139 師の影
三人称のみ。ヴィーロの戦い。
「アリアッ!!」
桃色髪の少女『灰かぶり姫』アリア。この国でも有数の冒険者の一人であり、この学園内に留まらず、新たな協力者たちが最も危険視していた最大の難敵が、あと一歩のところで追いついてきた。
壮絶にして可憐。その姿は憔悴して薄汚れ、全身に乾いた返り血をこびり付かせていても美しくすらあった。おそらくは彼女の生き様そのものが見る者にそう感じさせるのだろう。彼女が現れただけで王女の表情が輝き、その周りの者たちに希望の光が灯っているのを見て、ゴストーラがわずかに目を細める。
「ゴストーラ様、お任せを」
壮年の魔族ガリィが、腕に刺さったナイフを忌々しげに引き抜き床に叩きつけると、直径30センチもある二つのチャクラムを両手に構え、威圧するようにかち合わせて歪な音を奏でた。
「戦闘力が下がっているようだが、そんななりで俺に勝てると思うな」
強行軍でガリィたちの戦闘力は下がっているが、アリアの戦闘力もあの城で見た時よりもかなり下がっている。それを見てゴストーラもガリィに任せて、エレーナのほうへわずかに意識を向けたその瞬間――
「ぐぉおおおっ!?」
「っ!」
宙を舞う円盤形の刃がガリィの顔面を真横から切り裂き、その一瞬にアリアが異様な速さで飛び越えてきた。
ガキンッ!!
アリアの黒いダガーをゴストーラの剣が受け止め白い火花を散らし、その翡翠色の瞳に恐怖も焦りもなく、ただ闘志のみが浮かぶその色に寒気を感じて、思わずゴストーラが距離を取る。
「うぉおおおおおおおっ!!」
その背後から片目を潰されたガリィがアリアにチャクラムを投げつけ、その攻撃を舞うように後転して躱したアリアは、その瞬間に攻撃してきたゴストーラの腕を蹴ってさらに距離を取り、アリアと魔族とエレーナたちは等しい距離を置いて対峙する。どちらもエレーナに向かえばその瞬間に横から攻撃を受けることになるだろう。
容赦がない。躊躇がない。恐怖も精神的な弱さもない。その戦いのセンスはどこで身に付けた?
(コイツはなんなのだ……)
この少女はなんなのか? 戦闘レベルはゴストーラたちと変わらない。身体能力と場数なら長い時を生きてきたゴストーラたちのほうが勝っているはずだ。
なのに殺せない。その戦い方と存在感の不気味さは、数十年前の戦争で戦死したと言われている『戦鬼』と呼ばれたとある女魔族を彷彿とさせた。
「人族の小娘が……我ら二人を同時に相手にするつもりかっ」
その不気味さを感じているのか、歴戦の戦士であるガリィが珍しく強い言葉を使い、それをゴストーラが止める。
「……熱くなるな、ガリィ。そいつはあのカルラと同じだと思え。少しすればあの男を倒してレステスが追いついてくる。三人で倒すぞ」
「……ハッ」
不承不承ながら武器を構えるガリィとゴストーラの会話に、それを聴いたアリアがナイフとダガーを広げるように構えながら静かに口を開く。
「お前たちの仲間が来ることはない。お前たちの言う男があの“男”なら……あれでも、私の師匠の一人だからな」
***
「あまり付きあってあげられないわよ?」
「それはこっちの台詞だ」
魔法の光が仄かに照らし出す夜の中、魔族の女吸血鬼レステスの言葉に冒険者ヴィーロが軽口を返した。
だが、軽い口調でありながら二人の間には空気が痛いほどに張り詰め、軽い会話とは程遠い。レステスは仲間のために命を懸ける理由があり、ヴィーロにも護らなくてはいけないものがある。どちらも相手を仲間の所へは行かせられない。そして、戦いに勝った者だけが仲間の救援に駆けつけることができるからだ。
【レステス】【種族:闇エルフ♀(吸血鬼)】【推定ランク4】
【魔力値:218/245】【体力値:221/347】
【総合戦闘力:948×1.5】
(やっべぇな……)
レステスの戦闘力を鑑定してヴィーロが内心冷や汗をかく。
ヴィーロの総合戦闘力は1281。技量的にもヴィーロと同じランク4。しかも吸血鬼は位が上がるほど素のステータスが強化される。だがつけいる隙はある。吸血鬼の戦闘力はその再生力から二倍に換算されるが、レステスの戦闘力の上昇値が1.5倍にまで下がっていた。
体力値を見ても分かるが、おそらくは昼間にも移動をしてきたせいで吸血鬼の再生能力が落ちているのだろう。
これならまだ戦える。けれど油断をすれば死が待っている。不死者となったレステスは通常の手段では死なず、手数で攻める短剣ではダメージにならないのだから。
「仕方ねぇ! やるかっ!」
自分を鼓舞するように声を出したヴィーロが体勢を低くする。そんな様子に若干呆れた顔をしたレステスの目の前で、ヴィーロは流れるようにミスリルの短剣で地面を掻いて、土埃をレステスに飛ばした。
「小賢しい真似を!」
両手のククリナイフを振り回し、風圧で土煙を払いながらレステスが前に出る。だがその足が一瞬止まり、わずかに膝を折ったレステスが仰け反るように首を逸らすと、その黒い咽を掠めるようにミスリルのナイフが横薙ぎに通り過ぎた。
そのまま後転するように距離を取ったレステスは、いつの間にか右膝に刺さっていた投擲ナイフを引き抜いて闇に捨てる。
「本当に小賢しい男ね……」
「そいつはどうもっ!」
称賛するような嫌味にニヤリと返したヴィーロが前に飛び出した。
投擲ナイフでは当たっても大きなダメージにはならない。だからこそヴィーロは土煙に隠してナイフを飛ばし、小さな傷を気にしない不死性さえも利用して膝を殺し、一気に勝負を決めようと考えた。
でも、同じ手はもう通じない。この隙を逃さずヴィーロは怒濤の連撃を繰り返し、レステスも高い身体能力を使って、崩された体勢のまま二本のククリナイフでヴィーロの攻撃を捌いていく。
「……これがランク4」
この場に残った二人の近衛騎士たちは、ランク4同士の攻防に息を飲み、手を出すこともできなかった。
ランク3の騎士たちは、一般的に見ればその道の上位者であり熟練者だ。だが、それ以上の者たちは特殊な才能と、それ以外を切り捨てることができる精神力を持つ者たちであり、ナイフという一般的には弱い武器同士の戦いにも拘わらず、騎士たちが戦いに割り込むにはかなりの勇気を必要とした。
「ハァアアアアアアアッ!!!」
焦れてきたレステスが吸血鬼の筋力を使い、ぶちぶちと筋繊維を千切るような音を立てながら、強引にヴィーロのナイフを押し返す。
「くっ」
レベル4の戦闘スキルで一般人より遙かに高い筋力値を持つヴィーロが、下からの攻撃に押し負けてしまった。
ヴィーロは二刀を使わない。二刀流は高い攻撃力がある反面ある種の弱点もあるからだ。その一つが一撃の重さが低いことにあるが、それをアリアは二種の武器を使うことで克服し、レステスは吸血鬼の筋力で補っている。
逆に一刀の弱点は防御の低さにあるだろう。基本的に短剣は正面から斬り合うような戦い方に向いていない。
攻守が逆転し、レステスの二刀流の猛攻をヴィーロが一刀で捌いていく。技量は同等でも手数と身体能力の差でヴィーロの足が徐々に下がり始めた。
「ちっ!」
辺りにチラリと視線を巡らせ、ヴィーロが大きく下がりながら地面の土を蹴り上げ、同時に左手でナイフを投げ放つ。一刀のもう一つの強みである、片手が空いていることで多彩な攻撃が可能になるのだが――
「そう来ると思っていたわっ!」
追い詰められたこの男なら必ず何か仕掛けてくると予見していたレステスは、ヴィーロの攻撃を躱しもせずに左手のククリナイフを投げつけた。
「っ!」
ククリナイフはヴィーロの腿に突き刺さり、ヴィーロの投擲ナイフもレステスの足で受け止められていた。
土埃に片目を塞がれながらも踏み込んできたレステスがヴィーロの心臓を狙い、その刃をギリギリで弾いて逸らすことはできたが、その腹部に深々とめり込んでいた。
「ぐぉおおっ!」
「なかなか手こずらせてくれたけど……楽しかったわ、ヴィーロ」
一撃で殺すことはできなかったが、人間なら腹部でも充分に戦闘力は奪える。逆に殺せなかったからこそ、この面白い人間と話ができると焼け爛れた顔をほころばせたレステスに、ヴィーロも口の端から血を零しながら咳き込むように溜息を漏らした。
「やっぱ、二刀使いは強えわ……。だけど、俺には合わなくてなぁ」
「これから試してみたら? あなたが望むなら私の眷属にしてもいいのよ……?」
唇からわずかに牙を覗かせ、瞳に怪しい光を漂わせるレステスの言葉に、ヴィーロはゆっくりと首を振る。
「あんたみたいな美人に誘われるのは光栄だが、まっぴらゴメンだな」
「……それじゃもう死になさい」
わずかに顔を顰めたレステスが刃に力を込めようとしたその時、不意にヴィーロが口を開いた。
「俺はな、これでもお師匠サマだからよ。二刀を使うアイツには何度も言っているんだよ。戦闘中でも“警戒”を怠るなってな」
「え……」
ドス……ッ!
レステスは自分の胸から突き出た鋼の刃に大きく目を見開いた。
後ろから攻撃をしてきたのはこの場に残った騎士の一人だった。二刀流は強力だが攻撃面に意識を削がれて周りの確認が疎かになる。だからこそヴィーロは一刀に拘り、その弱点も弟子に伝えた。
そして後退する振りをして微妙に位置を変えて、騎士たちが背後から攻撃をできるお膳立てをして、その勇気を貰った傷ついた騎士も脇腹を押さえながらすでに立ち上がっていた。
「……人間がぁあっ!!」
レステスが獣のように顔を歪ませ、片手で攻撃してきた騎士を殴り飛ばす。
心臓を貫かれても魔石からわずかに逸れていたのか、まだレステスは滅びていない。
腹を刺されながらもナイフを振りかぶるヴィーロに、ククリから手を離して距離を取り、鋭い爪と牙を吸血鬼の本性と共に剥き出したレステスを見て、ヴィーロがニヤリと笑う。
「だから、周りを見ろと言っただろ?」
――伏――
突然頭の中に響いた『声』に騎士たちが思わず伏せると、黒い疾風がレステスの背中を引き裂き、黒い血煙を巻き上げながら通り過ぎた。
「クァールっ!? まさか、あの娘がもう追いついてきたというのかっ!?」
黒い幻獣ネロの出現は、おそらく共に現れた最も危険な少女がグレイブを倒して追ってきたことを意味していた。
受けたダメージさえ忘れてレステスがその存在に意識を向けてしまうと、その背後で腹からククリを引き抜いたヴィーロが、ミスリルのナイフを大きく振りかぶる。
「――【神撃】――ッ!」
「なっ」
無防備な背後から神撃の一撃が放たれ、愕然とした顔で振り返るレステスの首が斬り飛ばされて宙に舞い、その唇が仲間への詫びを呟き瞳から光が消える。
確実にレステスを滅ぼせたことを確信したヴィーロは、力尽きたように仰向けに倒れて、静かに近づいてくるネロに視線を向けた。
「いってぇっ。だが、お前が来たんならアイツが戻ってきたんだろ? 後は任したぜ、アリア……」
ヴィーロの戦い方は環境利用に近いです。アリアも偶にやりますが、相手を騙すような戦い方は彼から教わりました。面倒のほうが多いのですがちゃんと師匠はしていますw
次回、第二部第一章ラスト。
思いも寄らない展開をお届けできたらと思っております。