220 貌のない夜 その2
かなりややこしい感じになりました!
『キャアアアアアアアアアアアアアアアッ!!』
カルラの放った火炎槍が王太子エルヴァンを貫くのを見て、周囲にいた者たちが悲鳴をあげる。その悲鳴で何が起きたのかを理解した者たちが混乱し、さらなる騒ぎになりかけたとき、それを止めた者がいた。
「みんな、落ち着くんだ!」
混乱して騒ぎ立てる中でその声はやけにはっきりと耳に届き、振り返り見たその人物に誰もが声をあげた。
『王太子殿下!』
皆を止めたのは死んだと思われていたエルヴァンだった。【火炎槍】は火魔術のレベル3で、熟練者が放てば人間など一瞬で黒焦げにする威力がある。だがエルヴァンは焼け焦げた胸元を腕で押さえただけで、苦しげな顔をしながらも意識を保ったまま、震える手をカルラに伸ばした。
「どうしてこんな事をするんだ、カルラ……。私たちは婚約者ではないのか?」
その言葉に対してカルラは浮かべていた笑みをさらに深くして、伸ばされたエルヴァンの手にさらに手を差し伸べた瞬間、カルラの魔力と威圧感を察して屋敷内にいた神殿騎士が会場に飛び込んできた。
「どうなされた!」
「これはっ!?」
神殿騎士たちはエルヴァンに駆け寄ると【高回復】を使い、負傷したエルヴァンを庇うように前に立つ。
「カルラ様が乱心なさったわ!」
そこにサンドーラ伯爵令嬢が声をあげると、神殿騎士たちはそれだけで納得して迷うことなくカルラに槍を向けた。
「やはり、本当だったのか!」
神殿騎士たちは数週間前より神のお告げと思われる〝夢〟を見るようになっていた。夢に現れた白い女性は、悪魔に魅入られた少女が王族を狙うと告げ、最初は訝しんだ彼らだったが、聖女と交流のあった事で彼女にその意味を問い、聖女を信じることで、その〝お告げ〟を神の声だと徐々に信じるようになっていった。
それはサンドーラ伯爵令嬢を含めたここに居る若者たちも同じだった。学園で彼女たちのような者にまで声を掛けてくれた『聡明で寛大な王太子殿下』と何度となく語らい、彼のことを誰よりも信頼するようになった。
それこそ〝夢〟に見るほどに彼を信奉し、聖教会の信徒である家族と同様に、その言動に一切の疑いを持つことはなかった。
憧れの人物が、憧れの〝姿〟のままで現れ、それを〝夢〟で見ることで信じ、聖女に肯定されることで、彼らにとってそれが〝真実〟になったのだ。
「カルラ……残念だよ。君が悪魔に魅入られているなんて」
すでに傷ひとつなく癒やされたエルヴァンが腰に下げた剣を抜き放つ。
その骨で出来たような魔剣の禍々しさに神殿騎士たちが一瞬息を呑むが、〝彼〟のすることなら間違いはないはずだと、エルヴァンの盾になるように前に出た。
「皆の者、カルラを捕らえよ! 油断をするな!」
「「「はっ!」」」
屋敷はすでに〝お告げ〟を信じた神官騎士たちによって包囲されており、内部で何かが起きたと気づいた騎士の一部が屋敷に突入する。そして彼らもエルヴァンが剣を向けるカルラを〝お告げ〟の敵だと認め、彼女の周囲を取り囲んだ。
「かかれっ!!」
エルヴァンの号令で神殿騎士たちがカルラに向けて槍を振るう。
神殿騎士は神の敵である存在を滅ぼすことを使命としている。夢のお告げであった悪魔に魅入られた人物が王太子の婚約者であっても、手心を加えることはなかった。
神殿騎士である彼らは洗脳されたわけでもない、意思のある普通の人間だ。
ある日突然『聖女』として護るように言われた少女は、神殿の者たちも最初は疑いの目で見ていたが、彼女を一目見ると疑っていた気持ちがなくなり、今では本物の聖女として信じていた。
王太子エルヴァンも。王女殿下に比べて良い噂は聞かなかったが、実際に会ってみれば、国民が〝理想〟としていたような聡明な王子だった。
聖女としての〝魅力〟と、王族としての〝理想〟。そして〝夢〟のお告げによって、彼らは自分の意思でそれを信じたのだ。
だからまともな人間である彼らは、相手が悪魔に魅入られた者でも未成年の少女を殺すことに躊躇はしたはずだ。少なくとも顔を顰めるくらいはするだろう。
だが、カルラを見た瞬間、エルヴァンの姿を見て声を聴いた瞬間、すべてが肯定された高揚感が高まり、まだ成人前の少女であるカルラに向けて、殺すことが当然のように本気で槍を振るっていた。
相手が普通の人間ならそれで終わっていただろう。神殿騎士たちもそう思っていた。
貴族であれ平民であれ、この国で生きる者なら、国家という枠組みに逆らう意味がないことを知っている。抵抗すれば待っているのは破滅だけだ。たとえ悪魔に魅入られていようと、人間なら国家ごと敵対するような狂人でないかぎり、無駄な抵抗をすることはないと、常識的に考えた。
「――【酸の雲】――」
「……ぐああああああああああああああああっ!」
その瞬間、カルラの周囲に霧が渦巻き、それに突っ込んでいった数名の騎士が全身を酸に焼かれて、異様な臭気を発しながら崩れ落ちる。
「ぎゃあ!?」
まだ息があった騎士の喉をヒールで踏み潰し、人を殺したとは思えないとぼけた顔で首を傾げたカルラは、呟くように小さく声を漏らした。
「……思考誘導かしら?」
静かに考察するカルラに彼女を取り囲んでいた者たちが息を呑む。
「なんてことを!」
「ついに正体を現したな魔女め!」
サンドーラ伯爵令嬢たちもカルラへの嫌悪を顕わにして、攻撃魔術を唱え始めた。
あくまで彼らは自分の意思で行動している。
だが、これまでの様々な要因が心の奥へ毒のように染み込み、人を殺したことがない学生である貴族たちも、カルラのことを殺したいと思うほどの感情に動かされた。
カルラを取り囲むすべての人間からカルラへの恐怖が麻痺したように消え去り、殺意のみがその場を満たす。
「カルラ……もう抵抗は止めるんだ。私のことはもう愛してはいないのか?」
最後にエルヴァンが悲しそうな〝貌〟でカルラに語りかけた。
その悲痛な声と姿は、周囲の人にも彼の悲しみを悟らせた。その声を聴けば抵抗する意思さえ摘み取られ、彼に抵抗する事への罪悪感に苛まれることになるだろう。
そしてカルラも――
「エル様のことは愛しておりますわ」
この殺意の中で微かに笑みを浮かべながら、カルラがエルヴァンにそう返した。
カルラは改心したのだろうか? 貴族女性として、王太子の婚約者として当然の言葉は、ある意味誰もが理想としていた言葉だった。
だがカルラの朗らかな――寒気のするような笑みに空気が凍りつく。
「兄様のことも父様のことも愛しておりますわ。だから、兄様は最初に殺したの」
一瞬、時が止まったような静寂の中、クスクスと笑うカルラが踊るように、その場で腕を広げてクルリと回る。
「三歳の私を、魔術の実験にして捨てたお父様……。捨てられた五歳の私を魔術の的にしようとしたお兄様……。あんな魔術で粋がるお兄様が、あまりにも可哀想で、あまりにも愛らしくて、つい殺してしまったわ」
その時のことを思い出したのか、カルラは蕩けるような顔をして頬を手で押さえる。
「初めて会ったエル様は可愛らしかったわ……こんなお花畑にいるような子が王太子だなんて、可哀想で愛らしくて……」
カルラは硬直する人々をゆっくりと見回し、最後にエルヴァンに目を向ける。
「はらわたまで愛して、穢してあげようと思ったの」
その瞳のあまりの昏さに、誰かが恐怖を振り払うように声を張り上げた。
「――殺せぇえええええええ!!」
神殿騎士たちが恐怖を振り払うように心臓を狙って槍を振るう。それと同時に貴族たちが火や風の魔術を撃ち放った。
「――【稲妻】――」
カルラの稲妻が先頭を走る騎士を撃ち抜き、貫通した膨大な魔力が低級魔術を弾きながら、貴族の少年少女たちを襲う。
バチッ!!
「……殿下!」
だがそれを止めたのは、魔剣を構えたエルヴァンだった。彼らの理想とする王太子の姿に貴族や神殿騎士たちが声をあげると、彼は真剣な顔つきでカルラに剣を向けた。
「民をやらせはしない。カルラ……私が相手だ!」
「ふふ」
カルラは嘲るように口元だけを笑みに変えて両手に魔力を溜める。
「――【火球】――」
放たれた火球が真っ直ぐにエルヴァンを襲う。
「はぁああああ!!」
それに合わせたエルヴァンが魔剣で斬り込み、二つに斬り裂かれた火球が両側の壁を爆砕した。
悲鳴が響き、巻き込まれた貴族の少年が炎に包まれる中で、炎の余波を魔剣で切り飛ばしたエルヴァンが目にも留まらぬ速さで斬りつけると、カルラはふわり浮いて壊れた壁から庭に飛び出した。
「追えっ!!」
エルヴァンが叫ぶと、自己治療をした神殿騎士たちが外に出る。だが、貴族の少年少女たちはカルラの恐ろしさをあらためて目にして、恐怖を思い出したように互いに顔を見合わせた。
「大丈夫だ! 君たちは私が護る!」
「……は、はい!」
エルヴァンの声を聴いた貴族たちが、一瞬〝夢〟でも見たように呆けた顔をすると、次の瞬間には恐怖を忘れたように騎士を追って外に出る。
外では屋敷を包囲していた神殿騎士とカルラの戦闘が始まっていた。彼らに向けてカルラが火球を放つと、そこにエルヴァンが飛び出した。
「させるかぁ!!」
魔剣が火球を切り飛ばすと、宙に浮かんだカルラがニコリと笑って、手品のように両手に幾つもの火球を生み出した。
「これならどう?」
そう言ったカルラが火球を放るのではなくばら撒いた。一発の威力は単独で放ったほどではないのだろうが、それでも直撃すれば人間など鎧ごと焼失する。
「はあっ!!」
だがそれも、再び目にも留まらぬ速さで動き出したエルヴァンが魔剣で切り飛ばす。切り飛ばした火球の一部が屋敷の外壁を爆砕し、数名の騎士を巻き込む中で、エルヴァンの斬撃がついにカルラを掠めた。
カルラは斬り裂かれたスカートから覗く白い脚に付いた傷を魔術で癒やすと、指先に付いた自分の血を舌で舐め取った。
「随分と人間離れしたことをなさるのね」
カルラの知る限り、そんなことが出来るのはあの〝少女〟だけだ。あの少女も人間であり、同じ人間であるエルヴァンに出来ないこともないだろう。
だが、あの少女が強敵と渡り合って、命懸けで身に付けた力をわずか数ヶ月で身に付けるのは、正に〝人間離れ〟としか言いようがなかった。
そうしているうちに戦闘音と燃えさかる炎に気づいて、周辺の貴族家から人が現れ始め、それに気づいたエルヴァンが声を張り上げた。
「皆の者! 私はエルヴァンだ! 悪魔の手先であるレスター伯爵令嬢を討伐する。正義ある者は剣を取れっ!」
彼の名が効いたのか、数秒もすると周辺の屋敷から貴族の私兵が飛び出してきた。
純粋に王太子の呼びかけに義を感じて参戦した者。他家の手前、仕方なく兵を出した者。王太子に恩を売るべく打算で動いた者など理由はあるが、その結果として〝彼〟の言葉を信じた五十名近い兵士と魔術師がカルラ討伐に乗り出した。
カルラとしても王国で生きる貴族である以上、討伐対象となる犯罪者となることは避けたいはずだ。狂気はあっても計算高くなければ、カルラはすでにこの世にはいなかったのだから。
だが、カルラの顔に浮かんでいたのは、最初から変わらない蔑むような冷たい笑みだけだった。
「よい具合に観客が集まったわ」
宙に浮かぶカルラに向けて、無数の矢と攻撃魔術が放たれた。雨のように降りそそぐ攻撃にカルラはレベル4の風魔術【嵐】を使い、それを避ける。
だがその状態ではカルラは動けない。そこにエルヴァンが魔剣にさらに魔力を溜めて宙に飛ぶと同時に、全魔力を解放して振り下ろした。
「消え失せろ!!」
エルヴァンが雄叫びと共に剣より真っ赤な光が溢れ出す。
その姿は、光の色や剣の違いはあっても、乙女ゲームの周回プレイのみで見ることができる、最大限まで強化されたエルヴァンと酷似していた。
「うおおおおおおおおおおおおおおおおっ!!」
エルヴァンが放つ光剣とカルラの【嵐】がぶつかり合い、激しい魔力の火花を散らす。その間も周囲から攻撃魔術がカルラに放たれ、【嵐】の魔力を削り取り、ついに均衡が破れてカルラを屋敷まで吹き飛ばし、光剣の一撃が屋敷ごと粉砕した。
激しい破壊音と吹き荒れる魔力の余波が静まると、静寂の中で瓦礫の上に立つエルヴァンが魔剣を掲げる姿に、周囲から歓声が湧き上がった。
「さすがは王太子殿下です!」
そこに真っ先に駆けつけた貴族たちの中からサンドーラ伯爵令嬢が声を掛けると、エルヴァンはわずかに目を伏せて彼女に頭を下げた。
「あれを倒すためとはいえ、其方の屋敷を壊してしまった」
「何を仰るのです! 殿下のその雄姿を目にすれば、お父様も笑って許してくださいますわ!」
彼女の言葉にエルヴァンもニコリと笑い、ほぼ魔力を失った骨の魔剣を瓦礫に突き立てた。それを見て若い貴族である少年少女たちも瓦礫の山に登り、まだ夢から覚めないような異様な目つきで、瓦礫を蹴りつけた。
「魔女め、いいざまだ!」
「神はやはり見てくださっていたのですわ!」
「殿下の成長されたお力には、敵わなかったようだな!」
「やはり、次の王は勇者エルヴァン様だ!」
そう言って彼らはカルラの埋まった瓦礫を蹴り、エルヴァンを勇者と褒め称えた。目の前で起きた光景に高揚し、その熱狂が周囲にまで広がろうとしたその時――
『――本当にエル様が成長したのなら、可愛がってあげるのに――』
「――――!?」
ドンッ!!
地震の如き地響きを立て、瓦礫より天へと立ち上る巨大な稲妻がエルヴァンを襲い、まるで作り物のようにひび割れたエルヴァンを無数の黒い茨が貫いた。
その余波を受け、その場にいた学生の貴族たちが細胞から灼かれて消滅する。
「――っ!」
サンドーラ伯爵令嬢が消滅していく痛みの中で最期に思う。
あれは何か? 自分たちが王太子だと信じていたモノから、表皮が剥がれ落ちて姿を顕した〝異貌の悪魔〟はなんなのか?
その悪魔を茨で貫く瓦礫から姿を見せた、全身に黒い茨を纏う黒髪の少女の揶揄るような〝声〟に、彼女は最初から間違っていたことに気づいた。
「本物のエル様は、私に笑いかけたりしないのよ」
次回、悪魔戦決着……するといいなぁ。
宣伝
第二巻の予約が始まりました! 特典にカルラがカルラになった幼少期のお話も追加しています。
わかさこばと先生のコミカライズも8月30日より開始!
詳しくは『活動報告』か『Twitter』をご覧ください。
二巻の表紙とコミカライズの絵を公開しています。
ご感想、誤字報告、ブックマークもありがとうございます。





