159 波乱
「闇エルフ?」
私の零した言葉に闇エルフの少女はハッとした顔をして自分のフードを掴む。でも、もう今更無駄だと気づいたのか、私にナイフの切っ先を向けられながらも気丈に私を睨み付けた。
「よ、よくも……」
「あの男はまだ生きている」
「――っ」
私の言葉に闇エルフの少女が息を飲む。
私が顔面に矢を突き立てた男はまだ生きていた。少女が放った矢には男の刃と同様に毒が塗ってあったと思うが、それでもまだ生きているということはあの毒自体が即死系ではなかったことになる。
私の目で視てあの男の生命力が消えていたら、この少女にも容赦をするつもりはなかった。でも、わざわざ即死系以外の毒を使うのなら、彼女たちには私たちの命以外の目的があるのだと考えた。
その目的は何か? 私達の中の〝誰〟が目的なのか?
「だが、お前が口を割らなければ、あの男から死ぬことになる」
「くっ」
先ほどの様子から見てもこのほうがこの子には効くだろう。……それでも何も話さないなら。
「…………」
「……っ」
軽く咽に当てたナイフを押し込むと彼女の黒い肌から血が零れた。
私が本気だと悟らせるために決して目は逸らさない。切っ先も揺らしもしない。さらに私が追い打ちをかけようとしたその時――
「……お待ち……を」
荒れた大地に血で濡れた矢が落ちて、顔を矢で刺されたあの男が立ち上がっていた。「父様っ!」
闇エルフの少女が思わず声をあげる。血を流す片目を手で押さえた男は正体をバラすような声をあげた娘を一睨みして、私へと顔を向けた。
だが、晒したその顔は闇エルフではなくクルス人だった。義理の娘か? それとも意外と混血は多いのか? 尚更派閥の特定は困難になったがそれはこれから聞けばいい。
「ぐっ」
倒れた少女の胸を押し倒すように強く踏みつけ、男への人質にすると同時に、まだ毒で足下も覚束ない男を少女の人質とする。
【壮年の男】【種族:クルス人♂】【ランク3】
【魔力値:134/165】【体力値:212/350】
【総合戦闘力:586(状態:毒―戦闘力:207)】
【少女】【種族:闇エルフ♀】【ランク2】
【魔力値:155/185】【体力値:152/210】
【総合戦闘力:308(身体強化中:344)】
ランクの壁はあるが二人ともかなり鍛え込んでいることがわかる。娘のほうはともかく、私と刃を交えた父親のほうはこの状況が読めるはずだ。
この世界では欠損でも時間をかければ【治癒】で治る。だが、慣れない片目とその毒で私と戦えばどうなるのか、この男ならわかるだろう。
「お待ち……くだされ。我らは少なくともあなた方の命は狙っておりませぬ」
「父様……くっ」
毒のせいか再び膝をつく父親の姿に、身を起こそうとした少女をさらに踏みつけた。
「だとしたら、どうして私たちを見張っていた?」
抑揚もなくそう告げる私に、男は何を感じたのか静かに口を開く。
「詳しいことは申せません。けれど、我らの役目はある方をお守りすること。こちらからの敵対の意思はない」
「…………」
私と男が互いをジッと見る。私たちを見張っていたことは認めるが、私から攻撃をしない限り自分たちから敵対する意思はないということか。
娘のほうは父親を傷つけた私を、歯を食いしばるようにして睨んでいたが、私は男の目を見て少女から足をどけた。
「なっ……」
逆に少女のほうが信じられないように目を見開いた。
「行け」
「……すまん」
私の言葉に少女が父親に駆け寄り、娘に肩を借りるようにして立ち上がった男が私に目礼する。
「……この地は戦火に包まれる。ここを出ることを考えているのなら、急ぐことをお勧めする」
「覚えておこう」
その言葉を最後に二人の姿が岩場のほうへ消えて、私は地面に落ちていたあまり見ない素材の矢を拾い上げる。
別に男の言葉を信用したわけでも情けをかけたわけでもない。
こちらを監視していたのだ。エレーナや子どもたちのことを考えれば始末しておいたほうがいい。でも、短いやり取りだったが、私はまだ彼らを殺さないほうがいいと判断した。
「…………」
あの男の瞳が……、まるで私の姿を懐かしみ、私を通して遠いどこかを見るようなその瞳が、何故か少しだけ気になった。
***
その日、私とカミールは遺跡まで素材の調達に向かった。
ポーションと気球の素材調達はカミールに任せていたが、やはりポーションの素材となると温度変化のない【影収納】がある私がいたほうが、出来上がる物にムラが無くていい。
エレーナと出向くほうが気分的には楽だが、やはり適材適所で割り振ったほうが効率的だ。
【カミール】【種族:闇ハーフエルフ♂】【ランク4】
【魔力値:253/260】【体力値:252/280】
【総合戦闘力:1064(身体強化中:1298)】
私とカミールならランク5の魔物と会っても対処できる。
彼の戦闘力はヴィーロにも匹敵する。でもカミールがそれ以上の力を発揮できるのはその腰にある二本の短剣――『魔剣』があるからだ。
あれは魔術師ギルドが作ったような魔力を帯びただけの『魔力剣』じゃない。おそらくはダンジョンから得られた、〝何か〟が宿った物だ。
母親の形見らしいが、そんな物を持っているのなら、その立場はある程度は想像がつく。その息子なら〝誰か〟に守られていても不思議ではない。
「カミール」
「何かあったか?」
周囲を警戒していた私が、火トカゲの腹の皮を取ってきたカミールに声をかける。火トカゲは一応可食だが、わずかに毒素があるので耐性のある亜人以外はあまり食べることはない。肉好きな子どもたちのために少しは取っているが、私が声をかけた理由は別だ。
私が投げたクロスボウの矢を宙で掴み取ったカミールが、それを見てわずかに顔色を変えた。
「これはっ」
「知っているか?」
あの親子に護衛されて監視されていた対象は誰か?
この町で生まれたチャコや子どもたちは除外する。おそらくカルファーン帝国の貴族らしいロンも候補に入るが、人族であるクルス人の国であるカルファーン帝国の護衛に闇エルフはあり得ない。
ならば自ずと答えは見えてくる。金属でも骨素材でもない、私も直に見たことはない特殊な樹液で作られた矢を見たカミールは、難しい顔をして私に視線を戻した。
「……アリアは、これが何か知っているのか?」
「ああ」
初めて見るものだが、私は師匠から魔族が扱う武器や戦術は聞いている。
その知識は師匠が魔族軍を抜ける数十年前のものだが、基礎部分が大きく変わるわけじゃない。
その矢があるということは、それが誰かに『使われた』ということだ。
彼が何を隠しているのか知らないが、これでもある程度は信頼している。そうでなくてはエレーナをあんな場所に置いてきたりはしない。
無言のまま見つめる私の視線から逃れるように視線を外したカミールが、意を決してその口を開き掛けたとき――
「俺は……」
「待て」
私は彼を止めてそのまま地面に耳を当てる。その意味に気づいてカミールも辺りを見渡し、遺跡にある崩れかけた建物の上に登った。
私も顔を上げて「向こう」と言って西方向を指さすと、そちらに目を凝らしたカミールが声を張り上げた。
「甲竜だ!」
甲竜は竜の名はついているけどドラゴンじゃない。
見た目は全高2メートルもある鱗のある鶏で、バジリスクと同じ蛇種の魔物だ。
獰猛で脚が速く、毒の霧を吐き、下手な弓矢なら弾いてしまう厄介な魔物だが、その危険度はランク3で同じランクの戦士なら、毒さえ対処すれば難しい相手じゃない。
だがそれも一体だけならの話だ。
「五体来るぞ!」
「了解。私が先制する」
甲竜の一番厄介な部分は臆病なところだ。そのくせ知能が低いせいで逃げるのではなく暴走して襲ってくることがある。
砂煙をあげて迫り来る甲竜に向けて、私は精神を集中させながら指先を向けた。
「――【錯乱】――」
レベル4の闇魔術【錯乱】。
私がこれをあまり使わないのは、知性のある生物に効きにくいからだ。特に使用者と同ランク以上の相手にはほぼ効果がない。
でも、相手が格下で〝何か〟に怯えている状態なら別だ。
間近まで迫っていた先頭の甲竜が硬直する。その横を二体の甲竜が追い抜かして駆け抜けるが、その瞬間――
「ハァア!!」
二本の魔剣を引き抜いたカミールが頭上から襲いかかり、流れるように回転しながら鱗に覆われた二体の首を瞬く間に斬り裂いた。
私ではあそこまで簡単に硬い鱗を斬るのは難しい。だが、一人だけで戦っていた頃ならともかく、虹色の剣で冒険者パーティー戦を経験した私は、前衛がいるのならそれに任せることもできる。
私の魔法も効果を現し、錯乱した個体が残った二体に襲いかかっていた。
「退くぞアリア」
「了解」
それでも私たちは即座に撤退を選んだ。同士討ちをはじめた甲竜の後方からまた数体の甲竜が現れ、同士討ちをしていた同族に襲いかかって喰らいはじめた。
あきらかにおかしい。完全に我を忘れている。
おそらくは、そうならざるを得ない〝何か〟があったはずだ。
「私はギルドに寄ってみる。何か情報が入っているかもしれない」
「わかった。俺はロンたちの所へ戻る。気をつけろよ」
私たちがいた遺跡の端でこうなのだ。中央部では何か起きている可能性がある。
私とカミールは充分に距離を取ったところで二手に分かれた。先ほどの答えは聞いていないが、今は甲竜の件も含めて判断する情報が少なすぎる。
とりあえずカミールに戻ってもらえば護りは問題ないと考え、私は身体強化をさらに速度に割り振って、常人の二倍以上の速度で砂漠の荒れた大地を駈け出した。
普通の冒険者なら二時間はかかる道のりを一時間で駆け抜ける。
町の近くで私を見かけた獣人の冒険者たちは、驚いて剣を抜こうとしたが、その刃が鞘から抜かれる前に私はその視界から消え去っていた。
そのままの速度で屋根の上を跳び、冒険者ギルドに異常な速度で飛び込んできた私に入り口近くにいた数名の冒険者がギョッとした顔で振り返る。
だがそれ以上の騒ぎはない。ギルドの中では更なる騒ぎが起きていた。
「〝薔薇〟っ!!」
ギルドの奥から怒鳴り声が聞こえて、人波を物理的に押し開きながら小柄で横に巨大な筋肉の塊が躍り出た。
「ジェーシャ?」
「ちょうどいい。上級ポーションは何本できている? 少しでも欲しい」
「遺跡でも魔物がおかしかった。何があったの?」
「それは奥で話せ」
バタバタと慌ただしいギルド内を抜けて、その奥にある職員たちがひしめく会議室に通された。どうやら町から離れていた数日の間に、本当に何かが起きていたようだ。
この状態なら仕方がないと出来上がっていた十数本の上級ポーションを取り出すと、それを見たジェーシャがポーションを受け取り、先ほどの続きを話しはじめる。
「遺跡の魔物はこちらでも確認している。まだ確定ではないが魔物の暴走だ」
魔物の暴走。魔物が多い地域やダンジョンなどで数十年に一度発生する、大量の魔物が発生する現象だ。
私の両親もそれに巻き込まれて亡くなった。それを思い出して微かに顔を顰める。
だが、魔物の暴走が起きるとしても何か原因があるはずだ。魔物の数が増えたことで起きる現象だが、魔物はそれだけで暴走はしない。
ジェーシャは一旦言葉を句切り、息を吐いて吐き捨てるように後を続ける。
「遺跡の奥にいる、地竜が動いた」
突如始まった魔物の暴走。
あの親子とカミール、そしてドラゴンに行動に意味はあるのか?
次回、スタンピード





