185 選定の儀 その8 アイシェ戦 後編
「囲め!」
「あの触手は範囲もあるぞっ」
「仕掛ける!」
長槍の戦士を倒され、残り三人の戦士たちがネロの周りを取り囲む。
ランク4の戦士が三人もいればランク5の魔物と戦える。だが、相手が知能の高い幻獣種で、ランク5の上位なら油断すれば一撃死もあり得るのだ。
「うぉおおおおおおっ!!」
重戦士が盾を構えて叫びをあげてネロの注意を引く。それに一瞬ネロが反応を見せた瞬間、長剣と片手斧の二人の戦士が同時に飛びかかった。
『ガアアアアアアアア!!』
「ぐっ!!」
即座に反応したネロの触手と片手斧がぶつかり合い、電撃に焼かれた片手斧の戦士が呻きを零す。
「――【石弾】――」
ネロがそれに追撃をする前に重戦士が魔術を放ち、撃ち出された石弾を飛び避けたネロに、待ち受けていた長剣の戦士が渾身の一撃を振り下ろす。
ガキィインッ!!
金属を打ち鳴らすような音が響き、ネロと長剣の戦士が同時に距離を取る。
『グルルゥ』
低く唸るネロの触手にわずかに切れ目が入っていた。
【斬撃刺突耐性】を持つネロの毛皮は並大抵の武器では傷つかない。そのネロの武器である触手は金属繊維で出来た鞭のような強度があり、打ち合わせた鉄の剣程度なら容易くへし折ることができた。
ネロが魔力を通して強度を増したその触手を傷つけた戦士を睨むと、渾身の一撃でわずかな傷しか付けられなかった長剣の戦士も「化け物が」と吐き捨てた。
「目か腹を狙え!」
「ならば……【火付与】――っ」
片手斧の戦士から炎が飛び出し、自分の斧と長剣に火の魔術を使い、付与された武器から炎が吹き上がる。
本来は再生力の高い魔物や不死属性の魔物相手に使う魔術で、攻撃力自体は大きく変わらないが、【斬撃刺突耐性】で武器を弾くのなら有効だと考えた。
それを見て重戦士も威力の低い短槍を投げ捨て、背中から予備の武器である鋼のメイスを引き抜き、自らに【岩肌】を唱えた。
『ガァアア!!』
「うぉおおおおおおおおおお!!」
威嚇するように吠えたネロに片手斧の戦士が斬りかかり、その斧を受けずにネロの触手が横から弾くが、わずかに毛が焦げるような臭いが広がる。
その横から盾を構えたまま重戦士がネロに体当たりをしてきた。ゴォンと重い音がぶつかり合う音が響き、ネロの爪がその盾に亀裂を入れるが、重戦士は怯むことなくメイスをネロに叩き付け、組み付くようにネロの動きを封じようと試みた。
「今だ!!」
「たああああああああああああ!!」
それを待っていたように長剣の戦士が飛び出し、炎を巻き上げる一撃をネロの正面から突き出した。
この中で長剣の戦士が最大の攻撃力を誇り、片手斧の戦士も重戦士も最初から彼に攻撃をさせる隙を作るために動いていた。
だが、その瞬間――
『ガァアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!』
ネロの二本の触手から広範囲の電撃が放たれた。ネロの電撃は体内の魔力を使い肉体そのものから放つもので、放電で使えば威力は落ちるが、クァールの電撃は本来直接攻撃に使うものではない。
「なっ!?」
剣から炎が失われて長剣の戦士が驚愕に呻く。
クァールは電磁波のようなものを放ち魔術を阻害する。一度放たれた魔術であったとしても、それを持続させる魔術構成を術者の精神が担っている状況なら、阻害することは可能だった。
だが、ネロはどうして最初から使わなかったのか?
その理由は、獣型であるネロを魔物として侮らせること……そして。
「――【鉄砕】――っ!」
「がっ!?」
魔術を消されたその一瞬の隙を狙ったジェーシャの両手斧が背後から斬り裂き、鎧ごと背を断ち割られた重戦士が血飛沫の中で崩れ落ちた。
ネロは格下が相手でも油断はしていなかった。人間が極限状態で放つ命の輝きを、ランク3でありながら臆することなく渡り合った、あの〝少女〟から学んだ。
ネロは最初から油断せず、三人の戦士と同じように自らを囮として攻撃をさせる隙を作っていたのだ。
「――【兇刃の舞】――っ!!」
「ぎゃああああああああ!」
次の瞬間放たれたカミールの戦技が、唖然として固まっていた片手斧の戦士を引き裂いた。
カミールたちもネロの狙いを知っていたわけではない。ただ、脅威度が幻獣より低いとして、カミールたちから注意を逸らしてしまった戦士たちの油断を突いた。
『ガァアア!!』
それと同時にネロも長剣の戦士を爪で引き裂いてトドメを刺す。
血煙の中で返り血に染まるネロの姿に、カミールとジェーシャが緊張で顔をこわばらせると、ネロはまたフンと鼻を鳴らして、まだ戦い続けるセレジュラのほうへと視線を向けた。
「「ハァアアアアアアアアアアア!!」」
生き別れた姉妹がダンジョンの奥で刃をぶつけ合う。
近接戦でランク5を誇るアイシェの剣技でも、近接スキルランク3しかないセレジュラを捉えられず、魔術を併用した曲芸じみた体術とそれに特化された〝異形の鎖〟でアイシェを翻弄した。
「おのれっ!!」
アイシェが盾を使って複数の暗器を金属の輪で繋げた鎖を受け止め、雷光の如く鋭い一撃を鎖に打ち込み斬り裂いた。だが、切り落とされた部分の鎖がばらけて、暗器が解放されたかのようにアイシェに襲いかかる。
「なにっ!?」
即座に飛び下がったアイシェが盾で防ぎ、剣を使って弾き飛ばした。だがその時にはまた暗器を補充されて元の長さに戻った〝異形の鎖〟が、風魔法で宙を舞うセレジュラから振るわれ、アイシェは咄嗟に受けた盾ごと吹き飛ばされた。
これが戦場で数多の敵や味方から恐れられた『戦鬼』の技と武器だ。
一人で敵陣に切り込み、一人で戦い続けるために刃毀れした武器を捨て、敵の武器を奪い取り、死体から武器を拾い、繋ぎ合わせて一つの技で扱うことで、千の強敵を討ち取った。
「……もう使うつもりはなかったんだけどね」
暗殺から手を洗い、ようやく静かな生活をできるようになってから一度も使ったことはなく、愛弟子であるアリアにさえ見せたことはなかった。
セレジュラがアリアのペンデュラムに興味を覚えてその製作に手を貸したのは、極限の戦いの中で自分と同じような手段に辿り着いたアリアに共感を覚えたからだ。
この殺しのための武器を再び手に取った理由はただ一つ、一度は手を離してしまった妹を〝姉として叱ってやる〟ため、圧倒できる力が必要だった。
「嘘だ嘘だ嘘だ、違う違う違う!! 私が負けるはずがない、姉さんのために強くなった私が負けるなんてあるものかぁあああああああっ!!」
愛する『姉』とは認めないものに追い詰められたアイシェは、身体強化を全開にして魔鋼の片手剣を大きく振りかぶる。
「消えろぉおおおおおおおおおおお! 【鋭斬剣】――ッ!!」
レベル5の片手剣の戦技、【鋭斬剣】の五連撃がセレジュラを襲う。
通常【戦技】は、高威力は出せても隙が大きくなる使いどころが重要になる技だ。
トドメを刺す。確実に当たる。そのような状況以外では使うべきではないが、それでも、自爆することを恐れず防御無視で放たれたアイシェの【鋭斬剣】は、隙こそ大きかったがその威力は通常の【鋭斬剣】を超えていた。
風魔術を使えるセレジュラなら、自分を飛ばして、その範囲から生きて離脱できる可能性もあった。だがセレジュラは、あえて真正面からそれに対峙して、異形の鎖を振りかぶる。
操糸スキルは戦闘技術ではなく一般技能であり、たとえ鞭のような武器でも戦技は存在しない。
けれどもセレジュラは、それを可能とする〝魔導技術〟があった。
「――【聖炎】――」
レベル5の火魔術【聖炎】――邪悪なる生命力を焼き尽くす聖なる炎は、光魔術との複合魔術であり、その難易度とは裏腹に通常の威力としてはレベル4の魔術に劣る。
この魔術は特性として魔力に干渉することが可能ではあるが、それ自体では敵の放つ魔術をわずかに減退させる程度の効果しかない。
だが――
「――【炎撃】――」
セレジュラがそれを唱えた瞬間、燃えさかる【聖炎】がセレジュラの身体に纏い付く。
既存の魔術を身に纏うこの『オリジナル魔法』の構成は、同じく魔術と近接を併用するアリアにも伝えられていたが、魔力の消費が大きく、攻撃魔術を持たないアリアでは使いにくいものであった。
これは高レベルの戦技が使えないセレジュラの奥の手であり、聖なる炎を纏った異形の鎖の一撃は、アイシェの放った【鋭斬剣】の威力と相殺した。
「馬鹿な……」
渾身の戦技を無効化され、戦技を放った後の硬直をしたままアイシェが唖然とした声を零した。
動けないアイシェはそのまま攻撃されれば受けるしかない。時間にして一秒にも満たない時間だが、達人同士の戦いでは致命的な隙となる……が。
「………ッ」
突如セレジュラが口から血を零して膝をつく。
元々、四属性持ちで無理ができない身体だが、戦鬼として戦場で戦い続けた結果、その内部は本人が思う以上に傷ついていた。
それでも、一戦程度なら身体が保ってくれるかと考えていたが、本気を出した以上にランク5であるアイシェとの戦いは、セレジュラの身体に負担を強いていた。
「は、はは……、やっぱりだ。やっぱり私が偽物に負けるわけがないっ!!」
すでに精神の常軌を逸しているアイシェは、血を吐いて膝をつく姉の姿を理性で理解することもできずに剣を振りかぶる。
「アイシェ……」
セレジュラの全盛期ならアイシェは勝てなかった。
アイシェの精神がまともだったら偶然に頼らなくても勝てたかもしれない。
本来の〝乙女ゲームの歴史〟なら、セレジュラとアイシェがヒロインに協力して、魔族と和平を結ぶために共に戦う未来もあり得た。
あり得なかった未来を述べても意味はない。今の結果がすべて……だが、セレジュラもアリア同様、本来持ち得なかった〝力〟があった。
「……【鉄の薔薇】……」
石床に膝をついたセレジュラから魔力の光が粒子のように迸り、その姿がかき消えると同時に、咄嗟に持ち上げたアイシェの剣ごと彼女の身体を斬り裂いた。
「な……」
折られた片手剣を手にしたまま茫然自失としたアイシェがよろよろと後ずさる。
本来の使い手であるアリアのように、精霊に愛された『桃色髪』を持たないセレジュラは、わずか数秒で魔力のほぼすべてを消費して再び膝をつく。
「アイシェ……っ」
「ねえ……さん?」
セレジュラの声にアイシェの瞳にわずかだが理性が戻る。だが、肉体的なダメージよりも精神的なダメージが大きく、目眩がしたようによろめいたアイシェは……
「うぁあああああああああああああああ!!」
突然泣き出すような叫びを上げて、アイシェが折れた剣を振り上げた。
まだ戦おうとしたのか、それとも自分のしたことを後悔して短絡的に自害をしようとしたのか、それは分からない。
だが、その振り上げた剣がどこかへ振り下ろされる寸前――
ドンッ!!
「――――ッ!」
ネロの体当たりを受けたアイシェの身体がダンジョンの脇道……複雑に入り組んだ通路に空いた深い穴に飲み込まれて、その身体が闇の中に落ちていった。
『……ネロ』
『ガア』
セレジュラの睨むような視線にネロは〝言葉〟で返さず、ただ一言唸るだけだった。
ただアリアの敵を排除しただけなのか、それともセレジュラを救おうとしてくれたのか……。
「…………」
傷ついてはいてもアイシェなら生きている可能性はあるだろう。溜息をついたセレジュラは【影収納】から出したポーションを飲み干すと、無理矢理に立ち上がる。
「……このざまじゃあの子の所へ行っても役に立たないね……」
――問――
ネロの触手が帯電して『これからどうするのか』と問うと、セレジュラは自分たちを警戒するように距離を置くカミールたちを肩越しに振り返る。
「私は、あの子らについてダンジョンの最奥を目指すよ。そのほうがあの子に会える気がするからね。……あんたは一人であの子の所へ行きな」
『グルルゥ……』
ネロはそっと目を細め、セレジュラとカミールたちを瞳に映す。
ネロとセレジュラは同行者であって仲間ではない。だがネロは、任せろとでもいうように牙を剥き出し、疾風の如き速さで闇の中へと消えていった。
それを見送り、一瞬だけアイシェが落ちた穴へ目を向けたセレジュラは、また溜息を吐いてネロには言わなかった言葉をそっと呟いた。
「もう一人の〝バカ娘〟を頼んだよ……ネロ」
エルグリムと似たような感じになりましたが、それがこの先、どう影響してくるのか。
次回はようやく、アリアに場面が戻ります。
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