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149 闇に溺れた少女たち 後篇

何とか纏めましたが、8500文字越えました。




「ヒルダ……」

 誰もいない暗い部屋で、クララは自分のために動いてくれている侍女の名を呟き、窓の外の夜空を見上げた。

 ヒルダを救ったのは偶然だ。誰でも良かったわけではないが、それでも彼女の素生や状況はクララにとってちょうど良かった。

 メルローズ家の姫である〝ヒロイン〟を調べきれなかったせいで後手に回るしかなかったクララは、暗部に頼らない自分だけの情報網を作ることを目論んだ。その時に見つけたのがヒルダだ。彼女の境遇に同情したのも事実だが、手駒に使うにはちょうど良いと思えたクララは、その〝駒〟に少しばかり深入りしすぎてしまった。

 その辺りはクララの前世からある倫理観が影響した。非情になりきれず、逆にクララの弱さを見せてしまったことでヒルダは味方になってくれたが、使い捨てにできる駒にすることもできなくなった。

 意図したことではないが、クララの〝弱さ〟故にヒルダは命さえ懸けてくれる。けれどすでにヒルダのことを大切に思いはじめていたクララは、その現実に心を痛めた。


 クララが弱いことでヒルダたちクララの信奉者は命を懸け、けれどクララは〝怖かったから〟それを止められなかった。

 クララから大事なものを奪うヒロインが怖かった。

 クララを冷たい目で見る桃色髪の少女が怖かった。

 クララはなにより〝自分自身〟が怖かった。

 前世で悪役令嬢の末路を知っていた自分が、ここまでエルヴァンに執着してしまうとは思っていなかった。どうしてこうなったのかクララ自身もわからない。悪役令嬢の末路を思い出し、それを回避するために動いていたはずのクララは、自分から悪役令嬢の道に足を踏み入れていた。


 クララもこの世界が『ゲームの世界』なんて思っていない。おそらくは乙女ゲームの基になった世界なのだと理解できている。

 だからこそ恐ろしかった。自分が『悪役令嬢クララ』に転生したのではなく、転生した自分こそがゲームの基となった『本物の悪役令嬢クララ』なのだと、それを認めるのが怖かった。

 けれど、選択肢によって攻略の道筋(ルート)が変わる乙女ゲームのように、クララの行動次第で未来(ルート)が変わることを信じて、大切な人たちが傷つくのを止められない自分がいた。

 そんな自分の愚かしいまでの罪深さが、クララは何よりも怖かった。


   ***


「君は何者?」

「っ!?」

 侵入していた中級貴族の地域で不意に攻撃されたヒルダは、自分を誰何する少年執事の冷たい視線に射られて、背筋に冷たい汗が流れるのを感じた。

 このクルス人の少年のことは知っていた。排除対象である令嬢の執事で、まだ若いが隙のない動きから、メルローズ家の分家であるメルシス家が寄親に頼んで派遣してもらった『護衛執事』だと当たりをつけていた人物だ。

 鑑定は、する側の感知能力で数値にばらつきは出るが、それでも少年は300ほどあったと記憶している。二十歳になるまでランク2になることはない、という一般常識で考えれば、学生に近い年齢でランク3相当の戦闘力は天才と言っても差し支えないだろう。

 だが、それでも戦闘力は目安であり実戦の強さと等しいとは限らない。

 例えば戦闘力が200しかなくても、技術だけを叩き込まれてランク3になった剣術道場の若者よりも、複数のスキルを鍛えて実戦で強くなったランク2のほうが強いなどよく耳にする話だ。実際にヒルダの戦闘力は200にも満たないが、それでも実戦慣れしていないランク3になりたて程度には負けない自信はある。

 そもそも学園にいる貴族の護衛や学園騎士でも戦闘力は200から300であり、少年執事の戦闘力は子どもとしては驚異的だが驚くほどでもない。

 所詮、〝アレ〟とはものが違う。

 近づく隙がなく鑑定することさえ困難だった『王太子の黒髪の婚約者』や『王女の桃色髪の護衛』のような、この広い王国でも百人もいない本物のランク4とは違うのだ。


 だからヒルダは油断した。貴族社会という伏魔殿の中で、あれらに比べたら大したことなどないと思えてしまった。

(マズいっ!)

 所詮は子どもだと思っていた少年執事から吹きつけるような殺気を感じて、ヒルダは即座に反転して逃走に入った。

 戦闘力が高い人間は多くても、強い殺気を放てるのは敵を殺す覚悟と殺される覚悟のある者だけだ。ただの護衛執事ではない。おそらくは裏社会で蛇蝎の如く嫌われる暗部系列の『戦闘執事』だと判断して、逃走を始めたヒルダの目前を飛び抜けた何かが壁に穴を穿つ。

(飛礫か!)

 暗殺者の中にも金属製の(つぶて)を使う者がいた。ナイフ投げや弓矢よりも飛距離や威力は劣るが、それを熟練者が使えば、近距離では回避困難な必殺の武器と化す。


「逃がすはずないでしょ」

 どこか無感情な声音で、少年執事がヒルダの逃げ場を潰すようにナイフを放つ。

(投擲主体?)

 近距離の礫に中距離の投擲ナイフと、相手が遠隔攻撃主体の戦闘を得意とする敵だと判断したヒルダは、大地に刺さっていたナイフを拾い上げるように少年に投げ返し、そのまま自分のダガーを抜いて接近戦へ打って出た。

 ガキンッ!

「っ!」

 投げ返したナイフが少年の素手で弾かれた。それを見てすぐさま脚を止めたヒルダの覆面を掠めるようにして少年の蹴りが放たれる。

「くっ」

 鋭い蹴りに下がりかけたヒルダに、滑るように回転しながら飛び込んできた少年の裏拳が唸る。それを腕で躱そうとしたヒルダは想定より酷い衝撃に驚きながらもダガーで反撃すると、少年は地面に伏せるようにしてそれを躱し、地面に手をついたまま脚を跳ね上げて放たれた蹴りにヒルダはたまらず吹き飛ばされた。


「抵抗するなら痛い目に遭ってもらうよ?」

 そのクルス人の少年執事――セオは、脚を回転させながら跳びはねるように身を起こして、格闘戦の構えを取る。

 かつて才能に溺れて真面目に修行をすることがなかった幼いセオは、一つ年上の少女に恋をして、〝責任を取る〟ために強くなることを望んだ。

 少女と再び出会うことを夢見て必死に修行を繰り返し、同年代の中でも頭一つ飛び越え、十一歳でギリギリだがランク3にまで手が届いた。

 そこらの大人には負けない。状況さえ整えれば近衛騎士とだって互角に戦える。

 そんな折、行方不明になっていた初恋の少女が見つかったと聞いて、ようやく顔を合わせることができたセオは、自分がまだ才能だけで驕っていたことを思い知らされた。

 ランク4――才能だけでは辿り着けない〝実力者〟の領域に、十代前半の少女が自分の実力だけで辿り着いた。

 しかも単独でランク5の魔物まで倒し、まだ表側の名声こそ小さかったが、裏社会では彼女のことを知らない人間などいないほど大きな存在へと成長していた。

 それに気がついたセオは、彼女と同じことをしても追いつけないと痛感し、自分の強みを活かす戦術に切り替えた。


 ギンッ! とセオは両の拳に嵌めた魔鋼製の鉄甲を打ち鳴らす。

 セオの新たな戦術は、自身の奇抜な体術を活かした暗器を使う格闘術だ。袖や靴など表から見てわからない全身に暗器を隠し、主武装の鉄甲は攻撃だけでなく敵の攻撃を受け止める、攻防一体の武器となった。


 セオはこの場所に忍び込んできた間者に心の中で溜息を吐く。

 中級貴族である子爵令嬢でありながら王太子や王弟などと関わりを持ち、貴族令嬢とは思えない奇抜な言動を繰り返すアーリシアは、様々な貴族家から疎まれ、こうして探られることも増えていた。

 目の前にいる間者は女性のようだが、これまでの者たちと違って〝必死さ〟が感じられた。何が目的かまだわからないが、彼女の主人はよほどアーリシアが気に入らないのだろう。

(だから困る……)

 心情的にはセオも同じだからだ。はっきり言ってアーリシアの言動はセオにとって不快だった。王太子や王弟、神殿長の孫などと親しくしておきながら、セオにもそれと同じものを求めてくる。

 主家であるメルローズ家やメルシス家にも報告はしてあるが、事が王族に関わることで、単純にアーリシアを学園から排除すれば収まる話でもない。

 だが、心情的には向こう側だが仕事は別だ。セオも正式な暗部の騎士となり、アーリシア・メルシスがメルローズ家と関わりがあるのなら、主家のためにも他家の弱みとなる間者を逃がすわけにはいかなかった。

 間者の戦闘力は200弱。油断しなければ逃がすこともないだろう。――何か変則的な事態が起きない限り。


「セオくーん、どこですかー?」

「お、お嬢様、おやめください!」


「!?」

 その事態が起きた。護るべき対象であるアーリシアが使用人の制止を無視して、テラスの窓辺から顔を出していた。

 過去に同性から苛められていたアーリシアは必要以外メイドを側に置かない。彼女は自分の頼みを聞いてくれる男の使用人だけを部屋に招き入れ、異性である使用人たちでは彼女を止めることができなかった。

 思わず舌打ちしたくなる感情を飲み込み、それでもセオの意識がアーリシアに逸れたわずかな一瞬に、間者の女が動き出した。

「待て!」

 駆け出した女の肩をセオが放った礫が撃ち抜く。だが、それでも女間者は止まることなく手にした小瓶を窓に向かって投擲した。

 ヒルダは主人を救うため。セオは護衛対象の上にいる主家のため。そのわずかな気合いの差でヒルダが勝り、彼女は結果を手に入れる。

 何かが割れる音――。そのまま逃走を図る女間者を追おうとしたセオの足を、屋敷から聞こえてきた悲鳴が止める。

「くそっ!」

 一瞬だけ迷った後に、セオは悲鳴が聞こえた屋敷のほうへと駆け出した。


   ***


「【高回復(ハイヒール)】――ッ!」

 王都にある神殿の一室で、カルラに半身を焼かれた教導隊の乙女の火傷が、ウルスラの回復魔術で見る間に癒されていく。

 聖女と呼ばれるだけあり、その治癒速度は目を見張るものがあったが、その乙女の腕を掴んだままのカルラが笑みを深くすると、再びその手から噴き上げた炎が癒されかけた乙女の身体を焼いていく。

「キャアアアアアアアアアアアアアッ!!!」

 癒されながら焼かれていく地獄の責め苦に、感情を殺したはずの教導隊の乙女が悲鳴をあげ、その異様な光景に誰もが気圧されて動けずにいた中で、ついに炎の勢いが勝り、乙女の身体を消し炭になるまで焼き尽くした。


「あなたはどうやって毒を……」

 教導隊の面々から流れ出る汗は部屋に満ちた熱気のせいばかりではないだろう。

 ウルスラの問いに毒入りの茶を悠然と飲み干したカルラは、手に付いた煤を払いながら変わらぬ微笑みを返した。

 茶に入れられていたセフリオレの花の毒は筋肉弛緩効果があり、少量なら薬にも使われる。大量に投与すれば内臓にも影響が出て心臓が弱いカルラは命の危険もあったが、この微量な味の変化なら、ウルスラは最初からカルラを捕らえることを前提に呼び寄せたのだろう。

 セフリオレの花の毒は少量でも口内が麻痺して呪文が唱えられなくなる、魔術師にとっては厄介な毒だった。だからこそカルラは一人で戦うことを考え、自分が危険になるであろう毒を中心に服毒し、毒耐性を上げてきた。

 けれどカルラがこの毒に抵抗できたのは、毒耐性スキルがあったからだけではない。


「取り押さえなさい! まだ呪文は正確に唱えられないはずです!」

 ウルスラのその言葉に、硬直していた教導隊の乙女たちがニードルダガーを構えて動き出し、ソファーに腰掛けたままのカルラの唇が声もなく言葉を紡ぐ。

『呪文もなしに魔法を使ったのが見えなかったのかしら?』

 魔術を行使するには呪文を唱えなくてはいけない。

 呪文の意味を理解して無詠唱である魔法を体得しても発動ワードが必要になる。

 ウルスラたちはカルラが魔術を使っても、発動ワードが聞こえなかったからだと常識的(・・・)に考えた。簡単な魔術なら魔法として使えたとしても、乱戦になったら正確な発動ワードを発音することは困難であると。

 だがそれは正解ではない。無属性魔法である【戦技】が魔物の雄叫びでも発動するのは、その発動ワードの意味を正確にイメージできているからだ。


 毒耐性スキルがあっても完全に打ち消すことは難しい。ウルスラが言った通りカルラはまだ万全の状態で魔術を使えない。それでも何百何千と繰り返し、正確なイメージさえできていれば、多少の効率は落ちても戦技と同様に発動は可能なのだ。

 筋肉が弛緩していても魂の茨で強引に身体を操れる。

 完全な無詠唱で【解毒(トリート)】を使い、体内に残った毒素を消し去ることもできる。


 動き出した乙女たちの一撃がカルラの肩や腕といった急所を外した部位に放たれた。

 ウルスラたち聖教会の教導隊でも、王太子の婚約者となった令嬢を一存で殺害できる権限は持っていない。問題のあるカルラを監禁し、薬物と魔術で〝教育〟を施してから放逐して、王太子の婚約者を辞退させる予定だった。

 だが、そんな半端な攻撃で止まるほど、カルラ・レスターはまともではない。

「「「!?」」」

 カルラの白い肌に黒い茨の模様が蠢き、茨に操られた身体が跳び上がるようにして攻撃を回避する。


 魂の茨(ソウルソーン)――教会はカルラが魔術の強化をする加護を得たと知っていても、それが身体能力にまで影響するとは想定していなかった。

 どんなに強くてもカルラがただの魔術師だと考えていたウルスラたちは、室内を飛ぶようにして攻撃を躱したカルラに目を見張り、その瞬間、化鳥の如く広げたカルラの両手に生じた膨大な魔力を感じとったウルスラが跳び下がる。

「皆、下がって!!」


「――【火球(ファイアボウル)】――」


 室内に爆炎が唸りをあげ、三人の乙女たちが悲鳴も残さず炭となって燃え尽きる。


「なんてことを……っ!」

 屋内で範囲火魔術など正気の沙汰ではない。炎に包まれた部屋の中で、ミスリル繊維の法衣を纏い、事前にレベル4の光魔術――物理耐性と魔術耐性を上げる【祝福(ブレス)】を使っていたウルスラだけが生き残り、怒りに満ちた声をあげた。

 その炎の中から、自身の噴き上げる魔力だけで炎を防いだカルラが姿を見せると、生き残ったウルスラをチラリと見て、不思議そうに辺りを見回した。

「ここまでしてどなたも現れないのは、どこかへ移動させたのかしら?」

 ウルスラはカルラを捕らえる際に戦闘になる場合を考慮して、事情を知らない神官たちを神殿から礼拝堂の宿舎に移していた。元々神殿内に自室を与えられているのは、下位の神官と孤児だけで移動させるのも難しくない。

 自身の魔力を放って神殿内に人の魔力がないことを確認したカルラだったが、ふと深い場所に魔力を感じて視線を床に向ける。

「あら、下にいるのね?」


「あなたは!?」

 目を見開いたウルスラが隠していたメイスを構えて、炎の中を肉薄する。

 ドゴォンッ!!

 メイスの一撃が炎に包まれていた樫のテーブルを粉砕し、それを嘲笑うように跳び下がったカルラは焼け落ちた扉を潜って廊下に躍り出た。

「こちらかしら?」

「待ちなさいっ!!」

 カルラの後をウルスラが追う。追いつきそうで追いつけないカルラに、ウルスラの顔に初めて焦りの色が浮かぶ。


 この神殿内から事情を知らない一般の神官や孤児たちは移動した。けれど、その地下には教育が施された次代の教導隊員たちが残っていた。

 孤児であるウルスラにとって神殿にいる者だけが家族だった。特に次代の教導隊となる子どもたちは、自分の死後も聖教会の光で世界を正してくれる、かけがえのない愛する妹たちだった。

 神殿の奥へと進み、孤児院のさらに奥にある、普段は神官騎士が護る鉄扉から微かな魔力を感じ取ったカルラは、その扉に向けて魔力がこもった指先を向ける。

「止めてぇええ!!!」


「――【稲妻(ライトニング)】――」


 カルラの指先から閃光が迸り、とっさに我が身を盾にしたウルスラを、直線上に放たれた巨大な稲妻が貫いた。貫通した稲妻が背後の鉄扉を焼き、白熱した鉄が周囲の木材を燃やして白煙が上りはじめる。

 全身と内臓を焼かれながらも【祝福(ブレス)】の魔術耐性で即死だけは免れたウルスラは、崩れ落ちながら神に祈り問いかける。

 何故、神がいながらこのような悪の存在が許されるのか。

 神の名の下に聖教会の悪を滅ぼしてきた自分たちがどうしてこんな目に遭うのか。

 憎らしい。この世の邪悪も。それを放置する神も。このようなバケモノを連れてきた神殿長の孫も憎らしい。

 そうしてウルスラは死の間際に、生まれて初めて神とそれに関わるすべてを呪いながら、その報われない人生に幕を下ろした。


   ***


 不意を突かれて、警護する対象のいる部屋に異物を投げ込まれたセオは、全速で屋敷へ戻り、階段を駆け上がるようにして扉を開いた。

「お嬢様っ!!」

 セオも毒耐性は持っていたが未知の毒を警戒して布で口を隠しながら、室内に向けて魔術を放つ。

「【突風(ガスト)】――っ!」

 突風を意味するレベル2の風魔術が、室内の毒素を開いていた窓から吹き飛ばした。

 室内に入ったときから毒らしき匂いもなく、セオの身体にも何の異常もない。だが室内では、主人に呼ばれていた二人の使用人が心臓を押さえるようにして土気色の顔で横たわり、その奥ではお嬢様らしき人影が蹲っているのが見えた。


「お嬢さ……」

 駆け寄ろうとしたセオの声が途中で止まる。

「……アハ……アハハッ」

 胸を押さえながらアーリシアは笑っていた。その異様な声音に、声をかけることもできずに立ち竦むセオに、アーリシアはゆっくりと立ち上がって振り返る。

 その全身から光の魔力に包まれ、酷い顔色で吐き出した血で口元を汚しながら高らかに笑うアーリシアに、セオが思わず後ずさる。


「セオ君、見てください! 私、やっと光の魔力を使えるようになりました! アハハハハハハハハハハハハハハハッ!」


「…………」

 その異様な光景にセオは顔色をなくして息を飲む。

 アーリシア・メルシスは原作通り光魔術を覚えることができなかった。

 だからこそ攻略が停滞していたが、運命の悪戯か、心臓に魔石の血栓を作り出す毒を受けたアーリシアは、その異常な執念によって光の魔石を心臓に生み出すことで生き延びた。

 彼女は後日、王弟の推薦によって聖女と呼ばれるようになり、精力的に王太子たちの攻略をはじめ、王太子と婚約者の溝はさらに深まることになる。

 そうして、政治的な歯止めであった王女と、武力面で抑止力となっていた少女がいなくなった学園は、更なる混迷へと向かいつつあった。


   ***


「な、何が……」

 夜遅く誰もいない神殿の入り口で、ナサニタルは微かに聞こえてきた異音に身体を震わせた。

 恋をした少女の願いを聞き入れ、聖教会教導隊にカルラを教育するように依頼をしたナサニタルだが、時間が経つにつれ自分の行為が正しかったのか自信を失っていた。


 いかにカルラがアーリシアに酷いことをしたとしても、人格が失われるほどの責め苦をナサニタルの独断で与えていいのだろうか?

 仮にも相手は王太子の婚約者だ。やるとしても祖父である神殿長に許可を取ってからのほうがいいのではないか?

 もし祖父の意に沿わなかった場合、自分の責任はどうなのか?

 ウルスラも了承したのだから自分だけが悪くはない。人の命を蔑ろにするようなカルラやアリアのような人間は、神が許すはずがないのだから、自分は間違っていないはずだ――

 そう考えながらもナサニタルは、今回の件が公にならないように隠れながら事の顛末を一人で確かめに来たのだ。


 今日に限って入り口を護るはずの神官騎士もいない。その事実に不安と心細さを感じながらもナサニタルは、祖父から預かっていた鍵で神殿の扉を開けて中に入ると、奥から微かな物が焼ける匂いと微かな煙が漂ってくるのに気づいた。

(た、大変だ。小火でもおきたの?)

 孤児院の子どもたちもいる。孤児が巻き込まれたら大変だと思いながらも、それを伝えるべき大人も見あたらず、何よりこんな夜遅くにどうして自分がここにいるのか言い訳を思いつかなかったナサニタルは、その小心さから自分で奥へと足を踏み入れた。

「……ひっ!」

「ナサニタル様、ご機嫌よう?」


 暗がりからカルラの細い指先がナサニタルの顔面を鷲掴みにして、半分腰を抜かしたナサニタルを引き倒し、そのまま彼を引きずるようにしてカルラが歩き出す。


「ぎゃあああああっ!!」

 顔面を掴んでいた手から炎が溢れて、顔を焼かれたナサニタルが悲鳴をあげたその次の瞬間――

 ブォオオン!!

 開かれたままの入り口から新鮮な外気が取り込まれ、それを絡み取るように奥から噴き上げた炎が瞬く間に神殿内を舐めつくしていく。

 神殿の内側から放射状の火魔術が入り口の大扉を吹き飛ばし、叫びをあげてのたうち回るナサニタルを掴んだまま、炎の中から外に出たカルラは、炎に包まれていく神殿に呆然とする周囲の民家から飛び出してきた野次馬たちに向けて、心から愉しそうな笑みを向けた。


 夜更けに起きた神殿の火災は、周囲の住民がまだ起きていたことと礼拝堂の神官たちが駆けつけたことで、水魔術を使える者たちによって半焼という形で鎮火した。

 火災の原因と思われるレスター伯爵家令嬢カルラだが、被害者である聖教会が、暗殺未遂と地下にある教育施設が公になることを恐れて、王家やレスター伯爵家と協議の上で、容疑者不明として不問とすることになった。

 だが数は少なくても目撃者がいる。人の口にも戸は立てられない。

 そして何より個人で貴族家の戦力並みの力を持ち、その狂気性を恐れた貴族家は王家に不満と不安を告げ、王太子の卒業式当日までにカルラの王太子妃の資質を確かめることで、一応の決着をみた。



今回はざくっと二話分です(お得感)

カルラは原作よりお茶目ですね。

まあ普通に考えたら、ヒロインを苛めたくらいで処刑になったりしませんよねぇ。

それとナサニタルはちゃんと生きています。(トラウマ抱えて)


次回、アリアとエレーナにシーンが戻ります。

そろそろ色々と巻き込まれそうな感じです。

では次回で。

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― 新着の感想 ―
王家・宰相・周りの大人達が無能すぎる結果の坊っちゃん達による安心と信頼の様式美を見せつつ、今まで見たこと無い(個感)展開を描くのが読んでいて最高に面白いw
魔石で、あの石を既に取り込んでたから無事のパターン考えてたけど……虚仮の一念というか、何が起きたかも分からんかっただろうに、悪運と執念の子だわぁ……。
イケメンは顔面が爆発したのだ! 絶対そうだ!!この描写でこれ以外あり得ない!!QED!!確定事項だ!!
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