177 選定の儀 その2
選定の儀が始まった。魔族軍による砂漠の町カトラスへの侵攻も、すべてはこの魔族の王を決める儀式のために行われたことだった。
それは魔族王の子であるカミールを炙り出すだけではなく、魔族たちは戦争を始めることで、主導者を決めなくてはいけない状況に自らを追い込んだ。
迷惑な話だが、それほどまでに魔族の恨みは深い。でも、人族である私が参加することを拒まなかったことや、一部の者はカミールの母のような人族も受け入れてもいるのだから、人族に対する恨みというよりも、聖教会とそれを信奉する者に対する憎しみだと感じた。
「……ふぅ」
殲滅した敵から離れて私はようやく息を吐く。
横道の一つを〝壁〟で隠して別の通路へ誘導し、魔物の〝匂い〟と〝音〟で不安を煽り、落とし穴の手前に〝広間〟の幻惑を見せることで、纏めて罠にかけた。
やはりというべきか、ダンジョンの正規入り口しか知らない私たちは他氏族から見張られていた。待ち伏せが二十名という数は多いように感じるが、私としてはかなり少ないと感じている。候補者と決められた戦士が全員死亡すればその氏族は負けとなるが、それ以外の者が伏兵としてダンジョンに入ることは暗黙の了解となっていたからだ。
あの伏兵らは全員が暗殺者としての技術を持っていたように感じた。ランク2から3だったが、それだけの数がいれば先行するカミールたちにとって充分な脅威となる。
体力や魔力を温存するべき状態で、体力と魔力を天秤にかけて大量の魔力を消費する戦法を使った。手段は選ばない。わざわざ私がカミールたちから離れて単独で行動しているのは、受け身では勝てないと考えたからだ。
私たちにダンジョンの情報は少なく、大掛かりな罠を仕掛けることはできない。だからこそ私が動いて敵の情報を調べ、先行するカミールたちの危険を排除する。そして、場合によっては、カミールたちは自分が囮になることも覚悟を決めていた。
「……長期戦になる」
一週間や二週間では決着はつかないと思っている。でも、私たちは食料や必要な物を氏族に頼ることができないので、敵から奪うことも考えなくてはいけない。
まずは情報収集だ。なし崩し的に始まってしまったせいで、色々と準備が足りていない。食料、武器、医薬品、魔物避けや迷宮の情報など、本当に最低限の物しか用意できなかった。
必要ならば敵から奪い、カミールたちに渡す。そしてできるかぎり体力の消耗を抑えながら敵を殲滅することが私がするべきことだった。
一日目はダンジョンの内部を調べることにした。
このダンジョンには複数の入り口があり、そのせいで十階層しかないダンジョンは複雑な迷路化をしている。道の幅も進むごとに違い、曲がり角の角度も違う。なだらかな下り坂を進めばいつの間にか下の階層に降りて、見上げれば高い壁の上に別の通路も見えた。
ダンジョンは完全な闇ではない。どこのダンジョンでも言えることだが、『獲物を誘い込む』というダンジョンの性質上、その中の壁や天井が仄かに光を放ち、月夜程度の明るさがあるので、暗視が弱い人族でも闇に目を慣らせば充分に戦える。
でもそれは大きな通路や広間だけで、獣の巣になっているような細い通路や分断された道までは光が届いていなかった。
この辺りがダンジョン戦での鍵となるだろう。他の連中は、天井や壁にある小さな通路を魔物の巣穴だと考えているようだが、高い体術と隠密、そして探知スキルがあれば襲撃地点として利用できると思った。
実際私が探索した天井近い通路は大コウモリの巣となっていて、今は私の仮拠点の一つとして利用している。
二日目はダンジョンの獣を調べた。
このダンジョンは『獣のダンジョン』で、倒した獣は上手く処理をすれば食料にもなる。実際に魔族砦では正体の分からない獣の肉が食べられていたが、おそらくはダンジョンから得られた物だろう。
獣といってもダンジョンに普通の動物はいない。あくまで魔素で魔物化した獣型の魔物がいるだけだ。通常のダンジョンでは、低階層ではランク1程度の魔物が出没し、階層の違いは数と頻度程度の差しかないが、ここではそれを基準にはできない。
他の階層が複雑に繋がっているせいで一階層でも大型の獣や、カミールたちが接触したようなランク2の群れに出会うことがあるからだ。私はまだランク3までの獣しか見ていないが、種類と生息域をダンジョンの地理と共に頭に叩き込んだ。
三日目は別の入り口を探すことにする。
ここまで私たちが接触した他氏族は、幻惑で倒したあの連中だけだったことから考えると、他の入り口は簡単に辿り着ける位置にないのだろう。私が倒した連中もおそらくは選定の儀が始まる前から潜っていたはずだ。
迷路の中を闇雲に探しても見つかる確率は低い。だが、ダンジョンに長く留まればそれが迷宮でも規則性が見えてくる。中に誘い込むという構造は変わらないので、それさえ見極めることが可能なら別の入り口を見つけることもできるはずだ。
これは運が絡むので確実ではないが、運良くその手掛かりを見つけることができた。
「……十名か」
他の入り口を見つけたわけじゃないが、たぶん、そこから来たと思われる十名ほどの部隊を発見した。
全員がランク3で武器は鋼製だが、甲虫製と思われる全身鎧を身に着けている。他の氏族を攻撃する襲撃部隊かな? でも人数も装備も半端な気がする。あの装備と人数でランク5がいる本隊を狙っても、おそらく返り討ちになると思うけど……。
でも、彼らの行動を見ていてなんとなく察しがついた。彼らの装備や構成は人を倒すのではなく、ダンジョンの魔物を倒すことを想定しているように思えた。けれど、砦の兵が肉目当てに魔物を倒しているようには見えない。そもそも、この時期にダンジョン内に潜るのなら、それは敵対行動を意味する。だとしたら彼らの目的は――
「補給部隊か」
私の目で視ると全員が魔素を帯びた鞄を所持していた。それが闇魔術で内部を拡張した鞄なら、中身は食料やポーションなどの医薬品か、この人数からすると予備の武器もあるのかも。
さて、どうするか? 補給物資を届けさせる理由はない。本隊がどこに居るのか分からない以上、時間が経つだけ襲撃の危険度が増す。
そして何より、私は産毛を逆立たせるような感覚を覚えた。
罠か? でも……
「やろう」
数秒間で考えを纏めて瞬時に思考を戦闘に切り替える。
危険は承知の上だ。たとえ罠の可能性があっても、これを見逃すくらいならそもそも参加さえしていない。
ここは生き残りを懸けた〝戦場〟だ。ただの補給部隊でも兵士を生かして帰す必要はないが……ここはあえて彼らには〝戦闘不能〟になってもらう。
理由は単純だ。死ぬ理由がある戦士よりも、死ねない理由がある兵士にポーションで治りきらない傷を与えれば、他の人員が探索や救護のために動くことになり、それだけ敵の手数が減るからだ。
時間もないが罠を張る。単純なものしかできないけど今はこれで充分だ。念のためにさらに仕掛けを施すため、私は位置を把握している魔物の所へと向かった。
大型の猪の魔物、グレートボア。ランク3の魔物で一般的な人族の町でも食料としても狩られている。大きさは馬車ほどもあるが性質は臆病で、人数さえいれば冒険者でなくても狩れるからランク3となっているが、このグレートボアはある特定の条件下では難易度ランク4になる。
それは、その巨体を回避できない狭い場所であること、そして、グレートボアが攻撃を受けても怯まなくなる状態……『興奮状態』であることだ。
「何か来る!」
「グレートボアだっ!」
通路が狭くなった辺りで現れた全高二メートルもあるグレートボアに、補給部隊の兵士たちが慌てて武器を構えた。
グレートボアには、動物が嫌う臭いを使ってストレスを与えてある。臭いは薬品だけでは足りずに幻惑魔法で誤魔化したが、仕上げに使った蒸留した強い酒精は本物だ。
気化した匂いだけでも、酒精に慣れていない動物には効くだろう。酩酊状態になってストレスを与えられたグレートボアは、補給部隊から放たれた矢傷の痛みに興奮して、猛然と彼らに襲いかかった。
この勢いなら半数は重体になるはずだ。もしかしたら数名はグレートボアと相打ちになるかもしれないが、そこは運が悪かったと思って諦めてもらう。
でもその時――
ブォン……ッ!
空気が大きく乱れ、兵士の足下から〝影〟が広がり、突進するグレートボアが沈み込むように影に飲み込まれた。
「!」
「ハッ!」
次の瞬間、私がいた通路の〝闇〟から滲み出るように飛び出した闇エルフの女が、二本の曲剣――シャムシールで襲いかかってきた。
ガキンッ!!
咄嗟に受け止めた私のナイフとダガーが二本のシャムシールと闇の中に火花を散らして、互いの姿を照らし出す。
「いたね!」
「っ!」
何度か打ち合うようにして、隠れていた通路から同時に押し出されるように外に出ると、その女は追撃をせずに一旦距離を取り、補給部隊を護るように姿を見せた男の隣に立つ。
「おお、本当に来るとは思わなかったぞ!」
「シャルルシャン様のお言葉が間違っていることなんてないよ!」
「……双子の妖魔氏族か」
私は黒いナイフとダガーを構えて彼らを見る。まだ若い……人族の二十歳ほどの姿の男女は、髪の長さは違うが同じ顔をしていた。
「その通りだ、人族の女。俺は妖魔氏族の〝戦士〟、セリク」
「同じく〝戦士〟のセダよ。ふふふ、シャルルシャン様は、補給隊の襲撃を警戒していたけど、まさかお前が私たちの所に来るとは思わなかったわ」
「シャルルシャン様が認めた人族の女よ、上手く嵌めたつもりのようだが、俺たちのほうが上手だったということだ。ここにいる全員を相手に逃げられると思うな」
「…………」
なるほど、どうやら〝罠〟にかけられたのは私のほうだったようだ。
あの妖魔氏族長の女は、自分の護りが薄くなることを承知で、数名の戦士を補給隊の警備に回していたらしい。補給隊の装備が全身鎧だったのも、私が来ることを想定していたのかも。
あの奇妙な感覚はこの双子が〝影〟に隠れていたせいか。
革鎧の男、セリクが使ったのは【影渡り】――つまりランク4の闇魔術師だ。そしてセダは私と正面からやり合ったことから、剣術スキルがレベル4はあると感じた。
ランク4の魔術師と戦士の双子。しかも魔術系統も戦闘スタイルも私と似てやりにくさを感じた。でも――
「それならそれで都合がいい」
「――なに?」
彼らの背後から聞こえてきた〝地響き〟に一瞬二人の気が逸れる。その隙を逃さず、【影収納】から二本のナイフを同時に投擲すると、それをギリギリで躱した彼らの背後で、補給隊が背後からグレートボアに襲われていた。
「策は一つだと誰が言った?」
「チッ!」
私の狙いに気づいて男のほうが舌打ちをした。セリクもセダも単独でグレートボアを倒せるが、今度は状況が違う。
隠れていた〝私〟という存在が目の前にいることで、彼らは私に背を向けて補給隊を助けに行くことはできなかった。
そして……ばらけている戦士二名をこの場で倒せる絶好の機会を逃しはしない。
「さあ、始めようか。戦士の戦いを」
***
魔族砦の地下にあるダンジョンの入り口は複数存在するが、それは内部に限ったことではない。
息継ぎをするように作りだした入り口をことごとく塞がれたダンジョンは、大樹が根を伸ばすように砦から離れた場所にも入り口を作りだしていた。
それらの多くは発見もされずに埋もれているが、そのうちの幾つかは発見した氏族によって国に報告されることなく管理されていた。
『ガアアアアアアアアアアアアアアアアッ!!』
「黒い獣っ!?」
「魔物だ!!」
月夜の中、ダンジョンの入り口前で準備をしていた闇エルフたちを、突然黒い獣が襲撃する。
「ギャアアアッ!」
「ただの魔物じゃないっ、これは――」
ランク2や3の男たちは紙を引き裂くように容易く引き裂かれ、警戒の声をあげようとしたその男は背後から忍び寄る女に音もなく首を断ち斬られた。
数分後、自分の足で立っている者が黒い獣と女――ネロとセレジュラだけになり、ただ一人生き残った男がセレジュラを見上げて黒い顔を青くした。
「お前は……戦鬼!? 生きていたのか!」
そんな男の言葉に顔を顰めながら、セレジュラは男の顎を蹴りつける。
「五十年も経ってまだ覚えている奴がいるとはね……。とりあえず、知っていることを話してもらうよ」
カトラスの町から魔族砦までは外周の砂漠を渡れば徒歩で一ヶ月、遺跡を横断したとしても二週間はかかる。だが、元魔族軍の戦士であるセレジュラは魔族軍が使う抜け道のいくつかを知っていた。
その中でも最も危険な道なら、ネロの走力で駆け抜ければわずか数日で踏破できる。
そうして記憶を頼りに魔族砦に向かい、知っているダンジョンから砦内に侵入しようとしたところでこの運のない連中と出くわした。
「選定の儀? 王子の戦士に桃色髪の人族!?」
情報を聞き出したセレジュラが盛大に頭痛を感じて頭を抱えた。しかもその参加する者たちの名を聞いて深い溜息を吐く。
「……エルグリムか」
魔導氏族長老エルグリム。かつてセレジュラが師と仰ぎ、自分の魔術と暗殺術を鍛え上げた男だった。
今の自分でも確実に勝てるとは言えない。でもセレジュラは師の恐ろしさよりも気になることがあった。セレジュラの脳裏に何十年も会うことがなかった、幼い少女の姿が霞むように過ぎる。
(……もしかしてあの子もいるのかね……)
「行こうか、ネロ」
――了――
二人は緊迫感を含んだ表情でダンジョンの中へと侵入する。
そのすぐ後に……セレジュラとネロが消えたダンジョンの入り口で、手足を縛られて転がされていた男が突然発火するように燃え上がり、その横を花のような笑みを浮かべながら、一人の黒髪の少女がふわりとダンジョンへ消えていった。
黒髪の令嬢「お花を摘みに来ましたの」
次回、選定の儀 その3
ランク4の戦士二名との激突!