175 戦う理由
王女エレーナがカルファーン帝国で発見される。その一報は、大国にも多くない国外へも通じる遠話の魔道具にてクレイデール王国の王宮へと届けられた。
エレーナが護衛と共に行方知れずとなってから二ヶ月余り、姫の身を案じていた王宮の者たちは歓喜の涙を流し、特に父親である国王陛下も安堵したが、表立ってそれを喜ぶことはできなかった。
未婚の若い女性――特に貴族ともなれば、たった数日の誘拐でさえ〝傷〟となる。
それ故に誘拐されたその翌日から情報統制が行われ、魔術学園の生徒も帰されたが、たとえそれが生徒の安全面を考慮するとした建前があっても、上級貴族家や一部の貴族家はエレーナが何かに巻き込まれたことを気づいていた。
魔族の持ち込んだダンジョンの秘宝による『誘拐』という事実に辿り着かなくても、何ヶ月も姿を見せなければ憶測で噂が立ち、それは貴族派が王家を攻撃する材料にもなる。
貴族派の貴族は、以前から第二王妃に切り捨てられた第一王女を取り込み、貴族派の傀儡とすることを画策していたが、幼かった頃の兄を慕う『我が儘な姫』ではなく、毅然とした態度で甘言をはね除けたエレーナが逆に貴族派の動きを邪魔することで、現在の王国の中枢は王家派で占められるようになった。
貴族派の多くは特産品がなく領内の内需が弱い貴族家で、その望みは、内需を優先する王家の力を削ぎ、他国との貿易を優先させてその利益を得ることだ。
だが、他国に食料を依存することを危惧した第一王女によって輸入に制限をかける動きが生まれ、もはや貴族派にとってエレーナは邪魔な存在にしかならなかった。
貴族派の攻撃材料を削ぐためにエレーナは遠話の魔道具で父王と話し合い、いくつかの事柄を決める。
まずエレーナは誘拐されたのではなく、魔族襲撃の危険を避けるため、極秘裏にカルファーン帝国へ短期留学をしたことになった。
そのためにカルファーン帝国にはいくつかの借りを作ることになるが、直接の利害が絡む周辺国家と違い、遠く離れたカルファーン帝国では長期的な不利益にはならないと判断され、承認された。
だが当然、貴族派はそれを疑う。馬鹿げた憶測でも貴族社会で噂が立てば傷になる。
要はどちらを信じるか。王女が数ヶ月姿を見せなかったことで馬鹿げた噂でも信憑性を得てしまうが、エレーナにだけはそれを払拭する手段があった。
王女を知る者ほど、彼女が必ず生きていると信じさせた、〝希望〟。
貴族派の刺客や陰謀をことごとく退け、いくつかの貴族家が取り潰される切っ掛けとなった、〝絶望〟。
王女の希望を叶え、敵ならばそれが貴族でも躊躇も容赦もなく、裏社会の盗賊ギルドや暗殺者ギルドさえも、彼女と関わることを恐れるという〝殺戮の灰かぶり姫〟。
王女の懐刀。麗しの凶刃。
王女の権威に護られた彼女を権力で排除することはできず、それでも手を出せば死を招き寄せる薔薇の死神。
アリア・レイトーン男爵令嬢。彼女が王女の傍らに居るのなら、悪意ある噂はその意味を失う。
彼女を捜すことが第一だと王女に説得された国王は、その探索に一ヶ月。そこから船で帰還するのに一ヶ月。事件発生から四ヶ月後に魔術学園を再開することが限度だと娘に告げ、彼女の探索を認めた。
「……なるほどね」
今より二ヶ月後に魔術学園を再開する。その告知を受け、自領に戻った貴族の生徒たちが学園に戻る準備を始める中、魔術学園にある屋敷の自室にて、同じく告知を受けたクララは自分の【加護】である『未来予見』によってほぼ真実に辿り着いていた。
その側に婚約者である王太子エルヴァンの姿はない。そのことに小さな痛みを感じながらも、クララはさらに命を削りながら『未来予見』で状況の分析を行う。
情報が足りないので王女の護衛が戻れるかまだ不明だが、エレーナは必ず帰還する。そして彼女なら、たとえ側近の男爵令嬢が戻らなくても、自力で噂を払拭できる手段を講じているはずだ。
とれる手段としては、カルファーン帝国皇族あたりとの婚約だろうか。手段としては悪くない。そうなればさらにエレーナの地盤は強固なものとなるだろう。それこそ王太子であるエルヴァンを超えるほどに。
そう思えるほどに現在のエルヴァンの評価は落ちていた。客観的に見てもエレーナのほうが優秀であり、彼女が学業の合間に公務を行なっているのに対して、今のエルヴァンは公務に関わることなく一人の子爵令嬢に傾倒していた。
今の国王陛下が、王妃教育を受けていない子爵令嬢を正妃にしたことで貴族社会に不和が起こり、王家派の貴族はそれを繰り返そうとしているエルヴァンを冷めた目で見ていた。
そのエルヴァンは、子爵令嬢アーリシアや王弟アモルと共にダンジョンへ向かっている。クララたちが加護を得た離島のダンジョンではなく、レスター伯爵家が管理する学園から近いダンジョンだ。
その目的はおそらく【加護】を得ることだ。乙女ゲームでもヒロインは加護を得る機会があり、通常の魔族イベントでは魔族国のダンジョンで加護を得るが、それ以外ならレスター伯爵家管理のダンジョンで加護を得たことを覚えている。
本来そこは王族が潜るようなダンジョンではない。精霊こそ存在するが、そこから得られる加護は非常に弱いものだったからだ。
だが、弱い加護でも〝箔〟はつく。そのダンジョンの難易度はそれほど高くなく、現在、新たな傀儡として貴族派から全面的な支援を受けているエルヴァンなら、ごり押しで攻略もできるはずだ。
貴族派の狙いは、子爵令嬢アーリシアに加護を取らせて、王妃の一人に押し込むことだろう。クララやカルラはもちろんパトリシアでも傀儡にはならないが、あのお花畑にいるような少女ならいくらでも操れると考えるはず。
その点だけで見れば、国王の決める方針に盲目的に従っている今の正妃のほうが遙かにマシだと、クララは溜息を吐く。
魔族を引き込み、強引に魔族イベントを起こしても、ヒロインを害することはできなかった。従者が先走ってヒロインを殺そうとしても、ヒロインに光属性を得る機会を与えただけに終わった。
「エル様……」
もう何も求めない。ダンドール家の望みである正妃も、命さえもいらない。
クララの望みはただ一つ、エルヴァンだけ。彼が傀儡となり人知れず毒杯を仰ぐことを防ぐために、クララはヒロインを排除してエルヴァンが生き残れる道だけを、自分の命を削りながら必死で考え続けた。
そのためなら自分の手を血に染めてもいい。ゲームと同じように断罪されて処刑されることさえ、クララは恐れなかった。
その鍵となる三人……王女エレーナと男爵令嬢アリア。そしてもっとも行動が読めない謹慎中のカルラが見かける度に『血と焼けた臭い』を漂わせていることに、クララは不安から思わず顔を顰めた。
***
魔族の王を決める『選定の儀』は、慣習的にこの地のダンジョンで行われる。
王となることを表明した者が十名ほどの戦士を選び、ダンジョンを攻略してその最奥から最初に『証』を取ってくるか、他の参加者を皆殺しにすることが勝利条件となる。
でも、これまでの選定の儀でダンジョンの証を取ってこられたのは、初代の魔族王ただ一人で、それ以降はすべて『殺し合い』で決着がついていた。
この魔族砦の地下にあるダンジョンは、かなり古い歴史があるはずなのに、十階層しか存在しない。
だからといって攻略は容易くない。このダンジョンの面積は以前エレーナと潜ったダンジョンの数倍の面積があり、何度も階層を上がり降りしなくてはいけない、本当の意味で〝迷宮〟と化していた。
「それで王子さんよ。なんでこんな歪なダンジョンが戦場なんだ?」
「それも説明する」
案の定、自分も参加すると言ったジェーシャの問いに、まだ納得していないカミールが苦い物を噛んだような顔で答える。
ジェーシャの口の利き方に彼の従者であるイゼルが怒気を放ち、カドリが無言のまま娘の肩を押さえて首を振っているが、新しい魔鋼の両手斧を貰ったジェーシャは上機嫌でそれを無視していた。
私の武器と違って彼女の武器は砂に埋もれたのか見つからなかった。なので、カドリがカミールの味方をする穏健派の闇エルフから武器を用意してもらい、私も足りなくなった投擲ナイフやクロスボウの矢を補充して、黒いダガーを分解清掃しながら意識をカミールに向ける。
……あの男、碌に整備もしなかったようで、黒いナイフとダガーは柄の部分も分解して煮沸しなければいけなかった。
「そもそも面倒なダンジョンを戦場にしたのではなく、選定の儀のせいでダンジョンが複雑化したんだ」
思い出すように話し始めたカミールの説明を纏めてみる。
元々……千年くらい前まではただの低層ダンジョンだった。初代の魔族王が何かを求めてダンジョンに潜り、それ以来『選定の儀』に使うため、ダンジョンの真上に砦を築いたことでダンジョンが変異した。
ダンジョンは迷宮に魔物が取り憑くことで〝ダンジョン化〟する『生き物』だ。
入り口を何かで塞がれたダンジョンは、呼吸をするように新たな入り口を出現させたという。その部分も管理するために砦も拡張し、ダンジョンも新たな入り口を作るために横に広がっていった。
そのため、ダンジョンの内部も複雑化し、今では何カ所入り口があるかすべてを把握している者もいないらしい。……どうりで窓が無いはずだ。上の砦もダンジョンと同様に増改築を繰り返しているのなら、窓などつけるだけ無駄だ。
ダンジョンの入り口は砦の中に数カ所存在する。だが、そこから入ったダンジョンの場所は同じではない。一層の場合もあるし、深い層に入る場合もある。
だからといって深い層が最奥に近いとは限らない。ダンジョンが複雑になったせいで最奥が最下層でない可能性もあり、初代魔族王以来、誰も最奥に辿り着けないからこそ選定の儀は『殺し合い』になった。
とはいえ、何度も繰り返せば、敵を襲撃するのに有利になる地点も分かってくる。でもそんな場所は有力氏族が押さえているので、他の氏族は場所さえも知らない。
今回の場合なら、それらの情報がないカミールは、一番最初の一階層に降りる入り口からしか入れず、敵対氏族の恰好の的になるはずだ。
選定の儀が始まる間際になって、各氏族の序盤の殺し合いは鳴りを潜めている。
参加を表明した時点でダンジョン外でも殺し合いは行われているはずだが、最初に殺した私を警戒したのか、一階層からしか入れない私たちならいつでも殺せると考えたのか、もう一人ダウヒールの配下らしき戦士を返り討ちにしただけで終わった。
でも油断はできない。選定の儀が始まっていなくても殺し合いが可能なように、十名前後と決められた戦士も、見つからなければルール違反ではない。その氏族が多数の配下を勝手に送り込んでくる可能性もあるのだ。
「おそらく俺たちはすべての敵から狙われることになる。俺たちは数が少ない。だから全員纏まって行動する」
カミールの戦士は、彼を含めても私とジェーシャ、カドリとイゼルの五人だけだ。他の氏族のように遊撃と攻略に分けるような数はないので、遊撃に対処するのならその考えは間違っていない。でも――
「私は別行動をさせてもらう」
「アリアっ!?」
彼の作戦を否定する私にカミールが声をあげる。
「何を考えているっ? 相手を甘く見るなっ!」
各氏族の戦士は、最低でもランク4。アイシェやシャルルシャン、ダウヒールなら確実にランク5で、あの老人……エルグリムならランク5の上位かランク6でもおかしくはない。
「だからこそだ。あれらと真正面からぶつかったら、どうなるかカミールも分かっているでしょ?」
「…………」
今回の選定の儀に参加する戦士でランク3以下はカドリとイゼルだけだ。
カドリは元々カミールの母親の従者で、魔族国で彼女の侍女であった闇エルフの女性と結ばれ、イゼルを授かったと聞いている。
二人はカミールにとっても掛け替えのない家族だ。その二人も同じで私たちが何を言ってもカミールを護るために参加を止めることはないだろう。
そして集団戦になれば、二人の命なんて真っ先に失われる。
それを防ぐためには、カミールたちは他氏族が不可能だと考えているダンジョン攻略をしてもらい、他氏族の目を〝誰か〟が引き寄せる必要があった。
そんなことはカミールだって分かっている。思考が戦闘狂寄りなジェーシャだって気づいている。だからこそジェーシャも私の言葉に頷き、感情が整理できていないカミールたちに向かって獰猛な笑みを向けた。
「誰が適任か分かるだろ? オレたちはダンジョンの魔物をぶっ飛ばして、アリアが死ぬ前に証とやらを取ってくるんだよ」
「…………」
ジェーシャの言葉にカミールは強く拳を握りしめた。
カミールは甘い。その優しさは美徳だが、すべてを守れるなんて幻想だ。王となるのなら何を護るのか自分で決める強さを得るしかない。
でも知っていて。責任は王にあっても、すべてを自分一人で背負う必要もない。
「分かった。アリア……お前を信じる」
「任せて」
信じる。そう言ってくれたカミールに私も信頼で返す。
カミールを王とする。彼の命を救うために。私がエレーナの下へ帰るために。
私は絶対に死ぬつもりはない。
「さあ、行こう」
私の言葉に全員が無言のまま頷き、武器を持って立ち上がる。
私も外套の代わりに師匠が編んでくれた魔物糸のショールを首に巻き付け、静かに歩き出した。
さあ、殺し合いの始まりだ。
選定の儀が始まります。
単独の戦いを選んだアリア。ダンジョンという環境で彼女はどう戦うのか?
そして、彼女を捜す者たちはどう拘わるのか?
そしてクララや偽ヒロインの動きは?
次回、選定の儀 その1
やっと増えた登場人物もまた減りそう。