201 帰還
第二部第四章の開幕です。アリアが二年生になり、王太子が卒業する最後の一年が始まります!
第一巻発売記念で土日更新しておりましたが、もういっそのことGWまで土日更新してしまえと思い、本日も更新いたします。
「……エレーナ様がお帰りになる」
わずかな灯りだけが照らす薄暗い室内に、クララ・ダンドールの声が零れた。
魔族の襲撃によって行方不明となったエレーナが発見され、護衛である男爵令嬢共々帰国することになったと、王城にいるクララが買収したダンドール家縁者の文官から報告が届いた。
すでに王国内では、『魔族の襲撃前に、運良くカルファーン帝国へ短期留学をなされた王女が、学園の生徒を思い憚って、留学を切り上げて早めに帰国する』ことになっており、上級貴族家と貴族派以外はそれを真実として受け止め、誰が描いた絵か分からないが、エレーナの評判は上がっていた。
一部の貴族家は王女は誘拐されたと口にしていたが、実際にそれを目撃した者は王家の関係者しかおらず、その貴族家の発言も証拠もなく王女を貶めるだけとなり、良識のある貴族からは眉を顰められる結果となった。
それはエレーナのこれまでの働きが、それだけ多くの貴族に認められていたからだ。
もし、その貶める言葉が信じられたとしても、それほど大きな影響はないと、クララの予見の【加護】は、起こりうる未来を高い確率で読み取っていた。
そもそも貴族令嬢が醜聞を厭うのは、彼女たちが他家へ嫁ぐからだ。だが、王女エレーナは、王太子エルヴァンを廃して女王となることを決めた。
その結果、エルヴァンがどのような状況になるのか、確定した未来は視えないが、最悪の場合は、王女の護衛である男爵令嬢の手にかかる未来さえあったのだ。
そのエルヴァンは、傾倒する子爵令嬢と共に、学園の南にある大規模ダンジョンへと潜っている。
本来なら王太子である彼は、妹であるエレーナの身を案じながらも、王女のいない穴を埋めるべく公務に勤しむべきだろう。だが、エルヴァンはそれをすることもなく、この時勢に外聞を気にもせずダンジョンへと潜った。
当然のように保護者気取りの王弟アモルや、傷が癒えたナサニタルも同行している。一度だけエルヴァンからは、社交辞令のようにクララも同行するかと問われたが、クララはそれを断った。あの子爵令嬢と一緒にいて、自分でも平常を保てるか分からなかったからだ。
もちろん、エルヴァンを心配する気持ちはあるが、クララの予見ではおそらく多くの犠牲を出しながらも、無事に戻ってくるはずだ。
あのダンジョンにも、以前のダンジョンと同じく、王家だけが知る裏道が存在する。
そのダンジョンに何度も潜っているというカルラさえも知らない裏道を、王子可愛さに教えた国王陛下の甘さにも溜息が出る。
前回の教訓からエルヴァンとアモルは、多くの騎士を連れている。王女の派閥に近い近衛騎士団ではなくアモルが懇意にする第二騎士団だが、その代わりに多くの騎士を用意できたはずだ。
それだけでなく法衣貴族のナサニタルは、聖教会神殿長である祖父の力を借りて、光魔法が使える大勢の神官騎士を連れていたので、少なくともエルヴァンが死ぬことはないだろう。
ただ……王家を護る近衛騎士ですらない者たちに王家の秘を教えたことは、国王陛下だけでなく、エルヴァンやアモルたちにとっても、かなりの失態となるはずだ。
その結果として、エレーナによるエルヴァン廃嫡の確率は、さらに上がったとクララは予見している。
「……あなたたち、分かっているわね?」
『はい、クララお嬢様』
クララの呼びかけに、部屋の暗がりにいた四人の女性が一斉に返した。
一人は元暗殺者ギルドの人間で、クララに救われたことで信奉者となったヒルダだ。その彼女の側にいるメイド服姿の女性たちは、ヒルダがクララのために呼び寄せた、かつての同胞たち――壊滅した暗殺者ギルド北辺境地区支部の生き残りだった。
殺戮の灰かぶり姫によって、北辺境地区支部の主要な人物は全員死んだ。それでも当時仕事で支部を離れていた者もおり、その大部分も復讐を誓って返り討ちにされたが、それを行わなかった者たち……主にヒルダと友好関係にあった女性のみ三人が、彼女の求めに応じた。
最初は求めに応じたと言いながら、全員が裏社会の人間らしく腹に何かを抱えていたように見えた。だが、クララは予見によって彼女らの『復讐をしなかった事情』を把握しており、元現代人の庶民であったクララが、言葉巧みに彼女たちの心を溶かしたことで、思惑はあれどもクララを裏切らない程度の調教は済ませてあった。
「あなたたちはまだ、彼女に恨みを持つ者もいるでしょう。ですが、彼女に手を出して生き延びた者はおりません。確実に勝てると思える策がないのなら、こちらから手を出すことは禁止とします。むしろ、こちらの目的のために、利用する方法を考えたほうがいいでしょう。わたくしたちの〝目標〟はただ一人……」
クララの予見通りなら、エレーナが帰還する頃にはエルヴァンたちも地上へ戻るはずだ。すぐに学園が再開されるとも思っていないが、エレーナが学園に戻る頃には、エルヴァンも学園へと戻るだろう。……あの〝少女〟と共に。
「目標は仮称『ヒロイン』……アーリシア・メルシス子爵令嬢。彼女を亡き者にしてでも確実に排除いたします」
***
『出航するっ!』
船長の声と共に、カルファーン帝国の港町に出航を知らせる鐘が鳴り、王女エレーナと私たちを乗せた船が港から離れると、港町の子どもたちが手を振り、それに気の良い船員たちが手を振り返していた。
見送りには、カルファーン帝国を代表してロン……ロレンス第三王子が来ていた。
本来なら、『友好国から短期留学に来た王女』に、国賓級の待遇で見送りが行われるはずだったが、とある事情により派手な見送りはなくなり、ロンや宰相を含めた数十名のみの見送りとなった。
「……アリア。あなた、何かしましたの?」
「…………」
エレーナが目を細めて睨むようなその視線に、私が曖昧に微笑んで誤魔化すと、彼女は呆れるように息を漏らした。
「もぉ……あまり危険な真似は駄目ですからね」
「善処する」
見送りが簡略化された原因は、皇太子と側妃派閥に、何か問題があったからだと言われている。詳しい話はクレイデール王国の私たちには伝えられていないが、セラに説明をしていたカルファーン帝国宰相の感じでは、皇后と側妃派閥の力関係が激変するかもしれない事態なのだと察せられた。
……それはいいんだけど、どうして大国の宰相が男爵家の夫人でしかないセラに、あそこまで腰が低いの? 話していることも曖昧にはしていたけど、国勢に関する結構な重大情報じゃないの?
後でセラにそのことを尋ねてみると、『大人の世界は色々とあるのですよ』と悪い笑みを浮かべていた。
最初はもう数日出航を遅らせる打診が帝国側からあったが、聡いエレーナは面倒ごとがありそうな気配を察して、『お父様に早く顔をお見せしたくて……』と憂いの帯びた演技を見せて、無事に予定通り出航を果たした。
セラもそうだけど、エレーナは凄いな。演技の話ではなく、彼女は正確に情勢を読み取って、有利な状況に持ち込むことを知っている。今回の件も傍から見れば大したことはないが、やっていることは未来予知に近い。
エレーナは女王となることを決めた。私の本名を名乗る、まるで『ヒロイン』のような女に傾倒する王太子を見限って、腹違いの兄を追い落とすと決めた。
そのことで、これまでエレーナを傀儡として操ろうとしていた貴族派閥だけでなく、これまで味方だった、古い考えを持つ王家派閥の一部も敵となるだろう。その中には政治的な争いだけでなく、直接的な手段に訴えるためにエレーナに近づいてくる者もいるだろう。
それを阻むために、私が得た新たな力は、有効な手段となるはずだ。
虚実魔法、【拒絶世界】。
光と闇。本来なら人の限界を超える高レベルの複合魔術だが、私は【鉄の薔薇】と併用することで、制限時間付きだがそれを世界に具現化できた。
闇によって影を投影し、光によって実体を与える。
それによって竜ですら見分けの付かない虚像を創りあげることはできたが、それはあくまで一面に過ぎない。
現実の虚像を創り出すのが、【拒絶世界】の〝光〟であるのなら、あの夜に使った技は、【拒絶世界】の〝闇〟になる。
虚を実とすることができるのなら、その逆も可能となる。影使いラーダの影に潜む技法と原理は同じだが、虚実魔法で虚と化した私は現実の質量さえも虚として、数里の距離を瞬く間に飛び越えることさえ可能とした。
だが、現実問題として、空間転移ではないので障害物を通り抜けることはできず、目に見える場所にしか跳ぶことはできない。
それにこちらから攻撃をする際には、【拒絶世界】を解除する必要がある。
こちらの存在がバレているのなら、解除して攻撃に移る瞬間に反撃を受ける可能性もあるだろう。光と闇の切り替えはできず、解除と再起動の必要がある。
あの夜は、敵の放つ闇の魔素を目で捉えて殺気を捕捉したことで、その跡を追うことができた。制限時間があることから、あの時は捕らえるか始末するかの二択だったが、ランク4らしきその男はかなりの速度で、城の周辺にある富豪や貴族が住む、一等地の屋敷に飛び込んでいった。
あとは、彼の後に続いて侵入して、その場にいたロンの敵対派閥を始末して、数秒もかからず帰還した。
制限時間はあり、問題点もあるが、それでもランク4の暗殺者を始末できたことで、ある程度の有効性は確認できた。
エレーナを傷つける者は、私が必ず排除する。
「アリア、暇なら模擬戦やろうぜっ」
自分の能力を考察していると、暇そうに見えたのかそんな声がかけられた。
声をかけてきたのは山ドワーフの重戦士ジェーシャだ。彼女は、最初はロンの所で雇ってもらう腹づもりだったが、同じ山ドワーフのドルトンの強さを見たことで、半ば強引に私たちについてきた。
エレーナやミラに言わせると、それだけではないそうだけど。
「いいけど……話は終わったの?」
「うん……まあな。これからよろしくってことだ」
「了解」
話というのは、ジェーシャの所属についてだ。クレイデールの暗部に所属するという話もあったが、あまり彼女に向いている話じゃない。
そこにミラからお誘いがあったそうで、いずれヴィーロが暗部に入ると決まっていることもあって、戦力増強の意味でも、ジェーシャが『虹色の剣』に入ることが決定したらしい。
あとは魔術師がもう一人欲しいところだが、高ランクの魔術師で冒険者になろうと思う者はほぼいないので、ある意味仕方がない部分ではある。
クレイデール王国への航路は、海流の影響か、帝国へ向かうよりも王国へ戻るほうがわずかに早い。この船はメルローズ家の所有だが、出航したメルローズ領の港には戻らず、王都に近い王家直轄地の港へ向かうと船長が話していた。
私は基本的にエレーナと一緒にいるが、エレーナが遠話の魔導具を使って国王陛下と協議をしたり、公務をしているときはジェーシャなどと模擬戦をしていた。
戦闘力的にはフェルドやドルトンが近いのだが、ランク5になったばかりなので、感覚の調整をするためにも近接の師匠であるセラやヴィーロには鍛錬をしてもらった。
だからといって身体を動かしてばかりではない。
「なんでオレまで……」
「ジェーシャも文句を言わない。冒険者にも知性は必要なんだから。アリアちゃんなんて文句一つ言わないよ?」
「…………」
エレーナも含めて私もまだ学生だ。エレーナはまだいいが、私は少々危ない部分もあって、一緒に勉強をしていたが、そこにミラが名乗りをあげた。
どうしていきなりそんなことを言い出したのかと言うと、師匠への対抗心から、ミラも私の先生的な何かをしたかったそうだ。でもこれなら――
「ジェーシャも護衛として学園に通えるか」
「……え?」
そんな海上の旅をして四週間後……
「帰ってきましたね……アリア」
「うん」
海の向こうに、港町が見えてきたことで感慨深げに呟くエレーナに、私も実感を持って頷いた。
私たちは……ようやく故郷に帰ってきた。
ようやく帰ってきました。
ひさびさのクララも登場です。
次回は、王様との謁見。そして偽ヒロインの動きは?
第二巻の原稿も順調です。
第一巻のご感想などがありましたら活動報告へお願いします。
第四章もよろしくお願いいたします。





