184 選定の儀 その8 アイシェ戦 中編
長くなったので繰り上げして中編です。
「……姉さんっ!!」
受けたダメージよりもアイシェは精神的な衝撃に目を見開き、そんな数十年ぶりに再会した妹にセレジュラが優しげに目を細めた。
「そんな……生きて……」
「随分と成長したようだね……アイシェ。こうして見ているだけでも相当強くなったことが分かるよ」
「本当に……本当に姉さんなの?」
「ああ、そうさ」
セレジュラがこれまで離れていた十数年の時を詰めるかのように一歩前に出ると、アイシェも感極まった表情で前に出ようとして、その足を不意に止めた。
「でも……『姉さん』なら、どうして私の邪魔をした?」
アイシェも本当なら姉に駆け寄り抱きしめたかった。昔のように抱きしめてほしかった。でも、姉妹が数十年離れていた時間は、妹の精神を拗らせるには十分すぎた。
〝姉を失う原因〟となった人族国家への憎しみはアイシェの力の根源となっており、人族の血を引くカミールやアリアに個人的な恨みはなくても、人族国家を滅ぼす戦争を起こす邪魔をするというのなら、たとえそれが『大事な姉』であっても、存在を疑ってしまうほどに……。
「……事情はここに来るまでに聞いた。さっきの子は魔族王の子だろ? 将軍となったお前が護るべき存在じゃないのかい?」
「私が護るのは『魔族国』だ。魔族国を護るために人族の国家を滅ぼすんだっ! 本当に姉さんだと言うのなら、一緒に魔族国へ帰ろう!! 姉さんを失わせた奴らは、全部私が殺すからっ!!」
「…………」
セレジュラは愁いを帯びた瞳で歪んでしまった妹を見る。最後の記憶にあったアイシェは、大人ではなかったが子どもでもなかった。
セレジュラはただ生きるために命令に従い、空虚なまま戦場で人を殺し続けた。今更それに後悔などしていない。でも、あの時代は魔族王の命令に逆らうことなど許されるわけもなく、あのまま戦い続けていればこの妹も自分と同じ空虚な心のまま戦場に駆り出されることになっただろう。
だからセレジュラは姿を消した。全部がアイシェのためだと言うつもりはないが、それでも、自分が居なければ真っ当に生きられる道を選べるのではないかと願いを込めて……。
「私が愚かだったのかね……」
「何を言っているの!? 『姉さん』なら私の言っていることが分かるはずだ! 人族は悪い奴らだっ、だから私は、もう二度と姉さんを失わないように強くなった! 姉さんなら一緒に帰ろう……一緒に人族国家を滅ぼそう!」
「アイシェ……」
アイシェの言葉にセレジュラは苦い物を噛んだように口元を歪ませる。
言葉を交わし合っていても声が届いていない。これが安易な方法を選んだセレジュラの間違いだったのか? あのとき妹を連れて逃げればこうはならなかったのか?
妹と二人で逃げることも考えなかったわけではない。けれど一人でさえ生きることが難しかった逃亡生活を考えれば、アイシェ一人を魔族国へ残したのは仕方のないことだった。
だがその結果、アイシェは人族国家への憎しみを募らせ、手段が目的へと成り下がっている。
「お前がもう戦うことはないんだよ……もう人族との戦争は終わっているんだ。私ももう人族を恨んじゃいない。お前も自分の人生を――」
「……あの女のせいか?」
セレジュラの諭すような言葉を、その異様な声音が遮るように止めた。
「あの桃色髪の女……姉さんの技を使うガキ。姉さんが教えた? ううん、違うよね? 私だって教わってないから。あんな人族のガキが姉さんの技を使えるなんて、おかしいじゃない。きっと姉さんを騙して技を奪ったのね」
「アイシェ!」
「違う……違う違う違う……っ。『姉さん』はそんなことは言わない。姉さんなら、私の言うことを否定なんてしない。姉さんなら人族なんかに技を教えるわけがない! 私の姉さんをどこにやったの!? お前なんて『姉さん』じゃない! お前を倒して、桃色髪の女を殺して本物の『姉さん』を取り戻す!!」
「っ!」
ガキィイイイインッ!!
突如襲いかかったアイシェの刃とセレジュラの鉈が打ち合う火花が、ダンジョンの闇を照らす。
アイシェの中で凝り固まった情念は死んだはずの『姉』を神格化させ、過去の思い出と自分の憎しみを一つにして、それ以外を認められないほどに歪んでいた。
だが、周囲にいた者たちは、そんな歪んでしまった姉妹のやり取りを見ていることもできなかった。
アイシェ旗下である魔族軍の戦士とカミールたちは、漆黒の幻獣クァールの猛攻を受けていた。
『ガァアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!!』
ネロが戦う理由はない。最初に魔族軍を襲撃したのは、セレジュラに頼まれたからでも、魔族や人族との争いに介入したのでもない。
理由はただ一つ……カミールたちから『アリアの匂いがした』――ただそれだけだ。
アリアが存在している。少なくともこの者たちの近くにいた。
どれがアリアの味方か分からない。匂いの強いほうが味方とは限らない。だが、アリアの味方なら簡単には死なないだろうと考え、高位の幻獣である傲慢さで戦いを止めるために、すべてに牙を向けた。
ネロにとってアリア以外の生物は、所詮は〝その他〟でしかなかったのだ。
「クァール!?」
「幻獣が何故ここに!?」
アイシェ配下の戦士たちは、吹き飛ばされながらも体勢を立て直してネロに武器を向けた。それはカミールたちも同じだった。突如乱入してきた強大な幻獣は、魔族の戦士を襲いはしたが、味方とは思えなかった。
その〝戸惑い〟が生死を分けた。味方ではなくても殺気のない幻獣を攻撃することをカミールたちは躊躇した。
カドリやイゼルといったクァールの威圧だけで動けなくなった者がいたことで、彼らを護ることを優先した結果だが、
「うぉおおおおおおおおおおおお!!」
同じ恐れはしても、それを勇気に変えて攻撃してしまった長槍の戦士が放った一撃は
【斬撃刺突耐性】を持つネロの毛皮で弾かれ、一瞬唖然として動きを止めた瞬間に爪で首を飛ばされた。
「ちっ」
ジェーシャが魔族の戦士たちに注意を払いながらも、乱入者の威容に舌打ちをして息を呑む。暴虐を感じさせる咆吼と、その巨体から放たれる鉛を飲み込まされたような威圧感は、その場にいたすべての者を萎縮させた。
冒険者ギルドの長を務めていたジェーシャも、その存在は知っていた。
推定ランク5の上位――年を経た個体ならギルドの難易度でランク6にも達する、幻獣クァール。
通常のダンジョンなら最下層の階層主でも通じる強大な幻獣がどうしてこの場に現れたのか分からない。あれほど強かった長槍の戦士が一撃で殺されたことで、正直逃げ出したかった。
「ぐ!!」
それでも、ドワーフの戦士の矜持がジェーシャをその場に踏みとどませ、足を一歩前に踏み出させた。
『ガァア!!』
そのわずかな気配を察して、ネロの耳の脇から生えた鞭のような触手が雷撃の火花を散らしてジェーシャへ襲いかかり――
バチ――ッ!
「…………ッ」
それを魔力を帯びた魔剣が受け止め、割り込んだカミールは、衝撃で痺れた腕に顔を顰めながらも必死にネロを睨み付けた。
対峙するだけでカミールの顔に脂汗が浮かび、顎から滴り落ちる。それを見てネロが微かに目を細めた瞬間、横から飛び込んできた影があった。
ギィイイイン!!
刃を打ち合わせて弾かれたのか、飛び込んできたその人影はネロとカミールの間を飛び抜け、体術を使って曲芸のように着地すると、まるで邪魔だと言わんばかりにカミールたちを怒鳴りつけた。
「そいつに手を出すと死ぬよっ、あんたらは退きな!」
『ガア』
その言葉にネロがジロリとセレジュラを睨み、硬直しているカミールとジェーシャを一目すると、フン、と鼻を鳴らして、彼らから興味をなくしたように魔族の戦士たちへ向かっていった。
「逃がすかあああああああああっ!!」
ダンジョン内を飛び回るセレジュラを、黒い片手剣を構えたアイシェが追撃する。
「っ!」
目の前の『姉の形をした偽者』を倒して『本物の姉を取り戻す』と、自分を肯定するためだけの〝戯れ言〟でアイシェの中で真実と虚の境が曖昧となり、殺すほどの勢いで振り抜かれた刃が、セレジュラの持つ鋼の鉈を刃毀れさせた。
「アイシェ、そんなことをしても……」
「煩い煩いっ! お前は消えろ! あの女もどこだ! 絶対に殺してやる!!」
セレジュラがアイシェに技を教えたことはない。それでもアイシェが幼い頃からなんども鍛錬を見ており、その癖はすべて知っていたからこそ、近接戦闘が3レベルしかないセレジュラでもランク5のアイシェの攻撃をいなせていた。
だが、アイシェの精神は常軌を逸しており、徐々にセレジュラの知るアイシェの剣技からかけ離れはじめたその攻撃は徐々にセレジュラを追い詰めた。
「あの子になんの恨みがある!?」
「あれは危険だ!! 魔族に災厄をもたらす者だ!! 次は殺す! あいつは絶対に私の手で殺してやる!!」
その言葉を聞いてセレジュラはアイシェはアリアと戦い、殺しきれなかったのだと察した。愛弟子であるアリアがランク5のアイシェと五分に戦えるだけの成長をしたことを喜ぶのと同時に、この可哀想な妹の数十年で凝り固まった心が言葉では変えられないことも知った。
この二人の〝親代わり〟としてセレジュラも覚悟を決める。
ガキンッ!!
ついにアイシェの猛攻に耐えきれずにセレジュラの鉈が折れる。
「ぬっ!」
だが、その瞬間に下がったのはアイシェだった。セレジュラの取り出した奇妙な武器に刀身を絡め取られ、咄嗟に引き抜いた瞬間にその刃がアイシェを襲う。
唸りをあげる〝異形の鎖〟――小さな暗器の刃を魔鋼の輪で繋ぎ合わせた〝武器〟を鞭のように振るい、【操糸】で蛇のように蠢く異形の鎖は、躱したはずのアイシェの肩を斬り裂いた。
「アイシェ……」
闇魔法の幻術を組み合わせた〝虚実〟で、戦場で千人の命を奪った『戦鬼』の武器を解き放った。
「お前は私が止めてやるよ」
後編はいつもどおり明日のお昼に更新します。
前回でも軽く触れましたが、皆様の応援のおかげで書籍化となりました。
この作品の何割かは皆様のご感想で出来ておりますし、ブックマークやご評価もいただけてモチベーションを保てたおかげだと思っておりますので、あたらめてお礼申し上げます。
詳しくは活動報告やTwitterでも紹介しております。
これからも本作をよろしくお願いいたします。