165 燃える町
『本隊が動き出した。これより行動を開始する』
『おおっ!』
砂漠の町カトラスの各所で、フードで顔を隠した闇エルフの言葉にクルス人たちが雄叫びで応じる。
この町にいる『闇エルフ』は二種類に分けられる。
一つはこの町や他の場所で生まれた者たちで、精神性は森エルフとさほど変わらないが、それ以外は魔族国を故郷とする者であり、たとえ国を離れていても魔族国の国民として『魔族』であることを誇りに持つ者たちだ。
闇エルフは、過去にこのサース大陸に渡ってきた『聖教会』によって〝悪〟と断じられ、迫害され豊かな土地から追放された過去を持つ。その歴史を忘れないために、闇エルフたちは自ら蔑称である『魔族』を名乗り、聖教会の教えを信奉する国家やその国民を敵として、何度も諍いを繰り返した。
魔族国民の大部分は、国の外に出た者でも魔族軍の兵士であり、それが嫌なら一部の者たちのように逃げ隠れるか難民になるしかない。たとえこの町に移り住み、人族の友人を得て酒を酌み交わして笑いあっていたとしても、魔族国の指令によってその手に刃を握るのだ。
リーザン組のクルス人たちはそれを理解できていなかった。
リーザン組の目的はこの町の利権を握ることにあり、魔族を傭兵として内部に引き入れ、他の派閥の力を削ぐことにあった。彼らは魔族と言えども金銭で動かない人間などいないと信じて、魔族の本質を理解していなかった。
魔族軍の目的は、この町をカルファーン帝国侵攻への足がかりとなる軍事拠点とすることだ。
そのためにリーザン組と見かけだけの協定を組み、町を封鎖するために彼らを利用した。そして魔族たちはリーザン組に魔族の装備や戦力を与え、彼らの目的のために必要なことだと、他の三派閥の拠点や町を襲うように煽り立てたのだ。
(愚かな連中だ……)
一人の闇エルフが、遠くに見える町から立ち上がる煙を見て鼻で笑う。
町の襲撃にはこの町にいた闇エルフたちが指揮を執っていたが、リーザン組との折衝を兼ねて魔族の軍人が数名混ざっている。そのうちの一人ギーバはランク3の魔術師であり、町を囲む壁にある主街道の一つに陣取り、リーザン組の者たちと共に逃げ出そうとするキャラバン隊や住民たちを襲っていた。
だがそれも魔族軍の本隊が到着するまでのことだ。ギーバの役目は本隊が町へ入るための街道を確保することだ。リーザン組は魔族軍が町の敵対勢力を排除してくれると思い込んでいるようだが、実際は本隊が到着すれば他の派閥同様、武装を持つリーザン組も不要になる。
「おらっ、逃がすと思ってんのかぁ?」
「や、やめ――」
リーザン組の男たちが逃げだそうとしていたキャラバンを襲い、斬り殺された護衛である冒険者の血が飛び散り、渇いた大地に吸い込まれた。
町を封鎖するのは、カルファーン帝国へ情報を流さないようにするためだ。
前線の拠点にするとしても、戦力が整う前にカルファーン帝国に知られれば反撃を受ける恐れがある。その商隊と冒険者もカルファーン帝国の者であり、魔族軍として彼らを逃がすことはできなかった。
リーザン組としても自らの懐が潤うのだから率先して略奪を行なっていた。しかも、色街を取り仕切るリーザン組はそれだけに飽き足らず、見目の良い若い女性を物色しては攫いはじめていた。
過酷な砂漠で生きる住民たちも戦えないことはないが、完全武装したランク2や3の戦士たちに敵うはずもなく、町から逃げだそうとしていた住民たちは私財と家族を奪われ、逆らった者たちは容赦なく命も奪われた。
「こ、子どもの命だけは……っ」
「ん~? どうしやす、旦那っ!」
若い母親が泣いている赤ん坊を抱きしめながら慈悲を請う。若い人間は労働奴隷としても使えるが、赤子は邪魔になると、リーザン組の男がギーバに伺い立てると、彼は母子を面倒くさげに見下ろして冷たい言葉を吐き捨てた。
「邪魔だ。働ける奴以外は殺せ」
「へへ、そういうこった。運がなかったな」
「そ、そんな……」
母親が絶望し、男が片刃の剣を振り上げる。
軍としてはあり得ないが、この場にいるのは場末の傭兵よりもタチの悪いリーザン組の男たちだ。ギーバもいずれ死ぬ者たちにかける情けもなく、それ以外にはなんの興味も持っていなかった。
「さっさとそのガキを――」
だがその時――
「おい、あれはなんだ?」
誰かが零したそんな声が聞こえた。
砂漠に照りつける日差しが大気を歪め、霞むような砂漠の中を疾走する一つの影。
どれほどの速度で走ればそうなるのか、纏った外套が化鳥の翼の如くはためき、見る間にこちらへと迫るその現実離れした光景に一瞬己の目さえ疑った。
唖然としていた男たちが額に流れる汗の感触に正気に戻る。だが、すでに間近まで迫っていたその影は、男の一人が槍を構える前にその首を黒い刃で斬り裂いていた。
「……は?」
そんな声を出せた者さえほとんどいなかった。
突然首を斬られた仲間から大量の血が噴き出すその光景を、大部分の者たちは何が起きたか瞬時に理解もできず、かろうじて『自分が理解できなかった』ことを理解できた者だけが声を漏らし、それが『敵』だと理解できたときには外周にいた五人の男たちが、槍使いの後を追って血を撒き散らしながら崩れ落ちていた。
「敵だぁああっ!!」
いち早く我に返ったギーバが、若干裏返った声を張り上げた。
慌てて武器を構えるリーザン組の男たち。ギーバも得意とする火魔術の詠唱を始め、それが発動する前にその敵は恐ろしいほどの速さで男たちの中に切り込んだ。
『――ッ!?』
迅! あまりの速さに空間さえ歪んだような錯覚を覚える。
戦いには不向きと思える、大きくはためく外套がその姿をくらませ、その〝敵〟が本当に人間なのかと本能的な恐怖を呼び起こす。
「ぐがっ!?」
怯えれば足が止まり、動きが鈍る。そこに振るわれるのは黒い刃。漆黒の剣閃が舞うごとに、武器を構えようとしていた男たちが目や眉間を貫かれ、咽を斬り裂かれて命を散らした。
「やぁあああああああっ!!」
「死ねぇ!! 【火炎槍】――っ!」
そこまできてようやく我に返った男たちが斧を振るい、槍を突き出した。その男たちさえ巻き込むように炎の槍が放たれ、その〝敵〟が人外だったとしてもその命は確実にないと思われた。
「――っ!」
だが、その〝敵〟は、一瞬の判断で槍を踏み越えるように宙に舞い、光の盾が炎の槍を弾き飛ばす。それだけでなく〝敵〟の周囲に風切り音が鳴ると、周囲にいた男たちが頭蓋を砕かれ、咽を貫かれ、頸動脈を引き裂かれて瞬く間に血の海へ沈んでいった。
「がっ……」
あまりの現実離れした光景に、一瞬動きを止めたギーバの眉間に投擲ナイフが突き刺さり、闇に包まれていく視界の中で一瞬だけ見えた〝桃色がかった金髪〟の輝きが、ギーバの命が消えるまでいつまでもその視界に焼き付いた。
わずか十数秒――現れてからそれだけの時間で闇エルフとリーザン組を殲滅したその少女は、ギーバの眉間からナイフを回収し、あまりの光景に言葉もなく唖然とする人々に向けて表情も変えずに振り返る。
「魔族の軍が来る。逃げるか戻るか……どう〝生きる〟かは、お前たちが決めろ」
***
町は異様な雰囲気に包まれていた。あの時、町で見かけた魔族とリーザン組がついに動き出したのだ。
この砂漠で生きてきた住民たちも弱くはない。でも、魔族たちは住民たちを纏める各派閥の拠点を襲い、さらに混乱を助長するために町中に火を放っていた。
石造りの建物では火をつけても崩れはしないが、町には扉や日除け代わりに大量の布類や草の繊維が使われている。それらが燃えたことで人々は火に恐怖し、その混乱に乗じて各派閥に関わる者たちが襲われていた。
「…………」
この混乱に私ができることは少ない。戦争を個人で止められるものでも、止めるものでもないからだ。
ただ――
「邪魔だ」
「がっ!?」
通りを走りながら軽く踵を打ち鳴らし、飛び出した踵の刃で、住民たちを襲っていたリーザン組らしき男の顔面を蹴り飛ばす。
「き、貴様は――」
近くにいて振り返った闇エルフの頭蓋を、分銅型のペンデュラムで叩き潰した。
お前たちを私が見逃す理由がどこにある?
人々が走り回る道を避けてまだ燃えていない露店の上を駆け抜け、途中に見かけたリーザン組の男たちを汎用型と斬撃型のペンデュラムで攻撃する。それに気づいた男の一人が露店の上にいる私に槍を向けてくるが、私はその切っ先を外套の裾で絡め取り、奪った槍を心臓に突き刺した。
私は槍術スキルを持っていないが、体術や他の近接戦闘スキルがあればまったく使えないわけじゃない。でも、ここから先は武器の補充ができるか分からないので、できるだけ敵から奪った武器でトドメを刺した。
露店の屋根から屋根へと飛び移り、奪った短剣や槍を投げつける。途中で拾った弓矢を使い、通りの向こうで魔術を唱えていた闇エルフの頭部を矢で撃ち抜いた。
私も何度か攻撃を受けたが、まだ【回復】や【治癒】を使うような怪我もなく、目的地の一つへと辿り着いた。
路地の奥にある小さな店。この状況なら閉じこもっているか逃げている可能性も高かったが、扉代わりの布を広げて中に入ると、そこには真っ白な髭を生やした店主らしきクルス人の老人が煙管のような物から、ゆらゆらと煙をふかしていた。
「……こんな時に買い物かね? それとも物取りかね?」
「あんたも、こんな時に店を開いているんだな。カミールという闇エルフが火属性の魔石を頼んでいたと聞いている。ここに来てはいないか?」
私の外套もここまでの戦闘で返り血と煤で汚れているので、物取りと言われても仕方ない。それでも私がカミールの名を出すと、老人は煙管を揺らしながら片眉を軽く上げる。
「……嬢ちゃん、あの坊主の連れか? 悪いがここ数日は見てないよ。客じゃないなら帰ってくれないか。……嬢ちゃんも女なら逃げたほうがいい」
「そういうあなたは逃げないの?」
「闇エルフの連中とリーザン組が何かやらかしているのだろう? 儂みたいな爺だと、今更外に逃げてまで生きようとは思わんよ」
「そう……」
すでに覚悟を決めている人間に逃げろとは言えない。
こんな世界だ。生きる自由がないのなら、せめて死ぬ自由だけは奪ってはいけない。
彼の尊厳だけは誰にも冒せない。だから最後にゆっくりと頭を下げてから出ていこうとした私を、老人が何故か呼び止めた。
「待ちな、嬢ちゃん。これを持っていきな」
「これ……」
老人が渡してきた物は油紙に包まれた大粒の魔石だった。
「あの坊主が頼んでいった物だ。必要なんだろ? どうせ店に置いておいても、連中に奪われるだけだろう。金も受け取ってあるから心配するな」
そこまで話した老人が言葉を止めて、不意にフードの下にある私の瞳を真っ直ぐに見つめた。
「……嬢ちゃん。お前さんはこの町の者じゃないだろ。嬢ちゃんはこの町が危ない連中に襲われていると知って、何かをしたいと思っているのかもしれないが、お前さんはそんなことは考えなくていい。この町は儂らの町じゃ。この町で生まれてこの町で死んでいく儂らは、すでに覚悟はできている。嬢ちゃんは、儂らのことは気にせず好きなようにするといい。この町を憂うことよりも大事なことはないのかい?」
「…………」
老人が私に何を見てそんな言葉をかけてくれたのか……。
私にとって大事なことはなんだろう? 今はよく分からないけど、でも、私は彼の心遣いに感謝して、もう一度深く頭を下げてから店の外に出た。
カミールはここにいなかった。もう一カ所心当たりを巡って、そこにもいないようなら私ではもう彼を探せない。
あくまでカミールを探すか、ある程度の見切りをつけてエレーナたちの所へ戻るか。できればカミールを含めた皆で生き残りたいと願ってしまうのは、私も彼らに仲間意識を持ってしまったからだろうか。
大事なもの。冒険者としての優先順位ではなく、〝私〟としての本当の〝望み〟とはなんだろう……。
再び町を走り出し、すれ違う者たちに魔族軍が来ることを伝え、私は最後の目的地に向かう。おそらく今は危険な場所になっているだろう。火の手があがる町を抜けてそこに向かうと、その場所、冒険者ギルドはリーザン組の襲撃を受けて燃えていた。
主戦力を欠いたギルドでは保たなかったか。私はギルドを取り囲む闇エルフとクルス人たちを目にして、一瞬で戦闘態勢に切り替える。
「――【幻覚】――」
『――!?』
冒険者ギルドで燃えていた炎が一気に膨れあがり、襲撃者たちを包み込む。
熱ささえ錯覚する幻術に襲撃者のリーザン組の男たちは混乱したように逃げ惑い、それと同時に飛び込んだ私が隙だらけになった男たちを殺していくと、突然幻術ではない本物の炎が生き残っていたクルス人たちごと私を巻き込んだ。
「――【魔盾】――っ!」
咄嗟に【魔盾】と外套を犠牲にして炎を回避すると、消えてしまった私の幻術の向こうから、一人の闇エルフが前に出る。
「……メルセニア人の女。君も冒険者か」
見た目は二十代ほどの闇エルフの青年。だが、その纏っている黒い鎧も気配も、ここまでで見た闇エルフとは違っていた。
「……魔族軍の者か」
「ほぉ……貴様は他の冒険者とは違うようだ。手練れの者は皆外に誘い出されて、手応えがなくて拍子抜けしていたが……これは良い戦いができそうだ」
青年は無手のまま歩み出ると、不敵な笑みを浮かべながらその両腕に強い魔力を漲らせた。
【魔族兵】【種族:闇エルフ♂】【ランク4】
【魔力値:261/315】【体力値:215/215】
【総合戦闘力:1108(魔術攻撃力:1330)】
ランク4の魔術師……しかもこの気配はカルラやサマンサと同じ、接近戦でも魔術を使える体術を会得した『魔法使い』だ。
おそらくは魔族軍から派遣された、この町にいる闇エルフの監視役か。
よほど自分に自信があるのか、味方であるリーザン組を焼き殺し、戦いに楽しみを見出し、私の戦闘力を視て退く様子も見せなかった。
「…………」
「来ないのかね? 戦いは戦闘力がすべてではないことを君に教えてやろう。私の名はグロール。君のその力を私の前で見せてもらおうかっ!」
ゴォオオオオオオオオッ!!
魔族兵の青年グロールが発動ワードさえ使わない完全な無詠唱で【竜砲】を放ち、周囲を紅に染める。それでは威力は上がらないが、ランク4の魔術ならそれでも致命傷を与える自信があるのだろう。
「――【魔盾】――」
魔素の色と魔力量で察しをつけていた私は、【魔盾】を使って逸らしながら体術を使って回避した。
「その〝盾〟を使えるとはっ!」
魔術を回避されたにも拘わらずグロールは歓喜にも似た声をあげた。【魔盾】は魔族だった師匠がその師から教わった魔術で、それを知っているということは魔族軍でもかなり上位の者――この町を襲撃する指揮官だと察した。
私は回避しながら途中で拾った黒焦げの短剣を青年に投げつける。だが青年はわざわざそれを鉄甲で弾くと、距離を詰めて蹴りを放ち、私の蹴りとぶつけ合った。
「やるねっ! ならこれはどうだ!」
その瞬間、彼の周囲に十本近い【火矢】がまた無詠唱で出現し、現れると同時に撃ち放たれた。
今度は私も盾を使わず、体術と障害物のみを使って回避する。多少は掠めたが、この程度なら大きなダメージはない。
「一人でやるつもりか? お前は魔族の命令で来ているのだろう?」
「我ら魔族は強い者を尊ぶ。他の雑魚など邪魔なだけだ。この場で君と戦う以上の優先することがあると思うか?」
「……そうか」
大事なものが無いとは、こういうことか。
人は誰でも望みを抱えて生きている。その価値を他人が計ることはできないが、それでも最低限、守らなくてはいけないものがある。
願望と欲望は似ているけれど、根本的に違うのだ。グロールは所属する魔族と魔族軍の望みを叶えるよりも、ただ強い敵と戦いたいという自分の望みを優先した。
でも、その望みに何の意味がある?
その望みの先に何がある?
私はエレーナを護り、彼女を傷つける全てのものを退けてきた。そのために強さを求めて、避けられた戦いに身を投じたこともある。
私は怖かった。自分が弱いことで、エレーナが傷つくことが。
けどそれは、彼女の身を守ることはできても、彼女の心を守れてはいなかった。
心を守っているつもりでいて、私は彼女の望みを守ってはいなかった。
魔族としての誇りを口にして戦いを求めていながら、魔族の一人としての誇りを持っていないグロールを見て、私もあの老人が言っていたことが少しだけ理解できた気がした。
大事なものなんて……最初から決まってる。
「さあ、君の力を見せてくれ! 回避は得意なようだが、これは躱せるかなっ!」
グロールがニヤリと笑って魔石から大魔力を放出する。
「――【火炎飛弾】――」
グロールが初めて発動ワードを使い、その瞬間、私の周囲を取り囲むように百個近い小さな火の弾が埋め尽くした。
「これなら君の幻術でも躱せまいっ! 名残惜しいが、これで終わりだ!」
青年が腕を掲げて気取った仕草で振り下ろす。
お前はもう……口を閉じていろ。
「――【影渡り】――」
「――がはっ」
一斉に撃ち出された火の弾が大地を焦がし、私は勝利を確信して隙だらけになったグロールの心臓を背中から刺し貫いていた。
「……な…ぜ…」
油断、過信……私が知っている彼女たちはそんな真似はしなかった。
信じられないものを見るような目で私を見た青年が崩れ落ち、私は冷たくそれを見下ろしながら、彼に最後の言葉をかける。
「ありがとう。おかげで大事なものを思い出せた」
――絶対に死なせない。
新たな望みを胸にして、アリアはどう立ち向かうのか。
次回、望みを叶えて……