179 選定の儀 その4 吸血姫戦
魔族国吸血氏族。他大陸からもたらされた聖教会の迫害により大陸の中心部から追放された闇エルフたちが、それまで敵同士だった魔物化した者とも手を取り合うことで統合された氏族だ。
吸血氏族の数は、生まれつきの吸血鬼が存在しないことから統合された氏族の中でもっとも少なかったが、人間に狩られつつあった同族たちも徐々に合流し、その基礎能力の高さから魔族国の中でも一目置かれる存在になっていった。
だが、吸血鬼は肉体的に成長することはない。技量でも肉体の成長を基とする技能は成長が難しく、吸血氏族が誇っていた基礎能力も、吸血鬼は生きた時間によって能力が向上するため、その強さは元々の技量が基礎になる。
そして、吸血鬼は産まれない。吸血鬼に襲われ生き延びた者が新たな吸血鬼として生まれる。中には自ら望んで吸血鬼となる者も稀にいるが、そのほとんどは犠牲者であり、元同族の血を吸うことを嫌悪する者が多かった。
それを厭うことのない理性がなくなった者は、魔族の一員として吸血氏族が狩ることになり、数百年以上続いた人族国家との戦争の中で、永い時を生きてきた吸血鬼が一人また一人とその数を減らしたことで、吸血鬼たちは魔族という安寧を得る代わりに氏族は徐々に衰退していった。
吸血鬼は個として強力だが種としては脆弱だ。不死とはなったが強い魂を持つ人間種を糧とすることで、常に襲われる側からも狙われていた。
五百年以上も生きた吸血鬼は脅威度ランク7にも達すると言われているが、そんな存在はこの世界でも数例しかなく、そのことごとくが人によって滅ぼされた。
永い人族との戦争で百年超えの吸血鬼はほぼいなくなり、その中で百五十年も生き延びた氏族長シェヘラザードは、氏族存続の岐路に立たされた。
「このままでは我らが氏族は遠からず消えてしまうだろう。そうなったら、生き残った者たちもいずれは狩られることになる。我々には、魔族王の庇護がいるのだ」
「……はっ」
十代前半の少女の姿で沈痛な思いを語るシェヘラザードに、共に百年を生きた友であり配下でもあるゴストーラが膝を突いて頭を下げた。
他者の命を糧とする以上、他種族を糧としても魔族王の庇護なくてはすべての種族が敵に回りかねない。故に魔族王の庇護を得るためには、他の氏族の信頼を得るだけの功績が必要だった。
氏族の数は数えるばかりとなり、新しく加わった者も下級種ばかり……。そんな中でゴストーラは魔族の氏族として、人族国家の有能な王族を狙い国家そのものの弱体化を計画した。
だが、そのためには人間国家への潜入が必要になる。ただでさえ少ない氏族の者を危険な任務に出すことを厭い、シェヘラザード自ら単身で赴くことも考えたが、氏族長である彼女が討たれることがあればそれこそ氏族の終わりだと、ゴストーラが氏族に残っていた古い吸血鬼たちを連れていくことでその任務を果たそうとした。
それでもシェヘラザードはゴストーラたちの無事の帰還を願い、氏族の宝である転移を秘めたダンジョンの秘宝を与えたが……帰ってきたのは仲間たちではなく、物言わぬゴストーラの骸だけであった。
「なぜだ……ゴストーラ」
時折届いていた文では、計画は順調に進んでいたはずだった。
ゴストーラたちを招き入れたという黒髪の貴族令嬢との関係は途切れてしまったようだが、人族を裏切った新たな協力者を得て、最も優秀だと噂されるクレイデールの王女を誘拐してもうすぐ戻ってくるはずだった。
不死となった吸血鬼の身体は、灰となって崩れ去る。だが、その瞳の一つが灰にならずに残ったのは、最後の魔力を闇魔術に変えて投影したせいだろう。
そこに映っていたのは一人の少女。
可憐な容貌で壮絶な気配を放ちながら、次々と仲間を殺していく灰鉄色に燃える桃色髪の少女だった。
この少女が氏族の戦士たちを――シェヘラザードの隣に百年もいてくれたゴストーラを殺した。
「この女を殺す……必ずだ!」
だが、シェヘラザードは少女の正体を知らず、分かっているのはその姿とクレイデール王国に関わる者ということだけだった。
人を襲えばいつか出会えるのか? 戦争を始めればいずれ出てくるのか?
一千万人とも言われるクレイデール王国へ単身乗り込み、どちらかが死ぬまでに仇を討つことができるのか?
十年も経てば少女も大人となり、見つけることはさらに困難になるだろう。時間がないことを理解したシェヘラザードは氏族としての誇りを捨て、比較的魔物種にも理解のある妖魔氏族へ身を売ることで力添えを願うことにした。
選定の儀――魔族王を選ぶための古の儀式だが、シェヘラザードは自らが王として立つのではなく、妖魔氏族長シャルルシャンを支持し、彼女を魔族王とすることで仲間の仇を討つ協力を願い出たのだ。
氏族も残り数名となっては存続することも難しいだろう。シェヘラザードも戦士として旅立つことを決め、残った氏族の一部も氏族のために散っていった仲間の仇を討つため、彼女と同行することを望んだ。
そして、戦士の一人としてダンジョンのある砦に赴いたシェヘラザードは、そこで王子の戦士として参加を表明した桃色髪の少女を目撃する。
怒りで我を忘れそうになったシェヘラザードは寸前で自制し、放たれた殺気は他の戦士たちの殺気に紛れて、誰も彼女の思いに気づくことはなかった。
仇である少女がどうしてここにいるのか? 今すぐにでも殺したいと願ったが、シェヘラザードはこの場で少女を襲っても、その望みは叶わないと考えた。
ここで出会えたのなら今更選定の儀に参加する理由はない。だが、この場で選定の儀に参加する戦士を攻撃すれば、すべての氏族を敵に回すだけでなく、妖魔氏族は面子に懸けてシェヘラザードを殺そうとするだろう。
そして吸血鬼としての本気は、砦内で発揮することは難しい。だからこそ、シェヘラザードとその配下は、表面上は妖魔氏族の戦士として参加しながらも、広いダンジョン内で出会う可能性の高い妖魔氏族の戦士たちを見張ることにした。そして配下の一人が高レベル空間転移の〝揺らぎ〟を感じ、その一報がシェヘラザードに届けられた。
***
「必ずや私の手で殺してくれるっ!!」
以前倒した魔族の吸血鬼たちの長シェヘラザードが、血の涙を流すような真紅の瞳を憎しみに染めて、真っ赤な牙を剥き出した。
見た目は十代の前半……血染めのドレスとその整った容姿は、まるで闇エルフの姫のようだが、その見た目が強さと一致しないことは私自身がよく知っていた。
【シェヘラザード】【種族:純血吸血鬼】【ランク5】
【魔力値:374/380】【体力値:415/415】
【総合戦闘力:2705】
見た目は幼いがかなりの年月を生きた吸血鬼だと感じた。その戦闘力はドルトンや師匠に匹敵するほどだが、吸血鬼の不死性を考慮すればさらに厄介な敵となる。
「――――ッ!」
シェヘラザードから音のない〝声〟が響き、私はその殺気に反応して飛び避けると同時に衝撃波が吹き抜け、背後にいた補給隊の一人が顔中から血を噴き出して倒れた。
「なっ!?」
「シェヘラザード様、何を!?」
協力関係にあったのか、助けに来てくれたと思っていた者に攻撃されて補給隊の生き残りが狼狽した声をあげた。
その攻撃は補給隊が盾にならないという意味と同時に、すべてを敵に回してでも私を殺すという彼女の覚悟を感じさせた。
「行くぞ!」
その刹那、姿が霞むように揺れて、つむじ風のように旋回しながらシェヘラザードが蹴りを放ってきた。
ガシンッ!!
「っ!」
咄嗟に受けた手甲の鉄芯が曲がり左腕の骨が軋む。その勢いを利用して宙返りをしながら踵の刃で蹴りつけるが、シェヘラザードは近接戦にも拘わらず脚を振り上げ、漆黒のヒールでそれを受け止める。
「「ハアッ!!」」
互いに気合いの息を噴き、私が繰り出したダガーの連撃をシェヘラザードが舞うようにスカートを翻しながらヒールで弾く。そのまま風斬り音が唸りをあげるほどの勢いで蹴り上げられたシェヘラザードの前蹴りを踵で受けるようにして跳び下がりながら、私もスカートを翻して腿から引き抜いたナイフを投げつけた。
ズサァアアアアアア……!
「「…………」」
石床を滑るように距離を取って、私たちは再び対峙する。
やはりランク5の吸血鬼と私とではステータスに大きな差があると感じた。あの外見で脚攻撃の近接戦主体。しかも自分の小さな身体と高い筋力値を利用し、身をすり合わせるほどの接近戦でも巧みに蹴りを放ってきた。
私のダガーを受け止めたあの漆黒のハイヒールは魔鋼製だろう。近接戦では向こうに分はあるが、だからといって魔術戦でもおそらく【幻痛】は効かないと思った。その証拠にシェヘラザードは私を睨んだまま片目に刺さったナイフを無造作に引き抜き、その瞳が見る間に再生されていた。
だが、吸血鬼は無敵ではない。その再生力には魔力を消費し、不死と思えるその身体も心臓の魔石を破壊すれば即座に死に至る。
それでも魔力消費合戦に陥れば先に魔力が尽きるのは私のほうだ。それに、シェヘラザードが防御を無視して迫ってくるのは自分の能力を過信しているからでなく、魔術による魔力の消費を抑えて、再生力と筋力値の肉弾戦で押し潰すつもりなのだろう。
問題は、切り札の切りどころをいつにするかだ。
「――【影攫い】――」
私が小型の転移陣である闇の塊を放出すると、初めて見る魔術にシェヘラザードがわずかに目を細めた。
その瞬間に真横に飛び出した私はダンジョンの壁を駆け上がりながら、シェヘラザードの顔面に暗器を投げつける。
「逃がすか!」
今度は受けることなく爪で暗器を払いながらシェヘラザードも追ってきた。互いに壁を駆け上がりながら天井近くで浮力を失い、宙を舞いながら放った黒いダガーの一撃を手の平で受け止めたシェヘラザードが、手を貫かれたまま私の拳を掴んだ。
「っ!?」
だが、拳を握り潰される寸前、わずかに早く【影攫い】から放たれた分銅型のペンデュラムが、シェヘラザードの死角から頭部を打ち抜いた。
でも頭が割れた程度で吸血鬼は滅びない。手が離れ、そのまま影から引き抜いた分銅型のペンデュラムをシェヘラザードの頭部へ振り下ろすと、その瞬間、シェヘラザードの背中からどす黒い血が噴き出して、コウモリの飛膜にも似た翼となってペンデュラムを躱す。
「死ねっ、桃色髪の女!」
歳を経て経験を得た吸血鬼は『血魔法』を使うという。
ならばあの翼も血魔法の産物か。そして宙で離れた私に向けて口を開き、霧状にした血と声を媒体として衝撃波を撃ってきた。
「――【重過】――ッ」
私は構成していた闇魔術を解き放ち、わずかな重心移動と宙を蹴り上げる動作で衝撃波をギリギリで受け流すが、風に巻かれた木の葉のように体勢を崩した。
このままでは次の攻撃を躱せない。私は着地するまでの一秒足らずの時間を稼ぐために【影収納】から出した暗器やクロスボウを【影攫い】に放ち、弧を描く斬撃型のペンデュラムで攻撃する。
「ちっ!」
ダメージはなくても死角から繰り出された複数の攻撃が追撃を仕掛けようとしたシェヘラザードの動きを阻害した。
「――【影渡り】――」
だが、忌々しげに舌打ちをしたシェヘラザードは唐突に闇魔術を展開した。
影渡りを魔力が繋がっていない空中で使っても影を渡ることはできない。だが、その魔術を発動した瞬間、彼女が纏う血色のドレスの影から、いくつも〝人影〟が滲み出るように姿を現した。
「小賢しい女が! 貴様の手札を潰させてもらう!」
空間転移とは違い、影渡りでは宙に浮かんだまま影を渡ることはできない。それは、自分に生じた衣服の影程度では人体を潜り込ませる大きさがないからだ。
でも、その小さな影から這い出してきた人影は、自ら肉体を捻り、ひしゃげさせ、血飛沫を撒き散らし、身体を再生させながら出現した。
『ギィイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイ!!』
影から現れた十体近いその吸血鬼たちが、人とは思えない叫びを発しながら壁や天井を蹴って襲いかかってきた。
一瞬早く地に降りた私は飛びかかってきた一体の爪を仰け反るように躱しながら、吸血鬼の顎を蹴り上げる。
留まることなく襲ってくる複数の吸血鬼たち。私の目に映る吸血鬼たちの戦闘力は400程度で下級吸血鬼にしか見えなかったが、吸血鬼たちは乱戦状態で頭部をペンデュラムで砕かれ、顔面を縦に斬り裂かれても、生が続くかぎり攻撃を続けた。
「そやつらは我が氏族の最後の戦士たちよ。ゴストーラたちの……仲間の仇を討つために、そやつらは自ら私に血を捧げて、獣化したのだ」
ゴトリ……と、シェヘラザードの手から放された補給隊の一人が石床に落ちて、彼女の足下で歪な音を立てた。
一瞬目を離したその間に補給隊は全滅し、血魔法の代償代わりに血を吸われた男たちが、ゆらりと獣の形相で立ち上がる。
吸血鬼は血を吸ってもすぐに変化するわけではない。血と共に吸われた魂の枯渇を乗り越えて生き延びた者が吸血鬼へと生まれ変わり、乗り越えられなかった者は死ぬか、『出来損ない』と呼ばれる知性のない人型の〝獣〟へと変わる。
おそらくシェヘラザードは、意図的に吸血鬼を出来損ないの獣とすることで彼らの力を底上げしたのだろう。
恐るべきはその執念か……。仲間の仇を討つために吸血鬼たちは自ら死兵となり、シェヘラザードもそれを誇りとして認め、共に私を殺すことを望んだ。
「さあ、死ね」
血を補充した巨大な翼をはためかせたシェヘラザードの声に、死兵と化した吸血鬼たちと、新たに吸血鬼の出来そこないとなった元ランク3の補給隊の男たちが一歩前に踏み出した。
だが、その瞬間――
轟ッ!!
大蛇の如く巨大な炎がダンジョンの壁を焼き、飛びかかろうとしていた数体の吸血鬼と出来損ないを焼き尽くし――
カツン……。
ダンジョンとあきらかに不似合いなヒールの音が、微かにアリアの耳に届いた。
突然敵を焼いた炎は、戦況をどう変えるのか?
例のあの人はもうちょっと我慢してください!
次回シェヘラザードとの決着。