173 魔族の闇
同日14時45分加筆修正
「アイシェ将軍っ、いつまで彼女たちを牢に入れておくつもりだっ!」
魔族軍の砦にて、バンッと机を叩きながら魔族軍の将校服を纏ったカミールがその女性に詰め寄ると、執務室で彼を迎えたアイシェはソファで長い脚を組みながら見下すような視線を返す。
「確かにあの女は預けたが、同時に魔族軍の捕虜でもある。貴様もあの女の危険性は知っているはずだ。あのような危険人物を、要人の側に野放しにできないことも理解できるだろう?」
「くっ……」
アイシェの揶揄するような物言いにカミールも呻くようにして歯を食いしばる。
カミールは戦場で倒れた〝敵〟を自分の身分を使って保護することができた。だが、その身分あるカミールの側で敵を簡単に解放できないというアイシェの言っていることも理解できた。
カミールは魔族の要人ではある。だが、アイシェの態度からはそれを敬う意思も感じられず、将軍とはいえ一介の軍人が言葉遣いを正すこともなく、あきらかに彼を侮っている感情が垣間見えた。
「傷だけは魔術で塞いである。内臓に達した傷はなかったのだから、あれなら死にはしないだろう。……私もアレには聞きたいことがあるからな」
怨嗟を感じる声音で呟いたアイシェの金瞳に暗い光が揺らめく。
アイシェのただ一人の家族――戦場で死んだはずの姉の技を使う人族の少女。その技をどこで学んだのか? 死んだはずの姉とどんな関わりがあるのか?
できるなら今すぐにでも拷問にかけて聞き出したいことは山のようにあるが、あれほどの傷ならあと数日は意識が戻らないはずだ。
あの少女は何者なのか? カミールはカトラスにいた冒険者だと言っていたが、たかが十数年生きているだけの小娘があれだけの力を得られるものなのか? ただの人族が五十年以上鍛えたアイシェに迫るほどの実力をどうやって身につけた?
直に刃を合わせたからこそよく分かる。咄嗟に鑑定こそできなかったが、肌で感じた強さはアイシェさえも倒せる領域にいた。
アイシェはその強さの裏に確かに姉の影を見た。
「あいつから話が聞きたいのなら、まずはまともに話せるようにするべきだ。すぐに死んでしまうような状態では話もできないだろう」
「…………」
カミールは睨むように、アイシェは氷のような暗い瞳で目を合わせる。
「ならば勝手にしろ……」
冷静に考え、その言葉に利があると思ったのかアイシェも渋々と承諾する。
あの少女はあの場で殺すべきだった。その思いは今も変わっていない。だが、カミールがそれを阻んだことで結果的に少女が使った技の正体を知る機会は得た。
それを感謝するとは言わないが、しばらくはカミールに預けてもいいだろう。
(……だが、楔程度は打っておくか)
「ああ、ついでに捕虜にしたドワーフ女も連れていけ。あの女と同じ〝オトモダチ〟なんだろ? あと数日であいつらが来る。それまでに連中が納得できる言い訳でも考えておくといい。なぁ、王子様?」
「……分かった」
嫌味を込めたアイシェの侮蔑の言葉に、カミールは感情を抑えるように短く返す。
アイシェの言動でも分かる通り、カミールの魔族内での発言力は弱い。母が生きていればまた違ったのだろうが、あり得なかった未来に思いを馳せても意味はなかった。
カミールは魔族国の王の子だ。だが、王の子が必ずしも次の王になるわけではない。
母はカルファーン帝国の人間で、その母が亡くなり残された父は気を落として生きる気力を失った。あのまま魔族国に残っていれば、人族の血を引くカミールは次の王位を狙う者たちに殺されていただろう。
けれど、生きるためにカトラスの町に逃げたとしても、カミールは魔族の宿命から逃げることはできなかった。
アイシェの執務室を離れたカミールは日の差し込まない暗い通路を一人歩く。
アイシェが言っていた連中がここまで来るということは、おそらく父である魔族王の死が迫っているのだろう。今回、二人の捕虜を救ったことでカミールの立場はさらに悪くなるはずだ。
それを魔族への裏切り行為ととられて、『選定の儀』を受けることなく拘束されて、死ぬまで幽閉される恐れもあるのだ。
「…………」
どうしてそこまでして彼女を救うことに拘るのか? カミールの中で彼女に借りがあるからだと理由をつけていたが、それ以外にも確かに言葉にできない思いが存在した。
――カツン。
「!?」
その時、微かな物音と共に強い衝撃を受けた。何が起きたのか? 自分の命を狙う者でも紛れ込んでいたのか? カトラスの町で鍛え、ランク4となったことで簡単に襲ってくる者はいなくなったが、カミールはそれでも従者たちと離れるべきではなかったと臍を噛む。
その姿をまだ捉えていないが、もし敵なら、自分に存在を気づかせなかったかなりの手練れ暗殺者だ。カミールが背後に向けて肘打ちを放つ。だが暗殺者はそれさえ予想していたように強烈な肘打ちを素手で逸らし、腕の下を掻い潜るようにして懐に飛び込みながらカミールの顎を膝で蹴り上げた。
目の奥に光が飛び散るように目が眩み、体勢を崩されたカミールが背中から倒れ、声を出す前に咽を踏みつけられた。
(素足っ!?)
何故素足なのか? 足の大きさからして襲撃者は女かとその姿を確かめようとした時、その暗殺者から声がかけられる。
「いつから敵になった? カミール」
(アリアっ!?)
その少女は町で出会い、互いの目的を果たすまで仲間として行動を共にしていた。
初めて会った時、桃色がかった赤い髪だった母親と似ていて驚いた。でも、それを彼女に言うのは気恥ずかしく感じて、母の母親であるかつて父が恋した女性と同じ髪色だと言ったこともあった。
そのアリアを解放するために動いていたのに、そのアリアが何故ここにいるのか? アリアは重傷を負って地下牢にいたはずだ。たとえ目を覚ましたとしてもどうやって地下牢から抜け出したのか?
アリアはカミールを〝敵〟と言った。違う。そんなことはない。そう声を出そうにも咽を踏みつけられ、カミールを見下ろすその冷たい視線と、顔面に向けられたクロスボウの射線は微動だにもしなかった。
「――……」
「……なるほど。私を助けたのはお前か? ならば礼を言う」
何を見て何を理解したのか、あっさりとそう言ったアリアは足とクロスボウをどかして、倒れたカミールに手を差し出した。
「……あ、ああ」
差し出された手を取って立ち上がるカミールの背はびっしょりと汗をかいていた。アリアはあっさりと武器を下げたが、少しでも視線を逸らしたり、敵対的な行動をしていたらその場で殺されていた。少なくともそう思えるほどの殺意は感じた。
アリアはどこに居てもアリアだ。たとえすべての武器を奪われ、どれほど絶望的な状況でも彼女は何も変わらないだろうと、その姿にカミールは自分では得られなかった、生きるための強さを感じた。
「アリア……とりあえず俺たちのいる部屋まで来てくれ」
***
「あんまり美味い物じゃねぇな」
テーブルの上に並べたトカゲの丸焼きを食い千切りながら、ようやく牢から出されたジェーシャが果実酒を瓶のまま咽に流し込む。数日間飲まず食わずで地下牢に入れられていたはずだが、胃腸共に特に衰えている様子はないところは、流石はドワーフと言ったところか。
仮に多少の毒が仕込まれていたとしてもジェーシャなら平気な気がする。私は酒を呑まず、少量の肉と多肉植物の油炒めだけを胃に収めて水を飲んでおいた。
「まず二人には装備を返す。とはいえ、武器までは取り返せなかったが……」
私たちの食事が粗方済んだ時点でカミールがそう言うと、以前砂漠で会った人族と闇エルフの親子……その娘のほうがもの凄いしかめっ面で私たちの装備を持ってくる。
「そっちのドワーフのほうは革鎧とブーツだけど、金具がダメになっているから、使えないかもね。あんたのほうはブーツと手甲と……破けて絡まりそうだったから、それは私が脱がせておいた」
「そうか」
私の装備を脱がしたのは娘……確かイゼルとか言って歳は私よりも少し上だろうか。そのイゼルが脱がしたと言っていたそれは、ゲルフが作ってくれたミスリル繊維を編み込んだ薄手のタイツだった。
ミスリル繊維で……と言ってもすべてミスリルで作っているわけじゃない。使っているのは三割程度で残りは絹製だから、通常のタイツより丈夫なはずだけどあの戦いで破けてしまったらしい。
「私は……まだ、あんたを許してないから」
装備を渡す時、イゼルが小さな声でそう呟いた。彼女が怒っているのは父親の片目を私が潰したからだ。料理を持ってきてくれた父親のカドリは眼帯を巻いて表面上は気にしていないようだが、眼球を【治癒】で再生するには一年ほどもかかるはずなので、それでイゼルに恨まれるのは仕方ない。
「まあ、着れなくもねぇか……」
ところどころ壊れていたが、革は丈夫な甲竜の皮なのでなんとか使えるらしく、ジェーシャは着ていた襤褸布のような服をその場で脱ぎ捨てて着替えはじめた。
私も手甲とグローブを装着し、【影収納】から予備のタイツを出して片足を椅子に上げて履き始めると、それを見たカミールが何故か目を逸らす。
装備は戻ったがジェーシャの両手斧と私がガルバスから貰った武器はない。どこかに仕舞ってあるのか、それとも誰かに奪われたのか。形のある物に拘るつもりはないけど……少しだけ面白くないとも感じた。
「二人には悪いと思うが、すぐには帰してやることはできない。お前たちは魔族軍の捕虜という扱いなので自由にすることもできない」
私たちが着替え終わったあたりでカミールが口を開き、ジェーシャは食事をしたソファに腰掛けたまま、私は座らずに立ったままそちらへ顔を向けた。
「それと、アリアなら自力で抜け出しそうだが、今は止めてくれ。ここからカトラスの町に戻るには一ヶ月以上かけて砂漠を横断するか、レースヴェールの遺跡を横断する必要がある。イゼルなら遺跡の外周部を抜ける道を知っているはずだから、お前たちに危害が及ぶ前に三人でカトラス方面へ逃がそう」
「どういうことですかっ!?」
私たちの脱出の話になったところで、カミールの言葉を遮るようにイゼルが声をあげた。
「カミール様と父上はどうなさるのですかっ! あの連中が来るのでしょうっ、それなら私も残りますっ!」
「口を慎め、イゼル。お前はお二人と共にここを去れ。ここに残っても私もカミール様も死ぬとは限らない。権利を放棄することでなんとか生き残る術を探すつもりだ」
娘が騒ぎはじめたことでそれまで黙っていたカドリがイゼルを諫めた。でも、その言葉から彼らが死を覚悟していることを感じたのか、イゼルがさらに言葉を募る。
「それなら、一緒に逃げましょうっ! あんな連中に付きあうことは無いはずです! カルファーン帝国がダメでも、ガンザール連合でもジャスタ皇国でも逃げる場所はあるはずです!」
「イゼル……俺たち闇エルフに他の地で生きるのは難しい」
イゼルの言葉を聞いて苦い物を噛んだような口調でカミールが口を開いた。
「人族の地で闇エルフが生きることがどれだけ困難か、お前も知っているだろう。隠れ住むとしても、あの連中が俺の死を確かめないかぎり必ず追ってくる。そうなればそこに住む者たちにも迷惑がかかる」
カミールが言っていることは正しい。一介の武人だった師匠が魔族を抜けるだけでも相当な苦労があったと聞いている。
魔族と人族から隠れ、裏社会に身を置き、常に身の危険に曝されながら戦い続けた師匠は、あれほどの力を持っていながら無理をしすぎて、長く戦える身体でなくなってしまった。
理由は聞いていないが、これまでの会話でカミールが魔族内で地位がある立場だと分かった。その理由でこれからやってくる者たちと命のやり取りがあるのだろう。
「最悪でもなんとか戦って生きる術を探してみる。俺ではもう難しいが、お前一人なら占拠されたカトラスでも生きていけるはずだ。分かってくれ……」
「そんな……」
カミールの言葉にイゼルが言葉を失う。そんなイゼルの肩に手を置いて、カミールは私に向き直る。
「しばらくならお前たちの身柄は俺で守れるだろう。これから魔族の氏族長たちがやってくる。その時に話し合いとなり、お前らに構っている暇など無くなるはずだ。その混乱時に逃げ出せるように、今は体力の回復に努めてくれ」
「……分かった」
カミールの表情からは自分の死も覚悟しているように感じられた。夜更けすぎにロンと二人で帝国と魔族との共存を語っていた、あの時の彼はもういない。
私はカミールの言葉に頷きながらも、これからどうするのが最善なのか、自分の中で考えを纏めた。
***
捕虜を解放して二日後、魔族国から各自十数名の配下を伴い、三つの氏族の長が砦に現れた。カミールの予想通り魔族王の死期は迫っており、次の魔族王を決めるために有力氏族の長たちがこの砦までやってきたのだ。
基本的に魔族の王は世襲制ではなく幾つかの氏族の長から選ばれる。だが、人族の戦闘が激化した数代前から、魔族全体を纏めるために世襲が行われていた。
カミールは現在の魔族王のただ一人の子だ。
本来なら次の魔族王となるのはカミールだが、人族の血を引くカミールを他の氏族が認めず、魔族王の意思が届かなくなったことで、彼らは過去の魔族王を選び出した古い儀式である『選定の儀』を持ち出した。
それを行うのに、どうして有力氏族の長たちがこの砦までやってきたのか?
それはこの砦にカミールがいたからではなく、この砦の地下が、太古のダンジョンとなっていたからだ。
『選定の儀』――それは、有力氏族が数名の戦士を出し、ダンジョンの最奥から証を持ち帰ることだ。その証が何か分かってはいないが、一目で分かる物らしい。
だが、ただ早く持ち帰ることが勝利ではない。これは、儀式の名を借りた氏族同士の威信を懸けた『殺し合い』だった。
「さて、各々方、この地に集まった理由も分かっていよう」
魔導氏族長老――エルグリム。
千年も齢を重ねたような闇エルフの老人が皺だらけの顔でニタリと嗤う。
「左様。我らもこの瞬間を何年も待ってきました」
妖魔氏族長――シャルルシャン。
華美な着物のような衣装を纏った妖艶な美女が扇子で口元を隠すように微笑む。
「我ら三氏族……そしてアイシェ将軍も配下を伴って参加を表明なされた」
豪魔氏族長――ダウヒール。
歴戦の戦士を思わせる壮年の男が腕を組んだまま重々しく頷いた。
「そうだ。私にも譲れないものがあるのでな。お三方には悪いが、私も手を挙げさせてもらった。もちろん……その方が参加しなければ絵空事になりかねないが」
三人の氏族長の鋭い視線を受け止め、アイシェが歪んだ笑みを浮かべながら会議室の奥にいる少年に視線を向けると、他の三人も蛇のような目付きで彼を見た。
「……俺も逃げるつもりはない」
カドリだけを伴ったカミールが静かに頷く。
古い儀式を持ち出したと言っても、カミールを支持する層がすべてそれに賛成したわけではない。
魔族国には闇エルフではない氏族もいる。生産が得意で荒事に向かない氏族もある。それらは自分たちを迎えてくれた今の魔族王を敬っており、その子であるカミールが王に着くことを望んでいた。
その他には中立的で人族との戦争を望まない穏健派も存在する。故に彼らを納得させるにはカミール本人を『選定の儀』に参加させる他はなく、もしカミールがそれを拒むというのなら反乱を起こしてでもカミールと王を亡き者にしようと画策までしていた。
カミールもそれを気づいている。だからこそ、自分に従う者たちに危害が及ぶことを看過することはできなかった。
「ほほう……カミール殿は自信があるらしいぞ」
「ほほほ、それはそれは頼もしいこと」
「殿下のお力は、我が身で確かめさせてもらおう」
「ああ……」
選定の儀に参加できるのは各氏族十名。互いに見張り合ってはいるが、その見張りを参加させるなどの協定破りも考えているだろう。
カミールの手勢はカミール本人とランク3のカドリのみ。
それだけの戦力でカミールが勝利できる可能性はない。あるとすれば、カミールが一騎打ちを挑んで各氏族長を討ち取ることだが、各人がランク5の力があり、その状況を配下が許すはずもない。
ようは嬲り殺しだ。それでもただ殺すだけでなくどの氏族が彼を殺すかによっても、後の発言力が変わってくる。すでにこの場では誰がカミールを殺すか、密かなせめぎ合いが始まっていた。
だがその時――
『――話は聞いた』
広い地下の会議室に存在しないはずの〝少女〟の声が流れた。
威圧感もなく、違和感もなく、ただ流れただけの声を誰も無視することができず、一瞬静まりかえった室内で、魔導氏族長老エルグリムが針のような暗器をカミールへ飛ばした。
「――っ!?」
氏族の配下たちが驚愕する中、その針を白魚のような指先が摘まみ取る。
カミールの影から滲み出るように姿を現した桃色髪の少女は、感情の色のない瞳で辺りを見回し何事もなかったように針を投げ捨てた。
「私がカミールの戦士をさせてもらおう」
集団戦。ダンジョン内での殺し合い。
魔窟に自ら身を投じたアリアは生き残ることができるのか?
次回、選定の儀