200 最後の夜
200話達成 100万文字達成 第二部第三章終了
ざわり……と謁見の間にいた帝国貴族たちから響めきが漏れる。
確か、皇太子のアスラン殿下……だったか。実際には叔父と甥なのだから、ロンとはあまり似ていない。ロンからは野心的な人物ではないと聞いていたけど……。
その発言を聞いて、皇帝たちの近くにいたエレーナの目が少しだけ細められた。普通ならこのような場で話すような事柄ではなく、しかも、妻に迎えるという言葉は、クレイデール王国を下に見ているとも聞こえるからだ。
さすがにそれを諫めようと皇帝陛下が口を開こうとした寸前、立ち並んでいた貴族の中から一人の男が前に出た。
「それはよろしゅうございますなっ。クレイデール王国でも美姫と知られる、才色兼備なエレーナ様が皇太子妃となられたら、帝国はさらなる発展と、輝かしい未来を掴むことになるでしょう!」
その貴族になんの権限があるのか、まるでそうすることが当然のように語り始める。
その言葉にセラに睨まれた宰相らしき人物が慌てふためくと、そこに皇帝陛下が声をあげた。
「デミル卿、ここはそのような場ではない。エレーナ殿、王子と臣下の発言を謝らせてもらう。アスランも控えよ。お主にはすでに婚約者候補がいるであろう。エレーナ殿に失礼なことを言うでない」
「それは申し訳ありませんでした、陛下、エレーナ殿」
諫められたアスラン殿下が、悪いとは思ってない顔で皇帝とエレーナに頭を下げた。それに追従するようにデミル卿と呼ばれた男も、無言で頭を下げて列に戻る。
エレーナを手に入れれば、ロンの功績もそのまま手に入れることができる。野心的ではなくても、アスラン殿下自身は皇帝の地位を求めているということか。それが自分の意思か親族の思惑か分からないが、少なくともアスラン自身は、養父であり実兄である皇帝陛下を軽んじているように感じた。
「ご配慮感謝いたします」
エレーナはそう言って皇帝陛下に軽く頭を下げる。あくまで軽くだ。ここは私が出る場面じゃない。私には私の戦場があるように、この場はエレーナの戦場だ。
エレーナの口元が、私にしか分からない程度に笑っているのを見て、アスラン殿下の発言も、帝国との交渉に使える弱みの一つ程度にしか思っていないはずだ。
でも……もしエレーナに直接手を出すのなら、私が証拠も残さず始末する。
そんな私の感情がわずかに漏れたのか、隣のドルトンやセラの気配が微かに強ばり、エレーナが少しだけ苦笑した。
そんな空気の中で謁見は終わり、退出する寸前、それまで第二王子の隣で、無言を貫いていたロンの表情が私は少しだけ気になった。
***
「どうだ?」
「……いや、あれは無理ですよ。ドルトン殿やレイトーン夫人も、一筋縄ではいかないが、あの小娘の〝気配〟を感じた瞬間から鳥肌が止まらない」
「そこまでか……」
財務卿であるデミルの執務室で、デミルの言葉に、一人の騎士が粗野な態度で溜息を吐く。
デミル卿は、皇太子の母である側妃の弟で、今のデミル侯爵の弟でもある。その権力で今の地位に就いているが、皇太子か第二王子が皇位に就けば、その派閥で帝国内の要職を独占できるだろう。
同じ側妃の子でも第二王子は温和な性格で、実母の派閥より皇后の派閥に取り込まれる可能性があった。ここからはアスランを盛り立てることを意識して動かなければいけない。
あの考えなしとも取れる皇太子妃発言には度肝を抜かれたが、実際にエレーナ王女を皇太子妃に迎えれば、次期皇帝の座は盤石となるはずだ。
目の前にいる騎士もコネでねじ込んだ皇太子側の間者だった。彼は元裏社会の人であり、今はとある人物の子飼いの戦士として仕えている。
その実力はランク4の暗殺者に匹敵するが、彼が鳥肌が立つと言った男爵令嬢は、外見からは信じられないがそれ以上の手練れなのだろう。
「あれに勝つのは俺では無理だ。……でも、傷つけるだけなら話は別ですよ」
「手はあるのか? エラム」
「そこは俺に任せてくださいよ。いくら強くても、経験の浅い小娘に大人の汚さを教えてあげますよ」
そう言って部屋から出ようとするエラムに、デミルは彼が向かう所を察してその背中に声をかけた。
「ラドワーン殿には、くれぐれも宜しく伝えてくれ」
「かしこまりました」
エラムは芝居がかった仕草で頭を下げると、そのまま彼は騎士の詰め所ではなく城の外へと出ていった。
***
謁見のあとしばらくして、迎賓館を訪れた老執事が、調べていた要注意人物のことを教えてくれた。
あのとき皇太子に追従したデミル卿は、やはり皇太子の親族の一人で、権力で今の地位に就いた皇太子派……正確に言えば、側妃派閥の人物だ。
すでに皇太后は亡くなっており、王宮ではロンの実母である皇后と勢力を二分している。
「ですが、デミル卿も所詮は手駒の一人でしかありません。本来なら他国のあなた方には関係のない話として伏せておりましたが、黒幕と思われる人物は別に居ります」
皇太子と側妃派閥を後押しする人物、それは貴族でもない、市井にいる商家の一つだという。
たかが商家と思うかもしれないが、そのラドワーン商会は帝国でも十数代続いている古い歴史のある商家で、複数の貴族家に金を貸すことで親族を妻や妾として送り込み、上級貴族家にも発言力を持つに至った。
その貴族家の一つが、皇太子の母である側妃を送り込んだデミル侯爵家で、側妃派閥はその金の力で発言力を増しているらしい。
皇太子自身の思惑はともかく、その回りをラドワーン商会の息がかかった貴族で固めれば、意見を変えさせることも容易となるだろう。
でも、それに手を出すつもりはない。エレーナならロンが望むことを、政治的な視点で、ある程度叶えることもできるのだろうが、ロンがそれを望まないからだ。
私は手を出すつもりはない。
エレーナや仲間に手を出されないかぎり……。
***
皇帝陛下と謁見して二日後、予定通り夜会が行われた。
本来なら明日出航するため、私たちは全員、やることは山のようにあるのだが、帝国との関係維持も重要な仕事だ。
虹色の剣の面々も礼服を着て参加しているが、主に貴族と会話をしているのは、騎士に囲まれているドルトンだけで、フェルドやヴィーロは会場に散ってエレーナの周辺を警戒していた。
ヴィーロは斥候の技能で本当に目立たない背景と化している。だが、フェルドは普段の格好から礼服に着替えて、無精髭を剃るだけで真っ当な貴族として紛れていた。
……確か、フェルドは貴族の関係者だと一度聞いたこともあるので、あれが本来のフェルドの姿なのかもしれない。
ミラはこのような夜会には珍しい森エルフなので、その目立つ美麗な容姿を使って、私たちに絡みそうな男性貴族を排除していた。
主立った貴族が集まると聞いていたが、参加しているのはおそらく、帝都にいる上級貴族とその関係者程度で、百人もいないだろう。それはおそらく、エレーナの警護をする私たちへの、皇帝の配慮なのだと思った。
夜会は皇帝陛下の挨拶で始まり、それから大公家の方々や、公爵家がエレーナへ挨拶をしに訪れた。謁見の時には無言だった第二王子も挨拶に来たが、彼はロンが話していた通りに野心的ではなく、皇位さえも興味がない人物で、逆に拍子抜けした。
「皇太子殿下もだけど、あの方々のどちらかが次の皇帝になるのなら、わたくしの代は楽ができそうね」
「……そうだね」
私に囁くようにエレーナは朗らかに笑う。彼女なりに愉しんでいるようで何よりだ。
側妃と目される人物は、最初だけエレーナと挨拶をして、その後は自分の親族と思われる輪の中に消えていった。
あの発言をしたアスラン殿下も変わらずエレーナの気を引こうとしていたが、側妃に呼ばれてそちらのほうへ消えていった。
「不自然ね」
「うん」
隣で呟いたエレーナに、私も小さく頷き返す。
側妃派閥は、私たちと不自然なほどに距離を置いている。まるで何か起きたときに疑われることを避けるように。
エレーナやロンが、私が狙われて、反撃することでかけられる冤罪を避けようとしたように、彼らも自分が疑われることで不利になることを避けたのだ。
夜会で何か仕掛けてくると思っていた、あのデミル卿の姿が見えない不自然さも、なおさら私にそう思わせた。
そのせいか他の貴族も近づきにくい雰囲気となり、今夜の主役であるはずのエレーナの回りが空白地帯になっている。皇妃様ならそれに気づいてくれると思うが、彼女も挨拶を受ける立場なので、まだこちらに来られていない。
これがただの夜会なら楽でいいのだが……たぶん、仕掛けてくるな。
そしてその懸念は、意外と早く訪れた。
「王女殿下。第三王子殿下より、西側のテラスへお越しいただけるよう、お伝えにあがりました」
若いメイドの言葉に、エレーナがわずかに目を細めて、一瞬だけ私へ視線を向ける。
「……ええ、案内してくださる。アリア、一緒に来てくださるかしら?」
「かしこまりました」
ロンが呼んでいる。あり得なくはないが、この状況でそれを疑うなと思うほうが無理がある。でも、それを拒めば、第三王子と懇意にしているという話が偽りであると、側妃派閥が騒ぎ始めるのだろう。
メイドに案内されて会場を進むと、他のテラスには酔い冷ましをする男性や、逢瀬を愉しむ男女などの姿も見られた。だが、案内されたそのテラスは、城の内側を向いているためか景色が悪く、そのせいか誰も人はいなかった。
そのメイドが何かを企んでいる様子もなく、文官の一人にロンの言葉を伝えるように言われていただけで、案内を終えるとそのまま会場へと戻っていった。
「……待って」
「何がありましたの?」
テラスの暗がりに、魔素で覆われた小さな物が落ちているのに気づいた。
あれは……自決用のナイフ? あの女も中古品を持っていたが、それが何故こんな場所に落ちているの?
「エレーナ?」
「ロレンス殿下……」
会場のほうから声をかけられ振り返ると、本当にロンが姿を現した。
「どうしたんだい? 君たちからこんな場所に呼び出すなんて、本当に罠かと疑ってしまったよ」
「……え」
ロンの言葉にエレーナの呟きが漏れた。
その瞬間、軽く腕を振った私はそれを掴み取り、エレーナに振り返る。
「アリア、ロレンス殿下が」
「わかった。ロン、しばらくエレーナを頼む。……少し回りを調べてくるから、待っていてくれる?」
「それは分かったが……」
「駄目よ、アリア。あなたが一人になったら……」
「大丈夫。すぐに戻るから」
少しだけ困惑しているエレーナとロンから離れて、テラスの暗がりへと向かい、落ちていたナイフをハンカチで包むように拾い上げる。毒は付いていない。でも、その代わりに鞘の中にある刃にはべっとりと血が付いていた。
これがお前たちの策か……。でも、もう考察は必要ない。
お前たちは、エレーナに手を出した。
「――【鉄の薔薇】……【拒絶世界】――」
その瞬間――私の姿が世界から消えて、一陣の風が闇に走るものを追いかけた。
***
アリアが周囲を確認すると言って暗がりへと向かい、その闇を心配そうな顔で見つめるエレーナに、ロンが意を決したように話しかける。
「……よく分からないが、君たちも呼び出されたと思っていいか?」
「ええ」
ロレンスがそう確認するとエレーナが微かに頷いた。
「アリアが戻ったらすぐに会場へ戻ろう。……その前に少し話をしてもいいか?」
「いいですけれど……」
この状況でそんなことを言い始めたロレンスに、エレーナが微かに首を傾げる。
だが、ロレンスも二人きりになれる状況をずっと待っていた。アリアが戻る前でも、エレーナの側にはセラや帝国の侍女がいて、セラが彼女の警護をアリアに任せて、宰相と折衝している今しか、その機会はなかった。
切っ掛けは王太子の発言でも、その想いはずっとロレンスの心にあった。
「ロレンス殿下……?」
突然、自分の前に膝をついたロレンスに、エレーナが困惑気味に声を漏らし、そんな彼女にロレンスは、そっと手を差し出した。
「エレーナ……私の妻になっていただけませんか?」
***
「――ちっ」
エラムは狙撃に失敗して即座にその場を離脱した。
彼の策は、人の訪れないテラスに闇魔術で隠した血塗れのナイフを放置して、闇魔術で作った矢で狙撃する――それだけだ。
闇魔術師であるエラムの【闇矢】は彼のオリジナル魔術だが、他の属性と違い、闇の粒子を矢にして放っても、大した傷にはならない。
だが、夜に放たれた闇矢を感知することは困難であり、あの場にいた三人の誰かが傷を負っただけでも、目的は達せられるはずだった。
王女が傷つけば、第三王子が危害を加えたことになり、第三王子が傷つけば、王女の護衛である少女が犯人となる。
事実はどうでもいい。その証拠となるナイフがあれば、本人たちの証言など意味はなく、後は回りが騒ぎ立てるだけで、帝国内にある第三王子とクレイデール王国との関係は崩壊する。
ランク4の戦士は撃たれた矢を躱し、ランク5の戦士は放たれた矢を掴み取ると言われている。だが、暗闇の中で放たれた闇矢を躱すことなど、ランク5でも不可能だ。
だが――あの少女は、放たれた矢を容易に掴み取った。
エラムはその目で見ても信じられなかった。その少女の視線が、一瞬だけエラムに向けられた瞬間、彼はすべての余裕をなくして全力の逃走を始めていた。
エラムは元暗殺者だ。暗殺者ギルドの人間ではなく、ある貴族の子飼いの暗殺者だったが、事情によりその貴族を殺して逃げていたところを、ラドワーン商会に拾われた。
とりあえず、このことをラドワーンに伝えないといけない。あの状況でエラムを追ってこられるとは思えないが、最悪の場合は、自分は死んだことにして国外に脱出する必要がある。
帝都の夜を駆け抜けながら、エラムは遠くの酒場から微かに流れてくる、吟遊詩人の歌が聞こえてあることを思い出した。
それは一人の少女が、暗殺者ギルドや盗賊ギルドを倒していく物語で、外国の商人が伝えた荒唐無稽な内容だったが、冒険者や傭兵には人気がある歌だった。
歌の名前はなんだったか……。その記憶を探るうちに、エラムは仕事で一緒になった外国から流れてきた盗賊が話していたことを思い出した。
――〝灰かぶり姫〟には関わるな――
「ボスっ、まずいことになった!」
その場所は城の周辺にある帝都の一等地にあった。その中でも一際大きな邸宅で、夜会に参加できない皇太子の親族と会合をしていたところに飛び込んできたエラムの様子に、奥にいた老人がジロリと睨み付けた。
「……騒がしいぞ、エラム。何があった?」
その老人、ラドワーン商会の会頭であり、側妃派閥を裏から支えていた老人は、何度も仕事をさせてきた暗殺者エラムの様子に顔を顰める。
ここにいる側妃派閥の人間はエラムのことを知ってはいるが、明確にラドワーンと雇用関係にあることは示唆していない。
闇魔術も使えるランク4の戦士で、腹芸もこなせることから重用してきたが、仕事で問題を起こしたのなら、ラドワーン商会との繋がりが発覚する前に、この男を始末する必要がある。
「詳しく話せ」
ランク4の戦士は貴重だが、代わりがいないこともない。だが、その前にどのような事態に陥ったのか、それを見極めるためにエラムに話を促し、エラムが荒れていた息を整えて話し始めようとしたその時――
「――ぐぁ……っ」
そこにいた全員、何が起きたのか理解できなかった。本人さえもそうだろう。
だが、エラムが見つめる側妃派閥の末端貴族たち……そのエラムを見つめる見開いた黒い瞳に、自分の後ろからナイフで首を貫いた〝灰かぶりの少女〟を見て、エラムの意識は二度と浮かぶことのない闇へと沈んでいった。
誰も気づかなかった。
ランク4で暗殺者の仕事をしてきたエラムでさえも、刺されたその瞬間まで少女がいたことに気づけなかった。
まるで――今、世界に現れたように――
彼らの常識を破壊したその少女は、崩れ落ちるエラムを投げ捨て、両手にそっと黒い刃を構えた。
「遺言はいらないよね?」
***
「――ロレンス殿下……わたくしは、女王になります。あなたが彼との約束のために皇帝を目指すのなら、隣にいることはできません」
「……確かに俺は、カミールとの約束のためにできることをするつもりだ。あいつも自分なりの道を目指した。だが、道は一つでだけでないと、それを教えてくれたのは君だ」
「ロン……」
「まだ道を探す途中だ。必ずそこに辿り着けるとは限らない。でも……もし、その道が君と交わるのなら、その時はもう一度、俺の申し出を聞いてくれないか?」
「…………」
エレーナは、フッと息を抜くように微笑むと、あらためてロレンスの瞳を見る。
「三年……それしか待ちませんわ。それでもよろしい?」
「ああっ、もちろんだ」
膝をついていたロレンスは立ち上がると、気恥ずかしさを誤魔化すように会場へと足早に戻ってしまった。アリアと一緒に戻るはずだったが、そんなことさえ気が回らなくなったロレンスを、エレーナは不器用な弟を見るように苦笑する。
「……終わった?」
「アリア……見ていたの?」
「ロンが逃げたところなら」
調べて何事もなかったのか、気配もなく戻ってきたアリアに、エレーナは心から安堵するように側に寄る。
「何かをしてきた?」
「……何も」
「……そういえば、学園の舞踏会は中止かしら? 約束は覚えている?」
「もちろん」
アリアが暗部の裏切り者グレイブ討伐に向かうとき、アリアは舞踏会までに戻るとエレーナに約束した。
それから魔族の襲撃があり、この地へ飛ばされたことで舞踏会も無くなったが、それを覚えていてくれたアリアに、エレーナがそっと手を差し出すと、男性パートばかり上達していたアリアは、完璧な仕草でその手を取った。
「帰りましょう。クレイデールに」
「うん」
そうして二人は、会場から流れてくる微かな音楽を聴きながら、誰もいない夜のテラスで、二人きりの舞踏会をはじめた。
ここで第二部第三章は終了です。
次回より、第四章に入ります。
拒絶世界の能力に関しては、竜戦が「光」で今回が「闇」です。
詳しいことは第四章でアリアが解説してくると思います!
第二巻も今年発売しますので、引き続きよろしくお願いいたします。
もしかしたらよいお知らせが出来るかもしれません。





