153 砂漠の薔薇
それは砂漠を一歩ずつ踏みしめる最強へと至る道。
〝強さ〟とはなんだろうか?
筋力値が高ければ強いのか? 魔力値が高ければ強いのか? 戦闘スキルレベルが高ければ強いのか?
どれも間違いじゃない。単純な〝力〟はすべてを圧倒する。
例えば魔物がそうだ。ランクが同じなら身体能力の差がそのまま〝力〟の差になる。その際たるモノがこのサース大陸にも存在する『竜』だろう。あれは生まれた瞬間から強者なのだ。
私は弱かった。力もなく魔力もなく、戦う術も無かったただの子どもだった私が強者と戦うためには『心』で強くなるしかなかった。
だから私は『殺す覚悟』をした。殺す覚悟とは殺される覚悟を持つこと。奪わなければ奪われる。弱者である私は敵対した者を見逃すという『甘え』を持つことが許されなかった。
私は運命に抗い戦うことを選んだ。生きることは戦いだ。だから弱い私は心で強くなることを選んだ。
でも、その強さにも限界があることを私は知っていた。
いずれ想いだけでは勝てない相手が現れる。今のままでは、純粋に力だけを追い求め、心を狂気に堕とし、命を懸けてまで力だけを求めた、純粋な〝暴力〟と化したカルラには勝てないと感じていた。
精霊に戦技化してもらった【鉄の薔薇】は、私に欠けていた決定力を与えてくれた。でも、あの力はただの〝武器〟に過ぎない。時間制限のある武器なんて一本しか矢のない弓と同じだ。
私が求める〝強さ〟とは何か? その答えは私の中に初めから存在していた。
最初から一つの力に絞ればある程度の強さは得られると、知識があった私は最初からわかっていた。
でも私はそれを選ばなかった。愚直なまでに理想の強さを追い求めた。
師匠も過去にそれを求めて失敗した。でも師匠は自分と同じ結論に至った私に、その力を発揮できる師匠の戦闘術を叩き込んでくれた。
この世界でただ一人――本当の戦鬼となるために。
***
声が止んだ。
たった独りだと軽んじる声。
多少腕は立つが我らに敵うものかと謳う声。
多にして個である獣人の群に逆らう愚かさを嘲る声。
肉を裂きその血を見せろと滾る声。
それが、返り血にまみれた外套を脱ぎ捨てた〝少女〟の姿に声が止み、二百人もの獣人の群に一瞬だけ足を止めさせた。
陽に艶やかに輝く、桃色がかった金の髪。
この地の神である太陽さえ灼けぬ、潤いのある白い肌。
これだけの敵を前にして、微かにも揺れることのない翡翠色の瞳。
美しい少女だった……。整った顔立ちの女なら彼らでも見たことがある。けれど、まだ幼さが残る容姿でありながら、この渦巻く殺気の中で、恐怖も、怯えも、怒りも、憎しみもなく、そのあまりにも自然体な立ち姿はまるで砂漠に咲いた薔薇のようで、その美しさに思わず見蕩れて――〝恐怖〟した。
わずかに歩を緩めた群の中から、ふらりと薔薇の香に誘われるように一人の少年が歩み出る。
その灰色狼のような獣人は少女のことしか見えていなかった。
その姿を一目見た瞬間に心を奪われた。
甘く香しい脳髄を溶かすような血の香り……。まだ成人前の少年はこの群で何度も敵の処刑を行い、その経験から少女の柔らかそうな肉を想像して、錆びた鉈を構えて誰よりも先に飛び出した。
ブォンッ!!
獣人の膂力によって振り下ろされた錆びた刃は、そっと押し出すような刃の腹に触れた少女の手で逸らされた。
錆びた鉈が何もない場所に振り下ろされ、命を奪う刃の重さすら知らずに体勢を崩した少年の腕に少女の手が触れると、その肘が逆側にへし折られた。
「――――――ッ」
悲鳴をあげる咽も殴打で潰される。助けを求めて仲間に伸ばされた腕もへし折られ、少女の白い腕が少年の首に巻き付き、耳を塞ぎたくなるような異音と共に少年の首は真後ろにねじ折られて、恐怖に歪んだ顔を仲間たちに向けた。
どれほどの技量があればそんなことができるのか?
どれほど冷酷ならそんなことができるのか?
その場から一歩も動かず、刃さえ抜かずに惨殺した少女は、指先でそっと押すように立ったままの少年の身体を倒し、静かに黒い刃を抜き放つ。
「死にたい奴からかかってこい。ムンザ会」
***
『――うがあああああああああああああああっ!!!』
私の挑発に、群の中から〝不安〟に耐えきれなかった数人の男女が、吠えるように飛び出した。
怯えている。困惑している。たとえ怒りでそれを押し殺したとしても、それに何の意味がある?
「――――!」
旋回する斬撃型ペンデュラムが先頭を走る男の目線を真横に断ち斬った。
突然奪われた視界と焼くような痛みで絶叫をあげる男に周囲の足並みが乱れ、その横を滑るように抜けた私のダガーが、近くにいて思わず足を止めた女の顎下から脳まで貫通する。
集中を高める。レベル4の【探知】と鍛えた戦闘勘で空気の流れさえ肌で読み取り、私の後ろから迫る槍をしなる穂のように避けながら槍を掴んで引いて、その槍を持った猫獣人の顔面を鉄板入りの踵で蹴り砕いた。
そのまま歩法で一気に距離を詰めて壮年の犬獣人の首を切り裂き、その後ろにいた太った中年女の頭蓋に分銅型のペンデュラムを振り下ろす。
わずか数秒で殺された獣人たちの血が乾いた大地を泥に変える。
敏捷値に割り振った身体強化で獣人たちを待つことなく群に飛び込むと、私を囲むように迫っていた獣人たちの波が割れた。
あの女の〝知識〟にあった古い兵法で、最初の一人を無惨に殺すことで後続に恐怖を与える戦術があった。私がしたのはそれだ。
たとえランク1やランク無しでもその波に巻き込まれたら、瞬く間に引き裂かれてしまうだろう。死と向かい合う本能的な恐怖を心の奥に沈め、刃の上を歩くような張り詰めた身体制御で獣の群と対峙する。
群の中に飛び込んだ私の周囲を旋回する斬撃型と分銅型のペンデュラムが不用意に近づいた獣人たちの首を裂き、頭蓋を砕き、黒いナイフが致命的な傷を与えていく。
〝血の結界〟――恐怖は意志を鈍らせ、旋回するペンデュラムを弧とした空白を生み出す。
群の狩りとは、効率的に強敵を倒すための〝生き残るため〟の戦術だ。
バティルは自分たちを群であり個であると言ったが、群という個を生かすために自分を犠牲にできる者がどれほどいるだろうか?
生き残るために群を選んだ彼らにその覚悟はあるのか? その少ない覚悟を持った者たちは最初に飛び出し、私に殺された。
けれど、恐怖は与えすぎてもいけない。過ぎた恐怖は心を麻痺させて自暴自棄となる恐れがあった。わずかな希望こそが真の恐怖となる。私は恐怖の一線を意識しながら周囲を取り囲む波を突き抜け、周囲の小屋にあった窓の木戸を蹴り砕くようにしてその中に飛び込んだ。
人質が取られたままではできなかった。私が何かしらの戦術を行おうとすれば、バティルは人質を使って私の動きを封じようとするだろう。
けれどもう私を縛る枷はない。群で狩るのが彼らの生き残りの戦術なら、個で群れを狩る私の〝生きる〟ための戦いを見せてあげる。
「お、追え!!」
群の中から逃れた私に素早く正気に戻った誰かが叫ぶ。
一方的に殺される恐怖を数の暴力という優位性が覆い隠す。でもそれが錯覚だと思い知らせるように、同じ窓から追おうとした男の眉間を汎用型のペンデュラムが貫いた。
再度の恐怖が群に走る。それでも小屋の中まで追ってきた者たちの首を、暗闇の中で正確に斬り裂き、確実に殺していく。
そのまま小屋を取り囲まれる前に違う窓から飛び出し、他の小屋の窓を突き破って侵入する。そしてその勢いに呑まれて追ってきた〝比較的できる者たち〟を暗闇の中で斬り殺す。
種族的に猫種の獣人は暗闇に強く、犬種の獣人は匂いで敵を察知できる。
けれど野生の獣ではなく〝亜人〟という人間種である彼らは、大部分の情報を視覚に頼ってきた。
ランクが高ければ危険を察知して動くこともできようが、魔力制御のレベルも低い彼らは瞬間的な暗視の切り替えもできず、戦場を昼に選んだ最も明るい陽の下から灯りのない室内に誘い込まれ、暗闇の中で何もできずにその命を散らした。
同じことを繰り返し殺した数が覚えきれなくなった頃、追っ手の数が減ってきたことを察した私は朽ちかけた天井を蹴り破って屋根に登る。
そんな私の姿を見つけて再び獣人たちが気勢を上げて迫ってきた。けれど私はそれを待つことなく、まだ百人以上いる獣人の群に向けて全力の身体強化で飛び出した。
宙を舞う私へ、出てくる瞬間を待ち構えていたのか幾つかの攻撃魔術が放たれる。
基本的に獣人は属性魔術が苦手とされるが、彼らは近接戦闘に適した肉体を誇りにしているだけで、あの影使いラーダのように決して不得意なわけではない。
数の割合として低くても、発動速度に難があろうとも攻撃魔術は必殺になる場合がある。私が空に飛び出したのは〝あぶり出し〟だ。
今まで誤射を恐れて表に出てこなかった魔術師を身体強化の思考加速で確認した私は、迫り来る【火矢】や【飛礫】の攻撃魔術を、最小限の【魔盾】で受け流し、空中を蹴り上げる動作で体勢を変えながら身を捻るように回避してみせた。
避けられないはずの必殺の一撃を回避する私に、獣人たちが動揺を見せる。
その瞬間に私は用意しておいた粉末を生活魔法の【流風】で撒き散らすと、それを浴びた獣人たちから悲鳴が湧き上がる。
使ったのは毒じゃない。この地方にある胡椒に似た香辛料の一種を粉になるまで磨り潰した物だ。
この地の料理に使われ、金さえあれば誰でも手に入る。単なる刺激物でくしゃみや涙を誘発する程度の効果しかないが、視覚や嗅覚が他種族より鋭敏な獣人には効果的だ。
私は首に捲いていたショールで口元を覆い、目を閉じて獣人たちの群の中に飛び込んだ。
「――【幻影】――」
数体の私の形をした魔素が獣人たちの中を駆け抜ける。
一時的とはいえ視覚と嗅覚を奪われた獣人たちは、何人もの仲間を殺され、調整されていた恐怖が限界を超え、側を駆け抜ける〝敵〟の気配に怯えて、ついに同士討ちを始めた。
レベル3や4の闇魔術に【恐怖】や【錯乱】もあるが、【幻影】のほうが消費魔力が安く済む。
包丁や鉈で斬られ、棍棒や鎚で打ちのめされて倒れていく獣人たち。
もはや、個として獲物を狩る群は存在せず、互いが殺し合う群の中を気配だけで敵を定めた私が次々と斬り殺し、確認していた魔術師たちを殺していった。
「――が、【突風】っ!」
私の認識から漏れていた魔術師が香辛料の粉を吹き飛ばす。その瞬間に敏捷値寄りに身体強化をかけた私が飛び出し、その猫獣人の女をダガーで刺し殺すと、辺りでは傷ついた獣人たちが怯えた瞳に私を映していた。
『――トゥース兄弟ッ!!!』
その時、屋敷のテラスにいたバティルが立ち上がり、声を張り上げた。
その声に、傷ついた獣人たちから一瞬の希望と――それと同時に恐怖と怯えの色が浮かぶのが見えた。
屋敷の奥から目に見えるような殺意が放たれる。
『ガァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!!!』
歓喜に打ち震える獣の咆吼。
鎖を引き千切る音に、放たれた巨大な気配。
屋敷の玄関や窓を打ち破り陽の光の下に姿を見せたものは、異様なほど巨大な筋肉を纏った四人の熊のような獣人たちだった。
「……やってくれたな女。トゥース兄弟ども、この女を殺せ!!」
歯を食いしばるような憎しみを向けるバティルが、それでも優位を示すように歪な笑みを浮かべ、彼の声にトゥース兄弟と呼ばれた獣人たちが血の臭いに歓喜の叫びをあげた。
「…………」
なるほど……バティルの余裕はこんな隠し球があったからか。
熊のように見えるけど、それは肥大した筋肉のせいで元は猫種の獣人だろう。そしておそらくは……薬物で理性を奪われている。
暗殺者ギルドにいたゴートのように薬物で強化され、崩壊しかけた精神をさらに薬物で縛られている。
四人の戦闘力は1000前後……体術だけを無理やりに上げてランク4ほどの戦闘力を付与してるのだろう。
「殺れっ!!」
『ガァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!!!!』
バティルの命令にトゥース兄弟が無手のまま爪と牙で襲いかかってくる。
私はそれを見てスッ……と目を細め、迫り来る彼らにそっと指先を向けた。
私と師匠が求めた〝強さ〟は単純なものだ。
すべての力を均等に上げる。ただそれだけだが、命が安いこの世界では誰よりも早く力を得るために、一つの力を上げるのが常識だった。
魔術だけ。近接武器だけ。遠隔武器だけ。隠密だけ……と、どれも極めればそれだけで武器になる。だからこそ人々は自分の有利な展開にすることに力を惜しまず、その状況下において無類の強さを発揮した。
今では冒険者ギルドや暗殺者ギルドでさえも、一つの力を伸ばすことを最上として、複数のことをこなそうとする者を半端者と呼んで蔑んだ。
確かに低レベルのスキルを揃えても、武器が増えるだけで強くなるわけじゃない。そこで強敵を倒すにはそれこそ命を懸けなくてはいけなかった。
けれど戦場では違う。あらゆる場面で個対多数の戦いを強いられていた師匠は、安定した本物の強さを求めた。
敵を葬る威力。敵の攻撃をいなす回避力。回復や攻撃で地力を上げる魔術。
鍛えた魔術は高い魔力を与えて継続戦闘力を上げる。鍛えた探知や隠密技能は生存率を上げてくれる。
魔石に心臓を圧迫された師匠は近接戦闘を極めることができなかった。でも、私は違う。初期から取捨選択したスキルを均等に鍛え、鍛えられた技能は他の技能を向上させた。
私と師匠はその技能の中で最も重要なスキルは『魔力制御』だと考えた。
すべての技能は魔力によって制御される。戦技の威力は向上し、身体強化の精度にも影響する。魔術においては言うまでもなく、隠密や探知系スキルでさえも大きな影響を受ける。
私が一つだけレベルが5になったスキルが魔力制御だったのは運が良かった。
私が身体強化で筋力や敏捷に寄った強化ができるのもそのおかげで、体術や無属性魔法はレベル4の限界にまで達しているはずだ。
私は幸運だった。
その力を得る機会を与えられたのだから。
私はここで、本当の力を手に入れる――――
「――【幻痛】――」
『――――ッ!?』
レベル5に達した魔力制御は複数の敵に同時に魔法を使うことを可能にした。
トゥース兄弟の四人が一斉に動きを止める。時間にして一秒か二秒……魔素を視る私の目が彼らの身体強化が解かれて防御力が下がったことを確認する。
「――【鉄の薔薇】――」
桃色がかった金の髪が灼けた鉄のような灰鉄色に変わり、身体能力が倍加する。
その強化したすべてを筋力と速度に割り振り、放たれた汎用型・斬撃型・刃鎌型・分銅型の四つのペンデュラムが、間近にまで迫り防御力が一瞬低下したトゥース兄弟の頭蓋を弾丸のように撃ち抜き、咽を気管まで斬り裂き、首筋を深々と斬り裂いて、頭蓋骨を打ち砕く。
倍加された思考加速の中で血飛沫が舞い散り、何も理解できずに白目を剥いたトゥース兄弟が崩れ落ちた。
戦場の時が停まったかのような静寂の中、微かな物音がしてそれが獣人たちの後ずさる音だと自ら理解した彼らは、恐怖に引き攣った絶望の顔で手に持った武器を落とし、残った百余名の獣人たちが仲間たちを押しのけるようにして逃走を始める。
『――ひぃいいいいいいいっ!?』
『トゥース兄弟がっ!?』
『こんなバケモノと戦いなんて聞いてねぇ!!』
『どけっ! どいてくれ!!』
群の意味を無くした獣人たちが我先にと逃げ惑う。
鉄の薔薇を解除した私は襲いかかる精神と肉体の疲労感に息を吐きながら、静かに戻りつつある桃色がかった金髪に滴る汗を振るい落として、手にした黒いナイフを残敵へと向けた。
「お前の手札はこれで終わりか? バティル」
私の挑発の言葉にわなわなと怒りを堪えるように身を震わせたバティルは、憎悪の瞳で二本の手斧を掴み、テラスの手摺りに足を掛ける。
「……小娘が、そのはらわた俺が食い千切ってくれるわっ!!」
次回、対バティル戦。
ムンザ会との決着の行方は?