148 闇に溺れた少女たち 中編
収まりきらず、案の定、三分割の中編です。ちょっぴり長めの6800文字。
※一部地名の変更をしています。過去の地図と地名が変わる場合がありますが、ご容赦ください。
変更が確定した時点で再度地図を更新します。
「罪深き方が見つかりました」
質素だが真っ白な漆喰の壁に囲まれた清廉なその部屋で、これも地味ではあるが白い神官服を着た二十代半ばの女性が穏やかに微笑んだ。
肩でさらりと流れる亜麻色の髪。派手さこそないが整った目鼻立ちと柔らかな雰囲気は、正に彼女が『聖女』と呼ばれるほどの美しさを醸し出していた。
聖女ウルスラ。この大陸に残る伝承では、勇者や聖女は、この世に邪悪が現れたときに精霊によって選ばれると言われるが、彼女はその意味で本物の聖女ではない。
乳飲み子の頃に教会の前に捨てられ、神殿の孤児院で育てられたウルスラは、敬虔な信者として成長し、光魔術の属性があったことで神官となった彼女は、神の慈愛と奇跡によって数多の人々を救い、民から〝聖女〟と呼ばれていた。
「本日はその準備を行います。皆さま、よろしいですか?」
「「はい、ウルスラ様」」
ウルスラの呼びかけに、同じ室内にいた四人の女性が声を揃え、同じような微笑みを浮かべてすっと立ち上がる。
十代前半から二十代前半の乙女たち。彼女たちは聖教会によって救われ、ウルスラの下に集められた『聖教会献身隊』と呼ばれる女性たちで、ウルスラと共に各地を巡って報われない人たちを救ってきた。
「その前に、子供たちの様子を見に立ち寄っても良いかしら?」
「「はい」」
優しく微笑む聖女ウルスラの言葉に乙女たちは嬉しそうに微笑み、ウルスラが歩き出すと、同じ白の神官服を纏った清らかな乙女たちが後に続く。
聖堂の中を楚々と歩く彼女たちに、礼拝に訪れていた信者や若い神官たちから憧れと崇拝にも似た瞳が向けられる。その中でわずかだが、彼女たちに緊張感を含んだ視線を向けていた一部の神官たちは、彼女たちのその顔が〝表向き〟でしかないことを知っていた。
――聖教会教導隊――
罪深き者を捕らえて教会の地下へ送り、〝教育〟を施す、裏の実行部隊。
彼女たちは物心がついた幼い頃より聖教会の理念を刷り込まれ、外界から隔絶された環境で人格が形成された、聖教会の戦闘人形だった。
「ウルスラ様っ」
「皆さま、良い子にしてましたか?」
神殿内にある孤児院に顔を見せると、生成りの貫頭衣を着た幼い子どもたちが、満面の笑みでウルスラに駆け寄ってくる。
ここにいるのは、事故や病で親を亡くした不幸な子どもたちだ。初めは親を求めて泣いていた子どもたちも、ウルスラや神官たちの無償の愛によってようやく無垢な笑顔を取り戻した。
「私は奥へ行きますので、後はお願いしますね」
縋り付く子の頭を撫で、抱き上げてあやしていたウルスラは、子どもたちを献身隊の乙女たちに預けると一人で奥へと進み、神官騎士が護る鍵のかかった鉄の扉を開けて地下への階段を下った。
かなり深く階段を下りて地上の音が聞こえなくなった頃、白い漆喰の壁に何かがこびり付いたような黒い斑点のある壁に替わり、その奥から何かがぶつかり合う音と子どものすすり泣くような声が聞こえてくる。
壁から鎖が伸びた手枷や、赤黒く染まった拘束台。錆びた拷問器具が置かれた、鉄格子の小部屋が並ぶ廊下を進むと、教導神官たちが幼子たちに厳しい訓練を強いていた。
地下にいる子は皆、生まれながら親の顔を知らない子どもたちだ。
ここで子どもたちは、聖教会の理念と効率的な人体の壊し方を叩き込まれ、それが正しい行いだと、産まれたばかりの雛のように刷り込まれる。
聖教会の教えに反発し、捕らえられて死にかけた〝罪人〟を壊す、次代の教導隊となる子どもたち。
それが正しいことだと信じ、それでも心を磨り減らしていく〝鞭〟に打たれた子どもたちに、ウルスラは慈愛という〝飴〟を与えるため、聖母のような笑みを湛えて子どもたちを抱きしめた。
「可愛い可愛い〝妹〟たち。今日もたくさん壊せましたか?」
***
夜も更けた学園で、侍女の装いを脱ぎ捨て黒装束に着替えた彼女は、手に持つ小さな硝子瓶を祈るように握りしめた。
(お嬢様のために……)
彼女、ヒルダは壊滅した元暗殺者ギルドの人間だ。寄る辺を失い、生きるために違法薬物を売りさばいていたところを衛兵に捕まり、数日のうちに死罪と決まったヒルダを救い出したのは、まだ幼い十歳ほどの少女だった。
どうやって自分を救い出したのかわからない。彼女が貴族の令嬢だとしても、相当に危険な橋を渡ったはずだ。
ダンドール辺境伯令嬢クララ。幼い身でダンドール領や王都で有名になった、新しい下着や女性必需品を考案した彼女は、個人的に様々な商家や貴族にも伝手があり、ヒルダに新しい身分と居場所を与えてくれただけでなく、貧窮していたヒルダの家族までも救ってくれた。
クララの下にはヒルダのような人間が数人いる。彼女は、裏社会に通じる使える人間が欲しかっただけと言ったが、理由は何であれヒルダたちが救われたのは事実であり、計算高く見えてどこか小市民的な面を持つクララに、ヒルダはいつしか彼女の弱い心を護りたいと願うようになった。
そのためにヒルダ自身も危険な橋を渡り、王国内に侵入していた魔族と命懸けの接触をして、橋渡しのような真似事もした。
計算高くもお人好しな主人が王太子の筆頭婚約者となったときは、ヒルダも一般のメイドたちと手を握り合うようにして喜んだ。でも、そんなクララが夜も眠れなくなるほどに憔悴し始めたのは、王女の付き人となった桃色髪の令嬢が現れてから……そして、幼い見た目の少女がクララの婚約者に纏わり付きはじめてからだ。
特にその一人、アーリシア・メルシス子爵令嬢。
ダンドールと同じ旧王家であるメルローズ家の分家であるメルシス家の令嬢で、彼女は王家のしがらみで弱っていた王太子の心の隙間に入り込み、見る間に王太子を籠絡してしまった。
王女の付き人である令嬢を排除するのは難しい。そもそも一目見た瞬間に敵わない相手だと悟った。でももう一人の少女は別だ。彼女を早急にクララと王太子から遠ざけなくてはいけない。
できればクララには裏社会のことに手を出してほしくなかったが、クララが決めた以上、ヒルダは最悪の手段を取ることを躊躇はしなかった。
ヒルダの手の中には〝毒〟がある。かつて暗殺者ギルドにいた魔族が考案し、完成させなかったその製法を盗んだ錬金術師が完成させた外法の毒物だ。
使い方は粉末のまま吸わせるのでも、溶かして食事に混ぜ込むのでもいい。一般の毒は強力になるほど匂いがきつくなり、空気に触れることで急速に効果を減退するが、この毒は匂いもなく味もなく、体内に入れば対象は必ず死に至る。
だが、この毒にも欠点がある。それは、この毒は体内に〝魔石のない人間〟にしか効かないからだ。
この毒物の主原料は『人間の魔石』だ。この毒を取り込んだ同種族である人間種は、体内で血液と反応し、心臓に不定形の疑似魔石を生成してしまい、血流が止まって死に至るのだ。
だから魔物の魔石で同じ毒を作っても、元から魔石を持つ魔物には効果がない。そして、ほぼ全員が魔術を使う貴族にも効果がない。だが、元平民でいまだに魔術が使えないアーリシア・メルシスだけは確実に殺すことができる。
彼女の毒味をする人間にも、ヒルダのような毒耐性を持ちながら魔石のない人間など滅多にいないだろう。だからこそ気づかれずに毒を混入することができるはず。
でもクララは、アーリシアを抹殺しようとまで考えていなかった。
憎んでいても殺したいわけじゃない。致死量以下の毒をわずかに与え、血栓を作って心臓の病を発症させ、この学園から排除したかった。
甘い考えだ。――そうヒルダも思わなかったわけではない。けれど、それもお人好しの主人らしくて、ヒルダはどこか誇らしい気さえした。
巡回する学園騎士の目を掻い潜り、ヒルダは学生寮に忍び寄る。
一般的にこの学園では、中級貴族以下の学生は学生寮に入ることになる。だが、数だけは多い下級貴族とは違い、中級貴族ともなると同じような建物が建ち並ぶ、小さな屋敷を借りることができた。
だが、ヒルダの身分は正妃予定であるクララの侍女だ。大部分の生徒が自分の領地や王都の別邸に移った今、クララの侍女がこの辺りを歩いているだけで、何か事件があれば疑われる立場にあった。
間違っても正体が知られるわけにはいかない。見つからないまま忍び込み、目的を完遂する必要がある。
魔族による侵入を許した学園内は、以前より警備が厚くなっている。もっともそのほとんどは上級貴族のところへ割り振られているが、それでも直接中級貴族の屋敷に忍び込むことは、元暗殺者ギルドの構成員であり隠密スキルが2レベルあるヒルダでも危険だった。
だが何事にも隙というものがある。屋敷に忍び込むのも厨房に忍び寄るのも危険だったが、洗濯場はそうでもなく、その横に建つ共同で使うリネン棟には、取り込まれたばかりのシーツやカバーが残されていた。
そのもっとも質が良い物が貴族である生徒の物だろう。中級貴族もまだ数名残っているが、間違っても魔石を持つ生徒なら問題はない。
リネン棟に忍び寄り、その扉の鍵を開けようと近づいた瞬間――
「!?」
タンッ!
ヒルダはわずかな殺気を感じ取り、反射的に跳び避けた瞬間、扉に投擲ナイフが突き刺さる。
夜の暗がりから滲み出るように現れる、浅黒い肌の少年。
対象であるアーリシア・メルシスの執事であるクルス人の少年は、音も無く歩きながら、冷たい視線と袖から出した黒刃の直刀をヒルダに向けた。
「君は何者?」
***
夜も更けた王都の道をわずかな音を立てながら黒塗りの馬車が通る。
貴族の紋章こそ付いていないが、王城と深い関わりのある者が見れば、それが筆頭宮廷魔術師であるレスター伯爵家の馬車だとわかるだろう。
日が暮れても日付が変わる一の鐘が鳴るまで、王都の酒場から嬌声と灯りが途絶えることはない。だが、大通りを抜けて貴族街に近い屋敷が立ち並ぶ地域になれば、暗い夜に出歩くような人影を見ることはなかった。
黒塗りの馬車が滑るように石畳を進み、植えられた木々に囲まれた聖教会大聖堂に隣接する神殿の裏口に停まると、神殿から魔術光の明かりを灯した杖を持つ、二人の乙女が姿を見せた。
真っ白な神官服を纏う清楚な乙女たちに一瞬見蕩れた御者の男が、慌てて乙女たちに頭を下げて馬車の扉を開くと、緩やかにうねる漆黒の髪に病的にまで白い肌の少女が静かに姿を見せる。
「おいでなさいませ、カルラ様」
「お出迎え、ご苦労様」
希薄なほどの生命力と裏腹に内から滲み出るような膨大な魔力。まるで幽鬼のようなその姿に息を飲みながらも、思いがけない常識的な挨拶と笑顔に、神官の乙女たちはいつもの笑顔を浮かべて頭を下げた。
「こちらへどうぞ。ウルスラ様の所へご案内いたします」
カルラの下に聖教会の聖女と謳われるウルスラから密書が届いた。
その中身は婉曲にして隠語が多数用いられていたが、カルラには理解できた。内容は王女とその護衛の行方、そして何故、魔族がこの王国内に入り込んだのか、内密に話したいことがあると書かれていた。
カルラもそんな話をまともに信じてはいない。カルラが魔族を引き込んだのは確かだが、証拠も証人も、もう燃えてしまっている。
それでもカルラは全国規模の情報網を持つ聖教会なら、何かしら面白い話でも聞けるのではないかと、極秘裏に王都へ足を踏み入れた。
「ようこそカルラ様。今宵はご足労戴き、ありがたく存じます」
誰もいない薄暗い廊下を進んだ先、貴人を招くための一室にて、亜麻色の髪をした清楚な女性が柔らかな笑みでカルラを迎えた。
「気になさらないで、ウルスラ様」
「こちらへどうぞ」
ウルスラに導かれて互いが対面となるようにソファーに腰掛ける。部屋の作りは装飾のない白い壁という質素な物だが、巨大な石を切り出した石床は鏡のように磨かれ、沈み込むような柔らかなソファーは上級貴族が揃えるほどの逸品に思えた。
四人の女性神官たちが部屋の四隅に控え、ウルスラが手ずから煎れた茶が香気を放つ室内で、他愛のない世間話をした後、ふいにウルスラが身を乗り出した。
「カルラ様……実は教会内で、魔族を国内に引き入れたのが、カルラ様ではないかという声があるのです」
愁いを帯びたウルスラの視線にカルラは薄く微笑んで首を傾げる。
「まあ、恐ろしいこと。わたくし、魔力で見かけは成長していますが、中身は十三になったばかりの小娘ですのよ? そんな怖いことを仰るのはどなたかしら?」
「ええ、ええ、そうでしょう。私もそう思いますが、ここだけの話、聖教会の中には、死霊を専門に扱う部門がありますの」
「死霊を?」
確かに死霊を浄化することは、人を救うべき神官の使命とも言える。だが、死霊という魔物は他の不死魔物に比べてそう簡単には出没するものではない。
不死魔物は、死体に残った魔石が瘴気によって穢れ、魔素が濃い場所で残った残留思念と結びついて、死体が魔物化する。
だが死霊は、依り代となる身を持たず魔石さえないので、よほどの瘴気と魔素の量、おそらくは周囲にそれを撒き散らす高位の不死者がいなければ発生しない。
人が入らない魔物発生域ならともかく、そんな死霊を専門に扱う部門とはなんなのか?
「よほど現世に恨みを持つ者がいたのでしょう。残った思念も支離滅裂な、おぞましいほどの狂気に満ちていましたが、その死霊は魔族と、とある貴族令嬢のことを恨みを込めて叫んでいたそうです」
「へぇ……」
ウルスラが貴族令嬢と言った辺りでカルラを見つめ、カルラはわずかに目を細めた。
「死霊の戯言など、何の信憑性もないけれど……聖教会には、随分と面白い間諜部門がありますのね?」
カルラの発言に神官乙女たちに緊張が走り、それを手で制したウルスラが茶で唇を湿らせ、カルラも湯気が上るカップを手にして口に含む。
おそらくは、死霊を専門に浄化するのではなく、なんらかの手段で瘴気を付与し、死霊を生み出すことで情報を得る『死霊術』を扱う部門があるのだ。
この大陸で死霊術は禁忌であり、過去の研究資料を持っていただけでも死罪となる。それをしているのが、それを禁忌と定めた聖教会とは悪い冗談としか思えず、わずかな言葉から最も遠い結論を導き出したカルラに、ウルスラは驚愕すると共に、やはり魔族を引き込んだのがこの成人前の少女だと納得した。
「やはり坊ちゃまの仰ることは本当でした。この国の光を閉ざす〝悪〟であると」
ウルスラがそう言葉にすると、四隅にいた乙女たちが静かに前に出る。
「坊ちゃまは殺す必要はない。学園に戻れない程度に〝教育〟するだけで充分だと仰っていましたが、神の御心通り、一人分、王妃の枠を空けていただきましょう」
ウルスラがカルラの〝教育〟をナサニタルから引き受けたのは、彼が神殿長の孫だったからではない。彼が神殿長を通さず、私欲だけでウルスラたち献身隊を使おうとするなら、ウルスラは容赦なくナサニタルにも教育を施しただろう。
だがウルスラは以前から神殿上層部……サース大陸聖教会の本部があるファンドーラ法国からの特命を神殿長から聞かされていた。
それは三人の王妃の中に聖教会の乙女を就けること。
神殿長は数年前から、神殿に関係のある貴族令嬢を王太子の婚約者候補にしようと画策していたが、フーデール公爵家を含めた幾つかの有力貴族から横やりが入り、公爵の娘を婚約者候補にねじ込まれてしまった。
でもまだ諦める必要はない。カルラの話を聞いたウルスラは、上手く事を運べばまだ挽回できる目があると考え、ナサニタルの提案を受けた。
単独でダンジョンに潜るなどの放浪癖があり、王太子も持て余しているカルラなら、いつ消えても王女ほどには問題にならないはずだ。そして、同じく娘を持て余しはじめたレスター伯爵と繋ぎを得て、こちら側に引き込んでしまえばいい。
あとは光属性のある適度に愚かな貴族令嬢に、ウルスラの聖女の名を譲渡すれば目的に近づけるだろう。
「カルラ様、そろそろ毒が効き始めたのではなくて?」
「…………」
ゆっくりと立ち上がり、ウルスラは見下すような目で口元だけの笑みを深くする。
カップを手にしたままソファーから動かないカルラに、四方からニードルダガーを構えた献身隊の乙女たちが囲むように近づいた。
「そうね……セフリオレの花の毒。懐かしい味だわ」
「!?」
その瞬間、何かを察した一人の乙女が驚くべき速さでニードルダガーを突き出した。
献身隊の乙女たちは全員がランク3の光魔術師であり戦士でもある。その恐るべき速さで繰り出された刃がカルラの細い首に触れる寸前、その腕を〝黒い茨の模様〟が浮かんだ白い手が掴んだ。
ゴォオオオオオオオオッ!!
「――――ッ!!」
カルラの手から緋色の炎が燃えあがり、半身を焼かれて声にならない悲鳴を上げる乙女の腕を掴んだまま、髪や肉が焼ける異様な臭気の中、カルラはダンジョンで毒耐性を得るために何度も口に含んだ、懐かしい味の茶をまた一口含んで陶然と微笑んだ。
「良い香りね」
セオ対ヒルダ。カルラ対ウルスラと教導隊。
次回は後篇。戦闘回です。





