171 敵地での再会
第二部第三章の始まりとなります。
昔々……というほど大昔ではない五十年ほど前の話。
西の大国カルファーン帝国へ、東の大国クレイデール王国から一人の少女が訪れた。
浅黒く小麦色の肌をしたカルファーン帝国の人たちの中で、彼女の真っ白な肌は珍しく、それ以上に見たこともない鮮やかな『桃色がかった金髪』は数多の人々の目を惹きつけた。
百年近く続いた魔族と人族の戦争は、魔族王が討たれることで終わりを告げた。
人々は傷つきながらも新たな時代の訪れを感じて、そんな平和な時代の先駆けとしてカルファーン帝国の皇太子が東の大国クレイデール王国へと留学した。一年余りの留学を経て帰国した皇太子一行の中に、その少女の姿があった。
交換留学生として数名の従者のみを連れて渡航した彼女は、クレイデール王国でも旧王家として名高いメルローズ家の血筋で、帝国の貴族たちは皇太子が留学先から妃候補として連れ帰ったのではないかと噂する。
そんな噂に心を痛めたのは、皇太子の婚約者であり留学した彼の帰りを待っていた、大公家の姫であった。
帝国の貴族学園に入学し、文化や形式の違いで細々とした問題を起こす桃色髪の少女と、彼女を羨み嫉妬する大公の姫が何度もぶつかり合い、大公の姫は桃色髪の少女に心ない言葉を浴びせたこともあった。
そのせいで婚約者である皇太子との関係にも齟齬が生じ、素直になれず傷つく大公の姫。でも、その気持ちを誰よりも理解してくれたのは、桃色髪の少女だった。
時を同じくして父王を殺された敵を討つべく、魔族国の王子が皇帝と皇太子を暗殺しようと、単独でカルファーン帝国へと侵入する。
それに対して皇太子とその従者、そして大公の姫と桃色髪の少女が口喧嘩をしながらも手を取り合い、貴族学園での戦いで魔族国の王子を退け、二人の少女はいつしか掛け替えのない友人となっていった。
皇太子を護り、その価値を示した桃色髪の少女に、幾人もの上級貴族の子弟が愛を囁いた。少女が望めば皇太子の妃の一人となることもできただろう。けれど、少女が選んだのは皇太子が留学先にも同行させていた、乳兄弟である従者の青年だった。
二人は立場の違いから言葉にできずとも留学時から想いを通わせていたらしい。そこで皇太子が一肌脱ぐことで、高位貴族であるメルローズ家の姫が留学することが許されたのだ。
そして、大公の姫は念願だった皇太子と結ばれて皇妃となり、桃色髪の少女は子爵であった従者の青年に嫁いで、その数年後に一人の娘を授かることになる。
従者と少女の愛娘……淡い小麦色の肌に赤みがかった桃色髪の少女は、貴族学園に入学する頃には美しく成長した。幼い頃からその少女を知る、皇妃となった大公の姫も無事に男児を授かり、親友の娘である少女を自分の息子に娶らせ、皇太子妃にしようと画策する。
母譲りの美しさと不思議な魅力を持つ少女に、何人もの少年たちが心を奪われた。
幼なじみである新たな王太子も少女のことを憎からず思っていたが、子爵令嬢である少女に幾つもの上級貴族家が難色を示し、その行く先には数多の障害が存在した。
その時、正式に魔族王となった元魔族の王子が再び帝国に侵入する。
前回より二十年近く経っていたが、寿命の長い魔族からすれば心が変わるほどの時間ではない。
彼は皇帝や皇太子を襲いにきたのではなかった。前回、退けられた時、自分のことを理解してくれた桃色髪の少女に恋をして、忘れることができなかった彼は想いを遂げるために再び現れたのだ。
以前と変わらず美しい母親を誘拐されそうになり、少女は皇太子や幼なじみたちと共に魔族の王に立ち向かう。
その際に魔族の王の不器用で純粋な想いを知った少女は、彼の心を癒し、互いに想いを通じ合わせることで、少女は魔族王へ嫁ぐことを選んだ。
そして時は流れ――
魔族国へ嫁いだ親友の娘のことを祖母に聞かされていた一人の少年が、生き残るために旅立ち、同じように生きるために国元を離れていた魔族国の王子と、砂漠の町で出会うことになる。
***
――ぴちゃん。
薄暗い闇の中、頬に落ちた水滴の感触に目を覚ます。
「…………」
ここはどこだ……? ほぼ明かりのない薄闇。微かに見える石壁に漆喰の天井……。肌寒さすら感じる気温に、天井から滴る水滴などの湿度の高さなど、あきらかに砂漠とは違う。
「――っ」
身体を動かそうとして全身に奔る痛みに顔を顰め、私は闇の中を睨み付ける。
覚えている最後の記憶は、魔族軍の女司令官と一騎打ちをして相打ちになったところで途切れている。
おそらくここはどこかの地下牢か……。戦いはあれからどうなったのか? どうしてあの女魔族は私を殺さなかったのだろうか? 再度身体を動かそうと試みると、壁から伸びて私の腕に絡みついていた鎖が微かに音を鳴らした。
「――気がついたか?」
どこからか放たれた声が私の耳に届く。その声にあらためて神経を研ぎ澄ますと、この地下牢のような空間に私以外の微かな気配があることに気づいた。
生命力が希薄だったので気づかなかった。だがその声には意志の力があり、私がいる地下牢の鉄格子を挟んだ向こう側から、その聞き覚えのある声の主に意識を向ける。
「……ジェーシャか?」
「そうさ。無様に生き残っちまったぜ……アリア」
私の問いかけに声の主――ホグロス商会冒険者ギルド長のジェーシャが自嘲するような声を微かに零した。死んだと思っていたが互いに生き残ったか……。血止め程度だが私も声を出せるほどには治療をされているようだ。
「何があった?」
「……どうってことねぇよ。魔物の暴走を止めようとして、魔族どもと地竜が現れて丸ごと吹き飛ばされたのさ。オレは……ジルガンの奴が身体を張って逃がしてくれたが、結局はこのざまさ」
「そうか……」
彼女もある程度は回復しているようで私の問いに答えてくれる。
ギルドの冒険者たちは地竜が放ったブレスの一撃で半壊。ジェーシャやジルガンを含めた精鋭たちで地竜に対抗するはずだったが、最初のブレスで半数が戦闘不能になり、その時点でジェーシャは撤退を命じたが時すでに遅く、ジルガンは彼女を逃がすために囮となり炎の中に消えていった。
それでも最初の攻撃で手傷を負っていたジェーシャは逃げきることができず、町の名士の一人ということだけで生かされ、ここに放り込まれた。
ジェーシャも気を失っていたらしいが、私よりも二日ほど早く目を覚ましていた。
「ここはどこ?」
「ああ、お前は知らないか。オレも見るのは初めてだが、ここは魔族軍の砦だな」
「砦……?」
「オレたちがいたカトラスから見て、古代遺跡レースヴェールの向こう側に魔族軍の前線基地があるって、噂だけは聞いていた。何十年も前に斥候隊が見ただけなんで眉唾ものだったが……どうやら本当だったみたいだな」
魔族軍の前線基地か。どうやら状況はあまり良くないらしい。
古代遺跡の反対側ということは、カトラスの町に戻るためには小国家ほどもある古代遺跡を横断するか、何も無い砂漠を延々と歩き続けなければいけない。それをするためには魔族の包囲網を突破する必要があり、仮に戻れたとしてもおそらくカトラスの町は魔族軍に占拠されているだろう。
でも、諦めない。命があるのならなんとでもなる。
今までもそうして生きてきた。この状況は、これまでしてきた〝生き残り〟となんら変わらない。
ならばまずは情報を得る必要がある。
「私たちは何故ここに入れられた? 見張りの姿も見えないが……」
「見張りは一昨日に一度見たきりだな。オレらがなんで生かされているのかなんて知らねぇよ。それよりも捕虜なら飯くらい出しやがれって」
同じ境遇の私と話しているうちに気力が涌いてきたのか、ジェーシャの声にも少しだけ活力が感じらた。
「オレもよぉ、色仕掛けでなんとかしようとしたんだが、闇エルフの野郎どもは異種族の女なんかに興味はねぇとよ。オレらみたいな美少女相手に変わってるよなぁ」
「そうか……」
ジェーシャも文句を言いたかっただけなのか、言いたいことだけ言うと、私と同様に傷を負っている彼女は体力の消耗を抑えるために黙り込んだ。
何か意味は違うような気はするけど、見張りがいないのなら都合はいい。
胃の具合から判断すると、私がこの状況になってから三日か四日というところか。空腹は感じるが、ランク4の冒険者である私たちは数日程度の絶食で死にはしない。
この世界の生物にとって魔素は栄養素の一つであり、高ランクの幻獣は魔素だけで生きていけると言われている。私の知識の基になっているあの女がいた世界と違って、この世界ではランクの高い捕虜に対して、体力値を削るために食事を与えないという選択を採る。そうしておかなければ安心して護送さえもできないからだ。
「…………」
現在の私は、魔力値も体力値も半分ほどか……。基礎体力値が高いのでそれで済んでいるが、この状況では周囲の魔素を吸収してもこれ以上の回復は見込めない。
身体の状態も確認する。腹は剣で刺されたはずだが傷は内臓まで達していない。重要な臓器の一つでも傷ついていたらそのまま死んでいた可能性もあった。手足の感覚からして、欠損や神経が切れている様子もない。
「……(【治癒】)……」
少ない魔力を消費して、身体の再生を開始する。
【回復】では治しきれないと判断して【治癒】を使う。通常は手を当てた狭い範囲のみを治癒する魔術だが、今の私の魔力制御レベルなら、意識を向けた場所を治癒することも可能になった。
腹部を中心に矢傷を受けた箇所や手足の腱を癒していく。魔族軍も油断のしすぎだ。常識的に高ランク者の尋問などをする場合は弱らせてから対処するらしいが、そんな常識で私を止められると思うな。
表面の細かい傷は後で治せばいいだろう。体力値も現状ではこれ以上回復できないので【回復】を使う必要はない。
手首は壁の左右から伸びた鎖で繋がれているが足はそのままだ。感触からして主武装のナイフや腿に括り付けた投擲ナイフホルダー、刃を仕込んだブーツや手甲などは奪われ、素手と素足にされていたが、その他の装備はそのままになっている。
足は自由だが、手を縛る鎖は鉄の薔薇を使っても腕力で引き千切れる太さではない。
暗視を使って見た手首の枷には鍵穴はなく、ボルトのようなものでキツく締められていた。ある程度の工具があれば誰でも外せるが、今の状況では鍵付きよりも厄介だ。
傷の回復を確かめるように身体強化で腕に力を込める。壁に打ち込まれた楔はびくともしないが、腕力だけで体重を支えた私は逆さまになるように身体を浮かせて、自分の影を使った【影収納】から陶器瓶と暗器を一つ取りだした。
「…………」
逆さまになったまま足の指で陶器瓶を掴み、慎重に蓋を外す。そのまま足を使って陶器瓶の中に入っていた油をそっと手枷のボルトに零した。
以前戦った女盗賊が使っていた軟体ほどではないが、この程度なら私にもできる。両側の手枷に油を垂らし、足の指で摘まんだ暗器をボルトの隙間に差し込み、少しずつ時間をかけてずらしていく。
ここからは精神力の戦いになる。作業に一切音は立てない。隙間に暗器を差し込み、少しずつずらす作業を延々と繰り返すだけだ。
高い器用値のおかげか、体感で半時も作業を続けるとだいぶボルトも緩んできた。そのまま足の指も使ってボルトを回し続けると、一刻ほど経った頃にようやく手枷の隙間から片側の手首を抜くことができた。
ようやく自由になった右腕を軽く動かしてみる。多少の痛みはあるが大きな問題はない。片腕が使えるようになったことで左腕の枷は半分の時間で外せた。
(……良し)
「……お、おい?」
突然立ち上がって【影収納】から取り出した丸薬や【流水】で出した水を飲みはじめた私に気づいて、向かい側のジェーシャから困惑気味の声がかかる。
「なんで枷が外れているんだ?」
「外した」
「……は?」
さらに困惑したような声が聞こえた。
「外せるのなら外すでしょ?」
「はあっ!?」
「煩い」
斥候としてヴィーロから学んだ鍵開け技術で鉄格子の鍵を開けながら、声を荒らげたジェーシャに思わず顔を顰めた。
蝶番にも油を垂らし、音も無く扉を開けてそのまま歩き出そうとした私に、ジェーシャが珍しく慌てたような声をかけてくる。
「アリア、オレの枷も外してくれっ」
「まだ駄目だ。ジェーシャは隠密スキルは無いのでしょ?」
「なんだ――あがっ!?」
また声をあげそうになったジェーシャの口に丸薬を指で弾いて叩き込む。
「栄養補給の丸薬だ。あとは天井から滴る水滴でも舐めていれば体力は回復するから、大人しく待っていろ。様子を見てくる」
「お、おい!?」
地下牢から出ても上階に兵士が千人もいたら、たとえジェーシャを解放しても逃げるのは難しい。最低でもこの砦の戦力と周辺の状況だけでも確認しなければ、大きく動くのは危険だった。
それに疑問もある。どうしてあのような安易な方法で監禁したのか?
単なる捕虜として扱っただけなのか? 普通の捕虜を扱う環境としては酷いものだが、魔術がある世界で喉も潰さずに放置したのは甘過ぎだ。
地下牢の壁などは土魔術対策くらいはしているはずだが、手枷程度なら腕を潰す覚悟があれば普通の魔術師なら抜け出せる。
現在の武器は【影収納】に仕舞っていたペンデュラムが一揃え、師匠から借りている暗器が数本に、フェルドとセラから貰ったナイフが一本ずつ。
素手に素足だが、魔術も毒もあり、十数本しか矢はないがクロスボウもある。
たとえ主武器が奪われようともその程度で私の戦闘力は下がらない。この砦に戦力が少なく、私を生かした理由に意味もないのなら――
「全員を暗殺する」
私は隠密を使って他の捕虜がいないことを確認してから、そのまま上階に移る。
外が昼か夜か分からないが、砦なので窓がなく薄暗いままだ。あの地下牢が数階ある地下の最下層という可能性もあるが、身を隠すには丁度いい。
上階に移ると何度か兵士に遭遇した。見覚えのある黒色の鎧は魔族軍で間違いないようだ。その度に天井に張りついて兵士が通りすぎるのを待つ。
焦らない。慌てない。簡単に殺して騒ぎを起こす必要もない。
見た感じ、兵士の数としては多くない。おそらくだが、まだカトラスに駐留している兵士が多いのだろう。同じ理由でランクの高い兵士も少ない。体力と装備が万全なら、逃げ出すだけならできそうだ。
そうして薄暗い砦の中を探索していると、どこからか言い争う声が聞こえてきた。
内容は分からないが、口調や声の調子である程度なら対象の姿を予想できる。言い争っているが兵士同士が喧嘩をしている感じではない。どちらも感情を抑える感じから、この砦でも指揮官クラスである可能性が高い。
指揮官や司令官が高ランクである必要はないが、高ランクの戦士や魔術師は、戦場なら高い地位に就くこともある。
そんな相手が居るかもしれない所に近寄る必要もないが、しばらく待っているとその声の一人が私のいるほうへ向かってきた。
「…………」
待つこと数十秒……。その歩き方や足音だけでも、その人物がある程度の戦闘力を有していると分かる。
手を出す必要はない。敵の戦力を確認するだけで充分だ。
でも私は、その人物が近づいた瞬間、張り付いていた天井の梁から手を離して背後から襲いかかった。
「っ!?」
魔族軍の士官らしき軍服を纏う男が驚きつつも咄嗟に反応し、私は振り回された男の肘打ちを手でいなしながら膝で男の顎を蹴り上げた。
そのまま押し倒して、声を潰すように素足で咽を踏みつけながら、男の顔面にクロスボウを突きつける。
「いつから敵になった? カミール」
ありがとうございます!
アリアとカミールはこれからどうなるのか?
次回は、カルファーン帝国に舞台が移ります。
冒頭の物語は過去にあった乙女ゲームの第二作目と三作目の内容と同じです。一作目と二作目はヒロインが同じで舞台が違います。ここまで誰も王子様を選んでない……。