213 悪魔の住む町 その1
今回は連続ものの導入部となります。
王宮が正体不明の魔物に襲われてから一ヶ月が経った。
多数の騎士と魔術師が再起不能となり、筆頭宮廷魔術師が重傷を負うほどの強大な魔物だったが、彼らの活躍によって魔物は退けられた。……と公式ではそうなっている。
多数の死者を出すほどの被害があり、城の外からでも分かるほどの強力な魔術が使われた。黙っていればそれだけ悪い噂ばかりが広がるので、民の不安を払拭するためにもそんな誇張された内容が公表されたのだ。
城でもその日から数日は厳戒態勢が取られていたが、王都の聖教会より神官騎士が派遣されたことで今は落ち着きを取り戻している。それというのも、この一ヶ月間、新たな襲撃がなかったからだ。
現れた上級悪魔の狙いは分からない。だが悪魔の誤算は、悪魔に対抗できるカルラの存在があったことだ。
だからこそ、カルラが多数の騎士や魔術師を巻き込むように殺しても不問にされた。
実際に意図的に巻き込まれた筆頭宮廷魔術師は、炎に全身を焼かれ、失った片腕は瘴気の影響か再生できるかも分からないほどの重傷を負い、数ヶ月の絶対安静を強いられている。
「どうして、カルラはそれに大人しくしたがっているのでしょう?」
学園から王宮に呼び戻されたエレーナがそんな疑問を呟くと、護衛騎士のロークウェルが静かに頷いた。
「言い方は悪いですが、彼女が王家の意向に従うとも思えません。それでも立場がありますので、承諾した振りをしているのでは?」
確かに、表面上だけ頷いておいて好きに動くことは充分にあり得る。でも私は、カルラの思惑が理解できた。
「たぶん……待っているから」
ぼそりと呟いた私の言葉にその場にいた全員が私を見ると、それだけでなんとなく理解できた顔をした。
カルラは悪魔を待っている。あのカルラが自分の〝獲物〟を見逃すとは思えない。おそらく、あのカルラでも悪魔を倒しきれなかった。
だからカルラは、悪魔が自分を襲いに来るのを待っている。今度こそ確実に滅ぼすために。それを城で待つ理由は、おそらく城で治療をしている父親への嫌がらせだと思うけど、それは私の想像なので話すのは止めておく。
そのカルラが城にいるせいか悪魔はあれ以来現れていない。悪魔に恐れのような感情があるとは思えないので、たぶん、悪魔もカルラを確実に殺せる機会を窺っているのだろう。
今まで私のような冒険者の報告ということで、悪魔対策は装備を調えて警戒だけに留められたが、実際の被害が出たことで本格的な対策が講じられた。
エレーナや宰相の考えでは、あのレベルの悪魔が私たちのいる世界に自然発生する確率は低く、偶然現れてもあそこまでの力はない。つまりは、あれを召喚して操っている存在がいる。一般の騎士や魔術師では上級悪魔に敵わなくても、操っているのが人間ならそれを捕らえるか討伐すればいい。
そう考えれば自ずと犯人の目的が見えてくる。
「最初に襲われたのがクララでした。初めは王家とそれに関わる者が狙われたと考え、貴族派による犯行かと思いましたが、それではあまりに短絡的すぎます」
エレーナが説明を始めると皆が静かに頷く。
今までもエレーナの誘拐など短絡的とも思える行動をしてきた貴族派だが、彼らの目的は外国との取引で得られる利益であり、王家そのものを排して国力を削ぐことではない。国家そのものが弱くなりすぎれば、外国との折衝で不利になるからだ。
それなら、王族とそれに連なるものを殺して得をするのは誰か?
周辺国もそこまで愚かではないだろう。コンド鉱山の利権問題などでぶつかることはあっても、クレイデール王国が衰弱すれば、北のカンハール王国や今は友好国であるカルファーン帝国もこの地域に手を伸ばしてくるはずだ。
その大国が裏にいる可能性もあるが、そこまで考えるとすべてを疑うしかなくなる。
それ以前の問題で、上級悪魔を召喚して使役できるのなら、他にもやれる事があるはずだ。わざわざ暗殺という粗雑な手段を使わなくても、地方の上層部を操るとか、国力を落とす手段は幾らでもある。
だからエレーナは、最初にクララを襲ったことに意味があると考えた。
それは、クララを排して『王太子妃をすげ替える』という、子ども染みた本当に短絡的な犯行だった。
でも、現状で公爵家に王太子に見合う年回りの良い令嬢はいない。同じ上級貴族である侯爵家や伯爵家ならいるかもしれないが、今の王太子を見て、エレーナにその座が脅かされている状況で、そんな事を考える上級貴族家はないとエレーナは言った。
「だから、子ども染みた、ではなく?」
「そう。子どもの犯行である可能性があるわ」
私が訊ねた言葉をエレーナが肯定するように頷いた。
常識で考えると、上級悪魔の召喚など一般の魔術師程度にできるはずがなく、ランク6以上の魔導士でなければ、召喚できたとしてもそのまま取り殺されてしまう。
だから、国王陛下を含め、宰相や総騎士団長のような常識的な大人は、その可能性に辿り着くことができなかった。私やカルラのような非常識な子どもの戦いを見てきた、子どものエレーナだけが気づいた。
悪魔の短絡的な行動も、制御がされてないような言動もそのためだと。
だが、現実的な問題として、子どもに上級悪魔を召喚できるのか?
カルラなら技術的に可能かもしれないが、それだけはない。あれは悪魔を召喚することに手間と時間を掛けるくらいなら、自分の手で殺すために強くなることを選ぶ。
常識的に考えれば子どもにそんな事は出来ない。でも私たちにはそれを可能とするものを知っている。
「……ダンジョン」
ダンジョンから稀に取れる、現実では製作方法すら分からないアイテム類。高位魔術や猛毒を仕込んだ〝玉〟や、魔剣などもダンジョンで手に入る。
そしてダンジョンの精霊から与えられる【加護】は、寿命や生命力を対価として特殊な能力を使うことができる。あんな悪魔のような存在を召喚して使役できるほどの能力なら、並大抵の対価では済まないと思うけど……。
悪魔を使役している人間は、子ども、もしくは大人になりきれない幼稚な人間。
王太子の婚約者が変わることを望んでいるのなら、何も考えていない貴族令嬢か、それに付き従う人。
大きなダンジョンの下層に潜れる人か、ダンジョンのアイテムを購入できる財力がある人物。
「そう推測すると、皆もある程度の察しはついていると思うけど」
説明を終えたエレーナの後を引き継いで、情報を持ってきたミハイルが続けた。
「この推測がされる前から、貴族派を含めて怪しいことが起きていないか、暗部を使って調べさせていた。悪魔が関わっているのなら、大量の行方不明や、魔物やアンデッドの大量発生などの噂を集めていたが、殿下の推測からある程度絞り込めた」
ミハイルはテーブルに王都周辺の地図を広げて、その中の一つの地域を指し示す。
「この辺りは中央に近くても利便が悪く、辺鄙な場所だと知られている。それでも旧クレイデール王国時代の王家が、貴族に褒美として屋敷を与えた場所で、今でもいくつかの貴族が屋敷を保有している」
羽根ペンに赤いインクで村らしきものにバツ印をつけ、一カ所を丸で囲む。
「バツをつけた村で行方不明になった者がいる。魔物などに襲われて居なくなる場合もあるが、十人は多すぎだ。そこで暗部を送り込んでみたところ――」
ミハイルは眉間に皺を寄せながら、丸をつけた地点を睨み付けた。
「……五人送り込み、誰も戻ってこなかった。そしてこの場所は聖教会神殿長であるオストール法衣男爵所有の屋敷だ」
***
「ネロっ!」
森に入り、駆けだした私がその名を呼ぶと、巨大な肉食獣の影が音もなく寄り添うように私と併走する。
「北西だ」
――了――
私の短い言葉にネロが応え、飛び乗る私を背に乗せたネロが私の倍以上の速さで森を走り出した。
暗部の密偵が戻らない場所。そこに悪魔がいる可能性は分からないが、エレーナはその持ち主から、そこが怪しいと考えた。
行くのは私とネロの二人だけだ。ランク4未満は被害を増やすだけなので連れていくつもりはない。私が一人で調査に向かうことに、エレーナには口に出さなくても視線で心配されたが、元々戦力を分けることを考えた時から、私が単独で動くことは決まっていたので予定通りの行動となる。
カルラが城にいる今なら、私がエレーナから離れても大きな問題はない。それでも、ヴィーロとジェーシャも置いてきたのは、カルラと悪魔の戦いにエレーナが巻き込まれたときの保険だ。
その場所に悪魔が本当にいるとしたら、悪魔の罠に飛び込むようなものだが、私もそれなりに準備はしてきた。
ゲルフに製作してもらっていた、黒竜の飛膜を使った装備が完成していた。
形状は以前と一緒で薄いから衝撃を緩和する機能は低いけど、低ランクが放つ矢が貫通できず、火矢程度なら焦げ跡も付かないほどの耐魔性能と防御力がある。
一番の驚きは、再生力と着心地だ。
貫通痕でもその日のうちに塞がり、伸縮性が良く動きを邪魔しないだけでなく、スカートが私の意思を読み取るようにひらめいて、脚に絡まることはない。
手甲とブーツも黒竜の飛膜で補強し、竜の鱗を仕込んで強度を増している。その手甲に仕込んでいる小型のクロスボウも、弦の部分を竜の髭に置き換えたので、少しだが飛距離と威力は増していた。
今回はその矢にも工夫がしてある。鋼の短矢を百本用意して、その先端にほんの少しだけどミスリルを使用した。本来、アンデッドなどに矢は効かないが、この矢なら低級アンデッドなら一撃で倒せるはずだ。
これだけ装備を調えても上級悪魔に勝てるかどうか分からない。それでも私は悪魔を逃がすつもりはない。
『ガァアア』
「了解」
ネロと走り出して半日ほど経ったところで、ネロと私の【探知】が、近づいてくる何者かの気配を捉えた。
二人……? 最初は三人かと思ったけど、生きている気配は二人だけだ。
逃げている人間らしき二人を追っている、生命力がない存在。
森の向こうから枝が折れる音がして、ローブ姿と革鎧の二人組の少女が現れた。
革鎧を着た少女がネロの姿に引き攣った顔をしたが、彼女に手を引かれたローブ姿の少女はその背に居る私に気づいて大きく声を張り上げた。
「――助けて!」
『……ブォ……』
少女たちのすぐあとに身長二メートルを超える巨体が姿を見せた。
オーク……それもアンデッド化している。冒険者が他の冒険者の獲物を奪うのは御法度だが、助けを求められた場合は出来る限り手を貸すことが推奨されている。
「〝救援要請〟承諾した」
ネロの肩を叩くと同時に、意を汲んだ黒い巨体が大地を抉るように急制動をかけて、背にいた私を前に飛ばす。
外套を脱ぎ捨てながら、驚愕を顔に張り付けた二人の頭上を飛び越え、新たな獲物に気づいて棍棒を振り上げるオークに私も腰から黒いナイフとダガーを抜き放つ。
「――【兇刃の舞】――っ!」
『――――ッ』
突進力を込めた左右から放つ八連撃が、腐りかけたオークを肉塊にして吹き飛ばす。
「……何があった?」
その腐肉を浴びないように位置を変えて着地した私がそう訊ねると、革鎧の少女は唖然とした顔で私を見つめていたが、助けを求めたローブ姿の少女は、混乱した顔のまま口を開いた。
「……わ、私たちの町が、おかしくなっているんですっ」
辺鄙な町に起きた異変とは?
一般冒険者とアリアを絡ませたかったのです。
次回、その2 町の異変
 





