181 選定の儀 その6 エルグリム戦 前編
カルラ対エルグリム戦、前編
「儂を待っていたじゃと?」
周囲をランク4の戦士たちに囲まれながらも、満面の笑みでそう言ったカルラの言葉にエルグリムが好々爺然とした笑みを浮かべた。
「それは光栄じゃのぅ……、お嬢ちゃん」
バッ! とカルラの周囲に幾つかの花が咲くように、鋼製の投網が投げつけられ、当然のように無詠唱で発動したカルラの【竜砲】が、鋼製の投網を宙で焼き切って蒸発させた。
「っ!」
「――ッ!」
その瞬間、何かを察したカルラが飛び避けると同時に、真上から無言の雄叫びを発した男が一人、カルラの炎に半身を焼かれながらも彼女に組み付いた。
壮年の魔族。おそらくは戦士の一人で、戦闘力は1400を超えていた。
彼がどれほどの戦士であろうとこの傷ではもう戦うことはできないだろう。彼ほどの戦士が捨て駒となり、彼自身もそうなることを望み、半身を焼かれながらもその顔には満足そうな笑みが浮かんでいた。
魔族に組み付かれたカルラに再び複数の投網が投げられた。だが、それが先ほどの投網と違っていたのは、鋼製ではなく魔鉄製であった。
「儂はおぬしを甘く見てはおらんよ。あの桃色髪の娘御同様、恐ろしい童子もいたものじゃ」
エルグリムの声が響き、魔鉄製の投網を受けたカルラに周囲から【火炎飛弾】と【風幕】の魔術が放たれた。
【火炎飛弾】はランク4の火魔術で一点に高温の炎を撃ち込む、その炎を【風幕】の風で覆うことで、炎の効果を倍加させる。
大将であり暗殺者であるエルグリムが姿を見せたのは、カルラを確実にこの場に誘い込むためだった。
ダンジョンに現れた『人を殺す魔物』を放置することも逃がすこともできない。数多くの人員を送り込んでいた魔導氏族が一番の被害を被っており、その魔物であるカルラを確実に殺すために子飼いの部下を捨て駒とした。
だが、それでも彼女は止まらない――
「――【魂の茨】――」
『!?』
突然渦巻いていた炎が内側から破裂するように弾け飛び、黒ずくめの戦士たちを吹き飛ばした。
「アハハハハハハハハハ!」
たとえランク5でも躱せないはずの必殺の罠は、常識外の力で打ち破られた。
半分溶けた投網を素手で引き千切り、炎に焼かれ全身に火傷を負いながらも、カルラは盾にした黒焦げの戦士をヌイグルミのように抱きしめながら高らかに嗤う。
「あら」
力を入れすぎた焼死体が崩れ落ち、焼け焦げたドレスに付いた死体の煤を気にするように手で払う少女の異常性に、戦士たちが追撃さえできずに息を呑む。
ボロボロになったドレスから覗く蒼白い肌に〝黒い茨〟が蠢き、生命を削って傷を癒そうとするその茨を煩わしそうに振り払って消したカルラは、生き残った観客たちに向けて、満身創痍に見える姿で焼け焦げた裾を摘まんで優雅なカーテシーを披露した。
【カルラ・レスター(伯爵令嬢)】【種族:人族♀】【ランク4】
【魔力値:382/550】【体力値:4/53】
【総合戦闘力:1069(魔術攻撃力:1648)】
「……どういうつもりじゃ?」
異常性が際立つ異様な空気の中で、エルグリムは罠を打ち破った〝黒い茨〟の力ではなく、それを消したことをカルラに問う。
どう見ても〝死にかけ〟だ。今動けているどころか、自分の足で立っていることさえ不思議なほどの重傷だ。
おそらくは戦士を盾にするだけでなく水魔術の【水の衣】や【水球】などを使い、レベル5の風魔術【大旋風】で炎を吹き飛ばしたのだろう。
だが、あの黒い茨の力が魔術のレベルを強化するものなら、そのままにしておけば今の傷ついた身体も癒やせたはずだ。何故それを消したのか、と問うエルグリムの言葉の意味を理解したカルラは、離れた〝彼女〟に想いを馳せるように遠くを見て、自分の百倍近く生きていそうな愚かな賢者を嘲笑う。
「――あの子は、余力を残すために本気で戦うしかなかった。でも、私は違うの……、余力なんて、未来のある人にしか必要のないものよ?」
いつ死んでもいい。ただ今ある生を全力で生きる。
でも、その場で死ぬつもりはない。アリア以外の手で殺されるつもりもない。だからアリア以上の戦いに身を投じなければ、彼女の前に立つ資格もない。
「それに……苦痛って生きている感じがするでしょ?」
死にかけの苦痛でしか〝生〟を感じられないというカルラの言葉に、その場の全員がおぞましさを憶え、エルグリムは好々爺然とした笑みを消して目を細める。
「舐めるなよ、小娘」
【エルグリム】【種族:闇エルフ♂】【ランク5】
【魔力値:476/570】【体力値:143/154】
【総合戦闘力:2616(身体強化中:3539)】
枯れたようなエルグリムから異様な殺気と威圧感が放たれた。その圧力に配下の戦士たちさえ思わず息を呑み、周辺で様子を窺っていたダンジョンの魔物たちが逃げるように散っていく。
「あは❤」
ただ一人朗らかに嗤ったカルラが、全身から魔力を噴き出すように空に舞う。
「――【雷撃】――」
周辺を広範囲の雷撃が襲う。だが、魔術を暗殺に使う魔導氏族の戦士たちは、護符を身代わりにするように使い捨て、カルラへと襲いかかった。
「取った!!」
カルラの体力値はあとわずか。体力と生命力は同義ではないが、それでも掠り傷一つで瀕死になると考え、戦士たちはばらまくように暗器を投擲した。
だがカルラは、焼け焦げたドレスに纏うように隠していた破けた投網を振り回して暗器を絡め取る。
落とせなかった暗器は目で見て躱した。怯えれば心が曇る。思考加速を得るために2レベルだけ習得した体術スキルでも、見えていれば躱すこともできた。
それはアリアから学んだ。
白兵戦の基礎はなくても、人生で最も見つめていた少女の動きをなぞるように攻撃を躱して、雷撃を纏わせた投網で二人の戦士を絡め落とし、その手から零れた暗器を掴み取って持ち主の目から脳まで突き刺した。
「あの子も、同じ物を持っていたわ。どこで買いましたの?」
「ッ!!」
その瞬間、闇夜に舞う鴉の如く飛び出したエルグリムが三十センチほどの針を撃ちだした。
咄嗟に急所を庇うようにカルラが針を腕で受ける。エルグリムの針には神経毒が塗ってある。異常性を見せつける少女に、本能的に気後れしていた戦士たちも、ようやくこれで終わりかと誰もが思った。
だが――
「――【氷の鞭】――」
それでもカルラは止まることなく振り返るように背後の闇へ氷の鞭を放ち、その攻撃はいつの間にか背後に回っていたエルグリムを打つ。
だが、その姿は闇に溶けるように消えて、【幻覚】により幾つも幻を見せたエルグリムにカルラが範囲魔術を放とうした瞬間――
「終わりじゃ」
カルラの心臓がさらに背後から細い針で貫かれていた。
「――【雷撃】――ッ!」
そして、カルラのお株を奪うようにして放たれたエルグリムの雷撃が、針を通してカルラを焼く。
「エルグリム様っ!」
これで本当に死んだのか? これで生きているのなら人間でないことになる。
彼らは暗殺者だからこそそう考え、数百年も人を殺してきたエルグリムだからこそ、確実に殺したと思い込んだ。
「――【酸の雲】――」
その安堵した瞬間を狙うようにレベル4の水魔術【酸の雲】が吹き荒れた。
【酸の雲】は範囲攻撃で、狭い通路での回避は不可能に近いが相手が魔術師なら水魔術や風魔術で対処が可能になる。だからこそ、彼女はその時を待っていた。
「ありがとう。近づいてくれて」
【カルラ・レスター(伯爵令嬢)】【種族:人族♀】【ランク4】
【魔力値:259/550】【体力値:1/53】
【総合戦闘力:1069(魔術攻撃力:1648)】
「っ!」
酸に焼かれながらも反撃の機会を窺っていたエルグリムが、カルラの壮絶な笑みに一瞬動きが止まる。
カルラは周囲から天才だと思われているが、彼女は天才ではなく秀才タイプであり、その力はすべて幼い頃からの鍛錬の賜物だ。すべてを殺すためにたった一人でダンジョンへ潜り続け、寝る間も惜しんで知識を求め、少しずつ力を高めていた。
毒なんて、死ぬ前に【解毒】で消せばいい。
針なんて、筋肉や内臓を避ければダメージはない。
雷撃も氷の鞭を使って床に流した。
それは彼女から学んだことだ。カルラはアリアの戦いを見ていた。アリアと戦う強敵たちの戦い方を目に焼き付けてきた。
すべてを殺した血の海の中で彼女と殺し合うために……。
だから、カルラは彼女のすべてを覚えてきた。
「――【幻痛】――」
「ぐがっ!?」
千年近いエルグリムの人生で受けたことのない激痛が襲う。それは〝死〟の苦痛であり、生きているかぎりは受けることのない痛みだった。
それもエルグリム一人にではなく、その場にいた全員に同時に放たれた激痛に半数近い戦士たちが気を失い、気絶した戦士の頭部を氷の刃が貫く。
それでも――
「舐めるなと言ったぞ!!」
魔族の中でランク6に近い老戦士は、酸のダメージと死の激痛に耐え、レベル5の火魔術【火球】を発動した。
「おぬしはここで死ねい!!」
カルラは必ず魔族の災いとなるとエルグリムは確信する。ここで魔術を使えば魔導氏族の戦士も半数は死ぬだろう。それでもこの凶魔術師を生かしておく危険に比べれば、すべて些事に過ぎないと考えた。
燃えさかる火球が放たれ、この場にいたすべての戦士を巻き込むようにして、ダンジョンの通路に炎が吹き荒れる。
そして炎は最後に、薄い笑みを浮かべたままのカルラの身体を呑み込んだ。
※カルラの想いを理解できなかった方の感性は正常です。
次回、後編。ついに最強への道へ先に歩む。