160 スタンピード
まずはジェーシャの内心から
竜種――それは、この世界において最強の生物の一つだ。
動植物が魔素によって変異した魔物と違い、幻獣である竜はその強大な力と高い知性で一部地域では信仰の対象にもなり、その存在は子どもでも知っている。
だが、他の幻獣種と異なり、竜ばかりがその名を知られているのは、その強大さもあるが一番の理由は〝種類〟の多さだろうか。
亜種である飛竜や海竜、そして下位竜、属性竜、古代竜の順に強くなり、ランク8以上になる古代竜ともなれば多くの竜魔法を操り、様々な属性をその鱗に宿すその美しさは数多の人々を魅了した。
故に人々は竜の力を恐れ、憧れ、様々な物語に語られるようになった。
その竜の一種である〝地竜〟が、古代遺跡レースヴェールの奥地から外周に向けて動き出した。
(話が出来すぎている。リーザン組が協定を破ってムンザ会に手を出したことと、何か関係があるのか?)
ホグロス商会、冒険者ギルド長であるジェーシャ・ホグロスは慌ただしく職員たちが動き回る会議室の中で考えを纏める。
最初の報告は昨晩の未明、遠征から戻った冒険者の数名からもたらされた。
魔物の大量発生、魔物の暴走。その原因は炎天下による食糧の不足など多々あるが、それがレースヴェールからとなると最も考えられる原因は、奥地より強大な魔物が動きだしたことによる『集団恐慌』だ。
その中の可能性の一つに、およそ百年前から確認されていた〝地竜〟の存在がある。冒険者の報告の中に遠くから聞こえた『恐怖を覚える咆吼』があったことから、過去に一度だけ地竜と対峙した老ドワーフ、ジルガンによって動き出した存在が地竜だと、限りなく断定に近い仮定がされた。
竜の咆吼には弱き者に『恐慌』をもたらす効果がある。亜竜の咆吼にその効果はないが、真の竜種ならたとえ下位竜でも原初の竜魔法である『咆吼』が使えるのだ。
地竜は〝地〟の名を冠しているが属性竜ではない。地属性を持つ竜は宝石竜であり、このサース大陸の属性竜は、火竜、水竜、氷竜、風竜の四体しかなく、少なくともエメラルドやルビーを冠した竜は確認されていなかった。
地竜は下位竜であり、空を舞う翼もなく、数百年から数千年の時間をかけて属性の魔石を喰らって属性竜になる。
レースヴェールに巣くう竜がランク7の属性竜でないことは幸いであったが、下位竜である地竜は、場合によってそれ以上の脅威となることもあるのだ。
地竜の脅威度はランク6。存在した年月によって差はあるが、その総合戦闘力は最低でも3000以上になる。だが、他のランク6の魔物と違ってまだ知能が低い地竜は、他者の策略で動かされてしまう場合があった。
(動かしているのは魔族か……?)
姿を消した闇エルフたち。その後ろには魔族の影がチラつく。その動きはリーザン組の行動と合わせたものか? だが、彼らが手を組んでいると断定してしまっては、別の思惑があった場合は後手に回ることになる。
ならばホグロス商会のドワーフたちはその対処のため町に留まり、暴走した魔物や地竜の対処を人族や獣人どもに任せるのか?
(否っ!)
ホグロス商会はドワーフたちの組織だ。商会長の子の一人であるジェーシャも同族以外を心から信頼することはなく、地竜を倒せるとするなら自分やジルガンを含めたドワーフの戦士たち以外にはないと信じていた。
地竜退治に向かうのは、ジェーシャ自身を含めた十数名のドワーフパーティーで確定だ。それ以外の魔物の処理はランク3以下のドワーフと、それ以外の種族にやらせればいい。
だが――
「…………」
ジェーシャが向けたその視線の先に、一人だけ、その存在を無視できない〝人族〟がいた。
その少女の名はアリア。肌の色が濃いクルス人が主流であるこの地域では珍しい、肌の白いメルセニア人の女だ。
ジェーシャが最初にアリアのことを聞いたのは、腹心でありお目付役でもあるジルガンからの『面白い人族の女がいる』という言葉で、その発言に驚き、興味を持った。
もし危険となるような存在ならジルガンがその場で始末したはずだ。だがジルガンはその女と戦うことをしなかった。殺す価値さえ無かったのか、それともそれ以外の理由があったのか?
だが冒険者であるその女はそれ以降ギルドに姿を見せることはなく、ジェーシャの興味が薄れはじめた頃、ムンザ会長老の一人クシュムから、ジルガンが目を付けた冒険者に手を出した詫びとして、この砂漠では貴重品である上級ポーションの専属販売の申し入れがあった。
その手を出された冒険者がアリアであり、上級ポーションを作成できる錬金術師本人も彼女だった。
アリアが凄腕の錬金術師ならムンザ会が手を出したのも分かる。その結果、アリアはキルリ商会とも揉めてしまい、ムンザ会はアリアへの詫びとして販売ルートを紹介することで手打ちとしたらしい。
何故、獣人の荒くれ者を束ねるムンザ会が、一人の冒険者相手に、そんな〝下手〟とも思える真似をすることになったのか?
その理由をクシュム本人から聞かされて、ジェーシャは冗談を言われているのかとさえ思った。
最も早い情報伝達手段である『遠話の魔道具』がないこの町では、主な情報入手手段は商人たちの『噂話』になる。
だが、近隣のカルファーン帝国やガンザール連合王国のことならともかく、それ以外の国に関しては、国王が暗殺されたなどの〝面白い話〟しか伝わってこない。
その中の一つに『灰かぶり姫』の話があった。
確かに聞いて面白いと思った。子どもが暗殺者ギルドに入り、一つの支部を壊滅させて暗殺者ギルドを敵に回し、それだけでなく盗賊ギルドにも喧嘩を売ったという。
一般人だけでなく、裏社会を知る人間ほど絶対に手を出さない二大組織、暗殺者ギルドと盗賊ギルドと真正面から敵対していまだに生きている、そんな都市伝説だ。
こんな話ならどこかの王が錯乱した話よりも面白い。酒の席でのよい話題になり、遠く離れたこの地まで噂が流れてくるのも当然に思えた。
だが、その都市伝説の本人がこの町にいるという話は、本気でからかわれているのかと、ジェーシャは貴重な木製のテーブルを叩き壊しそうになった。
クシュムの話では、アリアは獣人の群二百人を相手に真正面から打ち破ったという。
話半分に聞いたとしても、百人を相手にしてジェーシャは自分も同じことができるのかと自問する。戦うだけならできるかもしれない。だが生き残れるかどうかの自信はない。しかも、ジェーシャも名前を知っている、ランク4のバティルやトゥース兄弟までいたのなら、どうすれば勝てるというのか?
まともな神経でそんなことをできるはずがない。噂話が誇張されただけだと考え、獣人の冒険者数人に話を聞いたところ、彼らはジェーシャやジルガンよりもその女一人に怯え、その女を『砂漠の薔薇』と呼んでそれ以外は口を噤んだ。
その姿は、砂漠という荒れ地に咲いた一輪の〝薔薇〟を思わせたという。
ジェーシャは初めて冒険者ギルドに現れたアリアを見て、その印象に〝なるほどな〟と納得した。
メルセニア人どころか森エルフでも珍しい桃色がかった金の髪は、黒や茶に見慣れたこの辺りの人間ならまさしく〝薔薇の花〟が咲いたように見えるだろう。
しかも、まだ成人したてにしか見えないほど若く、戦士とは思えないその華奢な体躯はまるで貴族の令嬢を思わせ、顔立ちもどこぞの美姫かと思えるほど整っていた。
据わった目付きが本来の愛らしさを損なわせているが、それが彼女の魅力を減じていることはなく、それどころか美しい刃に触れてみたくなるような、仄暗い妖しい魅力を感じさせた。
だがジェーシャはアリアを一目見て『ヤベえ』と思った。
綺麗な刃? 違う、この女はそんなものではない。触れた瞬間に猛毒を撒き散らす、獲物を誘う可憐な〝罠〟だ。ギルドにいる男どもはその可憐さに惑わされて甘く見ているが、同じ女であるジェーシャはその危険度を肌で察した。
その戦闘力は何十年も一線で戦ってきたジルガンにも劣らない。でもジェーシャはそれ以上に、その瞳の奥に輝く〝何か〟を感じて、今まで聞いた〝噂話〟がすべて真実だと理解してしまった。
この女とは敵対してはいけない――と。
アリアが地竜討伐に加われば勝率は確実に上がる。でもそれ以上に、ドワーフ以外の存在に手柄を立てさせることはできないと、ホグロス商会の娘として考える。
ジェーシャ個人としては、同じ女戦士として共感する部分はあった。アリアへの気安い態度も半分は『取引相手』としての演技だが、半分は素だ。そんな共感はあるが、この砂漠の町カトラスを守護するのはホグロス商会のドワーフでなければいけなかった。
ホグロス商会のジェーシャとしては、できれば上級ポーションの納品だけをしてもらいたいが、ギルド長としてはその戦力を無駄にするのも悪手に思えた。
だがジェーシャはそれと同時に、どうせアリアはギルドの要請など聞かないだろうと理解していた。
それならどうすればいいか――
「アリア、お前は自分の護りたいものを護ればいいさ」
***
ジェーシャは私が冒険者として勝手に動くことを要請した。
元より私の目的はエレーナの安全が第一だ。そのために必要なら竜と戦うことも厭わないが、私はジェーシャの言葉には裏があると考えた。
クシュムがリーザン組に殺され、同時に力のある闇エルフたちが姿を消した。そして今回の魔物の暴走……。
事の始まりは私がムンザ会と敵対して、ムンザ会の護りに穴が開いたからだ。それを知ってリーザン組が手を出したと見るのが一般的な町の意見だが、私は、そもそもリーザン組が最初から機を狙っていたと思っている。
ジェーシャは、この町で何かが起きると考えている。
先日出会ったあの親子は、この町からできるだけ早く出ていけと言っていた。
今回の魔物の暴走がそれなのか分からない。だがそれではリーザン組の利点がない。ただ、四つの組織の一角を潰したいだけなのか? その目的がこの町そのものだとしたら……?
おそらくその答えは、消えた闇エルフたちが知っている。
私は外套を被り直して拠点の見張り塔へと走り出す。
来るときは気付かなかったが、町の中では魔物の暴走の情報が届きはじめたのか、逃げるように店じまいをはじめた商人たちの姿が見えた。
冒険者らしき姿は町にない。冒険者ギルドの要請を受けて魔物の処理に向かっているのだろう。町中でも武器を持った住民の姿が多いのは、危険を察したこの町特有の血の気の多さだろうか?
「…………」
町を抜ける途中、私はふと違和感を覚えて足を止める。
ただの商人であるキルリ商会は利益を重視して戦うことは選ばない。ホグロス商会とムンザ会は魔物の暴走に戦力を出すことになるはずだ。
だが、武器を持ったまま町の隅にいる連中はなんなのか……?
私はゆっくりと彼らに近づく。
彼らは町に起きた異変を察して、分からないなりに護りに徹しようとしているのかもしれない。でも、この町の住人だとしても、その低ランク冒険者では持てないような、程度のいい槍や剣はどこから手に入れた?
「……なんだ、てめぇ?」
日に焼けた浅黒い肌のクルス人がいかめしい顔で威圧してくる。
クルス人が五人にフードで顔を隠した男が一人。だが、そのフードの男は一番細身でいながら、一番強い〝気配〟を放っていた。
私は彼らに近づきながら、武器の届かない距離を空けて声をかける。
「別に……。ただ、姿が見えない闇エルフが、どうしてここにいるのかと思って」
その瞬間、フードの男から殺気が放たれ、男たちが一斉に武器を構えた。
どうやら〝当たり〟か。
始まるスタンビート。竜の動向。不審な男たち。
それはらどう繋がるのか?
※アリアに対するジェーシャの印象は、感想欄を参考にさせていただきました。
こういう部分がウェブ小説のいいところですね。
毎度、ご感想、誤字報告などありがとうございます。





