150 キルリ商会
場面は砂漠に移ります。
「こちらをどこで手に入れたので?」
その日、キルリ商会の番頭の一人、〝薬屋のジェド〟と呼ばれる男は、奇妙な女の二人組と向かいあっていた。
砂漠の町カトラスを支配する四つの派閥、食料や酒、生活必需品の七割を牛耳るキルリ商会には様々な部門があるが、ジェドが番頭を務める『薬品屋』は、ホグロス商会の冒険者が集める素材を買い上げ、それを薬に加工して冒険者や裕福な住民に売って利益を上げてきた。
そんな折、妙な話がジェドの耳に入った。見たこともない若い女がポーションを売りに来たという。
基本〝薬品屋〟では素材の買い取りはしても薬の買い取りはしていない。それでも食うに困った冒険者や旅人などが常備薬を売りに来ることがあり、中身を確かめてまだ使えそうなら、定価の一割から二割程度で買い取った物を一般の客には出さずに、貧しい住民に高値で売りつけるようなこともしていた。
だがその若い女たちは、下級ポーションと思われる物を無償で置いていった。
下級とはいえ回復ポーションなら衰弱した体力を回復させ、傷口を塞ぎ、浅い傷なら数日で傷も残さず完治させる。そればかりではなくよほど特殊でないかぎりは、病気でさえ何日か寝込むだけで癒すことができた。
魔力が大きければ病気や怪我もしにくくなるこの世界において、回復ポーションはもっとも馴染みのある薬だった。
だが、下級でもポーションなら銀貨一枚はする。特にこの砂漠の町では銀貨三枚はする高級品だ。
それというのも、まず素材が少ない。自然が多い国や地域なら問題はないが、この砂漠に生きる生き物は魔物が多く、採取するのも簡単ではない。
そしてポーションを作製できる錬金術師も稀少だ。錬金術師が少ないのではなく、こんな砂漠にある無法の町で仕事をするくらいなら普通の国で仕事をするほうが、安全で安価に素材が手に入るからだ。
この町で個人で仕事をする錬金術師はいない。この町に来るのは、まともな腕もない二線級やすねに傷を持つ錬金術師だけで、そんな彼らでも各派閥が奪い合い、需要を満たすために馬車馬のように働かされているのが現状だ。
そんな下級ポーションしか作れない二線級の錬金術師でも稀少であり、当然、製作した物はランクの低い冒険者や貧困層にまで行き渡らない。
故に町で出回る大部分はキルリ商会がカルファーン帝国などから輸入した物であり、一ヶ月の長旅や砂漠の気候で劣化したものが多かった。だが、その若い女たちが置いていった下級ポーションには、一切の劣化が見られなかったのだ。
「どこで……と言われても、仕入れ先を漏らす商人がいまして?」
「はっはっは、これは痛いところを突かれましたなぁ」
薬品屋の応接室。そのソファに腰掛けた女の言葉に、同じ商人であるジェドが浅黒い禿げ上がった額を叩きながらおどけて笑う。
テーブルの上に置かれたポーションは、上級ポーションだった。
上級ポーションの回復量と回復速度はレベル3の光魔術にも匹敵する。だが、輸入して劣化したポーションでは三割ほど効果が減退し、それでもこの町では定価の数倍はする小金貨五枚で売られていた。
それなのに、今回女たちが初めて持ってきた上級ポーションも、作られたばかりのようにわずかな劣化もしていなかった。
その効果は試供品として提供されたものを、酷い日焼けで死にかけていた下働きに試して実験済みだ。
下級ならこの町でも劣化していない物が手に入るが、素材さえ手に入らないはずのこの砂漠で、劣化していない上級ポーションをどうやって手に入れたのか?
(……若いな)
ジェドは目の前の若い女を見てわずかに視線を鋭くする。
女はこの町では珍しい白い肌のメルセニア人だった。いないことはないが若くてこれほど見目の良い女となると、色事を取り仕切るリーザン組でもほとんどいないだろう。
最初はフードを目深に被っていたが、商談となって女が素顔を見せた時にはジェドも驚いた。まるで貴族のように色素が薄い金髪に碧い瞳。まだ若い――少女と言っていいだろう彼女の見た目は平民の成人である十五歳ほどに見えたが、魔力が高いのならもう少し若い可能性すらある。
そんなまだ幼さが残る少女が上級の錬金術師とは思えない。そもそも材料が無いのだから作れるはずがない。
〝何か〟秘密があるはずだ。
魔術を使って素材の鮮度を保ったまま輸入する? それともポーションを劣化させずに砂漠を渡る術がある? それとも魔術そのものでポーションの鮮度を保つ?
何か秘密があるはずだ。それを〝奪う〟にはどうすれば――
「!?」
ジェドは突然感じた異様な威圧に息を詰まらせた。
この町の四大派閥キルリ商会の番頭であるジェドが、こんな小娘と大人しく商談をしているのは、その〝連れ〟の存在があったからだ。
金髪の少女の他にもう一人……おそらくは護衛であろう、彼女の後ろに立つフードを目深に被ったままのもう一人の女が、常に剣呑な雰囲気を纏って周囲に目を光らせていた。
ジェドもこの町の住人だ。人を殺したこともあるし、他人の財産を奪い尊厳を踏みにじって死より酷い地獄に落としたことなど数え切れないほどもある。
そんなジェドが一人の女を『異質』だと感じた。
この町の住民は人を殺すことを躊躇しない。奪わなければ奪われることを知っているからだ。だからこそ、自分の命を守るために尊厳さえ売り渡す。
ジェドは一目見て思った。
こいつらに手を出せば厄介なことになる――と。
ここにはジェドの護衛もいる。そもそもキルリ商会の番頭に手を出せば、家族友人もろとも殺されると、この町では幼子だって知っている。
だけどそれでも尚、ジェドは殺されると自分の死に近いものを予感してしまった。
「……それでは商談に戻りましょう。これを定期的に納品していただけるのなら、一つにつき小金貨六枚でいかがでしょう?」
「そうですね……それで構いませんわ。これからも良い関係を続けられたら嬉しく思います」
「ええ、もちろんですとも……」
彼女たちが持ってきた上級ポーションは計五本。合計で大金貨三枚を受け取り、少女たちはそのままキルリ商会を後にした。
流れの商人が持ち込んだ上級ポーションなら小金貨二枚が関の山だ。鮮度が良く売値で大金貨一枚を超えるとしても、小金貨六枚の買い取りは破格と言えるだろう。
その金額も少女たちから得られる利益を考えれば決して高くはない。
テーブルの上で結局手を付けられることなく置かれたままの、砂糖をふんだんに使った煮出し茶の甘い香りが満たす室内で、ジェドはニタリと気味の悪い笑みで声を漏らした。
「……小娘どもが、キルリ商会を甘く見るなよ」
***
「失敗したかしら……」
フードで顔を隠したエレーナが道を歩きながらポツリと呟いた。
秩序のない町カトラスでも昼間の大通りならそれほど危険はない。簡単な食事を売る屋台や衣服を作る布や糸など、人が住むのなら生活必需品は必要になるからだ。
大部分の店は四つの派閥どれかに属しているので、みかじめ料としてかなりの金銭を払っている店主の顔色に精彩はなく、高い物価に買い物をする客も少ない。
生きるために盗みや強盗をする者も多く、私たちを獲物として見てくる連中を視線だけで追い払った私は、エレーナの言葉に頷いた。
「かもね。それでもあまり方法があるわけじゃないけど」
ポーションを売るのは顔繋ぎと金銭を得るためだ。
この町から離れてカルファーン帝国に行くには、道をよく知る商隊に同行する必要があった。そのために信用を作る。おそらく大金も必要になる。そのために闇エルフである師匠から習った砂漠の材料を使った上級ポーションを作ったのだが、どうやらその製法は一般的ではないらしい。
劣化していない上級ポーションならこちらの重要度は上がる。あえて危険を承知でそれを武器とすることを決めたが、あのキルリ商会の男は、商人として以上に欲深い感じがした。
「直接、ホグロス商会へ売る?」
「冒険者ギルドへポーションを卸しているのはキルリ商会だ。少量ならともかく大量に売れば、どちらにしろ敵対する」
「今はまだ、キルリ商会が馬鹿な真似をしないように祈りましょう……。アリア? どうかしました?」
「死臭がする」
不意にある一点を見つめた私にエレーナが不思議そうな顔をした。
こんな町だが表通りまで死体が散乱することはない。逆に死体に慣れているこの町では、病気などの発生を防ぐために死体は迅速に処理されていた。
でも、そんな表通りで死臭を感じた。死臭は死体からだけ漂うわけじゃない。逆にできたばかりの死体に死臭はなく、病か何かで死にかけた人間のほうが死臭を感じることもある。
「アリア、向こう」
「…………」
薄暗い路地の隅で小さな人影が倒れているのにエレーナが気づいた。私の目で魔力を見たところ、まだ息はある。
「子ども」
「――っ」
私が声に出したことでまだ生きていると知ったエレーナが微かに息を飲む。
どうするか? 私たちは他人の生き死にに関われるほど余裕はない。けれど、気づいて無視すればエレーナの心に傷が残る。
一瞬だけエレーナと私の視線が絡み合う。それだけで私が路地のほうへ足を向けるとエレーナが少し小走りになって追いついてきた。
路地へ入り、傷ついてボロボロになった子どもを見て、思わず駆け寄ろうとしたエレーナを私が肩を掴んで止める。
「子どもがっ」
「待って。たぶん病気だ」
傷だらけだが傷よりも匂いで判断した。
伝染病の類ならエレーナを近づけさせたくない。私は腰のポーチから何度も蒸留した酒精の高い蒸留酒を取り出し、数滴手の平で広げて消毒してから、子どもに近づいて診察をする。
闇エルフの子ども? この町に来て子どもの姿は初めて見た気がする。闇エルフであることを考慮しても十歳にもなっていないだろう。その男の子を診察してみると、その症状からおそらくは伝染病ではなく、この辺りに生息する虫の魔物に噛まれて感染する病気だと気づいた。
空気感染はしないので近づいても問題はないが、この子の血に長時間触れていると感染する危険もある。
「――【高回復】――」
レベル3の光魔術で目に見える傷を治療する。私の場合はエレーナの光魔術に比べて速度優先だが今はこれで充分だ。どちらにしろ寝ているだけの体力勝負で治るような病気以外は、回復魔術では治らない。
「アリア、この子は……」
「一旦清潔な場所に移動する。まずは血糊を洗い流さないと」
この子の怪我は虫に噛まれた傷じゃない。病気の進行具合から考えると、おそらくは病気をうつされることを恐れた何者かに暴行を受けて捨てられたのだ。
それは家族か、近所の住人か。でも詮索は後にしてとりあえず移動しよう。傷は治したが勝手には治らない病気だ。ポーションを毎日与えれば死なないかもしれないが、それよりも試したいことがある。
この町で買いだめしていた麻布で子どもの血に触れないように全身を包み、両手で抱き上げるようにそっと持ち上げる。
「宿に連れていく?」
「いや、奥へ行こう」
この町で私たちは子どもの姿を見ていなかった。だとしたら表通りから離れた貧民街のほうにいるのではないかとそちらへ足を向けると、その路地の向こう側から駆けつけてきた肩で息をする人影が私の目に飛び込んだ。
「貴様、その子をどうするつもりだ……」
「それがお前に関係あるのか?」
その少年――闇エルフのカミールは私の言葉に目を細め、そっと短剣を引き抜いた。
闇エルフの子どもとカミールとの関係は?
第二章の物語もそろそろ動きはじめます。
次回、砂漠の子どもたち。