりませんが、お好みの飲み物はございますでしょうか?」
「……ありがとう。少し早く来てしまったようだね。温かな物をいただけるかな?」
「かしこまりました」
特に銘柄を指定しなくても城の侍女なら彼の好みは把握している。その曖昧な指定に侍女は戸惑うことなく緩やかに一礼して準備を始めた。
王女宮にあるテラスに用意されていたテーブルに着いたエルヴァンは、侍女が用意した茶を口に含んでゆっくりと息を吐く。
妹に話があると呼び出され、その時刻よりも早めに来てしまったのは、こうして心を落ち着ける時間が欲しかったからだ。それ以上に、幼い頃より近くにいて今は離れてしまった二人の少女と話す機会を求めていた。
王太子という立場であるエルヴァンは一人で動くことはない。王女エレーナと同様に数名の近衛騎士と侍従が常に側に控えているが、今回の王女エレーナからの招待にエルヴァンは侍従だけを連れてここに来た。
王女宮には国王陛下が認めた信用のある者だけが入ることが許される。招待状のない子爵令嬢では近寄ることすらできず、たとえ王族である王弟アモルといえども、王女の許可なくして王女宮へ立ち入ることは許されない。
それでなくてもエルヴァンはここへ一人で来たかった。それほどまでに彼の精神は追い詰められていた。
幼少期からの友はエルヴァンが変わったことで彼の下から去っていった。
心を許した腹違いの妹は彼が変わらなかったから離れていった。
新たな友になった法衣男爵の子息は日々衰弱して死の淵にいるという。
自分を庇護してくれていた叔父は人が変わったように野心的になり、自分の派閥となった貴族派と第二騎士団に入り浸っている。
そして――
「ダンドール辺境伯ご令嬢、クララ様がいらっしゃいました」
侍女の声にエルヴァンが顔を上げると、数名の侍女を引き連れたクララがテラスに入ってくるのが見えた。
「クララ……」
婚約者だというのに久しぶりに見る彼女の姿にエルヴァンが腰を浮かしかけると、クララの護衛侍女たちが警戒したような目を向けてきた。それを片手で制したクララが侍女たちを下がらせ、一人でテーブルまで歩いてくる。
「お久しぶりです……殿下」
「……ひさしぶり」
エルヴァンはクララの以前とは違う呼び方に衝撃を受けながらも、なんとか声に出して彼女を迎えた。
テーブル付きの侍女がクララに飲み物を置いて、他の侍従たちがいる壁際まで下がると、声が届くのが互いだけになった時点でエルヴァンが口を開く。
「……会いたかった」
「……何故ですか? わたくしのことなど忘れたかと思っておりました」
「そんなことはないっ。……違うんだ」
一瞬大きくなったエルヴァンの声にクララが少し驚いたように彼を見て、エルヴァンは声を抑えて首を振る。
一瞬の沈黙。互いに話したいこと、聞きたいことはあるが、それを言葉にして望んだ答えが返ってこないことを怖れて口をつぐむ。
その沈黙を破ったのは――
「第一王女、エレーナ殿下が到着なされました」
テラスに入ってきたエレーナは、かつての友であったミハイルとロークウェルを連れていた。その友が自分に向ける冷ややかな目に耐えきれず視線を妹に移すと、それ以上に冷ややかな瞳をしたエレーナが作り物のような笑みを浮かべていた。
「あら、お兄様、ごきげんよう。クララも」
「あ、ああ……」
「ごきげんよう、エレーナ様」
ミハイルとロークウェルは、エレーナに従っていることを示すように侍従たちの列に並び、エレーナは対面に腰掛けるエルヴァンとクララの間になるように席に着いた。
侍女がエレーナの前に飲み物を置いて、三人だけになったことでエレーナがおもむろに口を開いた。
「本日は来てくださってありがとう。本日はお二人の話を聞きたいと思いましたの」
「話……?」
エルヴァンが思わず問い返すと、エレーナが静かに頷く。
「ええ。お兄様はどうなさりたいの?」
「どうって……」
貴族同士は弱みや揚げ足を取られないよう曖昧で遠回しな表現を使うが、エレーナの直情的な物言いにエルヴァンは息を呑む。
「お兄様は王になるおつもり? なんのために?」
「それは……」
エルヴァンが思わず言い淀む。生まれてからずっと王になることが決められていた。だからそれを疑問に思うことはなかった。皆が笑って過ごせる国にしたいと、子どもめいた思いで、王となる自分を思い描いていた。
だがその教育が厳しくなり、泣き言をいう幼いエルヴァンに、母はもっと自由でいいと教えてくれた。だからこそ、厳しい教育で身体を壊した妹が不憫になり、明るい外の世界へと連れ出した。それが正しいと信じて……。
だが、目の前にいる彼の妹は、それを望んではいなかった。
「お兄様。わたくしは王になりますわ。民のために。この国を護るために。たとえそのために死んだとしても……後に続く人たちのために」
「…………」
まっすぐにエルヴァンの瞳を見て宣言するエレーナに、エルヴァンは言葉を返すことができなかった。
エルヴァンは自分が逃げていることを気付いていた。太平の世なら彼でも普通の王にはなれただろう。そのために厳しい教育を受けた、旧王家である辺境伯二家が王の側にいるのだから。
母は苦しければ逃げればいいと話してくれた。でも――
「お兄様……もう逃げるのはおよしなさい。平民なら逃げてもいいでしょう。下級貴族なら逃げ場があるかもしれません。……けれど、わたくしたち王家の者は、絶対に逃げることは許されない」
人は苦しければ逃げろという。死ぬより酷いことはないから……と。だがそれは下にいる人間の考え方だ。上にいる人間は逃げることは決して許されない。
エレーナは、エルヴァンが逃げるのなら、その代わりに王になると言ったのだ。決して逃げることなく命を懸けて民と国のために戦い続けると。
逃げ続けるのならそれを態度で示せ。王太子の座を妹に譲り、アモルのような立場になれとエレーナの瞳が言っていた。
エルヴァンの『目』でも、エレーナがその覚悟をするだけの経験を積んでいることが理解できた。
「せめて、あの子爵令嬢とは縁を切りなさい。そうでないと――」
――死ぬことになる。
だが、その言葉をエレーナの唇が零す前に、エルヴァンは真っ青な顔でそれを否定した。
「違うんだ、エレーナっ。彼女は……リシアはそうじゃないんだ」
「……お兄様?」
幼い頃から苦痛だった。
優秀すぎる妹。優秀すぎる友人たち。婚約者たちも生まれてから英才教育を施された本物の貴族だった。唯一、自分に近い感性を持っていたクララも、自分をまるで幼い子どものように扱った。
カルラも桃色髪の少女も、年下とは思えないほど恐ろしい力を持っていた。
そんな少女たちに恋など出来るはずがない。ずっと元子爵令嬢だった母から父との恋物語を聞かされて育ったエルヴァンは、貴族だからと決められた相手と結婚することが苦痛だった。
エルヴァンは、その『目』で見てしまったからこそ、周囲と自分の〝差〟を知ってしまった。
エルヴァンの【加護】――『完全鑑定』は、対象とする人物の〝すべて〟を見ることができる。だからこそ、彼女たちとの差に気付かされ、本当になんの力もないリシアという少女に傾倒して――溺れた。
母のように自分を肯定してくれる彼女の側が心地よかった。
甘い蜜でできたぬるま湯のように甘やかされ、現実から逃げるように彼女を求めた。
自分よりも何も持っていない彼女だからこそ、信じられた。
辛いなら逃げてもいい。王になりさえすれば優秀な家臣がどうにでもしてくれる。自分がずっと側にいてあげると、リシアはエルヴァンの身も心も絡め取った。
彼女――リシアの【加護】は『魅惑』――その効果は、好感度の微上昇。彼女に対して悪感情を抱けない……ただそれだけの能力だ。
彼女はそれを『ヒロインの力』だと言っていた。その意味は分からない。でも、最初から彼女を嫌う者、敵対している者にはほぼ効果のない能力だが、彼女は巧みな話術と自らの肉体を使い、瞬く間に信者を増やし、聖女の座まで上り詰めた。
そしてその狂気じみた行為に、エルヴァンは次第に恐怖を抱くようになっていった。
「今では、貴族派も聖教会も第二騎士団も……そのほとんどが彼女の味方だ。私は見たんだ……彼女の中にある恐ろしい〝闇〟を……。エレーナ、彼女と敵対したら駄目なんだ。彼女が消えれば、沢山の人が死ぬ……」
恐ろしい……でも、離れられない。
どれだけ恐ろしくても、彼女が悪い人には見えなかった。
それが彼女の【加護】だと思っていても、エルヴァンにはもう彼女のいる場所だけが安らぎとなっていたのだから。
「…………」
エレーナは兄を見て、その【加護】が早世した以前の王弟と同じ能力だと考えた。
エレーナの叔父である第二王子は、兄である国王のためにその力を多用し、若くしてその命を散らしたが、そのおかげで王国内にいた危険な貴族や他国の間者を排除することができて、一時の平穏を得ることができた。
彼が本当にするべきだったのは、ただ愛らしいだけの恋する子爵令嬢を排除することだったが、兄思いの第二王子はそれができなかった。
エルヴァンはその力を自分のためにだけ使っていた。
彼が聖女リシアの〝中〟に〝何か〟を視て、彼女を盲信する人々を〝視る〟ことで、聖女が消えることになればその者たちが暴走し、多くの血が流れると理解してしまったのだ。
そのためにエレーナたちは彼女を排除する計画をしていたが、エルヴァンの話を信じるのなら、その前に彼女側の力を排除する必要があるとエレーナも理解した。
だが、卒業までのわずかな期間にそれをすることは困難だった。
アリアにどれだけの力があろうと、力ずくで排除しようとすれば、それに気づいた彼らの害意がエレーナと王家に向けられることとなる。
エレーナは対外的な抑止力として……それ以上にアリアを守るために自由な戦力であった彼女を自分の懐に入れたが、表舞台に上がったアリアは、その行動を縛られることになった。
でも、エレーナにはアリアにはできない解決方法があった。
(……本当に〝毒杯〟を使うことになるなんて)
エレーナも好んで使う方法ではないが、自分が兄殺しの泥を被ろうと、それをする覚悟はすでにある。最悪は正妃の教育から離して、独自の王教育が始まった第二王子に任せればいい。
だが、その場合、この場にいるクララが王妃となることはできなくなる。
以前は精神を病み、危険な兆候が見られたクララだったが、ようやく覚悟が決まったのか、八才の頃から現れていた小市民的な思考はなりを潜め、それ以前の気高いダンドールの姫に戻ったような印象をエレーナに与えた。
今回の会談はそれを確かめる意味もあった。
会談が始まってからいまだ黙して語らないクララにエレーナが視線を向けると、クララはジッとエルヴァンだけを見つめていた。
「わたくしは、あなたを守れるとは言えません……」
静かに口を開いたクララに、エルヴァンが憔悴した顔を向ける。
彼の瞳に浮かぶのは、絶望か、拒絶された恐怖か……。でもクララはその後を続ける前に少しだけ微笑んだ。
「でも……わたくしは、あなたと共にありたいと思います。……エル様」
「クララ……」
クララも上級貴族の令嬢だ。このままでは破滅することを理解している。だが、それでも……たとえ死ぬことになっても。クララはエルヴァンと共にいると、そう言った。
その意味を理解しているのか、できないのか、エルヴァンの瞳が戸惑い気味に揺れる。
エレーナは、ようやく戻ってきた〝従姉〟の姿に悦びながらも、すぐに失うことになるのかと少しだけ目を細めた。
でもその時――
「え……」
エレーナの目の前に小さな〝闇〟の球体が出現し、それが一瞬で弾けると中から一つのペンダントが現れた。
エレーナはそれが〝何か〟知っていた。その現象に気付いたのはエルヴァンとクララだけで、そっとそれに触れたエレーナは、ペンダントに結んである小さな紙切れを開いて目を通すと、わずかに殺気が迸るほど目を細めながらも薄く笑みを浮かべた。
「エレーナ様……?」
「あら、ごめんなさい」
戸惑い気味の声を掛けてきたクララに、エレーナは寒気のするような笑みを浮かべながらも、クララとエルヴァンに向き直る。
「アリアが亡くなったそうよ?」
***
昼から王太子やクララと会談するエレーナの護衛をミハイルとロークウェルに任せ、私は朝から冒険者の姿で聖教会の神殿に訪れていた。
「……よくここまで直るね」
完成したばかりの神殿を見て思わずそんな感想が漏れた。
カルラが燃やした聖教会の神殿は、基礎部分こそ残ってはいたがほとんどが焼失していたはず。それが半年も経たずに再建できたのは、魔術があるこの世界でも、どれだけの労力と資金が注ぎ込まれたのか想像もできない。
おそらくは貴族も資金を出したのだろうが、国中の闇魔術師と土魔術師の信者が関わっているのだろう。
その神殿だが、今は完成したばかりということで、寄付をした一般の信者のためにもかなり奥まで立ち入ることが許されており、かなりの人がいて、私のような冒険者の姿も多く、外套を纏ったままの私でも問題なく神殿内に入ることができた。
だがその理由は、一時噂となり、カルラの罪を問うことを聖教会が断念した、教導隊の正当性を示すためと、〝聖女〟がいるからだ。
聖女……それがどういうもので、どのような存在なのか私は分からないけど、今の聖教会では愛されているように感じた。
「…………」
神殿内にいる関係者。参拝する平民の信者。神殿の奥にある孤児院の子どもたちからも、時折『聖女さま』という言葉が聞こえてくる。
……特に洗脳されている様子はない。子どもたちも心から聖女を慕っているように感じられた。
だからこそ、違和感がある。セオの話では、彼女はレベル1か2の光魔術しか使えなかったはずだ。そんな人間を聖女として祭りあげ、慕う理由はなんなのか?
奥に行ってみるか……。まだ建築資材が残る裏庭などを散策するように神殿の構造を頭に入れていると、おそらく奥側へと続くだろう外部の階段の上から、赤みがかった暗い金髪の少女が私を微笑みながら見下ろしていた。
「ここから先は、立ち入り禁止ですよ」
アリアに何が起きるのか? エレーナの笑みの意味は?
その理由は次回! 後編
今回一話に纏めようとして断念した作者は次回、纏めきれるのか!?
コミカライズって凄いですね。そちらで観てこちらも観てくださった方、ありがとうございます。
誤字報告ありがとうございます。
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