194 黒竜
ドゴォオオオオオオオンッ!!
「くっ!!」
大空に舞い上がった黒竜から放たれた雷のブレスが大地を穿ち、そこから飛び離れようとした私をネロの触手が絡め取る。
「ネロ!!」
『ガァアアアアアアアアアア!!』
ネロが全身を使って大地を蹴った瞬間、私たちの全身を衝撃が包み込む。それでも膨大に舞う砂煙を突き抜けて後方へ下がると、ジェーシャと師匠の掠れるような声が耳に飛び込んできた。
「アリアっ! ネロっ!」
「――【高回復】――っ!」
師匠の治癒魔術が私とネロを包み込む。火傷で赤くなっていた肌が再生されると同時に立ち上がった私は、私たちを庇うように飛び出していたジェーシャの横に並ぶように前に出た。
「アリアっ、行けるか!?」
「……大丈夫」
見た目よりも傷は深くない。ダメージが少なかったのは、触手のような髭で電気を操るネロが、私が受ける電撃の大部分を肩代わりしてくれたのだ。
もう一度師匠から【高回復】を受けたネロが私の横に並び、その毛皮を撫でてネロは笑うように微かに喉を鳴らした瞬間、心臓を押しつぶすような怨嗟の声が響いた。
《――ヒトどもよ、誰一人として逃がしはせん――》
大空を舞う黒竜から咆吼ではなく、怨嗟に満ちたこの大陸の共用語に、その憎悪の言葉を耳にしたジェーシャが微かに身を震わせ、視界の隅で師匠が顔を顰めるのを見て、私は師匠から教わったことを思い出した。
この大陸にも数体だが属性竜が存在する。だが、そのほとんどは人間種の生息圏とは異なる場所に居を構え、こちらから踏み込まないかぎり敵対することはない。例外は気性が荒いと言われる火竜だが、竜の狩り場と呼ばれる大陸中央平原で狩りをする際に、戯れで人族の商隊を襲う程度で済んでいた。
知性の高い属性竜は最強ではあっても、群れをなした人族と敵対すれば痛手を負うことを知っているのだ。
だが、属性竜の中でも『黒竜』だけは違う。
竜とは強くなるために進化する。そのために属性の魔素を食らい、火竜、氷竜、風竜や鋼竜などへと進化するが、闇属性の黒竜は、激しい感情によって進化する。その多くは人間種への憎悪を抱く『人食い竜』となるのだ。
竜は基本的に人間種を敵としてみてない。竜の戦う相手は竜であり、闇属性は竜同士で戦うには不向きな属性だった。だが、同族を敵とせず、人間種を敵と定めた黒竜は執拗に人だけを狙い、討たれて死に絶えるまで幾つもの国を滅ぼしてきた。
お伽噺で勇者と死闘を演じる『邪竜』とは、この黒竜から進化してランク8となった闇竜なのだ。
《――滅びよ――っ!!》
砂漠の太陽を遮るように黒い翼を広げ、黒竜が生き残っていた魔族軍に襲いかかる。
大空から降りる。ただそれだけのことで古代遺跡の建物が崩壊し、大地が砕け、それに巻き込まれた魔族兵の血肉が飛び散った。
大空から一方的にブレスで攻撃するのではなく、己が爪で引き裂き、その牙にかけ、噛み潰すように貪り食らう様は、黒竜の憎しみの強さを感じさせた。
「――【祝福】――」
それを見た師匠がレベル4の光魔法を私たちに使う。【祝福】は物理と魔術の両方の耐性を少しだけ上げてくれる魔術だが、普通の敵相手にこれを使うくらいなら、その分を攻撃に回したほうがいい。でも、それを使うということは、わずかでも耐性を上げなければ生き残れない強敵なのだと理解した。
「アリアっ! お前の魔力はすべて攻撃に回しなっ! ネロはアリアと攻撃だ! ジェーシャは、いつでも戦技を撃てるようにしておけ!」
「応!」
なりふり構わず、最上級の魔力回復ポーションを飲みながら師匠が指示を出し、魔鋼の両手斧が軋みをあげるほど力を込めて、ジェーシャが叫び返す。
黒竜はこちらが逃げようとした瞬間に襲いかかってくるだろう。運良く逃げられたとしてもアレは絶対に追ってくる。
その時には今よりも強くなっているはずだ。さらに進化して闇竜となれば、この大陸の国家が幾つも滅びることになる。あいつを倒すには、進化したばかりで体力や戦闘力が万全じゃない今しかない。
「行こう」
――了――
私とネロは砂混じりの大地を蹴るようにして黒竜へと駆け出し、その後にジェーシャが続く。黒竜の戦闘力は今の状態でも私やネロの三倍近くある。でも、アレを倒す機会があるとしたら、本当に今しかない。
私は自分の中にある魔力から不純物である属性を排除し、身体強化を敏捷値に割り振りながら矢のように飛び出した。流れる景色の中で魔族兵を襲う黒竜を見定め、一足飛びでその背に飛び乗りながら、黒いダガーの一撃を翼の付け根に叩き付ける。
ガキィンッ!
『グァアアアアアアア!!』
筋肉を覆う鱗が欠けて、攻撃を受けたと察した黒竜が翼の一振りで私を弾き飛ばす。
「っ!」
振り回された黒竜の爪が大地に亀裂を刻み、私は即座に刃鎌型のペンデュラムを翼に放って、振り子のように振り回されながら黒竜の頭部に回り込むと、それに気づいた黒竜が真っ赤な瞳に私を映して牙を剥いた。
『ガァアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!』
ゴォオオオンッ!!
その瞬間、追いついてきたネロの一撃が、轟音を立てて黒竜の横面を張り飛ばす。
私の力ではたとえ【鉄の薔薇】を使っても黒竜に深手を与えることは難しい。だからこそ私は自分を囮にして、ネロに攻撃を任せた。
だが、その攻撃を受けた黒竜の目がぎょろりと動いてネロを睨めつける。オーガの首でも一撃で切り飛ばすネロの一撃を受けても、鱗が欠けただけで肉にまで攻撃が通っていない。それでも――
「――【闇の霧】――」
矛先をネロに向けた黒竜の頭部を黒い霧が覆い、再び振り子で回り込んだ私の踵が、黒竜の眼球を蹴りつけた。
ガキンッ!!
「っ!」
『ゴァアアアアッ!』
黒竜が咆哮をあげて闇の霧を振り払う。微かに黒竜の目蓋に傷がついていたが、それだけだ。黒竜は自分の周囲を飛び回る虫を払うように爪を振るう。その隙を狙うようにネロが翼に牙を突き立てた。
《――矮小な者どもが――ッ!!》
ドゴォオオオオオオオンッ!!
黒竜が巨大な翼をはためかせて私たちを打ち払う。ただそれだけで地面がひび割れ、暴風が荒れ狂い、その中で黒竜は攻撃を仕掛けるネロではなく、目障りな私に狙いを定めた。
だが、それは望むところだ。私は黒竜にブレスを使わせないために接近戦を試みる。
「――【幻影】――」
三体の幻影を作り出して私の動きをトレースさせると、黒竜の爪が私のスカートの裾と半歩遅れて付いていた幻影の一つを引き裂いた。
『ゴォアアアア!』
怒りの咆哮をあげた黒竜が蛇のように首を振るって、その頭部で幻影ごと私を叩き潰そうとする。
「――【鎧砕】――」
ガキィイイイインッ!
『ゴァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!?』
その瞬間を見計らったように、隙を窺っていたジェーシャが飛び込んでくると、撃ち放った戦技が首の鱗を引き裂いて、初めて黒竜の鮮血が飛び散った。
戦技なら黒竜の防御を貫ける。私が注意を引いて隙を作り、ネロがダメージを与え、ジェーシャが痛手を与えた。
【黒竜】【種族:属性竜】【幻獣種ランク7】
【魔力値:271/400】【体力値:692/1035】
【総合戦闘力:7879】
だが、まだだ。わずかに体力が削れただけだ。
何か〝決め手〟がいる……。
トドメを刺すための強力な〝一撃〟と、その隙を作るための〝技〟が。
「今だ、撃てぇええ!!」
その時、生き残りの魔族たちから火魔術が放たれた。
「くっ!」
私とネロを巻き込むように放たれた攻撃を回避するため飛び離れた瞬間、黒竜がその瞳を憎悪に染めて大きく口を開く。
「マズい!」
轟!!
黒竜から放たれた雷のブレスが生き残っていた魔族兵を薙ぎ払う。
「…………」
……余計なことをしてくれた。私とネロが一撃でも受ければ瀕死になると分かっていながら、それでも接近戦を仕掛けていたのは、黒竜にブレスを撃たせないためだった。
そして、魔族軍が殺されたことで、黒竜を大地に繋ぎ止めていた憎悪という〝枷〟がわずかに緩んだ。
《――不遜――》
そう呟いた黒竜が翼を使い、その巨体が徐々に大地から浮かび始める。
私たちがここで戦うことを決めた理由は、黒竜が怒りと憎しみで我を忘れて、魔族軍を食らうことに固執していたからだ。
黒竜が人族や亜人の国家を襲い始めれば、その数の多さから空で戦うことを選ぶはずだ。そうなれば私のような斥候職の冒険者が戦える相手ではなくなる。その黒竜を殺す最後の機会を、黒竜を生み出すきっかけとなった魔族軍が潰してしまった。
「――【大旋風】――っ!」
溜めていた魔力を解き放った師匠の風魔術が、飛び立とうとする黒竜の邪魔をする。ジェーシャも土魔術の岩の弾丸を撃ち放つが、それでさえ黒竜の飛翔を完全に阻害することができず、ついに黒竜が大空で羽ばたいた。
でもその時――
『ゴァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!?』
突如、黒竜が体勢を崩して咆哮をあげる。師匠の風魔術に合わせるように、巨大な竜巻が黒竜を包み込んでいた。
あれは風魔術の【竜巻】……? いや、違う。私の目は竜巻の中に巨大な〝鳥〟の形をした魔素を視た。あれは……
「風の上位精霊……?」
それだけでなく、その瞬間に飛来した矢が黒竜の頭部で弾け――
「うぉおおおおおおおおおおっ!!」
どこからか響いた雄叫びと共に投げ放たれた槍が、黒竜の翼の皮膜を貫き、バランスを崩した黒竜が轟音を立てて地に墜ちた。
「――アリアっ!!」
懐かしさも感じる名前を呼ぶ声に、顔を上げた私の瞳に武器を構えた彼らの姿が飛び込んできた。
複数の槍を構えて狙いを定める、ドルトン。
風の精霊魔術の詠唱を続ける、ミラ。
複数の矢をつがえて弓を構えた、ヴィーロ。
大剣を構えて私の名を呼んだ、フェルド。
虹色の剣のみんなが来てくれた!
ようやく辿り着いたランク5パーティー『虹色の剣』。
次回、アリアの力が解放される!