163 古代遺跡の主
「チャコ姉ちゃん……。みんな、大丈夫かな……」
「うん。大丈夫だよ」
ドワーフのラナが不安そうにチャコの手を握り、闇エルフのノイは泣きそうな顔になりながらも、ただ一人の男の子として気丈に外を睨む。
一番幼い犬獣人のナルが一人で外に出て帰らなかった。ナルを心配して探しに行きたいのはみんな同じだが、それでもここに残った三人は、待つことも重要な役目なのだと知っていた。
それは探しに行ったロンやレナ……そして、その後に戻ってきたアリアが教えてくれたから。
チャコは少しだけアリアが怖かった。彼女がノイの病気を治して、チャコをムンザ会から命懸けで救ってくれたことは知っていても、チャコが知っているどの大人よりも厳しい生き方をしている彼女の前に立つと、何もできない自分は叱られてしまうのではないかと萎縮してしまうのだ。
彼女は自分にも他人にも厳しくて……きっと、誰よりも優しい人。
誰かのために自分の命を懸けられる人。
そんなアリアだから、チャコはレナがナルを探しに行ったことを話すのが怖かった。
アリアが一番守りたいのはレナだ。チャコや子どもたちのことを気にかけてくれていても、アリアの一番深い場所にいるのがレナだった。
アリアやレナにチャコたちを守る義理はない。レナは何か、チャコが見えない大きな世界を見てナルを助けることを選んでくれたが、その一番守りたいレナが危険な行動を取ったことで、アリアの気持ちはどうなるのだろうか?
アリアはレナを怒るのだろうか?
アリアは巻き込んだチャコたちを幻滅しないだろうか?
チャコが伝える言葉を黙って聞いていたアリアは静かに頷いた。
チャコはアリアの気持ちを考えて、何かアリアに伝えるべきではないかと、勇気を振り絞って声をかけようとしたその時、不意にアリアの手がチャコの頭を優しく撫でた。
『頑張ったね』
その短いたった一言が、どれだけチャコたちを安堵させただろうか。彼女の言葉はそれだけの力を感じさせた。仲間を信じてただ待っていることも怖いことなのだと、アリアは理解してくれていた。
アリアは今すぐにでもレナの所に行きたいはずなのに、最初にチャコや不安そうにしている子どもたちの頭を撫でてくれたのだ。
そんなアリアに一言だけでもレナのことを話すべきかと、チャコは声をかけようとしたが、外へ向かう一瞬の光の中……アリアの横顔に少しだけ笑みが浮かんでいるのを見て、二人の繋がりを感じてその言葉を飲み込んだ。
「アリアさん……みんなをお願いします」
***
拠点にしている塔に戻った私は、チャコから話を聞いてまた砂漠へと走り出した。
子どもの行動なので違う可能性もあるが、ナルが錬金術に使う赤い草を探しに行ったのなら、何カ所か心当たりはあるが子どもの足で行ける場所は限られている。
エレーナとロンが塔を出てからおおよそ半刻ほど経っている。この辺りで二人に倒せない魔物はいないはずだが、魔物の暴走の影響で遺跡から流れた魔物がいるので油断はできない。
それに、町で見かけた闇エルフとクルス人たちのような、怪しい連中も動いている。連中の行動理由は不明だが碌なことではないだろう。
私は作っておいた魔力回復ポーションを口に含み、ここまでに減った魔力を回復させながら、身体強化で一気に砂漠を駆け抜ける。
二人がナルを探しながら移動しているのならそれほど遠くはないはずだ。常人の三倍以上の速度で走りながら、瞳にも魔力を流して大気に流れる魔力の流れに注視していると、微かに感じた水と闇の魔素が魔物の死体だと分かって、この方角で何かが起きていることを確信した。
二人が群生地に向かうとすれば、岩場を回って遠回りする必要がある。でも私は安全な回り道に用はない。
「――【鉄の薔薇】――」
私が呟く声に、桃色の髪が灼けた灰のような灰鉄色に変わり、飛び散る光の残滓を帚星のように引きながら、私の目に映る流れる景色が加速する。
安全な道をあえて無視して大きく息を吸った私は、さらに速度を上げるべく薔薇の身体強化を速度重視に割り振った。
「ア・レッ!」
魔力回復ポーションのせいで鉄の薔薇の細かい制御はできないが、この程度なら問題はない。
さらに速度を上げた私の身体が、崖から落ちる岩よりも速く岩場を駆け上がり、その途中で襲いかかってきたミミズのような魔物をすれ違い様に斬り裂いていく。
「っ!」
強化された探知能力が、遠くにいるエレーナらしき気配を捉えた。
同時に感じる複数の気配。微かな殺気……。そして感じたエレーナの気配から、魔力の高まりを感じた私は即座に意識を〝戦闘〟へと切り替える。
細かい制御ができない状態で投擲ナイフは使えない。【影収納】から小型のクロスボウを取り出し、鋼鉄の矢を装着しながら岩場の上に躍り出た私は、一秒にも満たない時間で瞳に映った闇エルフを〝敵〟だと判断して矢を放つ。
顔面の中央を狙った矢が闇エルフの右目を貫き、その瞬間、狙い澄ましたようにエレーナの氷の槍が男の胸を貫いた。
「待たせた?」
「いいえ、良いところでしたわ。アリア」
エレーナが笑みを浮かべながらも安堵したように息を吐く。
どうやらギリギリだったが間に合ったようだ。ロンが突然現れた私に目を剥き、ナルもロンたちの様子から大きな怪我はなさそうだと、私は残ったクルス人の男たちに目を向けた。
「だ、旦那っ!?」
「何が起こった!?」
「向かいの崖に誰かいる!」
クルス人たちが騒ぎ出し、一人の男が叫びながら弓矢を構えた。その装備を見て連中が町で見た輩と同じだと判断する。
男から矢が放たれる。同じように矢を構えようとする奴もいたが、ランク4以上の戦士に矢は通じない。油断さえしなければ放たれた矢など見てから躱せる。
「跳んだっ!?」
私は助走もなしに、身体強化だけで十メートル以上もある向こう側へと一気に身を躍らせた。もう鉄の薔薇はいらない。空中で脱ぎ捨てた外套とまだ残る光の残滓を囮にして矢を躱し、彼らの前に飛び込みながら弓矢を持ち替えようとした二人の咽をナイフとダガーで斬り裂いた。
「な、なんだお前はっ!?」
「殺せっ!!」
「お、女っ!?」
残り三人――四十代の男が二人に二十代の男が一人。その中で一番武器を抜くのが遅かった二十代の男に、スカートを翻して抜き放った投擲ナイフが眉間に突き刺さる。
「アリア!」
「了解」
エレーナの声が聞こえた。分かってる。私も奴らに聞きたいことがある。
黒いナイフとダガーを両手に構え直して前に出ると、最初に叫んだ男のほうは逃げ道を探すように一歩下がり、もう一人の男は仲間を殺された怒りに震えながら、手にした槍で襲いかかってきた。
「そっちの男でいい」
「ぐがっ」
仲間意識の強い奴は尋問に時間がかかる。突き出された槍の穂先を手で押しのけながら逸らして、すれ違い様にナイフで頸動脈を斬り裂き、その血が傷口から噴き出す前にすり抜けてもう一人に迫ると、残った最後の男は自分の槍を私に投げつけながらあっさりと背を向けた。
「ぐあ!?」
その後頭部を分銅型のペンデュラムが打ち、衝撃を受けた男が足をもつれさせながら倒れ込み、私は宙で掴んだその男の槍を男の首に突きつける。
「お前は生きたいのでしょ? 知っていることを話してもらう」
***
「ドゥリャアッ!!」
ジェーシャの両手斧がオーガの頭部を叩き割る。
「野郎共! 根性見せろっ!!」
ジェーシャが率いる冒険者たちは、魔物の暴走の足の速い第一陣を捌き終えて、第二陣との戦闘が始まっていた。
勢いのあった第一陣では、暴走した甲竜との激突で盾持ちのドワーフたちに何名かの死傷者が出たが、ランクの低い魔物が多かったので大きな被害は出ていない。だが、第二陣にはこの地方特有の砂オーガが混ざっており、ランク4の魔物との激突で盾持ち以外にも被害が出はじめていた。
「お前らも、もうちっとは散れ!」
「俺らはお嬢の護衛だぜ? 無理だな!」
「下手に散ったらジルガンさんにブッ殺されちまうぜ!」
ジェーシャの叫びに子飼いの部下であるドワーフたちが笑いながら返す。
砂オーガの戦闘力はランク3の上位からランク4の下位だ。ランク4になるとランク3の冒険者が数名がかりで当たらなければいけないが、ランク3なら同じランク3の冒険者で対処できた。
それでも被害が出ているのは、上位の冒険者の大部分がジェーシャの護衛であり、彼女の周りを固めていたからだ。それも、お目付役のジルガンを含めて、ジェーシャを幼児の頃から知っているような連中ばかりなので、ジェーシャの命令より彼女の安全を優先して命令さえ無視することがある。
今はまだ、ムンザ会の獣人たちが遊撃で動いているので大きな被害は出ていないが、このまま無事に事が進む保証もない。
「てめぇら……」
面倒な親父ドワーフ共に歯噛みしていたジェーシャだが、次の瞬間には好戦的な笑みを浮かべていた。
「じゃあ、仕方ねぇな! おい、飛び回ってる獣人連中に、オーガは中央に集めろって伝えなっ! 纏めて相手をしてやるぜ!」
『おおおおおおおっ!!!』
ジェーシャの咆吼のような叫びに冒険者たちの声が響き渡る。
魔物の暴走の戦闘が始まって四時間が経過し、倒した魔物の数は五百を超えるだろう。今はまだ備蓄のポーションもあり、『薔薇』から仕入れた上級ポーションもできるだけ使い控えている。通年なら魔物の暴走が起きても千も倒せば終息するが、それもどうなるかまだ先は見えない。
第一陣と第二陣の間には数時間の間があり、その間に治療や術士の回復もできるが、第三陣の内容によってはそれすらも間に合わなくなる可能性があるからだ。
(……ちっ、嫌な感じだぜ。前の時より魔物が強く感じるのは、奥にいるのが早く出てきたからか? それなら早く終わる算段もつけられるが、怪しい人族のこともあるし、次も同じような内容なら……、『薔薇』の奴も連れてくればよかったか……)
ジェーシャがアリアに魔物の暴走の要請をしなかったのは、あくまでドワーフが主戦力であることと、ポーションの生産を優先してもらうためだった。
だが、ジェーシャの本音を言えば、同じ女で同じランク4の力を持つアリアを勝手にライバル視していたせいで、アリアに頼むのは自分の力が足りないと認めるようで嫌だったからだ。
ギルドの長としては良くないことは分かっているが、ジェーシャも人族に換算すればまだ成人程度の少女なのだ。
「ギルド長っ! アレを!」
「なんだ、第三陣が……」
ジェーシャの下へ飛び込んできた女獣人の斥候が、彼女の意識を遺跡のほうへと向けさせる。目を凝らせば確かに遺跡のほうから砂煙が近づいてきていたが、女獣人の顔色が悪いのはそのせいではなかった。
第三陣の内容は岩トカゲや火トカゲなど、比較的足の遅い魔物たちで、鱗は固いがランク的には大したことはない。だが、その後ろにゆっくりと魔物を追い立てるように進んでくる小山のような影が、ヴェールのように覆い隠す砂塵の中からその姿を見せようとしていた。
黒に茶を織り交ぜたような艶やかな鱗。
背後へ流れるように伸びた四本の角。
金と銀を掻き混ぜたようなは虫類の瞳。
四つ足のまま悠然と持ち上げた頭の高さだけでも十メートルは超える巨体の主、古代遺跡レースヴェールの主、地竜は、新たな獲物である〝餌〟を見つけて砂漠の大地に咆吼を響かせた。
『ガァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!!』
【地竜】【種族:竜種】【幻獣種ランク6】
【魔力値:334/350】【体力値:792/820】
【総合戦闘力:4557】
……来ちゃった。
ついに現れた古代遺跡の主。ジェーシャたちの運命は?
ちょこっと今更解説。
この世界の時間は二十四時間(地球の二十四時間と同じか不明)。
各都市にある時計塔では文字盤が十二に区切られており、一つが二時間で一刻と呼んでいます。
半刻で一時間、四半刻で30分。四時間ごと(二刻ごと)になる鐘の音で、例えば朝の四時を「鐘二つ」などと言っています。
アリアも基本的にそれを使っていますが、あの女の知識で10分とか一時間とか心の中では呟いています。