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167 砂漠の戦鬼 後篇

後篇です。8000文字。

本日は二話仕立てでいきます。こちらが本日一話目となります。

戦闘力の調整をしました。



「外したか」

 騎獣である巨大な鎧竜の上からアイシェが冷たい声音で吐き捨てる。

 鎧竜は『竜』の名を持っていても本物の竜ではない。翼はあれど前脚のない飛竜(ワイバーン)と同じく鎧竜も〝亜竜種〟であり、翼もないただの大きなトカゲで、どれだけ成長してもランク4を超えることはなかった。

 だが、本物の竜種は根本から違う。たとえそれが下位種の地竜であってもブレスの一撃で冒険者の一団を薙ぎ払い、数km先にある人族が作った尖塔さえへし折れるのだ。


 先ほどアイシェは崩れかけた尖塔の上から飛び立とうとする〝異物〟を見つけて、竜に攻撃をさせた。だが、狙いが甘かったのか、距離が離れすぎていたせいか、塔の上部をさらに削るだけに留まり、異物はさらに空に昇ろうとしていた。

「……あれは確か気球というものだったか?」

 全体が見えるようになってその異物の正体にアイシェが思い至る。実際に見るのは初めてだが、何十年も昔に〝姉〟から教わったことを思い出した。

 アイシェが攻撃を命じたのは直感だ。だが、その勘は外れてはいなかった。

 あれほどの物があの場末の町にあったとは思えない。それがカルファーン帝国と関わりがあるのか定かではないが、どちらにしろあれを逃せば、魔族軍の侵攻が人族国家に知られる可能性が高くなる。


「もう一度、地竜に攻撃をさせろっ! あれを逃すなっ」

 アイシェが再び熱気球に向けて攻撃を命じると、傍らに居た闇エルフの一人が砂漠の暑さとは関係なく汗を垂らしながら勢いよく頭を下げた。

「も、申し訳ありません、閣下、連続しての〝命令〟は……」

「ちっ」

 魔物の調教(テイム)にスキルは無い。たかが一つの技能で永続的に洗脳することは不可能だからだ。

 調教師(テイマー)は錬金術師や鍛冶士と同じ技術職であり、魔族国では一部の氏族のみその技を継承している。魔族国王の命令によって地竜の調教が行われたが、竜の調教は困難を極め、一族総出の数年掛かりの調教でも少なくない犠牲が出ていた。

 特殊な薬物と闇魔術による暗示で魔族軍を攻撃することはなくなったが、連続して命令を与えると暗示が解ける可能性もあるのだ。

「急げ」

「……はっ」

 それでも、眉間に皺を寄せたアイシェが命じると、調教師(テイマー)氏族の長である男は黒い肌を青くして怯えるように地竜がいる後方へと駆け出した。

 アイシェは百三十歳とエルフ種としては若輩と言っていい年齢だが、魔族軍からはその苛烈さで恐れられていた。その根本には、五十年前の人族との戦争で唯一の家族を失った経験があり、人族国家に対する憎しみは五十年経った今でもくすぶり続けている。

 それを邪魔するのならば、アイシェは女子どもでも殺すだろう。

 そんな憎しみを込めて熱気球を睨みつけたアイシェの瞳に、そこから零れ落ちる、銀の翼のようにはためく光が飛び込んできた。


   *


「……なんだ?」

 進軍する二千もの魔族兵。その中で最先鋒を命じられた百人隊長の魔騎士ハサンは、竜の攻撃を受けたと思われる尖塔から銀色の光が舞い下りるのを目撃した。

 まるで光の粒子を翼のように翻すその姿は、遠目であるが故にお伽噺に聞く〝天使〟のように見えてハサンが思わず目を細める。

「馬鹿なことだ……」

 ハサンはその思い付きに思わず自嘲する。

 ハサンたち闇エルフは、他大陸より来襲した聖教会の教えにより〝悪〟と断じられ、悪鬼のように恐れられた。元より確執があった森エルフとの諍いも利用され、豊かな大地から追い出された闇エルフたちは、復讐を誓って自ら『魔族』を名乗った。

 そんな自分たちが『天使』を連想し、あまつさえ目を奪われるなど笑うしかない。

 だが、あの飛行物体から落ちた物はなんだろうか? まだ距離があるので分からないが、竜の攻撃で何かが壊れて玻璃(ガラス)の破片でも落ちたのかもしれない。

 だが、あの場所に何かあるのは確かであり、魔族軍に危険をもたらすものなら排除するのも先鋒を命じられたハサンの役目だった。


「これより、我が隊は竜が攻撃した尖塔へ向かうっ! 未知の物が潜んでいる可能性があるっ! だが、勇猛なる我が氏族の者ならば、何が待ち構えようとも蹴散らせると信じているっ!」

『おおおおおおおおおおっ!!!』

 ハサンが部下たちに声をかけると、同じ氏族の魔族兵たちが武器を掲げるようにして応じ、獲物を求めるように塔へと向かう。

 ハサンの百人隊はハサンの父が纏める氏族の者たちだ。その実力は一般兵でもランク2で、それらを纏める十人隊長ならランク3の者もいる。人族の兵など比べるまでもなく、たとえ相手の数が倍もいようとこの部下たちなら容易く打ち破るであろうとハサンは口元を緩ませた。

 だが、その時――


「若っ! 〝何か〟が向かってくる!」

「何かだと……報告ははっきりと――」

 先行した若い兵から声があがり、思わず顔を向けたハサンの瞳に〝何か〟が映る。

 尖塔の方角から真っ直ぐに向かってくる、恐ろしいほどの速さで砂漠を駈ける襤褸(ぼろ)を纏った一つの影。

 陽が傾き、茜色に染まり始めた空と砂の中で襤褸から伸びる影が化鳥のようにはためき、それはまるで砂漠に現れる悪鬼のようで、思わず息を呑む。

「矢を射ろっ! 近づかせるな!」

 ハサンの隣にいた副隊長である叔父が指示を飛ばすと、苦笑を浮かべながらまだ若い甥に視線を向けた。

「ハサンよ、気を抜くな。おぬしは次の族長なのだからな」

「すまん、叔父御……」

 訓練された弓兵たちが即座に矢を放ち、数十もの矢が疾走する影を襲う。この信頼する部下や仲間たちがいれば、たとえ本物の悪鬼だとしても恐れることはない。


「なっ!?」

 だが、その矢が当たらない。山なりに放たれた矢が、さらに速度を増した影の背後に置き去りにされた。

 その結果に慌てて次の矢を構える弓兵たち。だが、矢をつがえるまで何秒かかる? 五秒か、十秒か。大軍に向けて矢を撃つのとは話が違う。離れている単独の敵に対して狙いを定めるには何秒かかる?

 常人の数倍もの速度で迫り来る敵の姿に、先頭の兵士たちに一瞬怯えが走る。それは焦りとなって弓兵に伝わり、狙いを定めたときには、敵の姿は先頭の兵士たちまで迫っていた。

「あああああっ!」

 先頭の兵士たちが悲鳴のような叫びをあげながら盾に身を隠し、目視もせずに長槍を突き出した。だが、狙いも定めていない槍に何の意味があるのだろうか。その敵は突き出された穂先を手の平で横に逸らし、そのまま巨大な盾を踏み台にして槍衾を軽々と飛び越えた。

「……ひっ」

 幽鬼の如く襤褸を纏う姿が宙を舞い、襤褸の裾から漏れる銀の光に、弓兵たちから悲鳴が漏れた。

 襤褸の影から漆黒の刃が煌めいた。彼らは弓を手放すことすらできずに見えない刃で斬り裂かれ、生き残った者たちが弓を捨てて短剣を抜いたときには、その姿は弓兵たちを置いてハサンたちへと迫っていた。


「近づかせるなっ!!」

 すかさず副隊長からの指示が飛び、氏族の息子を守る近衛兵たちが迫り来る敵に向けて槍を突き出した。

 宙を舞う襤褸に幾つもの槍が突き刺さる。だがその敵は空中を蹴り上げるように体勢を変えると、纏っていた襤褸の外套を囮にして一人の兵士の顔面を踏み砕きながら大地に舞い下りた。

「馬鹿な……あれではまるで……」

 目を見開いた副隊長の言葉が終わる前に、飛来したナイフがその眉間を貫く。

 電光石火。単独で敵陣に切り込み敵将を殺すその戦い方は、まるで何十年も前に戦場で死んだという、女魔族の威名を思い起こさせた。

「……〝戦鬼〟……」

 ハサンの目に映る一人の少女。砂漠の戦鬼。

 灰鉄色に燃える髪を風に踊らせ、その手から放たれた刃がハサンの命を散らすまで、その鋭い瞳にハサンの姿はなくただ前にのみ向けられていた。


   ***


 一つ目……。

 私は先鋒で出てきた部隊の指揮官らしき二名を殺して、そのまま前に駆け抜ける。

 師匠から集団戦の戦い方は聞いていた。頭を潰せば部隊の指揮は混乱し、本来の力を発揮できなくなる。だがそれも続く後続がいる場合の話だ。

 一人で戦えば必ず限界は来る。私のやっていることはただの時間稼ぎでしかない。

 それでも戦う意味はある。

 ごめんね……エレーナ。幼いあの日、望むなら魔王でも殺してみせると約束したけれど……私は望まれてもなく命を懸けようとしている。

 指揮官の周りにいた混乱する兵士たちをすり抜け、私はさらに敵の本陣がある方角へと顔を向けた。


【アリア(アーリシア)】【種族:人族♀】【ランク4】

【魔力値:213/330】【体力値:188/260】

【総合戦闘力:1497(特殊身体強化中:2797)】

【戦技:鉄の薔薇(Iron Rose) /Limit 154 Second】


 残り百五十秒――私の狙いは魔族軍の将の首だ。


ア・レ(迅く)ッ!」


 速度を強化した私の脚が砂地を蹴り上げるように後方へと吹き飛ばす。

 景色を置き去りにして駆け抜ける私の背から光の残滓が帚星のように尾を引き、接近に気づいた敵の本陣から数十もの矢が放たれる。

 遠距離から放たれた矢など怖くない。すべての矢を目で躱し、またも盾の隙間から突き出された槍衾を、身を捻るようにして躱して敵の中に飛び込んだ。

『なんだこいつは!?』

『早く殺せ!』

『味方に当たるぞっ!』

 混乱する兵士たち。混乱するが故に無造作に繰り出された槍や刃が身を掠るが、致命傷でないなら止まる意味もない。

 繰り出された槍の一撃を逸らして他の兵士に当てる。身体を回転させるように飛び込み、邪魔をする敵を斬り捨てる。

 まだだ。もっと速く動けるはずだ。倍加した体感時間の中を潜り抜け、飛び散る血さえ手で弾きながら敵の目に止まらない速さで駆け抜け、唖然とした顔で私を見る指揮官らしき男の懐に飛び込むとその眉間に深くダガーを突き立てた。

 ……二つ目。


   ***


「なんだあれは……?」

 魔族軍は混乱した。その少女は突然現れ、人とは思えない速度で戦場を駆け抜け、わずか数十秒で幾つかの部隊の指揮官が殺された。

 もちろん魔族軍もただ見ていたわけではない。隊列を変え、武器を代え、時に仲間さえ巻き込んで魔術さえ使った。

 それでも少女は止まらない。身体の数カ所から血を流し、その灰鉄色に燃える髪が血で染まっても彼女は同じく血で染まった黒い刃を振るい続ける。

「止めろっ!!」

 その凶刃に殺された指揮官が五人を超えて、その少女――アリアが幾つかの矢をその身に受けながらも、アイシェ将軍のいる本隊へと斬り込んだ。


「貴様、何奴っ!」

 その姿を見留めたアイシェが巨大な鎧竜の背に立ち剣を抜く。

 その声を聴いてその姿を見て、一瞬で彼女が将だと判断したアリアは、それを止めようと立ちはだかる近衛兵の頭蓋をペンデュラムで砕きながら、アイシェへ鋭い視線を向けた。

「付きあってもらう」

「なに……っ」

 近衛兵たちが一瞬でアリアを取り囲む。この状況で何ができるというのか、死地へ飛び込んだ愚かな敵に向けて近衛兵たちが一斉に刃を向けると、アリアは【影収納(ストレージ)】から取り出した陶器瓶を放り投げた。

「気をつけろっ!」

「それを止めろっ!」

 訓練された近衛兵が即座に動き、短剣を投擲して陶器瓶を宙で砕く。だがそれはアイシェを狙ったものではなかった。その狙いは――


『グギャアアアアアアアアアアアッ!!』

「なんだとっ!?」

 割れた陶器瓶の中身が鎧竜の顔にかかって酷い異臭が立ちのぼる。

 おそらくは激痛を起こす神経毒の一種だろう。痛みと刺激臭で我を忘れた鎧竜が暴れはじめ、その上で立ち上がっていたアイシェがたまらず膝をつく。

 一瞬の隙が生まれ、その瞬間に近衛兵を抜けたアリアが鎧竜に取りついた。それと同時にアイシェが体勢を崩しながらも短剣を投擲する。だがアリアも鎧竜の外皮を蹴り、宙を蹴るような動作で短剣を躱すと、渾身の力で手綱を引いて暴れる鎧竜に逃げ道を示した。


「おのれっ!!」

 アリアの体術に目を見開きながらも、激しく揺れる鎧竜の上でアイシェが血塗れのアリアに斬りつけ、魔鋼の剣と魔鋼のダガーがぶつかり合って火花を散らす。

「人族の女がっ!! 何故邪魔をするっ!!」

「守るものがあるからだ」

 攻撃魔術や刃を受けたアリアの体力は限界まで落ちている。だが、ランク5であるアイシェの剣がアリアを押しきれない。

 単純な技量ならアイシェのほうが上だ。だが、鉄の薔薇で強化されたステータスだけでなく、不安定な足場というこの戦場において、百三十年生きたアイシェが十数年しか生きていない人族の少女に潜り抜けた修羅場の差で押されていた。

「貴様、これが狙いかっ!」

 アイシェを部下から引き離し、有利な戦場へと誘き出す。その戦い方といい、先ほどの体術といい、まるで戦場で戦鬼と呼ばれたある人物を彷彿とさせた。

「だが無駄だっ! 策を弄してもお前では私は倒せないっ!」

 それでもアイシェには百年以上研鑽した技がある。たとえ敵が異常なステータスを有していても、アイシェを倒すには至らない。

「付きあってもらうと言ったはずだ」

「っ!」

 アイシェはそこに至ってようやく目の前にいる少女の目的に気づく。

 鎧竜は後方へと駆け出していた。その方角に何があるのか? そこにはようやく次の攻撃を熱気球に向けて放とうとしていた地竜がいた。


『グガアアアアアアアアアアアアッ!!!』

 操られていた地竜が暴走して突っ込んでくる鎧竜に気を逸らす。

 真の竜種である地竜に行われた調教(テイム)は完全ではなかった。それでも、矮小な人間の攻撃なら気にしなかっただろう。通常の精神状態なら鎧竜の攻撃など歯牙にも掛けなかったはずだ。

 だが、完全ではない精神制御は迫り来る鎧竜の巨体に、本能的な防衛本能を呼び起こさせる結果となった。


 ――轟――ッ!!


 気球に向けて放たれるはずの火球が鎧竜に向けられた。

「ちっ!!」

 激しく舌打ちしたアイシェが後方へ飛び降り、それに合わせてアリアも飛ぶ。

 そのまま駈け続けた鎧竜が地竜のブレスに焼かれて砂漠に散る。その巨体を盾としながらも爆風に吹き飛ばされたアリアの髪から光が消えて、アイシェはそれを好機と見て剣を振りかぶり、アリアも吹き飛ばされながらも目を離すことなく、同時に刃を振るう。


「――【鋭斬剣(ボーパルブレイド)】――ッ!!」

「――【神撃(クリティカルエツジ)】――ッ!!」


 同時に放たれた二つの戦技。その二つが空中でぶつかり合い、アイシェの剣はアリアの腹に突き刺さり、アリアの刃はアイシェの脇腹を斬り裂いた。

 互いに大量の血を撒き散らしながら吹き飛ばされた二人の身体が地に落ちる。そしてその数秒後、片方がゆっくりとおぼつかない足取りで立ち上がる。


「なんだ、こいつは……ッ」

 アイシェは血が噴き出す脇腹を押さえながら、何度目かになる問いを、気を失って桃色髪に戻った少女へと向けた。

 この少女は何故、ここまでして戦う? 死ぬことは怖くないのか?

 この少女は何故、あの技を知っている? 最後の瞬間、あの戦技で殺せなかったのは、あの人(・・・)の技で回避したからだ。

 この髪の色はなんだ? この桃色の髪にアイシェは見覚えがあった。

「だが――」

 危険だ。アイシェは即座にそう判断する。

 聞きたいことは山ほどある。だが、魔族軍の侵攻を妨げ、一人で複数の指揮官を殺せるような奴を、魔族軍の将として放置はできなかった。

「死ね」

 自身も重傷を負いながらもアイシェは剣を振りかぶる。

 だがその時――

「待てっ!!」

 剣を振り下ろそうとしたアイシェを誰かが止めた。

「貴様……はっ」


 その少年の姿を見てアイシェが目を見開いた。

 いつの間に現れたのか、そこには数年前から行方知れずになっていた魔族国の王子が肩で息を切らせてアイシェを見つめていた。

「剣を引け、アイシェ将軍。彼女の身柄は俺の()で預かる」


 壮年の男とまだ若い少女の従者二人を引き連れ、騎獣に跨がった王子の言葉に、無言で王子と睨み合いを続けていたアイシェは、血混じりの唾を吐き捨てながら静かに剣を下ろした。


「そんな死に損ないは勝手にしろっ、だが、私もそいつがもし生き延びたなら……私もそいつが使った、我が()の技のことで聞きたいことがある」


   ***


「落ちるぞ、掴まれっ!!」

 徐々に落ちていく気球の籠でロンが叫ぶ。

 熱気球は地竜(ドラゴン)の攻撃を再び受けることなく飛び立つことができた。だが、一度目の攻撃で瓦礫があたった際に破損していたのか、町を離れて数十キロ離れた頃には限界に達して高度が落ち始めた。


「……アリア……ッ」

 籠の縁に掴まりながらエレーナが彼女の名を呟く。

 何故、あんなことをしたのか? どうして一人で行ってしまったのか?

 最後にアリアはエレーナのことを『友』と呼んだ。二人には立場の違いがあり、その言葉はエレーナがどれだけ望んでも、口にしてはいけないと思っていた。

 最後に見たアリアの笑顔が脳裏に浮かぶ。

 あれが、アリアの……アーリシアの本当の笑顔なのか、それとも最後だからと無理に微笑んでくれたのか。普段の彼女は偽りの姿だったのか……?

(いいえ、違う)

 どちらも本当のアリアだ。あれは本当の友達へと向けていた笑顔なのだろう。

 最後だからではない。あれが最後なんて認めない。アリアは生きている。アリアがエレーナとの約束を破って死ぬなんてあり得ない。

「……死んだら許さないから」

 そう呟いて顔を上げたエレーナの瞳からそれまで浮かんでいた悲痛な色は消え、強い光とわずかな怒りが浮かんでいた。

 アリアがあそこまでしてくれたのはエレーナを生かすためだ。アリアは絶対に死なない。死んだら許さない。カルファーン帝国へ向かい、クレイデール本国に連絡して自分のすべてを使ってでも絶対にアリアを助けてみせる。

 だからこそ、エレーナは石に齧りついてでも生き延びると誓う。


「ロン、指示をくださいっ!」

「レナ……」

「もう落ち込んではいません。それと、私のことはエレーナで構いません」

「……分かったっ、そっちのロープを引いてくれっ」

 落ち込んでいたエレーナが動き出したことで、チャコや子どもたちも怯えた顔に微かに顔色が戻る。

 だがそれで事態が好転したわけではない。いまだに気球の高度は安定せず、最大戦力二名を欠いた状況では危険に対処できるか分からないからだ。

「ロン、空から魔物がっ!」

「こんな時にっ!」

 空から二体のジャイアントクロウが迫っていた。巨体故に難易度ランク3となる魔物だが、気球さえまともならそれほど脅威ではない。

 だが、今の状態では魔物革の気球でもいつまで耐えきれるか分からず、攻撃をできるエレーナも揺れている足場でまともに魔術を使えない。手をこまねいているうちに籠を繋ぐロープの一本でも切られたら、軟着陸も困難になり、修理もできなくなる可能性があった。


『グェエエエエエッ!!』

「きゃああっ」

 ジャイアントクロウの一体が気球に攻撃を仕掛けて、籠が激しく揺れる。地表が近くなりロンがせめて平地に降ろそうと奮闘していると、ついにもう一体のクロウがロープ目掛けて突っ込んできた。


「――【竜巻(ハリケーン)】――」


 その時、どこからかレベル4の風魔術が放たれ、突っ込んできたクロウを引き裂き、空の向こうへ吹き飛ばした。

 エレーナはその魔術レベルよりも、範囲系魔術で気球を揺らさずジャイアントクロウのみを弾き飛ばした技量に感嘆する。

 誰もが驚き、残されたもう一体のジャイアントクロウさえも攻撃の手を止めると、高度を落としたクロウに疾風の如く漆黒の獣が飛びかかり、引き裂くように地面に引きずり下ろした。

「お、落ちるぞっ」

 正気を取り戻したロンが声をあげて、気球が柔らかな砂地に着地する。

 でも軟着陸とは言い難く、気球も籠も横倒しになってしまったが、そのおかげで子どもたちも砂地に落ちて驚いた顔をするだけの掠り傷だけで済んだ。

「みんな、無事かっ」

「ええ、無事です……けど」

 ロンの言葉に皆が頷く。誰も大きな怪我もなく、あっても打ち身と掠り傷だけだ。それよりも驚きと安堵のほうが大きく、全員で放心していると、フードを目深に被った、先ほどの魔術を放ったと思しき女性が声をかけてきた。


「あんたら、怪我はないようだね」

 大人の女性のようでその優しげな声を聴いてチャコや子どもたちが息を吐く。

「ありがとうございました。でも……あなたは?」

 それでもわずかに警戒を見せるロンやエレーナに苦笑したその女性は、フードを外して闇エルフの素顔を晒した。


「人捜しでね。ところで、うちの桃色髪をした無愛想な弟子を見てないかい?」



いよいよ魔族編も盛大に動き始めます。

一話の予定でしたが、もう一話を本日投降いたします。

まだ直していないので午後三時頃を予定しています。


次回、第二部第二章最終話  「脈動」


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― 新着の感想 ―
知らなかったとはいえ、危うく師匠の妹かアリアが死ぬところだったの止めてくれて良かった…
おっと、お師匠はエレーナと合流、ということはネロもいるのか。 ならエレーナがカルファーン側にいいように使われる可能性は低そうだ。 アリア、今回はあっさり気を失ったなあ。
[一言] あぁ、魔王(?)は"彼"なのか?
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