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137 狙う者 それを追う者



「……【解毒(トリート)】……」

 グレイブの死を確認した私は、腐敗毒が充満した部屋から離れると【解毒(トリート)】を使う。

 本来は液状で扱う毒で、気体化した場合は即死性が無くなるとはいえ、決着を早めるために随分と肺に入れすぎた。通路の壁に背を預け、【治癒(キユア)】で肺と呼吸器を癒してから、私は口元の血を拭って暗い通路を走りだす。

 グレイブは因縁のある相手だったが、アイツが余計なことをしたせいで決着をつけてもその死に何の感慨も湧かなかった。本当に生き方が不器用な奴だ……。グレイブにはグレイブの思いがあったのだろうが、もうそれは私に届かない。

 私は走りながらポーチから取り出した、自作の回復ポーションと魔力回復ポーションを飲み込んだ。魔力も体力もかなり減っている。無理をした自覚はあるけれどそれでも得るものはあった。

 鉄の薔薇を会得する以前から、私は自分の特色である速度に重きを置く戦闘スタイルを貫いていたが、身体に無理を強いた幾度かの戦闘を経て、戦技である鉄の薔薇を速度特化として操れるようになった。

 魔力の消費は通常の鉄の薔薇から倍に増え、肉体的にも数秒が限界だったが、この力は、これからの切り札となってくれると感じている。そしてその結果として、魔力制御スキルがレベル5に達していた。

 人間種の限界、選ばれた者のみが到達できる領域に、私はたった一歩だけだが踏み込んだことになる。私はその魔力制御で筋力寄りに身体を強化すると、四階相当の高さにある窓を塞ぐ板塀を蹴り破り、この城に侵入してからどれだけの時間が経っていたのか、すでに陽が落ちて暗くなった空に飛び出した。

「ネロッ!!」


『ガァオオオオオオオオオオオオオオオッ!!!』

 私が夜空に叫ぶと、夜を斬り裂く黒き疾風が咆吼と共に、城壁を駆け上がるようにして空に舞う私をその背に拾う。

 暗視を持つ私の目に、森に散らばる数百体もの出来損ないどもの亡骸が見えた。これほどの敵を引きつけてくれたネロの背を軽く撫で、ネロの触角が指し示す方角に視線を向けると、そこに魔族の一体がネロに引き裂かれて死に絶えている姿が見えた。

 確かあの魔族は、ゴストーラが連れていた配下の一人だと記憶している。おそらくはゴストーラと仲間を先に行かせるために一人で残ってネロと戦ったのだろう。

 魔族であろうと吸血鬼であろうと、仲間のために命を懸けるその『覚悟』を感じて、今までのように相手の驕りに付け込む真似はできないと、私も気を引き締めた。


「戦いだ、ネロ。魔族を追うぞ」

『ガァアアアアアアアアッ!!』


   ***


 ケンドラス侯爵領から王都までは、通常なら三週間から一ヶ月ほどの行程になる。だがそれも、安全がある程度確保された人が住む領域を馬車や徒歩で進んだ場合で、狼や魔物などが生息する深い森を、通常と異なる移動手段を用いれば一週間程度に短縮できるだろう。

 その日、王都近郊の魔術学園にある貴族の館では、突然戻ってきた主である令嬢に従者や使用人たちは驚愕し、慌てふためいた。

「カルラ様っ!?」

「いつお戻りでっ!?」

「ケンドラスに向かったはずではっ?」

「そのお姿は……」


「ただ今、戻ったわ」

 突然屋敷内の玄関ホールに出現(・・)したカルラは、その病的な白い肌に黒い茨を貼り付けたまま、慌てふためく従者たちに答えることなく己の要望のみを告げる。

「そんなことよりも、わたくしは蜜を入れたお茶が欲しいわ。それから温かな湯にも浸かりたいから、すぐに用意してくれる?」

「は、はいっ」

「ただいま用意いたしますっ!」

 レスター家の使用人たちが自分の役目を思い出して慌ただしく動き始める。レスター伯爵家は宮廷魔術師を多く輩出する魔術の名家ではあるが、上級貴族家にしては寄子も少なく、猜疑心が強いのか使用人の数も少ない。

 それはただ人が少ないだけでなく、筆頭宮廷魔術師である現当主が情に薄く、冷酷な人物として周囲に恐れられていたせいだが、今ではその娘であるカルラのほうがあらゆる面で恐れられていた。

 それでもこの学院までついてきた、彼女を幼い頃より知っている者たちは、彼女がわざとそう思われるように行動しているように感じていた。だがそんな彼らにしても、ここ数年におけるカルラの行動の異常さは理解しがたいものになっている。

「慌ただしいわね」

 自分に怯える使用人や従者が、主である自分の着替えさえさせずに誰もいなくなったことを皮肉げに笑い、カルラは自分の脚で二階にある自室に戻ると、そこでようやく彼女の加護である魂の茨を解除すると、その唇の端から血が一筋零れる。

 カルラが数日は掛かるはずの距離を越えて戻ってこられたのは、加護による使用制限のない魔力のおかげだ。魂の茨は魔力を消費することでレベルが二つ上までの魔法を行使できる。それによってカルラは、この大陸の歴史でも数えるほどしか使い手のいない、レベル6の闇魔法である【空間転移(テレポート)】さえも使えるようになっていた。

 それでも空間転移は距離によって使用魔力が多くなる。消費される魔力が多くなればカルラの身体に負担が掛かり、戦闘で気軽に使えるようなものではなかった。


「ふふ……」

 暗い自室の中で一人掛けソファに腰を下ろし、カルラは思い出すように笑う。

 アリアの戦いは、城の中の様子までは分からなかったが、その途中で出てきた魔族とネロとの戦いを遠くから見ていたカルラは、彼らの様子から魔族たちが王都……おそらくは『王女』を狙うという強硬手段に出たと推測した。

 今の王太子エルヴァンは無能ではないのだが、妹姫のエレーナのように一千二百万人もの国民の命を預かり、必要によっては切り捨てる覚悟はない。七歳の時点でそれを覚悟したエレーナとそのことを理解したアリアやカルラが異常なのだが、彼女たちに比べればあきらかにエルヴァンは見劣りしてしまう。平和な時代ならそれでも平凡な王にはなれたのだろうが、この情勢で魔族の任務がクレイデール王国の国力を削ぐことなら、カルラが彼らの立場でも王女は邪魔だと考えただろう。


 アリアはあの男に勝つことができたのか? アリアは王女を護ることができるのか?

 いかにアリアがランク4の上位の力を持ち、ランク5の敵とさえ互角に戦えるとしても、そのどちらも達成することは難しいはずだ。カルラが手を貸せばどちらの達成率も跳ね上がるが、カルラはアリアの戦いに手を出すつもりはなかった。

「……だって、あなたは必ず勝つから」

 アリアが勝つことは難しい。それでもカルラはアリアが勝つことを微塵も疑ってはいなかった。

 この戦いが終わればアリアは強くなる。カルラの興味はアリアとの殺し合いだけであり、それ以外の命に興味はない。

 この戦いで無理をしたカルラは数日間は昏睡状態に陥ってしまうだろう。それが分かった上でカルラは幼子のような朗らかな笑みを顔に浮かべた。

「目を覚ました時、誰が死んでいるかしら……」


   ***


 魔族の吸血鬼たちは暗い森を幽鬼の如く駆け抜ける。休息を必要としない不死者と言えども、物質界の存在であるかぎりエネルギーは有限であり、その再生力と高い能力を維持するためには昼間の休息を必要とした。

 吸血鬼の場合は血液を媒介として他者の魂を取り込み、大地に近い墓所で眠ることで闇と土の魔素属性を体内に取り込むことでその不死性を得ていた。

「ゴストーラ様……」

「やはりそのお身体では」

「……案ずるな、レステス、ガリィ。この程度で滅びはせぬ。それに奴らは油断はできない。お前たちは自分のすることだけを考えろ」

「「……はっ」」

 ゴストーラの言葉に仲間の二人(・・)が納得できずとも仕方なく頷いた。

 吸血鬼の身体は時間と魔力さえあればどのような傷でも再生できる。だが、カルラに引き千切られたゴストーラの右腕はいまだに再生もせず、痛みを感じないはずのその顔を苦痛に歪めていた。


 物質界に肉体のない精霊がただの武器でも一割程度のダメージを負うのは、攻撃する側の敵意と害意が魔力によって影響するのだと言われている。肉体的な痛みを感じないはずの不死者が苦痛を覚えているのは、それをしたカルラの『悪意』が肉体だけでなく魂すらも穢していたからだ。


 時間が経てばそのカルラが追ってくる。魔族たちの先兵であった出来損ないどもを皆殺しにしていた黒い獣も、仲間の一人が足止めに残ったが、それもいずれは追ってくるだろう。そしてゴストーラから見ても強者であるグレイブでさえ、あの異様な強さを持つ『灰かぶりの娘』を止められる保証はどこにもない。

 カルラと灰かぶりの娘が偶然同じ時に現れたとは思えない。この国家の誰かが自分たちの存在に気付いて差し向けたのだとゴストーラは考えた。

(……だが、これは好機でもある)

 魔族の存在を知って刺客を差し向けておきながら、彼女たちだけしかいなかったのは国家が自分たちの実体を把握しきれていないのだろう。ならば、その強者二人がいない王女の周辺は警護態勢が弱くなっているはずだ。

 魔族も一枚岩ではなく、古くからいる他種族の殲滅派と穏健派が国内で争っている状況にある。ここで一氏族として認められながらも魔物として信用されていない吸血氏族は、その存在を魔族内に示す必要があった。

 だが、ここまで数を減らされてしまったら、後は獲物のように狩られるしかない。

 ゴストーラたちはこの好機と犠牲になった仲間の命を無駄にしないためにも、暗い森を昼夜問わず駆け抜け、再生する時間さえ惜しみ、文字通り命を削るような先に進む道しか残されていなかった。


   ***


 魔術学園にも警備はある。クレイデール王国にいるほぼ全員の貴族にとっては母校であり、自分たちの子や親族が通うことになるこの学園には多額の寄付金が寄せられ、それによって設立された専属騎士団の団員数は二百名にもなる。

 もちろんそれだけでは王都と同じ広さを持つ学園全てを見回ることなどできないが、学園の周囲は原生林に囲まれており、騎馬や鎧を着込んだ者を阻む天然の要塞になっていた。それだけではなく、上級貴族家ならば当然のように数名の護衛を連れてきているので、前回のような騎士団の一部が裏切るような事態でないかぎりは、警備に不備はないと思われている。

 だがそれ故に油断もある。王女エレーナの場合は貴族に信用できる者が少なく、近衛騎士を一小隊しか連れてきていない。本来ならそれで充分であり、普段は冒険者である虹色の剣の少女が側近として護衛に就いているので、暗殺者程度なら問題にもならなかった。

 けれど今……『灰かぶり姫』と呼ばれ、裏社会の者たちに恐れられた少女の姿は、王女の隣にいない。


「アリア……どうか、無事に帰ってきて」

 自室に繋がるテラスに夜着のまま現れたエレーナは、夜空に浮かぶ月を見上げ、そっと指を組んでこの世で唯一心を晒した少女のために祈りを捧げる。

 自身に最大の危機が迫っていることにも気づかずに……。


   ***


 昼でも暗い巨木が生い茂る森の中を黒い獣とその背に乗った少女が駆け抜ける。

 平坦な道も見通せる景色もどこにもない。それでも二人はわずかに速度を落とすことなく数メートルもある巨大な岩を飛び越え、迷路のように入り組んだ木々の間を縦横無尽に駆け抜けた。

 ここまで通ってきた木々の幹には獣の爪痕が残され、点々と斬り裂かれ、引き裂かれた魔物の死骸がまるで道標のように転がっていた。

『キギャアアアアッ!!』

 そんな獣と少女に、木々の上から翼を生やした人影のようなモノが数体襲いかかる。

 猛禽類の翼と鉤爪、そして人間の女性のような上半身と顔を持つハーピーと呼ばれるランク3の魔物は、森の中において自分たちが圧倒的に有利であると考え、血に飢えた歪んだ笑みを浮かべていた。


「邪魔だ」


 暗い森に流れる少女の声。その瞬間に飛び抜けた斬撃型のペンデュラムが一体の首を斬り裂き、その血煙が舞う中を刃鎌型のペンデュラムがハーピーたちの羽根を斬り裂いていくと、墜落するハーピーたちを黒い獣の爪と牙が引き裂き、少女と獣は一瞬も速度を落とすことなく暗い森を駆け抜けていった。



学園の護衛たちはエレーナを守ることができるのか? そしてアリアは間に合うのか?


次回、強襲


第一章も残りわずか。

ご感想や誤字の報告をありがとうございます。


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― 新着の感想 ―
最大の危機と言ってるからなあ………。 防御戦ではなく奪回戦になりそう。 アリア、暗殺者なのに、強襲ばかりさせられてるな。まるで暗殺してない。
[一言] こう言っては何だか、警備が役に立った事ってあまり無いですよねw ほぼはセラさん本人が居る時だけじゃん
[気になる点] 自称師匠wはまたいないのかな?
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