221 貌のない夜 その3
カルラ対悪魔戦
「なんだ……あれは?」
その光景を見た貴族の兵士や神殿騎士たちは唖然として立ち尽くす。
突如地の底から天に伸びる稲妻が王太子を撃ち抜き、その余波だけで貴族の若者たちを焼き尽くした。
そして、王都で暴れ出した悪魔に魅入られたカルラを倒すため、自分たちの先頭に立って、正に勇者の如き力を見せていた王太子エルヴァンは黒い茨に貫かれ、皮がひび割れるように剥がれ落ちたその部分から、異形の姿を見せていた。
あれは〝なに〟か?
あれではまるで〝悪魔〟のようではないか?
「――皆の者!」
その時、異貌を晒していたエルヴァンのひび割れた〝貌〟が声を放ち、混乱していた人間たちの耳を打つ。
「この悪魔を攻撃せよ! 命令だ!」
剥がれ落ちたエルヴァンの貌は半分でしかなく、両脚も異形と化していたが、人間たちはエルヴァンの〝貌〟で発せられる〝声〟を聞いて動揺する。
あれは悪魔ではないのか? 自分たちは悪魔に騙されて〝人間〟を攻撃したのか?
だが、エルヴァンの〝声〟を聞き、エルヴァンの姿を〝見た〟者たちは、それが悪魔であろうとエルヴァンにしか見えなかった。
それこそが〝ドッペルゲンガー〟本来の特性とも知らず、困惑した一部の者たちは、それがエルヴァンではないと思いながらも、その言葉を信じてしまった。
「……ぅ、うわぁあああああああああ!」
「やれぇえええええええええええ!」
神殿騎士の誰かが、貴族の私兵の誰かが、内から突き上げるような恐怖に駆られて飛び出した。
悪魔は認識を誤らせ、心理を誘導する。飛び出した彼らは先ほどまで〝正義〟の側に立ち、悪魔を討つ王太子と共に戦うという高揚感を集団心理として誘導され、疑うこともなくカルラを討とうとした。
だが、今の彼らは、〝それが間違っていた〟と気づきながらも、〝ここで王太子に従わなければ、自分たちが悪になる〟という心理を誘導され、恐怖に駆られて再びカルラに剣を向けた。
「面白いことをするのね」
だがそれも揺れる心があればこその話だ。少女とは掛け離れた精神を持つカルラはそんな者たちの姿に薄く笑い、瓦礫の中から立ち上がりながら魔力を放つ。
「――【雷撃】――」
電撃がまだ残っていた貴族の死体を粉砕しながら、近づいてきた騎士や兵士たちを撃ち抜いた。
「うぉおおおおおおおおおおおおお!」
だが、全身を電撃に焼かれながらも、それを抜けてきた数名の神殿騎士が泣きそうな顔でカルラに迫る。
神に仕える神殿騎士が悪魔に騙されていたと認めることができず、もしカルラがいなくなれば自分たちの罪も消えるのではないかと、そんな後悔と罪悪感を起点とした心理誘導を受けた騎士たちは、命懸けでカルラに飛びかかった。
その執念によってわずかに黒い茨が緩み、その一瞬で茨を抜け出したエルヴァンだったものは、耳まで裂けるほどに開いた口内に膨大な魔力を溜める。
「よくやった! ――ニンゲンども」
口から放たれた魔力が純粋な破壊力となってカルラを襲い、魔力が炎となってその場を焼き尽くし、炎の中に消えたカルラを見て、その場にいた者たちが歓声ではなく、怯えたように安堵の息を漏らした。
やはり王太子の言葉に従ったことは正しかった。あんな悪魔のような令嬢が人間のはずがない。だからきっと、エルヴァンが悪魔のように見えるのも間違っているのだと、自分で自分を納得させようとした。
だが――
「なっ――」
その瞬間、荒れ狂っていた炎が突如蛇の如くエルヴァンに襲いかかり、咄嗟に躱したエルヴァンの半身を焼く。
そして炎の中から、黒焦げの神殿騎士二人の死体を盾のように掲げたカルラが、全身隙間なく覆う茨の口元だけを真っ赤な三日月に変えた。
「……う……うぁあああああああああああああああああああああああああっ!」
その光景に一瞬だけ正気に戻った貴族の私兵たちが、恐怖に顔を歪ませながら逃げ出した。
「我々……は……」
飛び出せなかった理性のある神殿騎士たちが事実を認識して膝をつき、そんな彼らを一歩踏み出したカルラの纏う炎が飲み込むように焼いていった。
「おのれぇえエエエエエエ」
エルヴァンだったものが叫びをあげながら宙に舞い、それを追うようにカルラが飛び上がる。
エルヴァンがすでに黒い靄と化した半身の腕を振るい、魔力の衝撃波が近隣の貴族家の屋根を薙ぎ払う。
「――【炸裂岩】――」
それをカルラの放つレベル5の土魔法が迎え撃ち、軌道をずらされたいくつかの岩がエルヴァンの背後にある貴族家を粉砕した。
二人は王都の空を飛び、徒に戦禍を広げていく。夜空でぶつかり合う強大な魔力に幾つもの家屋が吹き飛び、人々が逃げ惑う。
カルラの魔法がエルヴァンを撃ち、エルヴァンの魔力がカルラを撃つ。だがこの応酬で無傷などあり得ない。エルヴァンはともかく体力値の低いカルラでは、一撃でも食らえば瀕死となるはずだ。
「アハ……」
それでもカルラは倒れない。黒い茨を解いた白い顔の口元から血を吐きながら、真正面からぶつかり合っていた。
魔術戦では魔力の多いほうが勝ち、同じ魔力値なら技量の高い者が勝つ。
それでも、【魂の茨】の無限の魔力を以てしても人間の魂の出力は決まっており、悪魔の魔力とカルラの技量で二人は一見互角に見えるが、それでも脆弱なカルラのほうが不利なはずだった。
ならば、どうしてカルラは正面から戦うのか?
逃げ惑う人々はその光景に怖れ、絶望しながらも、〝王太子エルヴァンと茨の魔女〟の戦いを見つめていた。なぜ、異形が王太子に見えているのか、その認識を変えることができずに混乱する。
だが、ぶつかり合う中でその認識は徐々に崩れようとしていた。
カルラの魔法がエルヴァンだった身体を壊し、最後に残ったひび割れたエルヴァンの〝貌〟が剥がれ落ちた瞬間、人々は夢から覚めたように目を見開いた。
「……ぁ……悪魔だぁあああああああああああああ!!」
【無貌の悪魔】【種族:上級悪魔】【難易度ランク6】
【魔力値:3420/4185】
【総合戦闘力:3838/4603】300down
人々は初めて見る上級悪魔に恐怖が振り切れ、そこが崩れかけた家屋であろうと炎の中であろうと構わず逃げ出して被害を広げ、カルラがその光景に薄く嗤う。
カルラの目的は国民に罪悪感を抱かせること。そのために姿を隠さず戦う姿を見せつけた。一度でもこの戦いでカルラを悪だと思った者はもう二度と疑えない。
これで聖教会も、カルラを正妃から外そうとする勢力も、誰も手出しをできなくなる。すれば罪悪感を持った国民が敵となるからだ。
『……オノレ!』
人間を欺き人間に招かれる――その簡易契約によって力を増していたその悪魔は、人間に正体を曝かれたことで力を落とした。
それでも悪魔は退くことはできなかった。一度は退き、殺すと誓った人間に二度も退くことは存在自体が弱体化しかねないからだ。
無貌の悪魔が顔を歪めて新たな〝貌〟を創ろうとする。
魔術戦では力の多いほうが勝ち、同じ魔力値なら技量の高い者が勝つ……だが、その前提はたった今崩れた。
夜空に浮かぶ月を黒雲が覆い尽くし、天に渦巻く雲を背にカルラが無貌の悪魔に指先を向けた。
【カルラ・レスター(伯爵令嬢)】【種族:人族♀】【ランク5】
【魔力値:218/630】40Up【体力値:3/48】4down
【筋力:7(9)】【耐久:3(4)】【敏捷:14(18)】【器用:10】【体術Lv.3】
【光魔術Lv.4】【闇魔術Lv.4】【水魔術Lv.5】1Up【火魔術Lv.5】
【風魔術Lv.5】1Up【土魔術Lv.5】1Up【無属性魔法Lv.5】
【生活魔法×6】【魔力制御Lv.5】【威圧Lv.5】【探知Lv.2】
【異常耐性Lv.2】【毒耐性Lv.3】
【簡易鑑定】
【総合戦闘力:1827(特殊戦闘力:5239)】116Up
【加護:魂の茨 Exchange/Life Time】
「――【雷の嵐】――」
『――――――――――――!?』
今度こそ全力で放つ稲妻が天より雨の如く降りそそぎ、周辺の街並ごと撃ち抜かれた無貌の悪魔が叫びをあげた。
『――ガァアアアアアアアアアア!!』
だがそれでも滅びることなく帯電する空から逃げ出した無貌の悪魔が、ある方向へと逃走する。
「どこへ行くのかしら」
カルラがその背に向けて再び指先を向ける。だがカルラはその方角にある物を目にして、その思惑に気付きながらも静かに手を下ろした。
その〝虫けら〟を焼くことに躊躇はない。それでもカルラはその役目が自分ではないと考え、口から血を零しながら愉しげに笑う。
「……あなたのために残してあげるわ。ふふ」
カルラは自分が認めたただ一人の少女へそう呟くと、静かに背を向けた。
王国を苦しめる手は多いほうがいい。
いつか、少女と殺し合う最高の舞台を創るために――
「そのほうが愉しめるでしょ?」
***
『――――』
無貌の悪魔は誓いに背いたことで弱体化していた。だが、無貌の悪魔が向かうその場所にはそれを覆す最後の手段が残っていた。
悪魔の疑似契約者ナサニタル――ダンジョンの精霊に仲介されたその人間は、契約者であっても主人ではない。ただその魂のすべてを毟り取るために、その願いに沿って行動をしていただけだ。
すでに三体の上級悪魔から血も寿命も希望も夢も削り取られて、わずかな命と魂だけを残して神殿で横たわるだけの存在でも、それを食らえば悪魔の力は戻るはずだ。
だが、無貌の悪魔はその建築中の神殿の前で、ここには居ないはずの者たちを見た。
「構えぇええええええ!!」
鎧を纏った王弟アモルが高らかに声をあげ、アモルの派閥である第二騎士団の精鋭たちが対悪魔装備の槍を構えた。
その二つ隣には蒼白い顔をした覇気のないエルヴァンが顔を歪め、その二人に挟まれるように微笑んでいた〝聖女〟は、持ち上げた手を振り下ろした。
「悪魔に神の裁きを!」
その声と共に、彼女の前を固めていた神官たちから攻撃魔術が放たれ、一瞬硬直したように動きを止めた無貌の悪魔を撃ち抜き、次の瞬間、騎士たちの光の魔石を使った槍に貫かれた。
年を経た個体である無貌の悪魔は、今は勝てずとも百人程度の人間に負けるつもりはなかった。
だがそのために動くはずの身体が硬直し、そこに視線を向けた無貌の悪魔は、聖女と呼ばれる少女の後ろに控えた〝白い髪のメイド〟がニタリと嗤うのを見て、これが罠だと知った。
『――キサマ――』
その瞬間、再び放たれた攻撃魔術が無貌の悪魔を貫く。
悪魔は同族であろうと仲間ではない。自分以外の存在はすべて〝餌〟であり、新たな契約者を得たその悪魔は、ナサニタルの魂を独り占めにするために、そして無貌の悪魔を餌とするために協定を裏切った。
――カカッ――
無貌の悪魔は最期に自嘲するかのように嗤い、黒い塵となって消滅した。
それを確認したアモルが二人を振り返ると、静かに頷いた聖女リシアが青い顔をしたままのエルヴァンの手を引き、皆の前に踏み出した。
「悪魔は滅びました! エルヴァン様に勝利の祝福を!」
その言葉に神官たちと騎士団から歓声があがり、聖女と王太子を讃える声が夜の王都に木霊する。
「さぁ、エル様、皆に応えてください。次の〝王〟として」
「……あ、ああ」
エルヴァンはリシアの言葉に頷き、引き攣った笑顔で手をあげて応えた。
いつからこうなったのか?
何を間違ったのか?
自分が求めていたものは、こんな光景だったのか?
何もできないまま流され、成長もできないままの自分を熱狂的に支持するこの者たちは、何を求めているのか?
そんな思いに囚われたエルヴァンの頭に過ぎった者は、癒しと救いを求めて手を取った目の前の少女ではなく、ずっと自分を悲しげに見ていた赤い髪の少女だった。
我ながら異様な感じになりました。
なんか足りない感じもするので補足。
無貌の悪魔の思考誘導は、夢魔も関わることで範囲が増大しています。そのせいで城の時より混乱が大きくなりました。
次回、そろそろエルヴァンとクララの話でも……





