189 願いの果てに 2
※短剣技レベル5の戦技名称を変更してあります。
「アリア……? どうしてお前がここに? いや……ここはどこだ?」
「落ち着け、カミール。私たちはどうやらダンジョンの精霊に呼ばれたようだ」
武器に手をかけ、どこに敵がいるのかと警戒を続けるカミールに、私は数歩離れたまま声だけをかけた。
ここが異常な空間でもこのカミールが偽物だとは思っていない。精霊なら何をしても不思議ではないが、ここの精霊はそんな悪戯をするようには思えなかった。
数日ぶりに見るカミールは、外套や革鎧に返り血がこびり付き、以前にはあった気の緩みのようなものが無くなっていたので、このダンジョンでの戦いは彼を否応なく成長させることになったのだろう。
「精霊のいる空間か……。では、ここに精霊がいるのか?」
「いた。だが、お前と入れ替わるようにして気配が消えた。……どこかからこちらを見ているか、〝誰か〟の願いを叶えているのかもしれないな」
ここの精霊は比較的まともに思えるが、それでも人間とは尺度が違うので、願いがどう歪んで伝わるか分からない。
「……願いか」
私の言葉を反復するようにぼそりと呟いたカミールは、乾いた血がこびり付いた自分の手をじっと見る。
「……ダンジョンの奥へと向かっていたとき、突然足下に魔法陣が浮かんで、俺たちはどこかへ飛ばされた。そこは祭壇のような物があった広い部屋で、俺以外にも誰かいたことを確認した瞬間、〝父上〟の声が聞こえた……」
カミールの父ということは私が出会ったあの男か。
私と話したあと、彼もどこかへ飛ばされたように見えたけど……時間の流れがずれているのか? 呼ばれたのはほぼ同時でも、ここにいる間は時の流れが外とは違うのかもしれない。……あまり長居するべきではないな。
「頭の中に直接響いた父上の声は、一言……『死ぬのはやめだ』と言ったんだ。なあ、ふざけているだろ? あの人が死のうとしたから、過激派が勝手に動き始めて、戦争なんて始めて、人が何千人も死んだんだ……」
「そうだな」
彼のしたことは、王という立場のある人間がやることではない。
愛する人が死んだ悲しみを感情で考えるな、というのは無理な話だが、それを割り切れる人間こそが〝王〟だと、私はエレーナから学んだ。
「それでも戦争を起こそうとした連中は、恨みが晴れないかぎり、どこかで同じことをするだろう。カミールの父親も、ただ気まぐれに心変わりを起こしたわけじゃない」
私がそう言うと、カミールは苦い物を噛んだかのように口元を歪ませる。
「ああ……知っていたさ。いや、気づかされた……か。俺の心の中に……カドリやイゼルだけでなく、シャルルシャンやダウヒール、その他の戦士に選ばれた闇エルフたちの中にも、その〝願い〟があった。みんな、心の片隅で父上が生きてくれることを願っていたんだ……」
エルグリムやアイシェのような戦争強硬派は別にして、仲間や魔族のことを考えていた者たちは、心のどこかで魔族王が再び導いてくれることを望んでいた。
ダウヒールやシャルルシャンが選定の儀に参加したのも、積極的に戦争を起こしたいのではなく、氏族が生き残る術を模索した結果なのだと私には思えた。
その〝願い〟で、どうして私が必要だったのか未だに腑に落ちないが、おそらくは毒を毒で制す〝劇薬〟が必要だったのだろう。
「それで、カミールはどうするつもりだ?」
私の問いかけの意味に気づいてカミールが伏せていた顔を上げる。
カミールが選定の儀に参加したのは、王になりたかったのではなく生きるためだ。
魔族王が復帰しても、人族に恨みを抱く者も、カミールの存在を良く思わない者もまだいるはずだ。でも、今までのように他国に潜伏して逃げ回るほど、絶望的な状況ではなくなった。
カミールならカルファーン帝国でもどこでも、闇エルフに偏見が薄い土地なら冒険者ができるだろう。仕事に就くのでも身分ならロンが用意してくれるはずだ。
もうカミールは自由なのだ。
「……俺は、自分が王になれるなんて考えたことはなかった。母さんを殺した奴らがいる魔族を率いていけるなんて思えなかった。でも、この戦いで、魔族の恨みの深さを知れたことで、魔族のことを少しだけ理解できた気がした」
そう言うとカミールは遠くを見るように上を向く。
「恨むのにも理由がある。でも、恨みだけでなく、生きることに必死であがいている人もいた。みんな必死なだけだった。俺たちと同じだったんだ。だから俺は……魔族国に帰るよ。父上の仕事を手伝って、前にロンと話したように魔族と人族が共存できる道を探してみる」
「そうか」
それも茨の道に思えるが、彼がそう決めたのなら私に何も言うことはない。
「アリア……」
だが、カミールは私から目を離さず真っ直ぐな瞳を向けて、私の名を呼んだ。
「俺と……来ないか?」
「…………」
私が無言のままその言葉の意味を考えていると、私の視線に耐えきれなくなったようにカミールが口を開く。
「……情けない男と思ってもらって構わない。魔族の王子として生きる覚悟は決めた。だが、俺にはお前が必要なんだと、同時に気づいたんだ。俺はお前がっ!」
「私はエレーナの所へ帰る」
低く呟いた私の声にカミールの言葉が止まる。
私はエレーナを護ると決めた。彼女の下へ帰る。師匠の家に帰る。
カミールの言葉の意味を誤認しているわけじゃない。そういう感情があることはあの女の〝知識〟でも知っている。
だがそれを抜きにしても、私がカミールと共に歩むことはない。
「そう……か」
目を瞑ったカミールは鉄の塊でも飲み込んだように深く息を吐き、目を開いた彼の瞳はさっきとは違った強い光があった。
「アリア……勝負をしてくれ」
「勝負?」
その言葉の意味を図りかねてそう問うと、カミールは魔剣の短剣ではなく、予備のダガーを抜き放つ。
「恥の上塗りになるが、俺にはそれが必要なんだ。でも……お前に勝ったら、お前がなんと言おうと連れて帰る」
「…………」
その感情は理解できないが、ケジメを付けたいと願う気持ちは理解できた。
私には私の〝願い〟がある。精霊に願うのではなく自分の力で叶えたい想いがある。
私が勝負を受ける理由はない。でも……私を連れて帰ると挑む彼の思いは、私には少しだけ好ましく思えた。
「ならば本気を出せ」
「アリア……」
黒いナイフと黒いダガーを抜いて、全身から〝威〟を放つ私にカミールは何を見たのか、息を呑み、予備のダガーを戻して二本の魔剣を引き抜いた。
「……これを抜いたら手加減はできないぞ」
「安心して」
彼の魔剣は、レベル5の戦技を封じていると聞いている。それを本気で放てば私が死ぬ可能性もあるはずだ。
私は感情を心の奥底に沈めて、一歩前に踏み出した。
「私も本気でやるから」
「っ!」
二人で十歩ほどの距離を置き、あの女の〝知識〟で見た西部劇のように、互いに得物を構えて対峙する。
カミールからは以前にあった甘さや弱さが消えて、今までにない強い気迫が感じられた。あれなら借り物の戦技でも十全に振るえるようになっているだろう。
爪先でにじり寄るようにじりじりと距離を詰め、互いに放つ威圧が場を満たし、私が微かに目を細めて、カミールの頬に流れた一筋の汗が顎から落ちた瞬間、私たちは同時に地を蹴った。
「――【解封】――」
「――【鉄の薔薇】――」
桃色がかった金の髪が灼けるような灰鉄色に変わって、光の粒子が銀の翼のように飛び散り、カミールが持つ二つの魔剣から強い魔力の光が放たれた。
「――【兇刃の舞】――ッ!!」
短剣技レベル5の【戦技】、左右から放たれる怒濤の八連撃が迫り来る。
逃げ場のない八つの斬撃を通常手段で躱す術はない。他の戦技でもそうだが、戦技を受けて立つには、それ以上の力で覆すしかない。
ガキンッ!!
「――っ!」
初撃をダガーで弾いた私にカミールが目を見開いた。
鉄の薔薇を使っても【兇刃の舞】を見てから躱すことも受けることも難しい。だから私は受けるのではなく、目で見るよりも肌で感じる感覚だけで軌道を読み、最高速度で打ち返す。
「ア・レッ!」
速度を増した斬撃がこちらから攻めるようにカミールの斬撃とぶつかり合う。
カミールが相打ち目的なら、いくつかの斬撃は互いの身体を貫いていただろう。だがこれは命の奪い合いではなく、意地を懸けた戦士の戦いだ。
打ち合う速度が増して、私の放った斬撃をカミールが斬撃で受けとめる。必勝の戦技を放ったはずが、逆に私から攻められることになったカミールは、退くことをせずにそのまま前に出た。
「うぉおおおおおおおおおお!!」
カミールが叫びをあげ、繰り出された連撃が、軌道を読み続けた私の精神をすり減らす。だが、削れているのはカミールも同じだ。
戦技を一度で終わらせるのではなく、そのまま連撃を繰り返したカミールの腕から、血飛沫が舞い始めた。
傷よりも意地を取るか、カミール。
「ハァアッ!!」
気迫を声に変えて最大筋力で放つ左右の一撃が、血まみれの腕で戦技を使い続けるカミールの魔剣を受けとめた。
魔剣を抑えたまま一歩前に踏み出し、身を擦り合わせるほどの間近から、私は渾身の頭突きを彼の眉間に叩き込む。
ガンッ!!
「ぐぁあっ!」
衝撃に弾かれ、仰向けに倒れたカミールの胸を踏みつけ、黒いダガーの切っ先を彼に向けた。
「納得したか?」
「……ああ」
勝負は決まった。ダガーを仕舞って再び差し出した手で立たせたカミールの顔は、悔しそうにしながらも少しだけ晴れやかだった。
納得できたのならそれでいい。そのための勝負だ。
それに……私が話すことでもないが、カミールと同じ闇エルフと人族のハーフエルフである少女、イゼルがお前を見る視線が、主を見る視線と少しだけ違うことに落ち着けば気づくこともあるだろう。
これで精霊が私を呼び出した用が済んだのだろう。空間に歪みが生まれてカミールの姿がこの場から消える。
私の足下にも空間の歪みができて、カミールたちの所へ飛ばされるのかと思ったその時、ふいに精霊の声が響いた。
『この場に干渉する者がいる』
目の前の霧に包まれたような白い景色が変わり、傾いた月が見える夜空が私の視界に飛び込んできた。
ここはどこだ? ダンジョンの最下層ではない? 精霊は、あの空間に誰かが干渉したと言っていた。超常の存在である精霊が住む空間に、そんなことができる者がいるというのか……?
涼しい風が私の頬を撫でそれ以外は石の床しか見えないここはどこかと、辺りを見回す私の背後から、楽しげな少女の声がかけられた。
「ダンジョンの〝最奥〟へようこそ、アリア」
アリアさん、バッサリといきました。
そして〝最奥〟にいた少女の正体とは!(すっとぼけ)