152 襲撃
「レナ。念のために、子どもたちを連れて外に避難して」
「……わかりましたわ」
私が〝外〟と言った意味を察してエレーナが神妙な顔つきで頷いた。
傷ついた闇エルフの少年ノイはエレーナの光魔術で治療してある。彼が起きるのを待っていたのは、もう私たちがいた宿でさえ安全とは言えないからだ。
町の外にはいざという時のために簡易拠点を作ってある。わずかだが食料もあるので数日なら問題ないだろう。目を覚ましたノイはチャコが攫われたと聞いて自分も救出に行くと言ってきたけど――
「足手纏いだ」
「で、でもオレは――」
ノイの顔に焦りの色が浮かぶ。彼は小さな子たちの兄代わりとして、姉代わりの少女を助ける責任があると思っているのだろう。でも、それは違う。
「お前の責任は、その子たちを護ることだ。命の懸けどころを間違えるな」
「……わかった」
子どもたちに抗う意志は生まれても不安が消えるわけじゃない。必死に涙を堪えて彼の服を握る小さな子どもたちの姿に、ノイはしっかりと頷いてくれた。
エレーナとノイが子どもたちを連れてその場から離れていく背を見送り、私はこの場に残ったもう一人へと足を向けた。
「待たせたな」
「てめぇ……っ!」
逃げようとしたのか位置が少しずれている。右膝と右手首の骨を砕かれ地面に倒れた虎柄の男は、それでも私が近づくと威嚇する虎のような唸りをあげて、残った左脚で蹴りつけてきた。
戦闘力的にはランク3の下位といったところか。その傷でまだ戦意があることは立派だけど、それなら相応の対応をしてあげる。
私の右脚を蹴ろうとしたその足を蹴り上げ、そのまま体重をかけるように足首を踏み砕いた。
「ぐぎゃあああああああああああああああっ!!」
「チャコをどこへ連れていった?」
怒りもなく憎しみもなくただ威圧を滲ませて尋ねる私に、初めて男の顔が苦痛以外で引き攣った。
「こ、このアマ……」
「最初から私を案内する予定だったのでしょ? それと私たちが病気を治したと誰から聞いた?」
「ムンザ会にこんな真似をして、この町で――ぎゃああああああああああっ!?」
「そんなことは聞いてない」
砕いた足首を踏み潰すように踏みにじり、ムンザ会からの私刑を恐れてそれでも口を開こうとしない男の左膝を踵で蹴り砕くと、少しずつ壊されていくことに男から殺気が霧散した。
「ぐがががが……や、やめ……知らねぇ……若頭が……」
「訪ねてきた奴はいたでしょ?」
唯一無事だった左腕の手首を砕かれたことでついに虎柄男の心が折れた。
必要な情報を聞き出した私はその情報に不備があることを考え、男を生かしたまま襟首を掴んで引きずりながら町の方角へ歩き出した。
***
「アリアっ!」
町へ近づくと前方から駆け寄ってくる人影から私の名を呼ぶ声が聞こえた。
この町で私の名で呼ぶ人は限られているし、あの小屋へと向かう道を歩く人間などさらに限られている。
「カミールとロン?」
カミールは顔を見せているけど、フードで顔を隠したもう一人はロンだろう。駆け寄ってきた二人は私と手足を砕かれた虎柄獣人を見てわずかに目を見開いた。
「チャコたちの小屋にムンザ会が向かったと聞いたっ」
「まさか、その男がっ?」
二人はチャコたちに危機が迫っていることを知って駆けつけてきたらしい。
話を聞くと、どうやら二人のところにもムンザ会の手下どもが襲撃をしてきたそうだが、倒した手下の一人が二人を嘲笑うようにチャコたちへの襲撃も仄めかした。
「子どもたちは保護できたけどチャコは攫われた」
「チャコが……なら俺が行く」
「待てカミール」
飛び出そうとしたカミールの肩を掴んで止めたロンが、フードを脱いで真剣な瞳を私に向けた。
「アリア……だったか? ありがとう。君たちのことはカミールから聞いた。でも、君たちはどうして見知らぬ子どものためにそこまでするんだ?」
確かにロンの疑問ももっともだ。私でも彼らが無償でみなしごたちに援助をしていることに、何か裏があるのかと疑った。でも――
「あなたたちがそれを言うの?」
「……そうだな。すまない」
自分たちのしてきたことを私たちに重ねてロンが素直に頭を下げた。
理由はない。綺麗な言葉で飾り立てることはできるだろうが、そんな言語化できない微妙な感情をあえて言葉にするのなら、単純に見てしまったものを見なかったことにできなかった。――ただそれだけだ。
「レナ……彼女がいるのなら、他の子どもたちも一応は大丈夫だろう。それと、こちらにも情報がある。僕たちはムンザ会の仕事を潰して敵対しているけど、今回はキルリ商会が絡んでいるらしい」
「それはこちらの情報とも一致している。それはおそらく私たちの案件だ。彼らは病気を治したのが、私たちが作るポーションの効果だと考えているのだと思う」
あのジェドとか言うキルリ商会の番頭は、もう少し頭の回る商人かと思っていたが、利益よりも感情を優先したのなら所詮はこの町のチンピラだったということか。
……いや、利益と感情的な実益を考えて、『すべてを奪う』というこの町らしい考えに至ったのか。力ある者たちは用心深い者が多いが、中には組織の力を自分の力だと勘違いする愚か者もいる。
念のためだったが、キルリ商会傘下の宿に戻らないようにしたのは正解だった。
「私はこれからチャコを取り返しに行く」
「わかった、アリア。俺たちも……」
「いや、それなら二人には頼みたいことがある」
***
砂漠の町カトラスのスラム街。町全体がスラムのようなものだけど、その中でも貧民たちが住まうこの地域は、正しく暴力だけが支配する無法地帯だった。
「……ぅ……ぁあ……」
時折、意識を取り戻して気絶を繰り返す手足が砕けた虎柄男から呻きが漏れる。
太陽が真上に昇る炎天下の中、周辺に立ち並ぶ土と石で造られた半分崩れたような建物の中から、男を引きずって道の中央を歩く私へ幾つもの獲物を狙うような視線が向けられていた。
私が威圧していなくても襲ってくる者はいない。おそらく私が引きずっている虎柄男がムンザ会の人間だと気づいて、その男を半殺しにした私の実力を測りかねているのだろう。
そんな大気に混じる熱のような殺意を受け流して進むと、周囲の建物とは格が違う大きな石造りの屋敷が見えた。
あれがムンザ会の中でもこの辺りを仕切る顔役の屋敷か。
最初の予定では裏から襲撃をしてチャコを奪い返すつもりだったが、あえて真正面から向かうことにした。周囲に漂う殺意のせいか、男を引きずったまま近づく私に門番をしていた猫獣人と犬獣人の二人が手に持った槍を向ける。
「貴様、なにもんだぁ!」
「ここがバティル様の屋敷だと知って……兄貴!?」
引きずられた男が誰か気づいた門番の一人が声をあげ、その声に意識を取り戻した虎柄男が目に希望の光を灯して叫くように声を張り上げた。
「……こ、こいつが例の女だっ! 若頭に伝えろ! ぎゃはは、これでてめえも終わりだ、女っ! ここに何人いると思って――」
「煩い」
「ごぉお!」
魔鉄の鉄板入りの踵で男の咽を踏み潰す。お前の用はもう済んだ。
「てめぇ!!」
血反吐を吐く虎柄男を見て、先ほど兄貴と呼んだ猫獣人が槍を構えて突っ込んでくることに気付いた私は、瞬間的に筋力寄りの身体強化をして槍の直線上へ虎柄男を投げつけた。
「なっ!?」
「――――ッ!!」
門番の槍が男の心臓を背中から貫き、そのことに一瞬硬直した猫獣人の頭を鷲掴みにして、渇いた大地に叩き潰す。
「――て、敵襲っ!!」
動けなかったことで逆に命拾いをしたもう一人の門番が、咽を引き裂くような声で遠吠えをあげた。
屋敷の中から慌ただしい物音と殺気混じりの気配が膨れあがる。屋敷の戸を蹴破るように槍や剣を持った犬や猫の獣人たちが溢れ出し、二つの死体の側に立つ外套姿の私へ唸るように牙を剥いた。
「なんのつもりだっ!!」
「兄貴が例の女だとっ」
「ふざけやがって! ムンザ会に楯突いて楽に死ねると思うなよ!」
「はらわた食い千切ってやる!」
「待てっ!!!」
襲いかかろうとした獣人たちを威圧を込めた声が止めた。
屋敷のこちら向きにある二階のテラスから、半裸の情婦らしき獣人女たちの肩を抱いた黒豹のような猫獣人の男が姿を見せる。
細身ながら引き締まった身体の三十代半ばの猫獣人は、盛り上がる筋肉を見せつけるように上半身裸のまま前に出て、銀の瞳で私を睨め付けた。
「若頭! このアマがっ」
「黙ってろっ! ふん、お前が例の女か? ここまで来たのなら、ちゃんと伝言は受け取ったようだな」
黒豹男が死んだ男の顔を見てニヤリと笑う。距離があるので定かではないが、おそらくは戦闘力1200ほどのランク4。
若頭ということは、こいつがムンザ会のチンピラを束ねる顔役の一人、バティルか。
「おうおう、お前一人を誘き出すために二人も死ぬたぁ、随分高いことついたな。そいつに付けた他の二人はどうした?」
「殺した」
軽く答えた私にバティルが片眉を微かに上げる。
「そんじゃあ、その分もキルリの連中に代金貰わねぇとな。見たところちっとは腕に憶えがあるみたいだが、あの女がどうなってもいいのか?」
「私はこの男が襲ってきた落とし前をつけに来ただけだ」
「女がどうなってもいいと?」
「どちらにしろ結果は変わらない。私が負ければ同じ目に遭い、私が勝てばそれで話は終わる」
「は、違いねぇ」
私とバティルの間に張り詰めた殺気が満ちて、わずかに気温さえ下がったような気がした。
しばし睨み合い、バティルは牙を剥くように笑うと手下に声をかける。
「てめぇら、その女を手足をぶち折って連れてこい。殺すと金になんねぇぞ。女どもは椅子と酒を持ってこい。ここは俺専用の観客席だ。お前のようなとち狂ったバカヤロウどもの死を眺めるためのな」
情婦たちが酒と椅子を取りにバティルから離れ、彼は特等席へと向かうために私に背を向けた。
「ヤれ」
『オオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ――ッ!!!!』
その瞬間、周囲を取り囲んでいた獣人たちが怒声をあげて襲いかかってくる。
殺すなと命じられたことなど忘れたような、獣人たちの本気の斬撃を仰け反るように躱しながら、旋回させた斬撃型のペンデュラムで迫っていた三人の足首を切り裂き、間近にいた狼獣人の目に黒いダガーを突き刺した。
まず一人。
「てめぇ――」
わざと抉るようにダガーを引き抜き、その血飛沫で視界を塞がれた男の咽をナイフで斬り裂く。そのまま回転するように広がった外套の影から放った汎用型のペンデュラムが、足首を斬られて足を止めた犬獣人の咽を貫いた。
三人目。
「だぁああああ!!」
一人が私の首を長剣で狙い、もう一人が私の足を槍で突く。
間合いの差で一瞬早かった槍の穂先を踵が踏みつけ、そのまま槍を駆け上がって剣を躱すと同時に、放った刃鎌型のペンデュラムで剣士の首筋を引き裂いた。
そのまま爪先の刃でもう一人の顎を蹴り抜き踏み台にして飛び越しながら、離れていた猫獣人に向け、短く持った分銅型のペンデュラムを振り下ろしてその頭蓋を砕く。
六人目。
「ひやああ!!」
悲鳴のように叫きながら振り下ろされた門番の斧を横から手刀で叩いて逸らし、滑るように懐に飛び込みながら肘打ちで顔面を陥没させ、まだ勢いのあった斧を足首で掬い上げるように背を向けたバティルへ弾き飛ばした。
轟! と唸りをあげてバティルへ迫る斧。
その刃がバティルを襲うその瞬間、彼は情婦が持ってきた椅子を掴んで飛来する斧を迎撃した。
「……ちっ」
バティルが背を向けて数秒、それだけで半数以上が殺された死体の中で佇む私に、初めてバティルが苛立ち混じりに顔を歪めた。
「やるじゃねぇか、女。そこまでやるのなら、生かしておくのはもう無理な話だ」
「お前にできる?」
「何も俺が直に殺るとは言ってないぜ?」
パァンッ! とバティルが手を打ち鳴らす。
その音を待っていたように大気の殺意が濃くなり、通りにあるすべての小屋から、路地から、道端の日陰から住人たちが立ち上がる。
物乞いのような老人が刃を持って立ち上がり、恰幅の良い中年女が包丁を構え、まだ成人もしていないような少年が錆びた鉈を持ってギラついた瞳で笑っていた。
手に手に武器を持った獣人たち。周囲を取り囲む老若男女の人の波。
その数、見えているだけでもざっと二百人余り――
「ここにいる連中が、ただの住人や構成員の家族だとでも思ったか? ムンザ会は獣人の〝群〟だ。女だろうがガキだろうが、群にいるなら全員が〝ムンザ会〟よ」
「…………」
……なるほどね。獣と同じか。
たとえランク1でも、たとえ戦闘スキルが無くても、数の暴力はすべてを圧倒する。
武器を構えてゆっくりと迫り来る人の波に私は静かに刃を構え、バティルは情婦が持ってきた新しい椅子に腰を下ろすと、瓶のままで酒を呑む。
「逃げられると思うな、女。酒を呑み終わるまで簡単に死ぬなよ。さあ、足掻け。これからが本番だ!」
バティルの声に人の波が足を踏み出す。
だがその時、遠くから微かな笛の音が響いた。
バティルを含めた耳の良い獣人が微かに空を見上げる。
その音に気づいた私は、口元だけで微かに不敵な笑みを浮かべた。
私はロンにキルリ商会の動きを見張ってもらい、カミールにチャコの救出を頼んだ。
その時間を稼ぐために真正面から乗り込んだのだが、理由はそれだけじゃない。
ムンザ会が数百人程度なら、暗殺者ギルドと同じように上から一人ずつ暗殺すれば終わる。でも、この規模の組織となるとただの暗殺では怒りを煽るだけになり、見知らぬ子どもたちへ報復される恐れがあった。
私は暗殺者ギルドや盗賊ギルドのように、ムンザ会に私と争うことの無意味さを知らしめる必要があると感じた。
問題は私が脅威だと彼らが気づいたとき、チャコを救い出せても狙われる可能性があったが、もう私を縛る〝枷〟はない。
常識で考えれば、個人でこの数に勝てるはずがない。
けれど、それを乗り越えた先に私の求める本当の〝強さ〟がある。
私は返り血で重くなった外套を脱ぎ捨て、太陽の光できらめく桃色の金髪に、迫っていた人波の足音がわずかに乱れた。
ここからが本番? それはこちらの台詞だ。
「お前たちは私の糧になれ」
二百人の敵と対峙するアリアはどう戦うのか?
次回、砂漠の薔薇
綺麗な薔薇にはトゲがある。





