208 蠱惑の聖女
ここからようやく乙女ゲーム最後の一年が始まります。
「……なるほど。良いお力をお持ちのようだ」
魔術学園が冬期休暇に入った年末、王都にある聖教会の神殿にて、初老の男性が一人の少女と向かい合っていた。
男の名はハイラム。彼は聖教会の本殿があるファンドーラ法国より、クレイデール王国の神殿に認められた『聖女』を見極めるために訪れていた。
神殿長とその孫から紹介されたその少女は、アーリシア・メルシス子爵令嬢。十三歳という話だが、魔力で成長する貴族としては見た目が幼く、まだ十四か小柄な十五歳程度にしか見えなかった。
だがハイラムは、その屈託のない笑顔の奥に潜む〝闇〟に気づいていた。
(……恐ろしい子どもだ)
聖女認定はこれまでもかなりの数が行われている。
各国の神殿ごとに自分たちが認めた聖女こそが本物であると、年に数件は本殿に連絡が入る。その度にハイラムのような司祭の肩書きを持つ者が確認をしに赴くのだが、そのほとんどは、多少光魔術が使えるだけの貴族令嬢で、その令嬢の箔付けのために聖女の名が使われていた。
だが、そのほとんどを本殿は『聖女』として認めている。現在の価値観からすれば、魔族を退ける本物の聖女よりも、民に平穏を与える政治的な理由と本殿に納められる莫大な寄付金のほうが有用だからだ。
ハイラムが正教会に入って三十年ほどになるが、ハイラム自身、真に聖女と呼ばれる存在にはいまだ出会ったことはない。
魔族との戦争が激化していた百年ほど前にいた聖女は、精霊に愛され、光魔術と異なる『神聖魔法』を使っていたと伝えられており、その本質は【魔術】よりも【戦技】に近いものだという。
ハイラムの目の前にいる少女は、魔力値が低く、到底聖女とは思えないが、警戒していたハイラムでさえも、出会った瞬間に、その姿を見るだけで心を絆されるような蠱惑的な魅力を感じた。
真の聖女は、皆に愛される独特の雰囲気を持つと言われている。
過去には【加護】による『魅了能力』によって聖女となろうとした女もいたが、他者の心を操るような強力な『魅了』は対価が激しく、おおよそ千人ほど魅了すれば寿命が尽きていた。
それは加護を与えた精霊のせいではなく、人族の欲望が限りないことを精霊が理解できなかった故の悲劇だった。
この少女からはそこまでの力は感じない。もし魅了が使われていたのなら、本人と会う前に話をした神殿長に違和感を覚えていたはずだ。
この少女には〝闇〟がある。だが、感じられるこの魅力が精霊に愛された結果なら、この少女も、〝本物〟にはならなくても、『政治的な聖女』として充分な資質を持っていることになる。
その力を上手く使えば、王国内における法国の影響力を増すこともできるだろう。
「では、聖女様。法国の神殿はあなたの存在を認め、共に歩むことを望みます」
「嬉しい! ハイラム様、よろしくお願いします!」
少女はハイラムの言葉に輝くような笑みを見せたが、「ですが……」と少し恥ずかしそうに頬を染めた。
「〝聖女様〟なんて呼ばれるのは少し恥ずかしくて……できれば、リシアって呼んでもらってもいいですか?」
「……わかりました。リシア様。では、これからリシア様のお力を知らしめるために、何が必要かを話し合っていきましょう」
***
年が明けてすぐ、王城にある外部に面したテラスでは、祝いに駆けつけた王都の民たちに向けて、王族たちが年始の顔見せをしていた。
テラスに立っているのは、国王陛下と正妃殿下、王太子エルヴァンに第一王女エレーナ、さらに七歳になった第二王子だけでなく王弟アモルまでいることが、この国の王族の少なさを表していた。
それでもエルヴァンの婚約者であるクララやカルラの姿がないのは、エルヴァンとエレーナの進退問題が影響している。
以前は仲が良かったエルヴァンとエレーナも、エレーナがそう装うのを止め、国の重鎮であるダンドール家とメルローズ家の嫡子がエレーナ側に付いたことで、情勢に疎い貴族は困惑していると聞いた。
そのせいで情勢はさらに不安定にはなっているが、エレーナに言わせれば、今のエルヴァンが王太子で居続けるよりも、結果的にマシになるらしい。
それほどまでにエルヴァンの評価は下がっている。王族の務めも果たさず、一人の令嬢に傾倒しているのだから当然だ。
彼が割り切って子爵令嬢を寵妃とするのなら、ある程度の理解は得られるとは思う。でも今の国王陛下と同じことになるのを古い貴族は警戒していた。
今はまだ王家派閥の中で王太子派の貴族家が彼を擁護しているが、中立派を中心にエレーナの支持が集まっていると聞いている。
そのせいか、エルヴァンの顔色はあまり良くない。隣に立つエレーナとの距離も以前よりも離れて、精彩のない作り笑顔を浮かべる彼の姿は、完璧な王族としての微笑を浮かべる、エレーナの覇気のある華やかさに霞んでいた。
それも当然だ。そうなるようにエレーナがお膳立てをしたからだ。
エルヴァンからすれば、幼い頃からの親友二人に見限られ、慕ってくれていたはずの妹が、自分の立場さえも奪おうとしている状況だ。
元から王家派の中でも中立寄りで、国家が強くなることを重視するメルローズ家は、明確にエレーナ側に付くことを陛下に申し入れている。
ダンドール家は、王太子妃候補であるクララと兄のロークウェルの対立という形になったが、エレーナもダンドール家の血筋であることと、それに対してクララが何も言わなかったことで、全体的には中立として静観することになった。
エルヴァンがそれを知ったのは、わずか数週間前のことだ。
それでエルヴァンが顔にも出さずに王族として振る舞える〝強さ〟があるのなら、元からエレーナも無理に女王になろうとは思わなかっただろう。
その結果、エレーナは王家を支持する王都の民と、その場にいる多くの貴族に、王族としてエルヴァンとの格の違いを見せつけた。
エレーナが学園の卒業パーティーの時期でそれを知らしめたのは、これが理由だ。
それにおける国外への影響も、エレーナはすでに手を打っている。
これによって、国内の敵と味方が明確になる。中には思いも寄らなかった味方や敵が現れることもある。
それを見極め、排除するのも、私の役目だ。
「……そこを退け、〝灰かぶり姫〟」
「言われて退くと思う?」
人気の少なくなった王城で動いていた数名の者たちがいた。
男が四人に女が二人。騎士が一人、文官が二人、女官が一人、執事とメイドが一人ずつ。全員がバラバラに動いて、一つに集まったところで私が先を塞ぐ形となった。
彼らの顔は知っている。王城でも何度かすれ違ったこともある。
だからこそ、私は彼らを警戒していた。
暗部でもない者が私の〝威名〟を知っていることが、如実にその正体を語っていた。
「第二王妃の手勢が、王族になんのようだ?」
「……お前には関係のないことだ」
私の問いに、彼らのリーダーらしき壮年の執事が硬い声で答える。
彼らは、エレーナの実母である第二王妃が使っている、暗部ではない斥候系の間者たちだ。そんな者たちが武装をして王族のいる場所に近づこうとしているのなら、その理由も察しがつく。
「今更、切り捨てたエレーナ様を王にしようと、騒ぎを起こして、王太子殿下に罪を被せようとしている? それとも、母を切り捨てた、言うことを聞かない娘が邪魔にでもなった?」
「お前には関係のない話だと言ったはずだ」
「そうでもない」
第二王妃の目的は、正妃からすべてを奪うことだ。そのために、王妃としての出席行事以外、正妃に何も仕事をさせずに権力から遠のかせた。
第二王妃が役立たずとして切り捨てた、エレーナの存在を無視し続けるのならそれでもよかった。だが、どんな思惑があるにしろ、愛と嫉妬に狂った第二王妃の行動は、今のエレーナにとって邪魔にしかならない。
「お前たちの動きは、エレーナ様が予測していた」
その瞬間、ダガーを構えて飛び出したメイドの顎を掌底で打ち抜き、肘打ちを放って気管ごと叩き潰した。
「油断するな! 妃殿下のために命を懸けろ!」
メイドが崩れ落ち、執事の声に残りの者たちが廊下に散開する。
執事だけが戦闘力800のランク4。残りがランク3か。
私の説得を即座に諦めて敵対してきたのは、彼らにエレーナを害するつもりがあるからだ。
最悪の予測としてエレーナと私が考えたのは、エレーナに危害を加えてその罪をエルヴァンに被せ、その傷が原因で、エレーナが母を頼らなくてはいけない状況になることだった。
おそらく彼らは第二王妃の手勢の中でも、暗殺を主にしてきた者たちだろう。第二王妃に対して忠誠心はあるようだが、だからこそ、そんな戦力をまともな状況判断も出来なくなった第二王妃の手元に残すわけにはいかない。
そして何よりも――
「がっ!?」
「エレーナに危害を加える可能性に、躊躇はしないと決めた」
私の膝を打ち込まれた文官の胸元が陥没して吹き飛ばされた。その隙を縫って女官が私の横をすり抜けようとして――
「ひぐっ」
その瞬間に旋回するペンデュラムの糸がその首に絡みつき、強く引き寄せることで絞め殺したその死体を騎士たちに投げつけ、一瞬受け止めるか躊躇した騎士と文官の首を両手で掴んで、ねじ曲げるようにへし折った。
残り一人――
「貴様……」
「お前たちの忠誠を否定はしない。でも、お前たちに信念があるように、私にも譲れない思いがある」
私が城で血を流さないように殺したのだと気づいたはずだ。でも、壮年の執事はそれで退くこともなく、ゆるりと短剣を構えた。
「……参る」
一瞬で跳びだした彼が、駆け引きもなく、私の人生の数倍も鍛え上げたであろう全力の一撃を繰り出した。
「――【神撃】――ッ!」
神速の一撃――私はそれから逃げることなく、精神を集中させ、そっと刃の腹に手を当てて横に流した。
【神撃】は格上にも通用する大ダメージを狙える技だが、その反面、急所を外れると通常よりもダメージが低くなる。
お前の敗因は、技の特性を理解しきれなかったことだ。私は逸らした一撃からすり抜けるように執事の首に腕を絡ませ、そのまま骨を砕き折る。
首が折れた執事のまだ光が残る瞳が無表情な私の顔を映し、聞こえているかどうか分からない彼に向けて、一言だけ語りかけた。
「エレーナの母なら、私が死なせはしない」
「…………」
その言葉の後に執事の瞳から光が消える。
気休めかもしれない。でも、わかり合える可能性も零じゃないと思いたいから……。
***
リシアこと聖女アーリシア・メルシス子爵令嬢は、学園が始まるまでの時間を、王都にあるメルシス家の屋敷ではなく、神殿に与えられた部屋ですごしていた。
リシアが持つあの女の〝知識〟では、ヒロインは養女として入ったメルシス家の家族に可愛がられていたが、男性を頼るあまり女性から反感を持たれやすいリシアは、貴族令嬢として侍女やメイドに囲まれる日々を面倒に感じていた。
(……神殿なら男の人も多いしね)
リシアの【加護】である『魅惑』は、相手側の感情に大きく左右される。初めて会う者が多い神殿では魅惑が効きやすいが、元からリシアに反感を持つメルシス家のメイドたちにはあまり効果は期待できなかった。
リシアの性格もあるだろう。あの暗殺者の女のように騙すつもりならともかく、リシアは男性以外と深く関わる気は初めから無かったのだ。
男性相手なら心からの笑顔を見せられる。法国から来たハイラムも初めは疑いの瞳を向けていたが、リシアの笑顔でハイラムは疑いを持ったまま『好感度』を上げていた。
リシアの『魅惑』は『魅了』とは根本的に異なり、その力は弱い代わりに、相手に意識もさせずに好感度を上げることが可能だった。
それでもその反動として、魔力の最大値が魅惑を使うごとに減り続けている。
数日まともな食事をして休めば回復する程度の反動だが、その力を使い続けたため、リシアの容姿はいまだに幼いままだった。
だが、問題はない。このまま魔力値が下がり続ければ病にもかかりやすくなり、結果的に寿命を減らすことになるが、リシアはそもそも、容姿が衰えるまで長生きする気もなかったからだ。
目的は愛されること。それも出来る限り多く。その愛された数だけがリシアの生きる目的であり、命さえも懸ける人生だった。
そのためにヒロインと同じ聖女という役割は、役に立ってくれた。だが、目的の一つである王太子妃の座は、ゲームと違いエルヴァンが成長しなかったことで怪しいものとなっている。
それでもリシアは、エルヴァンへの甘やかしを止めるつもりはなかった。彼の人生など興味が無かったからだ。
だからリシアは、彼を成長させるのではなく、他を落とすことで問題を解決しようと考えた。そのための手駒なら手足の指で数え切れないほどもいる。
その中の一人……深夜に彼を自室に招き入れたリシアは、風呂上がりの香油の香りを嗅がせるように身を寄せながら、彼の素肌に指で触れた。
「ナサニタルくん……リシアのお願い、聞いてもらえる?」
あれ? まだドロドロしてる!
次回、学園開始まで作者は辿り着けるか!?





