136 殺しのための本気
グレイブ戦決着
「本気……? それではお前の本気とやらを見せてもらおうか」
私の言葉を聞いたグレイブが口の端をわずかに上げる。本気の私と戦えることを愉しんでいるのか、それとも自分に自信があるのか?
【鉄の薔薇】を解除した私は腰のポーチから二つの陶器瓶を取り出し、そのひとつをおもむろにグレイブの足下に投げつけた。
「ぬ?」
私が投げると同時にグレイブが後ろに下がり、床に落ちた陶器瓶が割れてドロリとした液体が床に広がる。
「……何のつもりだ、アリア」
「…………」
自己の強化さえ止めて、水でも油でもない匂いさえしない薄緑色の液体をぶちまけた私に、グレイブが訝しげな表情を見せる。
私はその問いに答えずもう一つの陶器瓶をその液体の上に投げつけると、割れた二つ目の瓶から零れた液体が一つ目の液体と混ざりあい、異様な臭気を放ち始めた。
「これは……っ!」
一瞬でそれが『毒』だと理解したグレイブが、口元を押さえながら更に距離を取る。
「アリア、お前はっ」
「グレイブ……。私は“殺す”ための本気だと言ったはずだ」
私が使った物は、オークソルジャーを狙撃するときに矢に塗った『腐食毒』だ。二液性の溶剤を混ぜ合わせることで猛毒と化し、矢の尖端に塗ったわずかな量でランク4のオークソルジャーさえ即死させた。
これが二液性なのは、混ぜ合わせた瞬間から気化を始め、その気体も人体を蝕む毒となるからだ。臭気が酷いので室内で使用するのなら気づかれて逃げられてしまうけど、この状況なら問題ない。
この毒は、わずか数滴ずつを混ぜ合わせるときにさえ、口元を布で覆い、最低限の影響で済むように細心の注意を払う必要があった。だが、残り全ての溶剤を混ぜ合わせて毒としたら――
「この部屋の広さでも、数分もあれば気化した毒が充満する。毒の成分を知り、毒耐性を持ち、毒消しの溶剤を染みこませたマフラーで口を覆った私でも四半刻で死ぬ。お前ならどれだけ耐えられる? そこまで警戒して毒が効かないこともないでしょ?」
「…………」
グレイブが無言のまま私の真意を見極めるため、鋭い視線で睨め付ける。私はそんな奴に向けて、肩越しに自分の背後を指さした。
「出口はそこだ。生き残りたければ私を倒せ。時間を掛けすぎれば、私を殺せても肺が腐るぞ」
暗い部屋の中で腐食毒が石床を腐らせ、毒が気化する音だけが聞こえる中で、手拭いを口元に捲いたグレイブが静かに片手剣を構えた。
「狂っているな……。力でも技でもない、その精神がお前の“本質”か」
「お前と一緒にするな」
私はただ、最も効率的にお前を殺す手段を選んだだけだ。
ガキンッ!!
私たちは同時に床を蹴り、毒の煙を躱すように一瞬で距離を詰めた私の黒いダガーとグレイブの剣が火花を散らす。
スキルレベルと体格の差で私のほうが押し負ける。それでも体勢を崩すことなく、そのまま軽業師のように宙を舞いながらナイフを投げる私に、追い打ちを掛けようとしたグレイブが一瞬脚を止めた。
死亡まで三十分。全力で戦闘をしているなら、多分その半分で危険域に達する。グレイブもそれを理解しているはず、私を逃がせば私は自分に【解毒】を使ってグレイブを追う。グレイブが生き残るためには、私に【解毒】を使わせる隙を与えず、この場で確実に殺さなければいけない。
「ちっ」
グレイブも刃のぶつかり合いでは時間が浪費されると判断したのか、顔を顰めるようにして距離を取ると、左腕の義手を私へ向けて装甲を展開した。
「お前を過大評価していたようだな、アリア。どれだけ力を持とうと、俺と相打ちを狙うような王家の犬に成り下がるとは。所詮は俺のいる場所へと辿り着けなかったか」
義手のギミックから視えない刃、鋼刃糸が放たれる。
「――【魔盾】――」
横手に避けながら【魔盾】を使う。光の粒子を結晶化させたこの盾はわずかながらに物理防御力を持つが、それも人体や上位者が使う武器のように強い魔力を帯びている物質に限られる。
パリィンッ!
「くっ」
魔盾が割れる幻聴が聞こえ、魔盾の魔力と反応して打ち破った鋼の糸が私の腕や脚を傷つけた。でも、わざわざ魔力の消費が増える鉄の薔薇を解除してでも魔盾を使ったことで分かったこともある。
鋼の糸でも私の蜘蛛糸のような柔軟性はなく、操糸で操れる範囲も限られている。ペンデュラムのような重りも無しに高速で放つには、鋼刃糸をバネのようにたわめて撃ち出さないといけないのだ。そして魔盾で受けたことで鋼刃糸が纏う魔力量も把握した。
腐敗毒の臭気が濃くなり、目や喉に微かな痛みを感じはじめた。運動量が多くなって肺に空気を吸い込めばそれだけ命を縮めることになる。
それはグレイブも感じているのか、呼吸を浅くするように口元を袖で押さえて、左腕を私へ向ける。
「これで終わりだ、アリアっ!」
再びグレイブから鋼刃糸が放たれた。
グレイブ、お前は私が相打ちを狙っていると言ったな。王家のために命を懸ける犬に成り下がったと。だけどそれは違う。毒を撒いたのはお前を確実に殺すため。そして、私自身を追い込むためだ。
「――【鉄の薔薇】――」
私の桃色の髪が灼けるように灰鉄色に変わり、私の闘志を現すように全身から飛び散る光の残滓が銀の翼のようにはためいた。
常人の三倍の速度で跳び避けるが、それでも躱しきれなかった視えない鋼の刃が私の肩を切り裂いた。
「その技はもう見たぞ!」
その瞬間、グレイブの義手から放たれている魔力が広がったように感じられた。おそらくは直線的に放っていた鋼刃糸を、幾つにも分けて四方から包囲するように放っているのだろう。
だけど、グレイブ。それも違う。
戦技【鉄の薔薇】はそんな単純な技じゃない。私が鋼刃糸を躱せないのも、お前がそれで私を殺せると思ったのも、全て私が鉄の薔薇を使いこなせていないだけだ。
東の森で暗殺者ギルドのマスターと戦ったとき、私は【鉄の薔薇】に匹敵する迅さを求めて、鉄の薔薇の魔力の動きを一瞬だが自分で再現した。
その結果、脚に酷いダメージを受けたが、私はあの行為が、戦技の制御にも使えるのではないかと考えた。
【アリア(アーリシア)】【種族:人族♀】【ランク4】
【魔力値:163/300】【体力値:144/250】
【筋力:10(22)】【耐久:10(22)】【敏捷:17(36)】【器用:9(10)】
【総合戦闘力:1339(特殊身体強化中:2520)】
【戦技:鉄の薔薇 /Limit 163 Second】
全身の力を脚に込めて迫る刃が纏う殺気を頼りに回避するが、それでも腕や脇を浅く斬られた。
本気を出せ。自分を極限に追い込め。負ければ死ぬ。それならエレーナは誰が救う。まだ足りない。もっと迅く。目を凝らせ。集中しろ。戦う力はすでに私の中にある。
鋼刃糸に含まれるわずかな魔力。私を殺すという殺気。そして何度も私を斬ってこびり付いた私の血の魔力が四方から迫る、十数本の鋼の刃を一瞬だけ私に見せてくれた。
口元を覆う邪魔なマフラーを剥ぎ取り、全力を出すために周囲の毒ごと深く息を吸い込み、精霊語の単語を叫ぶ。
「ア・レッ!」
【アリア(アーリシア)】【種族:人族♀】【ランク4】
【魔力値:159/320】【体力値:113/250】
【筋力:10(14)】8down【耐久:10(14)】8down
【敏捷:17(52)】16Up【器用:9(10)】
【総合戦闘力:1428(特殊身体強化中:2520)】
【戦技:鉄の薔薇 /Limit 79 Second】
その瞬間、あの森の戦いの時のように視界の全てが灰色に変わり、粘液のように緩やかに流れる景色の中を一瞬だけ見えた刃の軌跡を躱してグレイブへと迫り、ゆっくりと目を見開く奴の咽を、すれ違い様に黒いナイフで斬り裂いた。
飛び散る血飛沫の中で、全身が悲鳴をあげていることに気づいた私が【鉄の薔薇】を解除して滑るように着地すると、愕然とした顔で振り返っていたグレイブの暗赤色の瞳と目が合った。
「……ぐぉ、」
何かを喋ろうとしたグレイブの口から言葉の代わりに血が溢れる。
「こふ……」
毒を吸い込んだ私も血を吐きながら、それを拭いもせずに黒いナイフを構える。
お前と私の『生き方』に差なんてありはしない。だが、お前は最後の瞬間、生きるためにではなく死を感じて生にしがみつき、私は死を乗り越えるために生き足掻いた。
「「…………」」
私たちは身動きもせずに見つめ合う。グレイブの右腕は力なく剣の切っ先を地に着け、左腕の義手も機能を失ったかのように動かない。
それでも警戒するように私はナイフを構えて、凄惨な光をたたえるグレイブの瞳を、冷たい眼差しで受け止める。
「お前が死ぬまで見ていてあげる」
「…………」
一瞬も油断はしない。私のその言葉にグレイブの頭に浮かんだものは怒りか絶望か。首から流れ出る血がグレイブの生命を削り、初めて山賊長を殺したあの時のように、その瞳から覇気と光が失われてその命が全て失われるまで私はナイフを構えたまま見つめ続けた。
「グレイブ。やはり、お前とはわかり合えないな」
【アリア(アーリシア)】【種族:人族♀】【ランク4】
【魔力値:121/320】20Up【体力値:75/250】
【筋力:10(14)】【耐久:10(14)】【敏捷:17(24)】【器用:9】
【短剣術Lv.4】【体術Lv.4】【投擲Lv.4】
【弓術Lv.2】【防御Lv.4】【操糸Lv.4】
【光魔法Lv.3】【闇魔法Lv.4】【無属性魔法Lv.4】
【生活魔法×6】【魔力制御Lv.5】1Up【威圧Lv.4】
【隠密Lv.4】【暗視Lv.2】【探知Lv.4】
【毒耐性Lv.3】【異常耐性Lv.1】
【簡易鑑定】
【総合戦闘力:1428(身体強化中:1774)】89Up
ようやくです。
一度は負けて、一度は逃がして、因縁の相手となったグレイブとようやく決着がつきました。
アリアも強くなって、すでにランク5に近い戦闘力を身に付けています。
アリアの新技ですが、【鉄の薔薇】は通常状態と速度特化の二種類を使い分けることになります。その状態では魔力消費が倍になると考えてください。連続使用も身体に負担が掛かります。要するに他の戦技と一緒です。
次回は、魔族を追って王都へ戻ります。
アリアは、エレーナを護ることができるのか?
第一章もあと少しです。
それでは引き続きよろしくお願いします。