209 迫る悪意
「――どうか、皆様のお力を貸してください。この国は病んでいます。今は争うばかりではなく隣人と手を取り合うことが大事なのです。今この国を救えるのは王太子殿下しかおりません。心清き皆様が正しい決断をしてくださることを願っています……」
神殿に集まった信心深い貴族たちの前で、一人の少女が〝説法〟を行っていた。
だが、説法とは名ばかりでその内容は稚拙な……幼稚とも思える理想論だったが、それに多くの貴族が集まったのは、その少女が『聖女』であったからだ。
「…………」
子爵令嬢アーリシア・メルシスではなく、『聖女リシア』として人々に話を聞いてもらいたい。そんな彼女の願いを聞いたナサニタルは、舞台袖の暗がりからその様子を見つめていた。
ナサニタルは思う。リシアこそ本当の聖女であると。
信心深く育った彼は、聖教会が唱える神の教えこそ、この世の真実であると疑いもしなかった。だが、その絶対であった価値観は、王女の護衛である桃色髪の少女によって打ち砕かれた。
だが、その傷ついた心を救ってくれたのがリシアだった。これまでの価値観が、教会という狭い世界での考えでしかないことを悩んでいたナサニタルに、彼女はその考えが間違ってはいない、綺麗なナサニタルの心を理解できない世界のほうが歪んでいるのだと、ナサニタルのすべてを肯定してくれた。
それは……甘い〝毒〟のようにナサニタルの心を侵食し、まるで幼子に戻ったかのようにリシアに傾倒していった。人間として成長する機会を失い、ただ甘えるだけになったナサニタルの求めをリシアはすべて受け止めてくれた。
こんなことは良くない……ナサニタルは悩みもした。王太子も王弟もリシアに傾倒している。そして、おそらくはリシアもナサニタルと同様に彼らのことを憎からず想っているはずだ。
そうなればリシアが王太子妃になる可能性もあるはずだ。そんな彼女と、聖教会の教えにも反するこんな関係を続けることは良くないことだった。
だが、ダンジョンの攻略後、リシアが申告した『聖女としての資格』を得たことで、優しい彼女は、聖女の慈愛によってナサニタルを受け入れてくれたのだと自分を納得させ、さらに溺れていった。
実際にリシアに会えば、それまで感じていた不安や疑念が消えて、彼女への愛しさだけがナサニタルを満たした。
顔を見れば不安がなくなり、心地よさだけで包んでくれるリシアを、いつしかナサニタルは女神のように崇め始めていた。
それがおそらくは『聖女』の慈愛なのだろう。その証拠に会うまでは王太子の協力者としてしか見ていなかった祖父も、実際にリシアに会ってからは彼女を聖女として認めていた。
(……素晴らしいよ、リシア)
そして、神殿に集まった王都の貴族たちも、初めは信仰心から集まってくれただけだったが、リシアの姿を見て、その声を聞いたことで懐疑的だった視線はなくなり、今は熱に浮かされたように熱い視線をリシアに向けていた。
リシアはこの国にとって必要な存在だ。彼女が王太子妃になり、いずれ王妃となることで、この王国は神の慈愛に満ちた素晴らしい国になるだろう。
だが、そのためには邪魔になる者たちがいた。
次の正妃候補であるエルヴァンの筆頭婚約者、クララ・ダンドール。
エルヴァンの側近であった大貴族を新たに側近に迎え、エルヴァンから王太子の座を奪おうとする、第一王女エレーナ・クレイデール。
だが一番の問題は、その王女を護る男爵令嬢、アリア・レイトーンと、危険人物であるカルラ・レスターの存在だった。
最低でもこの二人を排除することができれば、リシアが王太子妃になる最大の障害は無くなる。
(……っ)
今でもカルラのことを思い出すたびに顔が痛む。カルラの炎に焼かれた傷は、表面こそ治癒していたが表情が上手く作れず、信者の子どもを怯えさせることもあった。
(許さない……)
自分に恐怖を刻み込んだあの少女二人を、ナサニタルは絶対に許せなかった。
アリア・レイトーンが与えた屈辱と恐怖は、ナサニタルの心を壊した。
カルラ・レスターが与えた苦痛と恐怖は、ナサニタルの精神を追い込んだ。
本来なら彼女たちに刃向かおうなど考えもしなかっただろう。だが、その心の痛みはすべてリシアが取り除いてくれた。
「……分かっているな、お前たち」
ナサニタルの呟いた声に、彼の背後から三つの黒い影が浮かび上がる。
ダンジョンの最奥に辿り着いたナサニタルは、聖女となるリシアの横に立つための力を求めた。
彼の実力は光魔術がレベル2相当で、学生としては優れていても聖女に並び立つものではなかった。その願いを聞いたダンジョンの精霊は、聖人と同等の力を与えることはできなくても、それに近いことは叶えてくれると約束した。
だが、与えられたその【加護】は、ナサニタルの願いのままに、ナサニタルが望んだものとはかけ離れていた。
それでも、敵がいる現状なら使える力だ。ダンジョンの精霊に仲介され、取り憑いたその存在を疎ましく思いながらも、自ら罪を背負うことこそが『リシアへの献身』であると自分を納得させ、それが神が与えた自分への試練だと考えた。
「リシア……君のために」
その呟きを耳にして、三つの影がナサニタルに気づかれないよう微かに嗤った。
***
私たちが二年生となる魔術学園が始まった。
去年、魔族がらみの騒ぎがあったことで、入園を辞退する新入生もいるかと思われたが、今年も例年通りの人数が入園式に参加し、新たな学園生活を始めている。
「そりゃ、あれだ。貴族である以上、魔術学園を卒業しないと成人と認められないこともあるから、貴族連中は必死だよ」
「なるほど」
学園の警備を確認するため学園を回り、用務員に扮したヴィーロと歩きながら、私は彼の説明に頷いた。
以前に比べて警備は厳重になっている。学園騎士の数はそれほど変わらないが、中級以上の貴族家は護衛の数を増やし、暗部の人員も数を増していた。
エレーナの警護にも近衛騎士だけでなく、今年から護衛騎士となったロークウェル・ダンドールが加わった。戦力面としては近衛騎士と同等になる彼だが、高位貴族の彼がいるだけでエレーナを煩わせる輩に対処できるので、私も動ける幅が広がっている。
貴族の護衛には手練れが揃っていて、中には戦闘力が1000近いランク4の者もいた。今回ヴィーロと学園を回っているのは、そのランク4がどの陣営で、主にどこにいるのかを把握するためだ。
それと学園にいる暗部の人員に、〝彼女〟を覚えてもらうためでもある。
「……それにしても」
人の記憶に残らない程度に気配を消しながら歩いていたヴィーロは、私の横を黙り込んだまま歩く彼女に視線を向ける。
「お前の存在、違和感すげぇな、ジェーシャ」
「そんなこと分かってるよ!」
今年から学園内での護衛にジェーシャも加わった。それは予定していたことだけど、ミラが最低でも貴族の前に出られるように礼儀作法を叩き込んだ結果、砂漠にいた頃から彼女のことを知っていたエレーナが悪ノリして、学園の新入生枠で彼女をねじ込んでしまった。
だいぶ気心が知れているようで何よりだ。ランク4のジェーシャがいれば、私もある程度は自由に動ける。ランク3の魔術師であるエレーナと、ランク3の騎士であるロークウェルがいれば、ランク5が相手でも引けを取らないはずだ。
ジェーシャは私のようにレイトーン家の養子ではなく、正式に準男爵となったドルトンの養子として入学している。これまでも亜人の生徒は居なかったこともないが、彼女の容姿は、ヴィーロが注目を避ける必要さえ感じないほどに目立っていた。
「なんで、ドルトンの娘なんだよ。しかも、こんな格好……」
「似合ってるぞ……ぷっ」
「ふざけんなヴィーロ、ぶっ飛ばすぞっ」
彼らがそんなことを言い合っているのも、ジェーシャが魔術学園の制服を着ていたからだ。山ドワーフとして大柄なジェーシャは、私と身長は同じでも体重は三倍もあり、そのほとんどが筋肉なのだから、華奢な貴族令嬢を見慣れているヴィーロからすれば、そんな感想も仕方のないことだろう。
だがそれよりも――
「ジェーシャ、言葉遣い」
「アリア……」
じゃれ合っているのを注意すると、ジェーシャが情けなさそうな顔で私を見る。
私も人のことを言えた義理ではないが、ジェーシャはこれから、分かりやすい抑止力として第一王女の護衛として見られることになる。仲間内でならエレーナも気にはしないと思うが、大声で粗野な言葉遣いは問題になる。
私は分かりやすい〝餌〟だ。そのためにエレーナの側を離れることもあるので、ジェーシャには色々と頑張ってほしい。
「――ヴィーロ、ジェーシャ」
「どうした? アリア」
「ジェーシャ、集中しろ。分かるだろ?」
ヴィーロも気づいていたのか、注意をするヴィーロの言葉に、ジェーシャもその気配に気づいた。
「……なんだ、この嫌な気配は」
魔術学園の周囲は深い森に囲まれている。人の集団が通れるほどの平地はなく、知恵のある魔物は人の多い場所には近づかない。
そもそも繁殖力の高い低級な魔物以外、学園周辺では討伐されるし、この森のどこかにネロもいるので、そんな魔物が紛れ込んでも倒されているはずだ。
ならば、そこに魔物がいるのなら、突然そこに現れたことになる。それはヴィーロも同じ意見なのか、私ではなくジェーシャに声を掛けた。
「ジェーシャは、王女殿下のところで警戒しろ。こっちは俺とアリアで対処する」
「なんでオレだけ?」
「ジェーシャは得物がないでしょ? どっちみち誰かは戻らないとダメだから、納得して」
私たちの護衛対象はエレーナであり、それが優先される。その場合、ジェーシャの主武装である両手斧は、学園にあるエレーナの屋敷に置いてあり、小さな手斧程度しか持ってきていないジェーシャが戻るが最善だ。
ヴィーロに続いて私もそう判断したことで、本人は戦いたいのだろうが理性的に納得してくれた。
「わかったよっ、お姫さまは任せろ。二人とも気をつけろよ」
「了解」
ジェーシャがエレーナの下に駆け出すと同時に、私とヴィーロは気配を消して森の中に突入する。
ジェーシャを下がらせたのは、鬱蒼とした森に慣れてない彼女では本領を発揮できないと考えたからだ。その点、私とヴィーロなら地形による不利はない。
本人もそれは分かっているはずだが、仲間でもこういうやり取りは必要だ。
「こりゃ、生き物じゃねぇな」
森に入ってすぐ、漂う気配にヴィーロが顔を顰めた。
「不死生物?」
「……それより厄介かもな」
不死生物は、穢れから生まれる動く死体だ。
吸血鬼のような呪いによって生まれた、人と外見上の区別がつかない上位の存在は別として、一般的には、人間の死体が〝瘴気〟……負の感情を帯びた魔素が、強い怨念と合わさることで動き出す。
不死生物に知性も知恵もなく、そこに魂は存在しない。
悪霊のような実体のない場合もあるが、それが大量発生しないのは、元になった人間が魔石を有していなければいけない事と、不死生物が自然発生するほどの濃い瘴気など滅多に存在しないからだ。
だからもし不死生物が現れるとしたら、大量の生き物が死んだ場所か、死霊術師のような存在が意図的に生み出したかのどちらかだ。
「おいでなすったぞ」
「…………」
森の奥から歩いてくる十体近い死体を見つけた。でも人じゃない。この森でも偶に目撃されるゴブリンやホブゴブリンのゾンビだった。
「ヴィーロ、任せた」
「お、おい」
ヴィーロの文句を無視して、私は腐乱臭が漂うゴブリンどもの頭上を飛び越える。
ゴブリンのような魔物は瘴気があっても不死生物にはならない。魔物は人間のような妄執が希薄だからだ。師匠は教えてくれた……もし、魔物の不死生物がいた場合は、それを操る者がいると。
そして、感じた嫌な気配はこいつらじゃない。
ヒュンッ!!
制服のまま木々を飛び移り、気配を消して放った二つのペンデュラムが闇を斬り裂くと、そこからボロボロの外套を纏った存在が姿を見せた。
やはり、居たか。
「何者だ?」
『…………』
それは問いに答えず、まるで重さがないように森の中を舞い、【闇の錐】のような闇の弾丸を撃ち出した。
「――【浮遊】――」
私は浮遊を使い、木の幹を蹴るように闇の弾丸を回避すると、安全圏に逃れようとするそれに向けて闇魔法を解き放つ。
「――【腐食】――」
『――!?』
レベル5の闇魔法【腐食】は、数十秒の間、対象の体力を秒間1ずつ減少させる。だがそれが精神生命体の場合、体力値の代わりである外皮を削り、魔力値を減少させるのだ。
確信はなかった。でも、疑惑はあった。
おそらくはそれも外皮の一部だったのだろう、腐食を受けた外套のフードが崩れ、それが素顔を晒した。
「……悪魔か」
『…………』
素顔から漏れ出る膨大な瘴気に周囲の木の葉が色を失う……。
猿の骸骨のような素顔を晒したそれは、その骨を歪ませるように音もなく嗤いながら、そのまま森の奥へと消えていった。
……ヴィーロの言うとおり厄介なことになりそうだ。
第一巻が重版決まりました。ありがとうございます。
活動報告にて新しい帯画像も載せております。
ナサニタルは加護と言うより呪いに近いものを得ました。ダンジョンの精霊の親切心の結果です。
次回、学園の生活
※この物語の悪魔は別世界のワカメ加工職人は関係ございません。





