190 願いの果てに 3
アリアの戦闘力で計算違いがあったので、以前の話も含めて修正しました。
「カルラ……」
ダンジョンではない、傾いた月と石床だけが見えるその場所で私を待っていたのは、真新しい真っ白なドレスを纏い、口元に三日月のような笑みを浮かべたカルラだった。
精霊の空間に干渉したのはこいつか……。
「最奥?」
ダンジョンの最奥は最下層ではなかったの? カミールは広い場所に祭壇があったと言っていた。以前に私やエレーナが潜ったダンジョンにも最下層に祭壇があり、私はそこから精霊のいる空間へと呼ばれた。
私の口から思わず漏れた疑問に、カルラの黒髪が笑うように微かに揺れる。
「そうよアリア。ここがダンジョンの〝最奥〟よ。確かに誰も辿り着けなかったはずだわ。だって、本当の最奥は魔族砦の〝上〟にあったんだもの」
「……どういうこと?」
カルラは「ただの推測よ?」と言って彼女の考察を話してくれた。
まず、カミールが見たという最下層は最奥ではなくただの『控え室』で、祭壇も本物ではなくただの転移装置でしかなかった。
「そして、本当の〝望み〟を叶えるには、この場所へ来ないといけなかったの」
ダンジョンの精霊は〝望み〟という形で【加護】を与える。だが、この最奥へ最初に辿り着いた初代魔族王が望んだのは、〝願い〟だった。
そんな曖昧な〝願い〟という〝望み〟を叶えるため、このダンジョンは〝願い〟を叶えるためのダンジョンへ変化した。おそらくは最奥には辿り着けなくても、初代魔族王の『魔族の存続』という〝望み〟に沿うかぎり、最下層に辿り着いた者の〝願い〟を叶えてきたのだろう。
〝願い〟ではなく、初代魔族王のように〝望み〟を叶えるには、自力でここへ辿り着かなくてはいけなくなる。
カルラが最下層を『控え室』と言ったのは、本来は辿り着いた魔族王一人が最奥へと向かい、配下たちはその場に残されるからだ。
それというのも、最奥へ入るには『資格』が必要だからだとカルラは言った。
「お前はどうやってここへ入った?」
「外なのに〝入る〟というのもおかしな話ね。資格というのは、たぶん、意思の力……かしら? でも私には精霊に叶えてもらう望みも願いもないから、祭壇を壊そうとしたらここへ飛ばされちゃった」
「…………」
……出鱈目な奴だな。ある意味カルラらしいが。
「本当に〝望み〟はないのか?」
私がそう問うと、カルラは隈の浮いた紫色の瞳に、真っ直ぐに見つめる私を映す。
「無いわ」
お茶のおかわりを断るような軽さで、精霊の褒美を切り捨てた。
「ここに来たとき精霊の声が聞こえたの。望む願いを叶えよう……って。でも、これ以上の【加護】なんていらないし、身体を癒やして弱くなるなんて望んでないわ。それよりアリア、面白いと思わない?」
「何が?」
いつものことだが、カルラとの会話はコロコロと話題が変わる。でも、そんな私の素っ気ない返事にも、カルラは楽しげに両手を広げて石床の上をくるくると回る。
「いつもながら冷淡で、あなたらしいわ。魔族ったら、ダンジョンの最奥を目指すために管理しようとして、ダンジョンの中をぐちゃぐちゃにした結果、誰も辿り着けないこんな場所に〝最奥〟ができたのよ? ふふ」
確かにあの魔族砦は、外に出る扉はあっても、屋上へ出る階段はどこにもなかった。たぶん、通常手段では辿り着けないように空間が歪んでいるのだろう。
カルラがここを〝外〟ではなく〝最奥〟と呼ぶのは、この場があまりにも濃度の高い純粋な魔素で満ちていたからだ。精霊力に満ちているのだから、神々しいと言い換えてもいいが、この濃さでは魔力に慣れていない者なら、酔ったような気持ち悪さを感じそうだ。
精霊の空間に直接繋がっているからだろうか。確かにこの場所なら、カルラの魔力でごり押しすれば空間に干渉もできるだろう。
今のカルラには、それだけの〝力〟がある。
「アリアはまだ変わらないの?」
私の心の声が聞こえたかのように、不意にカルラがそんな言葉を投げかける。
カルラは変わった。肉体の脆弱さとは正反対に禍々しいまでの力に満ちた彼女は、ついに強者しか辿り着けない〝ランク5〟という領域に足を踏み入れたのだ。
「あなたなら、この戦いで高みに至ると考えていたのだけど、私の見通しが甘かったのかしら? それともアリア……少し甘くなった?」
カルラから感じる気配が徐々に《威圧》へと変わり、溢れ出る魔力が飽和してカルラの波打つ黒髪が広がりはじめ――
「……ここで、殺しちゃおうかしら?」
ついに留まりきれなくなった膨大な魔力が殺気と共に吹き荒れた。
「――【鉄の薔薇】――っ!」
「――【魂の茨】――っ」
同時に力を解放し、私の桃色髪が灼けたような灰鉄色へ変わり、カルラの蒼白い肌に黒い茨が絡みつく。
【アリア(アーリシア)】【種族:人族♀】【ランク4】
【魔力値:338/340】【体力値:267/270】
【総合戦闘力:1497(特殊身体強化中:2797)】
【戦技:鉄の薔薇 /Limit 338 Second】
スカートを翻して、抜き手も見せずに投擲ナイフを抜き放つ。それと同時に飛びだした私は斬撃型のペンデュラムをカルラに振り下ろした。
カルラは全身から魔力を爆発させるように噴き出し、その反動で飛び下がりながらも魔力でナイフを吹き飛ばす。
「――【空弾】――」
カルラの唇が呪文を奏でた瞬間、私の周囲に数十もの風色の魔素が出現した。
ランク2の魔物すら一撃で葬る風の弾丸が、私の逃げ場をなくすように全方位から降りそそぐ。
「――【魔盾】――」
曲芸のように回転しながら風の弾丸を躱し、避けきれなかったものは【魔盾】を一瞬だけ展開して受け流しながら、その反動を使って前に出た私は踵の刃でカルラに蹴りつけた。
カルラはまたも魔力を噴き出して宙に舞うように空へ回避する。私は即座に両腕を振りかぶり、威力ではなく速度重視で【影収納】から複数の暗器を投げ放った。
「――【風幕】――」
速度重視の投擲は矢逸らしの呪文で弾かれる。
「――【灯火】――っ!」
その瞬間、私が宙に浮いたカルラに向けて最大光度にした【灯火】を瞬かせると、カルラの影が微かに揺れた。その瞬間に私も宙へ舞い、風の防御を撃ち抜くように分銅型のペンデュラムを振り下ろした。
ガンッ!!
「……【岩肌】……」
分銅の一撃は、カルラが使った【岩肌】の鎧によって弾かれた。そのカルラの背後から、飛び出した私を待ち構えていたように氷の槍が滲み出る。
「――【氷槍】――」
「ア・レッ!」
人の限界速度を超え、数十もの【氷槍】の合間を縫うように駆け抜け、黒いナイフをカルラの喉へ振り抜いた瞬間、カルラの全身すべてが〝黒の茨〟に覆われ、禍々しい魔物のような姿に変わる。
【カルラ・レスター】【種族:人族♀】【ランク5】
【魔力値:∞/590】【体力値:45/52】
【総合戦闘力:1711(特殊戦闘力:4906)】
ギィンッ!!
「アハ♪」
黒く染まったカルラの腕がナイフの刃を弾き、高速で振り抜かれた黒い拳が手甲で防いだ私を身体ごと吹き飛ばした。
吹き飛ばされながらも軽業のように床に手をつき、転がるように着地した瞬間、追撃するカルラの蹴りが石床を砕く。
ギリギリで回避した私とカルラは、思考加速の緩やかに飛び散る破片の中で、互いに向けて同時に指先を向けた。
「「――【幻痛】――」」
同時に放った同じ魔術。だが、カルラの【幻痛】を受けた私は、死の苦痛ともいうべき〝痛み〟に襲われ、その瞬間にカルラに蹴り飛ばされた。
ズサァアッ!
「くっ……」
「ごほ……それで終わり?」
倒れた私に、茨を解きながら口から血を零したカルラが手の平の炎を向ける。
だが、一瞬でその炎を消し去ったカルラは、白いドレスを汚す口元の血を拭いもせずにあっさりと踵を返した。
「楽しかったわ、アリア。次に会うときはもう少しマシになっていてね」
「…………」
屈託のない童女のような笑顔を浮かべたカルラは、そう言って、何事もなかったかのように【空間転移】で消えていった。
「……これが、カルラの〝痛み〟か」
常にあの苦痛の中で生きているのだとしたら、カルラの世界への憎しみは死よりも大きなものなのだと感じた。
私は仰向けに倒れたまま星に手を伸ばす。……遠いな。あれがランク5のカルラか。しかも、レベル3以下の魔術のみとは、随分と手加減してくれたようだ。
甘くなった。確かにそう言われても仕方ない。
私は、エレーナとの『誓い』のため、カルラとの『約束』のため、体と心を削るようにしてでも〝強さ〟を求めなければいけなかった。でも私は、エレーナの所へ帰還すること。カミールの命を守ること。なにより、『生きること』を優先してしまった結果、未だに求めた力を得られてはいなかった。
それが死さえ乗り越えたカルラとの差となったのだ。
あれに勝つのか……しんどいな。今のままでは勝てない。でも――
「〝約束〟は覚えてる……カルラ」
私は空に伸ばした手をぎゅっと握りしめた。
『――終わったようだな――』
「……ああ」
身を起こした私に再び精霊の気配が現れ、語りかけてきた。
「……あれが、カルラの〝願い〟か?」
『――左様。干渉はされたが、あの者の前に飛ばしたのは、あの者がお前を望んでいたからだ――』
最初の言葉で理解した。願いも望みもないカルラが、精霊の空間に干渉するほど望んだ私を送ることで、それを〝願い〟の代わりにしたのだろう。
私を巻き込むなと言いたいところだが、まともそうに思えても、やはり精霊は精霊ということか……。
『――人の子よ。確かにお前には迷惑をかけた。その礼として、この場に辿り着いたお前の〝願い〟ではなく〝望み〟を叶えてやろう――』
「私に叶えてもらう〝望み〟はない」
望みか……。エレーナは〝癒やし〟を願い、その対価として火の属性を失った。カルラは寿命を対価に〝力〟を得た。初代の魔族王は種族の存続を望んだ対価として何を支払ったのだろうか。
私に望むものはない。加護で強くなろうとも思わない。でも、私の最終的な望みは、死を望むカルラと違い、『自分として生きる』ためだということを思い出した。
今のままじゃ駄目だった。
カルラ……私は〝私〟のまま強くなるよ。
そんな私がカルラのために……たった今、強くなるとは別の〝望み〟ができた。
「……私があいつの代わりに望んでもいい?」
***
「アリア!」
受け取った物を【影収納】へ仕舞い、私がまた精霊に飛ばされると今度は祭壇のある広間のような場所で、安堵したような顔のカミールに迎えられた。
「アリア、どこに行ってたんだ!?」
「また精霊の気まぐれだ。気にするな」
「……そうか?」
カルラとの戦闘でまだ少し殺気が漏れていたのか、若干引き気味のカミールが納得できてなさげにそう呟いた。
ここが最下層か……。辺りを見渡せば、カミール同様、魔族王の声が聞こえたのだろう。戦いは止めたようだが剣呑な雰囲気で牽制し合っているダウヒールとシャルルシャンの姿が見えた。
確かに配下を殺されているのだから、この結末に納得はできないだろう。しかも決着が彼らの誰でもないカルラが辿り着いたからという半端な決着だ。
でも、この戦いはすべてが無駄じゃない。命を懸けて仲間のために戦ったからこそ、魔族王の延命という結果になり、魔族王の子であるカミールも人間的に成長した。
結果的には魔族という種の存続へと繋がった。そして――
「アリア、あの人が俺たちに力を貸してくれたんだ。……知り合いなんだろ?」
「……ああ」
こちらに向かってくる幾つかの人影。ジェーシャ、カドリ、イゼル、ネロ……
「師匠……」
「ちゃんと生きていたね、無愛想弟子」
ネロだけじゃなく師匠も来てくれた。あまり戦える身体じゃないのに……。
ネロは私と共に戦うために来てくれた。そして師匠は、私を理解してカミールたちを護ってくれた。
『ガァ……』
「ふてくされるんじゃないよ」
せっかく会えたのにすぐに離れてしまったネロが不満げに唸ると、若干疲れが残る顔で師匠が苦笑する。
一瞬、心が弛緩したその時――
『ガアッ!!』
「っ!」
ネロが吠えた瞬間、幾つもの針のような刃が私たちに向けて雨のように降りそそぎ、それを私とネロが師匠を庇うようにナイフと触手で弾き飛ばす。
だが――
「くっ」
「師匠!」
一本の針が師匠の肩を貫き、毒を受けたのか苦悶の表情で膝をつく。そして――
「……アリア」
私たちに気を取られたカミールが、背後から〝何者〟かに、折れた剣のような刃で腹を刺し貫かれていた。
突然の襲撃者は誰なのか? カミールの安否は?
次回、ダンジョン最終戦