140 命の輝き
第二部第一章のラストです。
奇妙な三すくみ。ゴストーラたちがエレーナを襲おうとすれば私が攻撃をして、私がエレーナを守るために動けば背後から襲われる。
エレーナたちだってただ護られるだけじゃない。エレーナは魔術が使え、側近である老執事や護衛侍女もランク3の力がある。衰弱していてもランク5に近い戦闘力があるゴストーラと戦えはしないが、わずかな時間を稼ぐことはできるだろう。
私が鉄の薔薇を使えば今の状況を打開できる可能性もあるが、どちらかを倒す数十秒の間にエレーナを襲われたら意味がない。その時間をエレーナが稼いでくれるかもしれないが、私からそんな賭けをすることはできなかった。
【アリア(アーリシア)】【種族:人族♀】【ランク4】
【魔力値:105/320】【体力値:153/250】
【総合戦闘力:1428(身体強化中:1774)】
それ以前に毒を受けて数日間眠っていない私は回復できていない。戦技や身体強化を考えれば、容易に鉄の薔薇を使うことすら難しい。
あと数時間もすれば朝になり、そうなれば状況も変わるが、そんなことはゴストーラたちも気づいているだろう。でも彼らは頑なに、仲間を犠牲にしてでもエレーナを襲うことを優先した。まるでエレーナを捕らえれば全てが終わるかのように。……その行動は不自然であり、違和感を覚えた。
でも、私のやることは何も変わらない。ネロやヴィーロがその身で時間を稼ぎここまで導いてくれた。それを無駄にしないためにも、私は全てを使ってでもエレーナを護ってみせる。
「小娘がっ!」
ガリィと呼ばれた壮年の闇エルフが両手に円形の刃を構え、私に向かって突っ込んできた。それと同時に片腕のゴストーラがエレーナのほうへと向かい、それと同時に飛び出した私のナイフとガリィのチャクラムがぶつかり合う。
ガキンッ!!
ガリィと打ち合いながら、牽制のために飛ばしていた分銅型のペンデュラムを左手で操作して、私に背を向けたゴストーラの後頭部を狙った。
「くっ!」
「【空弾】っ!」
ゴストーラは背後からのペンデュラムをギリギリで躱し、その隙を突いてエレーナから放たれた風魔術に阻まれた彼が元の位置まで後退すると、ガリィのチャクラムが牽制するように私の前を飛び抜け、エレーナのほうへ位置を変えようとした私を元の位置に戻した。
「ちっ」
ゴストーラが忌々しげに私とエレーナを見るが、面倒なのはお互い様だ。
それとお前はエレーナを甘く見すぎている。あれはそんなに弱い女じゃない。
「ぬぉおおおおおおおっ!!」
ギンッ!!
ガリィがチャクラムを投げつけ、私はとっさに引き戻した分銅型のペンデュラムで、高速移動するそれを宙で叩き落とした。
そんなことは少し前なら無理だった。でもグレイブとの戦いで見えない糸を見切る経験がそれを可能にした。
昨日より今日。今日より明日。私は少しずつ強くなっている。
師匠にもヴィーロにも視える戦闘力は目安でしかないと教わった。戦闘力とはステータスとスキルを単純に数値化したものに過ぎず、上位者同士の戦いなら戦闘に臨む意志と経験……見えない『何か』が必要だった。
ガキンッ!!
ガリィの豪腕で振るわれるチャクラムを、目を逸らさずに目前数センチでナイフで逸らし、そのまま全身で回転するように黒いダガーをガリィの眉間に突き立てた。
「ぐおぉお!?」
それでもまだガリィは滅ばない。その瞬間、仲間の危機に横からゴストーラの剣が振るわれる。同じランク4なら受け止めるか避けることはできるだろう。だったら、それができるのならさらにできることもある。
「なにっ!?」
横薙ぎに首を狙ってきた剣の腹を下から手刀で弾く。少しでも躊躇すれば私のほうが死んでいた。だが私に迷いはない。
「おのれっ!」
逆側から振るわれたガリィのチャクラムも、上から手刀を叩きつけるように身体ごと飛び越え、空中で足を蹴り上げるようにして体勢を入れ替えると、ガリィが大きく目を見開いた。
「貴様、その“技”はっ!」
「【暴風】――ッ!」
魔術属性を持つ範囲攻撃の戦技【暴風】が吹き荒れ、ゴストーラとガリィを同時に斬り裂いた。
意識が変わる。見えていた世界が変わる。私は踏み込みかけていた“強者”の世界へまた一歩踏み込み、意識をさらに深みへと集中させた。
***
(バケモノかっ)
アリアの戦闘力は自分たちと変わらない。見た目も十数年しか生きていない小娘でしかない。なのに二人掛かりでもこの娘を殺せないのは何故なのか。
昼間も休まなかったゴストーラたちは再生力を失っていたが、この少女も同じように衰弱しているはずだ。
これが人間の可能性か。人でなくなることで強靱な身体と力を得たゴストーラたちは、同時に人としての成長を失った。けれどこの少女は違う。努力? 才能? そんなものではない。あの王女が絶望の中でも諦めなかったように、人間なら誰でも持っていながらその弱さ故に得られなかった人間の可能性――その“輝き”をあらためて見せつけられた気がした。
「ゴストーラ様……」
片目を潰され眉間を貫かれたガリィの声が、ゴストーラの意識を呼び戻す。
さきほどの【暴風】は威力が低い範囲技で個対個の戦いで使う技ではない。だがその攻撃は吸血鬼の生命と言うべき魔力を削り、普段は致命傷にならないガリィの傷も、確実にその生命力を危険域まで削りつつあった。
アリアは時間を稼ぐなど消極的なことはせず、確実にこちらの命を獲りにきていた。おそらくは強敵を前にして後手に回ることは、心が負けてしまうことを本能的に知っているのだ。それをガリィも察したのだろう。彼は死体のように濁りはじめた残った瞳でゴストーラを見つめ、彼にあらためてその“覚悟”を求めた。
仲間たちの犠牲と献身でここまで来られた。誰にも頼れない異国の地でたった十人だけで氏族存亡のために戦ってきた。
最初から全てを犠牲にするつもりでいれば事を為すこともできただろう。だがゴストーラは、最後の最後で、たった一人残った仲間であるガリィを見捨てることができなかった。でも――
「……頼む」
「お任せを。……どうか、あなた一人でも生き残り、氏族の存命をっ!!」
ガリィの肉体が大きく獣のように歪んでいく。戦士ではなく吸血鬼の本性を顕し、全ての力を解放した。
今の身体でそんなことをすれば長くは保たないはずだ。けれどガリィは氏族のため、死んでいった仲間のために自分を犠牲にすることを選んだ。
ガリィの様子を見てエレーナの盾になるように位置を変えようとしたアリアに、それをさせまいとチャクラムを捨てたガリィが獣のように襲いかかる。
「ガァアアアアアアアアアアアアアッ!!!」
「…………」
それをわずかに目を細めただけで受けて立ったアリアが、爪が掠めるギリギリの線で見切ると、ナイフを握った両手の手刀でガリィの両腕を弾き、そのわずかな隙間に飛び込んで、その勢いのまま片膝を彼の顔面に叩き込んだ。
「ぐぉおおおっ!!」
黒い血飛沫が噴き上げ、折れた牙が宙に舞う。
極限の集中力が時間さえ引き延ばす空間の中、ガリィがアリアの全てを引きつけたその一瞬の隙を突いて、ゴストーラがエレーナたちに向けて飛び出した。
すかさずアリアがそちらへ動こうとした瞬間、弾かれていたガリィの両腕がアリアの身体を抱き留める。
「行かせるものかっ!!」
血塗れの潰された顔でガリィが執念の叫びをあげた。
エレーナや老執事から攻撃魔術が放たれる。だがゴストーラはそれを躱すことなく、顔面を炎で焼かれようとも護衛侍女や老執事を腕力だけで弾き飛ばし、生命力を限界まで削られながらもエレーナの所へ辿り着いた。
「エレーナっ!!」
その瞬間、ゴストーラの後頭部にアリアが放った投擲ナイフが突き刺さる。それでもゴストーラは止まらず、魔術を使おうとしたエレーナを殴り飛ばして踏みつけながら、懐から拳ほどもある“玉”を取り出した。
「もう遅い」
パキン……ッ!
ゴストーラがその玉を握り潰すと、まるで爆発するように魔素が溢れて、護衛侍女や周囲の者を弾き飛ばす。
「……フハハ……やったぞ、ガリィ……レステス……仲間たちよっ!」
ゴストーラが血の涙を流すように呟き、ガリィの背から心臓にダガーを突き立てていたアリアを睨み付けた。
「もう遅い。これが分かるか……人族どもよ」
それはかつてサマンサに教えられ、グレイブがネロを追い払うために使い、ヴィーロがダンジョンボスに使用した、魔術を封じ込めたダンジョンの秘宝であった。
「これは【空間転移】の宝玉だ」
ゴストーラの友である吸血氏族の長は、彼らの帰還のために氏族の宝であったダンジョンの秘宝、【空間転移】の玉を持たせていた。
この大陸でも歴史上数個しか確認されていない正真正銘の秘宝だが、ゴストーラはそれを持たせてくれた友に感謝すると共に、できる限りそれを使うつもりはなかった。
だが、グレイブや新たな協力者となった貴族令嬢から情報を得て、ゴストーラたちはそれを使って王女を誘拐する計画を思いつく。
ゴストーラから見ても王女エレーナは、高い女王の資質を持っている。当初は王太子と王位を争わせることでクレイデール王国の国力を削ごうとしたが、王太子がこのまま成長の兆しが見えなければ、エレーナが女王になる確率が高くなるはずだ。
彼女が女王になれば、数年は混乱しても、その後のクレイデール王国はさらに国力を増すことになるだろう。
魔族としては無能な者が王位に就いてもらわなくてはいけない。けれども単純に王女を暗殺すれば、王女側の者も王太子に付き、思った通りに混乱をもたらすことができなくなる。
だからこそ王女の誘拐という“茶番”が必要だった。王女が生きていて王太子が無能ならば、王太子を良く思わない者は必ず反意を示すだろう。だが、王女が誘拐されていれば結局は王太子が王になるしかなく、自然と国家は二つに割れる。
「くっ」
その考えが分かったエレーナが自害しようとナイフに手を伸ばし、その手をゴストーラに踏みつけられた。
強大な魔力に魔力の弱い者は近寄ることすらできず、吹き飛ばされた護衛侍女や老執事が匍うようにして主に手を伸ばす。そしてそれを嘲笑うように、倒れたエレーナとそれを踏みつけるゴストーラの身体が、円形の闇の魔素に包まれはじめた。
「大人しくしていろ。無駄に痛い思いはしたくないだろう。もう足掻いても無駄だ。俺が死んでもこの魔術の発動は止められん。王女よ、お前は俺と共に自国が滅亡する様を特等席で見るが――」
「――【鉄の薔薇】――」
零れる鈴音のような声。
桃色の髪を灼けた灰のような灰鉄色に染め、光の残滓を銀の翼のようにはためかせた一人の少女が、流星のように全てを飛び越え、黒いダガーを根元までゴストーラの心臓に突き刺した。
「生きて帰すとでも思った?」
***
心臓の魔石を貫かれたゴストーラが信じられないように目を見開き、その瞳がわずかに揺れるとその光を失っていった。
闇エルフたちの執念を見誤っていた。即座に倒れたエレーナを担いで脱出しようとしたが、ゴストーラが言っていたように魔術の発動は止まらず、私たちは闇の魔素に包まれていった。
老執事たちが外から何か叫んでいるがもう声も届かない。私は最後に外に向けて軽く手を振り、エレーナの身体を護るように抱き寄せる。
「アリア……」
「大丈夫だエレーナ。私が側に居るから」
完全に闇に包まれ、自分と互いしか見えない暗闇の中で不安そうなエレーナが、私の言葉に微かに笑みを浮かべて縋り付く。
崩れ落ちたゴストーラの遺体が何処かの空間へ消えて、私たち二人もどこかへ跳ばされる。
数分か数時間か……自分の感覚さえも曖昧となる空間転移の中で、突然目の前が開けて夜空と月が視界に広がった。
空と大地を見て上下を確認した私は、エレーナを抱いたまま数メートル下の地面に、衝撃を殺すように着地する。微かな緑と乾いた土の匂い……。気温の低さと空気の乾燥からここがクレイデールではないと判断した私は、不安そうなエレーナを地に下ろしてそっと自分の足で立たせた。
「ここは……?」
「まだ分からない」
予想していたような伏兵もいない。魔族たちの集落どころか、生き物の気配さえもない、乾いた森の中。私は部屋履きと薄い夜着のままのエレーナに、影収納から出した外套と学園のショートブーツを履かせて、森の中を歩き出す。
夜空が薄い群青色になる朝になって見覚えのない森から外に出ると、その丘の上から見えた、広がる砂漠と巨大な廃墟に、エレーナは驚きを抑えるように口元を押さえて碧い眼を見開いた。
「……砂漠の古代遺跡……レースヴェール……」
第一章はここまでとなります。
次回からの話はどこにいれるか随分と悩みましたが、この話は乙女ゲームのイベントなので、第二部の途中に入れることにしました。
正確には第2.5部相当『魔族編』になります。
乙女ゲームのイベントでは、ヒロインが王太子や攻略対象者と一緒に魔族との戦争を回避するストーリーになるはずでした。魔族と和解するか魔王を討伐するかは、隠しキャラの好感度とイベントの選択肢で変わります。
次回、第二部第二章『砂漠の薔薇』が始まります。
アリアとエレーナがメインの砂漠の国パートと、偽ヒロインとカルラとクララがメインの学園パートが入ります。
今回の場所は地図に地名を記入しましたのでそちらをご参照下さい。
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古代遺跡の場所は大陸の西側、山脈の南、カルファーン帝国の北です。
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