222 交差する思惑
今回は会話主体の情報回です。
王都にて悪魔が現れ、人々はその恐ろしさを知った。
死傷者の数は千を超え、死者の中には貴族の若者たちもいたことで貴族派による王家への攻撃材料となったが、その悪魔を倒した人物が、聖女を伴った王太子エルヴァンだと、幾つもの貴族家と民が証言したことで貴族派の攻撃は下火となり、人々の様々な思惑によってレスター伯爵令嬢の名は表に出ることはなかった。
「――――――」
隙間風のような掠れた喘鳴が漏れ、すでに声も出せなくなったナサニタルが濁り始めた瞳で見舞いに来た少女を見上げる。
以前から悪かった体調はここ数日でさらに酷くなり、まだ十三歳で生命力に溢れていた肌は枯れたようにかさつき、艶のあったブルネットの髪は色褪せ、ナサニタルはすでに立ち上がれないほどに衰弱していた。
この原因不明の症状を、もちろん聖教会側も黙って見ていたわけではない。だが、神殿長である祖父の治癒魔術でも効果は薄く、一時的に持ち直したとしても翌日には同じになり、これ以上、民に使うはずの治癒を関係者ばかりに使うことはできないと、神殿長はこれ以上の治療を諦め、彼が慕う聖女リシアにナサニタルを委ねた。
「ナサニタル君……頑張ってくださいね」
何かを訴えるようなナサニタルの瞳に、白いメイドを連れた聖女リシアが優しげな微笑みを向ける。
治癒魔法で治るはずがない。ナサニタルは怪我をしたのでも、病気でも、呪いを受けたのでもなく、その〝魂〟を徐々に削られていた。
薄汚れた布巾で赤子の身体を拭うように、少しずつ舐め取るようにそっと魂が消えていく恐怖に、ナサニタルは憔悴していく。
それもすべては、新たな契約者である少女がそう命じたからだ。彼女は自分の願いを叶えるために、彼の魂を差し出した。
「愛しているわ……ナサニタル」
聖女リシアは片手で髪をかき上げ、ナサニタルのひび割れた唇に自分の唇で触れる。
彼にはもう少しだけ生きてもらわなければいけない。彼の愛と絶望こそが願いの対価なのだから。
「――――っ」
「心配しないでね……私は幸せになるから」
手を伸ばそうとして震えるナサニタルの手を、そっと押さえつけて戻したリシアの顔は、ナサニタルの潤んだ瞳の中で歪んだ笑みを浮かべていた。
***
「お帰りなさい、アリア」
地方から戻った私を少し疲れた顔をしたエレーナが安堵した顔で迎えてくれた。
まずは無事に戻った顔見せに冒険者の格好のまま寄ったのだけど、報告するために一度着替えようとすると、そのままでいいので話に混ざってほしいと言われた。
「……では、やはりその地に悪魔がいたのね」
「学園に現れた骨の悪魔だ。随分と犠牲者が出てしまったけど」
エレーナが怪しいと考えた聖教会と聖女の一派。その通り、悪魔はその地にいたが物的な証拠は得られなかった。
「それは……仕方ないとは言いたくないけど、話を聞いた限りでは、放っておけば町が全滅していた可能性があるわ。それに王都でも酷いことが起きたから……」
「……ある程度は聞いている」
王都にも悪魔が現れた。それを倒したのは王太子と聞いたが、エレーナは実際に悪魔を倒したのはカルラだと見ている。
人を欺く悪魔が王太子に化けてカルラを罠に掛けた。あのカルラだから、よほど危険人物と思われていたのだろう。でもカルラはその罠に自分から飛び込んでいった。彼女は周囲から狂人のように思われているが、カルラは今まで自分から不利になるような状況に陥ったことは一度もない。
カルラが誰かを殺すときは、必ず相手から手を出させて被害者の位置にいた。たとえ過剰な反撃をしようと、カルラの立場がそれを罪にはさせず、その溜まり溜まったカルラへの恐怖が、さらに手を出すことを怖れさせた。
私は裏社会と敵対することで同じことをしたが、カルラはそれを貴族社会でやってのけた。それもカルラの性格と力があってこその話だけど……。
だが分からないのは、どうしてトドメを王太子や聖女に譲ったのか? それを口にするとエレーナが静かに頷いた。
「その件で話し合っていたの。ミハイル、アリアにも説明してあげて」
「かしこまりました、殿下。その前にアリア嬢……よく無事で戻ってきてくれた。恥ずかしいかぎりだが、君が居ると居ないとでは戦力に大きな違いがある」
私に微笑みを向けていたミハイルがそう言うと、隣のロークウェルが気難しげな表情で頷いた。
「ああ。自分の未熟さを痛感するが、現状、上級悪魔を単独で倒せるのは君とレスター伯爵令嬢だけだ。だが、彼女がその手柄をあの二人に譲ったことで、少々厄介なことになった」
エルヴァンを王太子から外す思惑は、国王陛下の承認のもと、エレーナとメルローズ家派閥を主体として行われてきた。元子爵令嬢の子であるエルヴァンよりも生粋の上級貴族家の血を引くエレーナを推す貴族家も多く、エレーナの働きにより、すでに過激ではない貴族派の一部と中立派はエレーナ寄りになっていた。
だが、今回の件で王太子の名声が上がり、再び日和見な貴族家が王太子擁護に回り始めた。しかもそれだけではなく、悪魔を倒した『聖女』の名も上がり、王弟派閥と貴族派を中心に彼女を正妃としようとする動きも現れ始めた。
私はその聖女のことをほとんど知らないが、ミハイルが言うにはメルローズ家とも関係のある人物らしく、宰相を含めたメルローズ家の意見も纏まっていないらしい。
「いや、メルローズのことは私がなんとかする。私はあれが関係者とは認めていない」
「…………」
ミハイルが一瞬、私を気遣わしげに見るが、彼も気付いているのかもしれない。
「けれど、その代わりに静観の立場をとっていたダンドール家が、エレーナ殿下の派閥に付くことになった。ダンドール家としてもクララが王妃とならないのなら、穏便に婚約を破棄にしてもよいと考えている」
ミハイルの後に続いてロークウェルがそう教えてくれた。
確かに、ダンドール家としては、クララかエレーナのような血縁者でなければ意味はない。穏便にということは、クララの傷にならないよう『王太子下ろし』を行うということだ。
そのダンドール家が動いたことで、北と南の大派閥がエレーナ側に付いたことになるが、その原因となった『聖女』の存在が問題になった。
そこまでが前提の話で、そこからエレーナが主導で話を始める。
「……現状、王太子殿下と不仲だと噂されているクララの立場は良くないわ。普段ならそれでもダンドールの名が彼女を王妃にするのでしょうけど、それを飛び越えて正妃となった方が王太子殿下の実母なのだから、最悪の場合を想定しなければいけません」
「今回も、そうなると?」
「王太子殿下が望めば……あり得なくもないわ。でもその場合は、相当国が荒れることを覚悟しないとね」
その瞬間、エレーナの目が細められ、剣呑な光が宿る。ミハイルもそれに頷き、ロークウェルが沈痛な面持ちで目を瞑ったことで、私もようやく理解した。
そもそもエルヴァンが王太子としての成長がなく、子爵令嬢に傾倒したことで、エレーナは彼を見限り、自分が女王となることを決めた。
彼がこのまま成長もなく王となり、正妃に貴族としても怪しい者がなるとすれば、貴族派が勢力を増し、他国が付け入る隙を与えることにもなるだろう。
そうなる前にエレーナは、彼に〝毒杯〟を用意することも辞さないとその目が語っていた。
「……とはいえ、私の独断でそれをするのは難しいわ。お父様……陛下とのお話では、王太子殿下が成人する学園の卒業までに見極めることになっているの。それまでに陛下を説得するとしても、それ以前にこちらが事を起こそうとすれば、陛下は王太子殿下側に回る可能性がある」
そう言ってエレーナは伏し目がちに溜息を漏らす。
エレーナの目的は国家の安寧だ。それをするために事を起こせばそれは謀反であり、へたをすれば内戦にも繋がりかねない。
「エレーナ……私は〝約束〟を覚えている」
「アリア……」
私は、エレーナのためにたとえ王でも殺すと誓った。
エレーナがそれを望むのなら、私は〝王太子〟でも〝聖女〟でも殺してみせる。それで私が邪魔になるのなら死んだことにでもすればいい。
実際に聖女を殺せば大半の問題は片が付くように思えた。でも――
「……難しいわね。少し前ならお願いしていたかもしれないけど、彼女は名声を得てしまったわ」
「……うん」
王太子や聖女を殺すのは最終手段だ。悪魔を殺す前の聖女なら死んでも大きな騒ぎにはならなかった。でも、その時の彼女は怪しい動きをしていても、傍目には罪を犯していないただの少女であり、暗殺対象にはならなかった。
だが今はどれだけ邪魔になっても、その死が美談となり、それが王太子に同情を集めることになって、王へと押し上げるだろう。
「最悪はそれをすることになっても、まずは暗殺ではなく、民と聖教会が納得する『聖女を排除する』理由を探したほうがいいわね。……ミハイル」
「かしこまりました。暗部と調整し、王太子殿下が卒業なさる日までに、皆が納得する理由を捜します」
私が倒した悪魔は神殿長の屋敷がある町にいた。それに聖教会が関わっていた物的証拠はないが、それが怪しいと考え調査に向かったのだから、心証的にはほぼ黒と言っていい。
結果的に、こちらが動く前に王太子側に先手を打たれた形となったが、この段階まで来たらミハイルならきっとやるだろう。
「それでは、決行は陛下が決めた王太子殿下の卒業に合わせて行います。わたくしはそれまでに陛下の説得と貴族家の取り込み。ミハイルは情報の収集と調整。ロークウェルは引き続き私の護衛とダンドール派閥の取り込みと調整をお願いします」
「「はっ!」」
王族の顔になったエレーナの言葉に、ミハイルとロークウェルが臣下の礼を執り、それに頷いたエレーナは最後に私へ向き直る。
「私は一度、アモル殿下や聖女がいない状況で、王太子……兄と話をしたいと思っています。できればクララを交えて」
「私は何をすればいい?」
政治的な敵ではあっても、二人ともエレーナにとっては親族であり、それなりの情もある。特にクララに関しては色々と思う事もあるのだろう。ただ排除するとしてもその線引きをどこにするのか、それと彼らの真意を最後に自分の目で確かめたいのだと感じた。
「アリアはその間、聖教会と接触してほしいのだけど、お願いできて? 凄く危険だとは思うけど」
「……なるほど」
聖教会に直接乗り込んで私の心証で確かめてくる。確かに危険だが有効な手段だと思った。
いまだ正体の知れない〝聖女〟らしき少女。
骨の悪魔がいた町を管理していた神殿長とその孫。
いまだに姿を現さず、存在さえも確定できない〝夢魔〟の存在。
そのすべての手掛かりが王都の聖教会にある。その証拠はおそらくないだろう。だからエレーナの撒き餌である私が赴くことで、釣り出すことはできるかもしれない。
それに気付ける者がいるとすれば、私だけだ。
「了解した、エレーナ」
「では始めましょう、アリア。私たちの戦いを」
次回、エレーナ、エルヴァン、クララの対話
そして、アリアはようやく「アーリシア」と対峙する。





