176 選定の儀 その1
「各員、準備はいいな」
「「「はっ!」」」
ダンジョンの入り口の一つにて、魔族軍将軍アイシェの言葉に配下の戦士たちが声を揃えて、踵をぶつけるようにして姿勢を正す。
魔族軍の中でも特にアイシェの強さと苛烈さを信奉する彼らは、ランク4の実力者であり、その中でも副官の二名はランク4の上位者にもなる。
「…………」
アイシェは隙なく整列する戦士たちの姿にわずかに目を細める。本来、ここには十人の戦士がいるはずだった。だが、その一人であるアドラは、眉間を一突きにされて武器を奪い去られて殺されていた。
アドラは精霊魔術を使えるランク4の使い手だ。戦闘力が高いのは魔力値が高いせいだが、それでも近接戦で並の戦士に負けることもないはずだ。だが、それでもあの女ならやるだろう。アドラが戦利品から得た魔鋼の武器を取り戻し、隠すことなく挑発するように身に帯びているあの〝桃色髪〟の仕業だ。
アイシェもすぐにでも殺してやりたいと思った。だが、この『選定の儀』は主戦場であるダンジョンに潜る前であっても、裏では戦士の暗殺が平然と行われており、もう一人の減ってしまった戦士も、妖魔氏族長シャルルシャンの配下と殺し合いになり、相打ちという形で死んでしまった。
これ以上、他氏族の戦力を削ぐために兵を分散させては、返り討ちにされる確率が高くなる。他の氏族のように戦士以外の者たちを『使い捨ての暗殺者』とするのなら話は別だが、氏族で参加している他者とは違い、個人で参加しているアイシェはいつ裏切るかも分からない軍の部下を使うわけにはいかなかった。
闇エルフが『邪神の使い』として人族の聖教会から追われ、灼熱の砂漠や極寒の山脈を抜けて辿り着いたその地は、魔物や竜が跋扈する過酷な土地だった。
人が住める場所は少なく、食料を狩りに行った者たちは魔物に殺され、この地で生きるために闇エルフは強くならなくてはいけなかった。
闇エルフが強さを信奉するようになったのはそれからだ。彼らは人族への恨みから自らを『魔族』と名乗り、憎しみを糧に必死に生き延びた。その過酷な生活で両親を失ったある幼い姉妹は、生きるため……強くなるために魔導を暗殺に用いる魔導氏族へと身を寄せた。
その頃のアイシェはまだ乳飲み子で、まだ少女だった姉はアイシェを氏族で養う対価として〝暗殺者〟となる道を選んだ。
幼いアイシェにとって姉は誇りだった。強く、美しく、成人となる頃には人族との戦争へと出るようになった姉は、敵兵から『戦鬼』と恐れられるまでの戦士となった。
姉は幼い妹のために戦い、身も心も傷だらけになって帰ってくる。当時戦場の獣と恐れられたエルグリムから殺しの技を学び、殺し以外の愉悦を知らず、妹以外とは心を通じ合わせることもなく、戦いしか知らなかった姉は、ある時を境にアイシェが見たこともなかった表情を見せるようになった。
姉はとある戦場で、人族や森エルフやドワーフなどの冒険者と出会ったらしい。
彼らと戦場で幾たびか矛を交え、帰還の度に憂いの表情を深めていた姉は、人族との戦場から二度と帰ってくることはなかった。
アイシェが感じたのは悲しみよりも怒りだった。最初は悲しみだったかもしれない。だがその思いは流れる涙と共に捻れて人族国家への憎しみへと変わった。
姉を殺した人族が憎い。だがアイシェは姉を失った悲しみをねじ曲げるように、人族に殺された姉の弱さを憎むようになった。
今の魔族国は揺れている。愛した人族の女性を失い、生きる気力を無くした魔族王が死の淵に立ったことで、その機に乗じて好戦的な氏族を中心に軍を動かした。
アイシェがその先鋒として軍を動かしたのは、人族国家との戦争を『始める』ことだった。一度動かした軍を止めることは難しい。だがそれでも、今の魔族王を信奉する穏健派の氏族が横やりを入れることは分かっていた。
だからこそ、カトラスの町を襲った。新たな王を決める『選定の儀』を始める鍵となる『魔族王の子』を炙り出すことができるからだ。
暗殺を恐れて魔族国から逃げ出した王子も、カトラスの町がなければ生きる場所はない。こちらが王子のいる場所をことごとく潰すと理解すれば、王子はこれ以上姿を隠すこともできなくなる。
王子を参加させて『選定の儀』を始め、新たな魔族王を立てて人族との全面戦争を始めることがアイシェたち開戦派の望みだった。
将軍として軍を動かし、人族の町を落としたことでアイシェは『選定の儀』の参加権を得た。
だが、同じく交戦派であっても、妖魔氏族長シャルルシャンや豪魔氏族長ダウヒールは、戦争よりもまず自分たちの利益を優先するはずだ。だからこそ開戦派である魔導氏族長老エルグリムと手を結び、エルグリムかアイシェ自身が魔族王となることで、魔族総出の遺恨戦争を再び起こそうと画策した。
(――だが、それよりもあの女だ)
戦場で相打ち、ギリギリ勝つことはできたが、あの桃色髪の女の実力はアイシェ自身がよく知っている。
人族でありながらあの実力をどうやって身につけたのか?
姉がエルグリムから学んで独自に昇華させた『戦鬼』の技を何故知っているのか? それだけでなく、長年付き添ってきた副官を殺したあの女を、アイシェは見逃すことなどできなかった。
「まずは、あの桃色髪の女だ。王子諸共炙り出せ!」
***
「うるぁああああああああああああっ!!」
ジェーシャの振り下ろした魔鋼の両手斧が、真正面から突っ込んできた魔狼の頭部をかち割った。血を噴き上げる間もなく通路の向こうまで吹き飛ばされ、その間を縫うように飛びかかってきた魔狼の首に外套を纏った少女から放たれたクロスボウの矢が突き刺さる。
「ハッ!!」
そこに飛び込んだカドリが槍を使って魔狼の頭部を斬り飛ばし、それに怯んだ数体の魔狼に向けて、高所から飛び降りるように襲いかかった黒い肌の少年――カミールが二本の短剣を振るう。
「――【兇刃の舞】――」
レベル5の戦技を封じた魔剣が仄かに輝き、暴風の如く吹き荒れる閃刃が瞬く間に四体の魔狼を斬り裂いた。
「ふぅ……」
「若様、お怪我は?」
すべての魔狼を殲滅したことを確認してカミールが息を吐くと、背後から声をかけてきたカドリに首を振る。
「大丈夫だ。このまま進むぞ」
「おいおい、肉を放っておくのかよ?」
即座に進むことを決めたカミールにジェーシャが口を挟む。
魔族砦の地下にあるダンジョンは『獣』のダンジョンだ。ダンジョンの魔物がどこから現れるのか諸説あるが、ダンジョンの瘴気が魔物を発生させる説と、ダンジョンが木の根のように入り口を延ばして魔物を誘い込む説があり、後者の場合なら現れる獣は東のロスト山脈から呼び込まれていることになる。
どちらにしても砂漠育ちのジェーシャにとって獣の肉はご馳走だ。臭みが強く、筋張っているが、頑健なドワーフならどれも気にはしないだろう。
「血の臭いで他の獣が寄ってくる。肉は諦めろ」
「うへぇ」
カミールの言葉にジェーシャが入り組んだ周囲を見回しながら溜息を吐き、名残惜しげに振り返りながら彼らは再び歩きはじめた。
このダンジョンは十階層しかないが異常に入り組んでいる。
入り口を増やすために増改築を繰り返したダンジョンの内部は、進むごとに足場の高さを変え、天井の高さを変え、壁や天井や床にさえも階段のない通路が続く、数歩進んだだけで自分の位置さえ見失いそうになる最悪の迷路と化していた。
ここを踏破するには何度も潜り正確な地図を作っていくしかないだろう。今も天井に近い横穴の暗がりから獣が飛び出してくる可能性もあり、穏健派から簡単な地図を手に入れていたカミールたちは、緊張に精神を削られながらも床に印を刻み、ダンジョンの最奥へと進むしかなかった。
「……目標を発見」
暗い通路の一つからそんな彼らを見つめる集団がいた。
選定の儀に参加するのは表明した者と戦士のみ。だが、各氏族はそれだけでなく他の戦士を殺すための襲撃部隊を送り込んでいた。正式な戦士ではなく強さもランク3以下だが、それでも彼らは自らの氏族のために命を賭して臨んでいる。
「王子とドワーフの女と……判別できたのはそれくらいか」
「確か五名ではなかったか? 誰がいない?」
「エルグリム様が気にしておられた〝人族の女〟は誰だ? あのフードの奴か?」
「わからん。確かランク3の娘がいたはずだから、そいつは置いてきたのかもな」
「油断はするな。まずはグラム殿と合流するぞ」
「「「おう」」」
彼らは馬鹿正直に正門から入ってくるカミールたちを待ち構えていた。この入り組んだダンジョンでは未到着も多いが、それでも彼らの氏族が持つ地図は一層の大半を網羅している。
「王子たちを追うぞ。相手は手練れのランク4だ。奥にある開けた場所で襲撃する」
合流し、仲間たちから報告を受けたグラムが指示を出す。
彼らはエルグリム配下の暗殺部隊だ。まだ散っていた全員が揃ったわけではないが、それでも半数以上の二十名近くの人員が集まっていた。
エルグリム配下の一人、暗殺部隊の隊長であるグラムは、敵の数が少なくてもランク4の実力を侮ってはいない。確実に始末するために地図を使って先回りをして、広い場所での襲撃で王子だけでも殺そうと考えた。
グラムは慎重に事を進める。……慎重すぎるほどに。
「……?」
「どうした?」
カミールたちから離れて先回りの通路を進んでいた男たちの一人が、不意に周囲を見回し、隣にいた男が囁くように訊ねる。
「いや、何かが以前と違うような……」
「道を間違えたか?」
「いや、そんなことは……グラム殿、その三つ目の通路を右に」
「分かった。お前たち、そこの暗がりに穴があるから気をつけろ」
「はっ」
ダンジョンの地図でも細かい床の穴や人が通れない場所まで網羅されてはいない。
正確な高低差や曲がる角度を測れないので距離感さえも正確とは言いがたい。それでも彼らが迷うことなく先に進めるのは、先頭を歩くグラムが地下に落ちる穴を見つけることができたからだ。
ダンジョンは獲物を誘い込むために天井や壁の一部が仄かに発光している。通常のダンジョンならそれは便利なことだが、この入り組んだダンジョンの場合は複雑な影が生まれて床にある穴を隠し、落とし穴のような状態になっていた。
落とし穴も数メートル程度なら足を挫く程度で済むだろう。だが、このダンジョンでは二階層どころか三階層にも通じる穴があり、即死級の罠として知られていた。
【灯火】でも点ければマシにはなるが危険なことには変わりない。だがグラムはその地下から吹きつける〝匂い〟から階層の違いを嗅ぎ分け、深い穴を回避することができたのだ。
このまま地図通りに進めば王子を待ち伏せすることができるだろう。そう考えて足早に進む彼らの耳に、突然『獣』の唸り声が聞こえてきた。
「魔物か!?」
「どの方角だ!?」
「数が多いぞ、どうする?」
突然聞こえてきた十数体と思われる獣の唸り声に全員が緊張した面持ちで剣を抜く。
魔狼であろうと彼らの実力なら問題はない。だが、この隠し通路のような狭い場所では満足に剣も振るえず、四足の獣相手では不利だとグラムは即座に判断する。
「奥へ進め! 広場で迎え撃つ!」
奇襲はできなくなるが、ここで手傷を負ってはその奇襲も難しくなる。ならば即座に魔狼を片づけて王子たちと正面から戦うほうがマシだと考えたグラムは、仲間たちに指示を飛ばした。
だが――
『!?』
広場に飛び込んだ仲間たちの姿が消えた。
邪魔にならないように横に避けたのか? それを確かめる手段もなく一旦停まれと声をあげようとした瞬間、背後から強烈な〝殺気〟が襲いかかってきた。
「なっ」
足を止めようとしても殺気に怯えた後続の仲間たちがグラムを押し流す。そして誰の姿も見えない広場にグラムが足を踏み入れた瞬間、彼の身体は宙に投げ出された。
そこにはただ深い穴があった。突然聞こえてくる仲間たちの悲鳴。グラムの鼻に感じられた三階層の匂い……。
穴に落ちていくグラムは、その縁から冷たい視線で見下ろす桃色髪の少女を見て、すべてを理解した。
あの獣の『唸り声』も、周囲に満ちていた『匂い』も、途中の道にあった『壁』も、通路の奥に見えていた『広場』も、最後の殺気以外すべて幻覚だったのだと。
「……次だ」
二十名近い全員が穴に落ちたその様子を見下ろしていたアリアは、首のショールを巻き直してダンジョンの闇の中に消えていった。
次回、選定の儀 その2
そろそろあの人たちも出てくるかも。