174 戦士の矜持
「……アリ……ア?」
突然影から現れた私に、カミールが唖然とした呻きを漏らす。
「貴様っ!?」
次の瞬間、〝私〟だと認識した魔族の女将軍が即座に剣を抜く。それでようやく私が侵入者だと気づいた各氏族の戦士たちが武器を構えた。
軽く見ただけでも、さすがに王を決める殺し合いに参加するだけあって、戦士たちの実力は最低でもランク4はあると感じた。
ピシッ!
二十名近い戦士たちが発する殺気が渦巻き、会議室のテーブルに並べられたグラスに罅を入れる。――ここで始めるか? 絶体絶命の状況だがそれでも退くつもりはない。感情を心の奥底に沈めて最初に殺すべき人間を見定め、それを察した女将軍が踏み出そうとした瞬間――
「待て」
そう声にした老人の一声で、女将軍ばかりか続いて飛び出そうとした戦士たちも動きを止める。大きな声じゃない。響くような声でもない。ただその声に乗せられた威圧感に誰もが意識を向けざるを得なかった。
「エルグリム翁っ、何故止める!」
「おぬしもじゃ、アイシェ。おぬしの様子からすると、その人族の娘がアレの技を使ったとかいう奴じゃな」
先ほど【影渡り】で影を渡った私に暗器を投げつけた奴か……。どれほど齢を重ねたか分からないほどの老人だが、穏やかに笑いながらも、とてつもない殺気と威圧を滲ませた視線で私を射る。
「なんの話だ?」
「儂もこのアイシェも、おぬしには聞きたいことがあるということじゃ。じゃが、聞き出すとしても一筋縄ではいかんようじゃな。儂の暗器を躱し、これだけの戦士に囲まれて顔色一つ変えんようなら……儂が直に聞き出すしかなかろう」
エルグリムから沼底に溜まる汚泥のようなドロリとした殺意が滲み出る。その殺意にアイシェと呼ばれた女将軍が顔を顰め、飛び出そうとしていた戦士たちさえもわずかに身を引いた。
でも――
「逃げるの?」
「……なんじゃと?」
私が放った一言に老人が微かに片眉を上げた。
「私は、カミールの戦士になると宣言した。それを容易く反故にできるほど、魔族の儀式は軽い物なの?」
聞きたいことがあるのならダンジョンで決着をつける。でも、一対一で戦うことさえ恐れるのならこの場で私を殺せばいい。
「それで戦士を名乗るのなら好きにしろ」
戦士としての矜持を暗に問う私に、老人ではなくアイシェのほうが血管が切れそうなほど激高する。
「貴様……っ!!」
「ブハハハハハハハハッ!! よくぞ吠えた小娘!」
突然笑い出したのは、話をしていたエルグリムでも、今にも襲いかかろうとしていたアイシェでもなく、今までの流れを無言のまま見ていた巌のような大男だった。
普段は人前で笑うような男ではないのだろう。配下の戦士たちが驚いた顔で振り返る中、その男は牙を剥き出すような笑みを浮かべて立ち上がり、二メートル近い高みから私を見下ろした。
「小娘、貴様の戦士としての表明、確かにこの豪魔氏族の長、ダウヒールが認めた。貴様とダンジョンで殺り合える日を楽しみにしていよう」
それだけを言ってダウヒールがあっさりと巨大な背を向ける。
そのせいかその場に満ちていた戦士たちの殺気さえも困惑で揺らぎ、それで気力を取り戻したカミールが慌てて声をあげた。
「ま、待て! 俺はアリアを戦士にするとは一言も――」
「カミール殿、女子は退けと戦士に恥をかかすおつもりか?」
アリアを巻き込むことを恐れたカミールの言葉を妖艶な美女が止め、その視線を私に定めた。
「戦場に男の子も女子もない。魔族は強さこそ誉れ。人族の娘御よ、この妖魔氏族長、シャルルシャンも貴女の参戦を認めましょう。ふふふ」
「…………」
強大な威圧でカミールの言葉を封じ、シャルルシャンと名乗った女もダウヒールに続いて席を立ち、もう話は終わったとばかりに、不満そうな配下を連れて彼女もこの部屋を後にした。
「……計算ずくか? 娘よ」
「なんのことだ?」
二つの氏族が去った部屋の中でエルグリムが私に問う。
「死中に活を求める。おぬしが生きるにはそれしか無かったのだろうが、カミール殿の生きる道まで求めるとは……欲張りすぎは碌な死に方はせぬぞ?」
……なんだ、そんなことか。
「命の修羅場など、生きていればいくらでもある」
「フハハ……本当にアレとよう似ておる。よかろう、儂も認めてやる。精々、カミール殿を生かしてみせよ」
「…………」
エルグリムはまるで私と似ている者がいたような物言いをする。それが何か分からないが、とりあえずこの場で命は拾うことができたようだ。
エルグリムはそれ以上語ることなく席を立ち、意味ありげな視線を私とアイシェに向けて出口のほうへ歩き出す。そして残されたアイシェは、何か問いたいこともあったのだろうがその言葉を飲み込むようにして立ち上がる。
「いいだろう……私もダンジョンでお前との決着をつけてやる。それまで、死なないようにしろ」
最後に憎しみがこもった殺気を私に向け、立ち去ろうとする彼女の後に続く配下の戦士たちからも異様な殺気を向けられた。
「……アリア」
私たち以外誰もいなくなった部屋の中で、カミールが睨むような視線を私へ向けた。
「不服か?」
「当たり前だっ!」
カミールは甘い男だ。彼はおそらく自分のために死地に飛び込んだ私に、それを止められなかった自分に怒っている。強引に割り込んだ私に言いたいことはいくらでもあるだろう。でも、今はその時ではない。
「話は後だ。カミールとカドリはジェーシャに武器でも見繕っておいて。絶対参加すると言うはずだから」
「……お前はどうするんだ?」
話を遮り、部屋の中に残された椅子に腰を下ろした私に、カミールが困惑気味に問い返す。
私の立場は囚人だ。カミールの戦士として戦うことを決めたので、他の魔族は簡単に手出しできなくなったが、それでも自由に動けるわけじゃない。でも、そんな私がこの場から動かないことにカミールは眉を顰め、私はそんな彼を安心させるように軽く手を振った。
「大丈夫。少し用事があるだけだから」
***
「あの女……すかしやがって」
魔族の男、アドラは苛立っていた。
魔族軍に籍を置いて十数年。闇エルフの寿命からすれば長い時間ではないが、それでもアイシェの副官の一人として、アドラは一目置かれるほどの戦士となった。
魔族軍としてもその思いは一枚岩ではない。単純に魔族国のため魔族王のために戦っている者や、自分たちを敵視する人族を脅威とみて参加した者などもいる。だが、アイシェの配下となった者たちは全員、アイシェの強さに憧れた者たちだ。
アイシェが魔族王を決める『選定の儀』に参加すると決め、アドラたち副官も戦士として参加することを決めた。
シャルルシャンが言う通り、魔族は強さこそ誉れだ。その王としてアドラは自分の主以上に相応しい者がいるとは思えなかった。
だが、あの人族の血を引く惰弱な王子は、こともあろうことか、王を決める神聖な儀式に人族の女を戦士として送り込んだ。
その桃色髪の女のことは知っている。魔族軍に一人で斬り込み、アイシェと一騎打ちをして捕虜となった女だった。あの時、アドラもアイシェの側にいた。だが、あの女は卑怯な手を使いアイシェを自分たちから引き離した。
それは許されることではなかった。アイシェの副官である自分の誇りをあの女が穢したのだ。
「……あの人族の女に、魔族の流儀を教えてやる」
選定の儀は、これから三日後に同時にダンジョンへ入り雌雄を決することになる。だが、もう戦いは始まっているのだ。
選定の儀は『殺し合い』だ。強さこそ誉れ。ダンジョンに入るまでの期間も、事故に見せかけて敵の戦士を殺すことなど当たり前のことで、油断するなど戦士として愚かなことだと教え込まれた。
人族の血を引く王子もその従者たちも甘すぎる。初めはあの王子を自分の手で殺し、アイシェの右腕として力を示そうかと考えていたが、アドラはあの忌々しい女を先に殺して、わずかな希望を踏みにじろうと考えた。
「ふふ……」
アドラは、王子が絶望に染まるさまを想像して舌舐めずりをするように腰から〝黒いナイフ〟を引き抜いた。
アドラが持つ魔鋼製の『黒いナイフ』と『黒いダガー』は先の遠征の戦利品だ。
おそらくはドワーフ製だろう。人族が持つには不相応だと考え、戦場の戦利品の中でそれを見つけたアドラは、己の立場を使って半ば強引にそれを自分の物とした。
せっかくの質の良いナイフだ。その試し切りに、人族とはいえ見目の良いあの女はちょうどいい標的に思えた。
あの小綺麗なすかした顔を切り刻むことを考えるだけで血が滾る。だが、相手は人族とはいえ、アイシェと刃を合わせることが出来る戦士だと思い直し、息を長く吐くようにして心を静めた。
「……あの女はどこにいる?」
アドラの呟く言葉に、ふわりと少女のような姿をした半透明の小人が現れ、その肩に留まる。
アドラは精霊使いだ。通常、建物やダンジョン内では精霊魔法はほぼ使えないとされているが、属性の魔石を消費することで精霊を呼び出す〝門〟として使用できる。
アドラは魔石を消費して風の低位精霊を呼び出していた。根本的に思考形態さえ異なる存在の意思を酌み取ることは難しいが、アドラのようなランク4の精霊使いならある程度の疎通は可能だ。それにこのランクの精霊なら、砦の中でも魔力で気づかれる恐れもない。
風の低位精霊によれば、あの桃色髪の女はまだあの部屋に一人でいるらしい。だが、おかしなことに風の低位精霊は、あの女に対して怯えたような感情を見せ、アドラは精霊を安心させるように薄く笑う。
「案ずるな。俺とお前の精霊魔法を見破れる者はいないさ」
桃色髪の女の戦闘力はランク4の上位だが、1200近いアドラと大きく変わるわけではない。地下牢の疲労はまだ残っているはずで、それがなくても、自分が精霊使いだと知らない斥候系の戦士など、アドラにとってはもっとも暗殺しやすい相手だった。
アドラは風の精霊が見つけたその場所へ向かい、ニヤつきそうになる頬に力を込めてその女の背に声をかけた。
「やあ、こんなところで何をしているのかな? お嬢さん」
エルフ種は美麗な者が多い。特に人族の異性からするとそう見えるらしく、アドラは人の良さそうな笑みを浮かべて、桃色髪の少女へ近づいていく。
アドラが近づくとその少女アリアも素早く椅子から立ち上がり、アドラに対して不審そうな瞳を向けた。
「そう警戒しないでくれ。選定の儀はまだ三日もあるのだから、今から気を張っても仕方ないだろ?」
「そうだね……」
笑みを浮かべたアドラが敵意もなく語りかけると、険のあったアリアの顔が少しだけ穏やかに変わり、アドラは内心それを嘲笑いながらさらに歩み寄る。
「実はね……俺は君を捜していたんだ」
「……どうして?」
「それは――」
ドンッ!
その瞬間、アリアの後頭部に強い魔力の衝撃が弾けた。
「お前の死に様を見るためだよっ!!」
風の低位精霊がアリアの後頭部に体当たりをしたその時を狙い、アドラが腰から引き抜いた黒いナイフとダガーをアリアの顔面に突き出した。
「なっ!?」
「奇遇だな」
アドラの繰り出したナイフとダガーの一撃は、アリアの両手の指先に刃を挟まれて止まっていた。
アドラは手加減していない。相手を騙し、油断を突き、精霊の不意打ちという負けるはずのない戦いに慢心していたことは認めるが、それは慢心できるほどの会心の攻撃だったからだ。
精霊の攻撃はどうして効いていない? 魔鋼の鋭い刃をどうして恐れもなく素手で受け止められるのか?
「私もお前を捜していた」
油断していたのはどちらか? 騙されていたのは誰だったのか?
狙われていたのはどちらだったのか?
アドラの手に持ったナイフとダガーが、軽く捻られるだけで奪い去られていた。
何故? と思う間もなく喉元に熱さが奔り、赤黒い血潮が噴き出した。
何故、アリアがアドラを捜していたのか? どうして武器を簡単に奪われたのか?
アリアはその武器の癖を熟知していたから奪い取れた。
自分の背後に迫る精霊を〝視て〟、後頭部に魔盾を張ることで精霊を潰した。
アリアはようやく奪い返した自分の武器を構え直して、ナイフで首を切り裂いたアドラの眉間にダガーを突き立てる。
「あの部屋で見た時から、私の最初の標的はお前に決めていた」
罠にかけようなんて10年早い(13歳)
あのあと、念入りに分解清掃してそう。
次回、選定の儀