132 闇が住む城 ①
「……本当に良かったのかしら」
魔術学園のダンドール家の屋敷にあるその自室にてクララは一人呟く。
最近では体調不良を理由にあまり授業にも出ていない。実際、ダンジョンで【加護】を得てから気分が優れることはなく、体重も少し減っていた。
王太子の筆頭婚約者という役目が重荷となったと考えた兄のロークウェルが、妹を心配して毎日見舞いに来てくれるが、婚約者である王太子は最初の頃のように頻繁に会いにくることはなくなっていた。
そんな王太子エルヴァンの態度にロークウェルは不満があるらしく、将来の騎士団長として学園内で側近をしていた彼は、親友であるメルローズ家のミハイルと共に次第に王太子派閥と距離を取りつつあった。
エルヴァンがクララのいる所へ足を向けなくなったのは、今のクララが面倒な女になってきたからだろう。前世の記憶を持つクララはそれを納得はできなくても理解はできた。でも、一番の原因は最近エルヴァンの側にいる“ヒロイン”のせいだろう。
外見はクララが知る“ヒロイン”と印象が違うが、彼女の行動やその“役割”は正しく乙女ゲームの“ヒロイン”だった。
心に闇を抱える攻略対象者たちの内側に入り込み、彼らの欲しい言葉を与えて、全肯定をして甘やかす。ただ“ヒロイン”の男性への依存度が強く、その尋常ではない甘やかしと諫めることのない肯定に、それを不自然に感じたロークウェルやミハイルは自然と彼女から距離を置いたが、“ヒロイン”の甘やかしに籠絡された男たちは常に彼女の側にいるようになってしまった。
王太子エルヴァン、王弟アモル、法衣男爵子息ナサニタル、そして“ヒロイン”を諫め、その三人を冷めた目で見る執事のセオを含めた四人が、今“ヒロイン”の側にいる乙女ゲームの攻略対象者たちだった。
王家派筆頭であるダンドール家やメルローズ家と距離を置いて、王太子や王弟は何を考えているのだろうか? このままでは国を二分して新たな争いが起きて、王家の求心力衰退だけでなく他国が付けいる隙にもなるだろう。
二代続いて子爵令嬢である“ヒロイン”を妃としても、彼女がエルヴァンの闇を晴らし、王として覚醒していれば国を纏めることができる。だがクララから見てもあの三人は覚醒しているようには見えなかった。
“ヒロイン”アーリシアを排除しなくてはいけない。しかも早急に。
そのためにクララは、二年時に発生するはずの一大イベント『魔族の陰謀』を無理矢理開始させようと画策する。
『魔族の陰謀』は最大半年も掛かる大イベントで、本来は王太子ルートでしか発生しないはずだが、現実であるこの世界でフラグはあまり意味はない。本当なら悪役令嬢カルラ絡みのイベントで、彼女が魔族をクレイデール王国内に呼び込み、その時の“ヒロイン”に対する攻略対象者の好感度と覚醒具合によって結果が変わってくる。
攻略対象の一定数が一定以上の好感度を“ヒロイン”に持っていれば、“ヒロイン”は仲間たちと共に魔族国に誘拐され、冒険をして最終的に魔族の王を倒すか、和解のルートが発生する。
だが、好感度が低ければ誘拐イベントは起きずに再び魔族との戦争が起こり、好感度が最低なら“ヒロイン”すら死亡するバッドエンドにもなり得るのだ。
そしてクララの前世知識の中には魔族の潜伏場所の情報もある。クララは暗部の目を掻い潜り、雇った者たちを使って魔族の“協力者”と接触することに成功し、彼らは攻めあぐねていた王都への侵入経路を確保することができた。
ゲームと違い、今のアーリシアは光属性の魔力に目覚めていない。この状態なら高確率で彼女を亡き者にして排除できるとクララは目論んだ。
計画的には色々と粗はあるだろう。まともな状態のクララならそんな曖昧な情報で、魔族を引き込むような危険は冒さない。だがクララは、王国のため、エルヴァンのためと、自分自身を偽るような言い訳をして計画を遂行することを選んだ。
「許さない……」
そんな言葉がクララの唇から無意識に漏れる。
その感情が未来の国を愁う正義感からではなく、エルヴァンを奪われた醜い嫉妬であることにも気付かずに……。
***
この国に師匠以外の魔族がいた。しかも彼らは吸血鬼であり、魔物という扱いではなく魔族国の先鋒としてこの国で何かを企てていた。そして、人族の敵と言われる魔族をこの国に呼び込んだのは、この国の貴族であるカルラだった。
「何を考えている?」
「別に……大した理由があったわけではありませんわ」
私の問いに悪戯をした少女のようにカルラが軽くおどけてみせる。でも、その瞳の奥にはいまだに暗い炎が燃えさかり、このクレイデール王国に対する憎悪が感じられた。
「吸血鬼になりたかった?」
「……面白いことを言いますのね」
見た目は平然としていても、激しく動いただけで血を吐くような身体では、平時でもかなりの苦痛があるはずだ。たとえ他者から後ろ指を指されようと、苦痛から逃れる術があるのなら私はそれを否定しない。
カルラの冷たくなった手を取ってこちらに顔を向けさせると、いつも感情の見えない笑みを浮かべていたカルラが困ったように笑う。
「アリアは意地悪ね」
私は化け物になっても生きろと言った。けれどカルラは、苦痛のある生の中で美しく死ぬことを願った。
生き方に正解はない。自分自身の生き方を決められるのは自分だけだ。
カルラにはカルラの美意識がある。その死に様に拘るように、【加護】を得て自分で壊せるようになったカルラからすれば、過去に呼び込んだ魔族などもう必要のないものなのだろう。
けれど、捨てたものでも勝手に使われることは、カルラの美意識が許さなかった。
「わたくしの玩具はわたくしが片付けますわ。アリアは自分の敵を殺して、もっと強くおなりなさい」
「…………」
牙を剥くように笑いながら、狂気じみた強い紫色の瞳が私を射る。冷静に判断して、私が“鉄の薔薇”を使っても加護を得たカルラにはわずかに及ばない。それほどまでに望んで得たカルラの【加護】は彼女の能力と相性が良く、私はまだ“鉄の薔薇”を完全に使いこなしているとは言えなかった。
私たちはそれ以上会話をすることなく、無言のまま野営地まで戻る。
カルラは全てを道連れにして死ぬために力を求める。
そして私は彼女を苦痛から解放するために、更に強くなることを心に刻みつけた。
それから数日後、私とネロとカルラは目的地であるケンドラス侯爵領に到着する。
大陸有数の大鉱脈であるコンド鉱山に面するこの侯爵領では、肉体労働をする探鉱夫が多く、人族ばかりではなく身体能力に長けた獣人や岩ドワーフが鉄や銅を掘り、手先の器用な山ドワーフの職人たちが作り上げた武器や細工物を求めて商人が集まる、非常に活気のある街だ。
けれど私たちはそこに寄ることはなく、真っ直ぐに国境沿いにある街へ向かう。以前あった暗殺者ギルドの北辺境区支部の街のように、鉱山のある場所では事故による死者を弔うための大きな礼拝堂がある。そこは以前、ケンドラス家の縁者である男爵家が治めていた地域だったが、十年ほど前に家系が断絶して今ではケンドラス侯爵家の直轄地となっていた。
かつては男爵家が生活し、今は管理人以外誰も住んでいないはずのその城で、あの男……グレイブが私を待ち構えている。
暗部の者たちが多くの犠牲を払ってグレイブの潜伏場所を見つけ出してくれた。でもその情報には、私を呼び寄せようとするグレイブの意図が垣間見えた。
グレイブがどうして、元は敵としていた貴族派のケンドラス侯爵と共にいるのか、その理由は分からない。国家の安寧のために王家が強くあるべきと考えるグレイブと貴族派のケンドラス侯爵家の間に、何か互いに利する事柄があったのか? 王太子を廃してエレーナを傀儡として貴族派の思い通りにすることが、王家の力になると思ったのだろうか? だが、そんなことはどうでもいい。私やエレーナが進む先をグレイブが塞ごうというのなら、私はそれを乗り越えて先に進む。
「それでは、わたくしはここで失礼いたしますわ」
「わかった」
目的が魔族たちであるカルラは途中で別れた。カルラの話によれば、吸血鬼のような不死者がいる場所は、礼拝堂の下にある地下墓地と決まっているらしい。
加護持ちであるカルラであっても、高ランクの吸血鬼は油断できる相手ではない。けれどカルラも私同様に歩みを止めることはないだろう。
カルラにはカルラの戦いがある。私には私の戦いがある。私たちは一瞬だけ視線を合わせ、同時に背を向けて自分の戦場へと歩き出した。
かつては数万人が暮らしていたこの街も、今は数千人しか住んでいないという。その衰退した原因は治める領主がいなくなったせいか、それともこの地に潜む吸血鬼のせいだろうか?
魔族の吸血氏族はまだ大きく動いていない。あの山間の村でしていたように、ある程度の手勢が揃うまで表側に出てくることはないはずだ。その本隊はカルラが言うように地下墓地にいるとしても、城の中に全くいないことはないだろう。
街を避けるようにしてネロと共に森の中にある城へと向かい、日が昇ると同時に私たちは攻略を開始した。
『ガァ……』
――森――屍――
不意に足を止めたネロの触角から電気信号による意思が伝わってくる。
「森に“出来損ない”どもがいる?」
――是――
おそらくは警戒用に陽の下でも動ける出来損ないどもを森に潜ませている。それがどの程度の数になるのか分からない。戦闘技能もなく戦闘力も一般兵士程度の力しかなくても、城の中で騒ぎが起きれば城の中に押し寄せてくるだろう。
虹色の剣のドルトンやフェルドのような大きな武器を持ち、薙ぎ払いの戦技を使えれば対処もできると思うが、私の武器では多数の敵を相手するには時間が掛かる。ならば森の外を最初に排除するべきなのだが、散らばった敵を殲滅するのに時間を掛ければ、夜になって吸血鬼が出てくると思う。
その時、立ち止まっていた私の前にネロが音もなく前に出ると、耳から伸びた触角を城のほうへ振る。
――進――
「……先に進めというの?」
私がそう言うとネロが微かに振り返り、笑うように口の形を変えた。
「頼む」
『ガァ』
お互いに頷くと森の中で私たちは別れて再び行動を始める。ネロもグレイブには恨みはあるはずだ。でもネロは私がグレイブとの決着をつけることを優先して、自分から裏方になることを買って出てくれた。
選択に迷いはない。決めることに時間を掛けてしまえばネロの想いが無駄になる。
私は気配を消しながら朝のまだ薄暗い森を駆け抜け、城の石壁に辿り着くと刃鎌型のペンデュラムを張り出した石壁に掛けて駆け上がるように登っていった。
***
城の中は全ての窓が閉められ、板を打ち付けた後にカーテンで覆うことで外の光を拒んでいた。
男爵家には不相応とも言えるこの城の大きさは、元は旧ダンドール公国時代に人の領域を広げるために国境沿いに建てられた要塞だった名残だ。その壁は今の時代の城に比べて不自然に厚く、光どころか外気さえも拒む城の中は、黴の匂いと血の臭いが仄かに感じられた。
城の中に人が生活している気配はない。城の中にいるのは息すらしていない不死者とそのなり損ないだけで、それでもわずかながらに光があるのは、完全な闇の中では視界を確保できない出来損ないと、ただ一人存在する“人間”のためだった。
以前は大勢の人や兵を集めたであろう広間で、古びて朽ちたソファに腰掛けた男が一人、燭台に灯ったロウソクの灯りの中で血のような赤い果実酒のグラスを揺らし、そのグラスを持った左腕がギシリと軋むと、闇の中から夜よりも暗い闇エルフの女性が姿を見せる。
「獲物が迷い込んだようです。迷い人か、また何処かの密偵か……。いつもどおり餌にして構いませんね?」
「好きにするといい」
男の返事に闇エルフの女性は薄い笑みを浮かべると、唇から牙を覗かせてまた闇の中に消えていった。その気配が完全に消えると、男はソファに背を預けてその顔に初めて笑みを浮かべながら、左腕の義手で高価な玻璃製のグラスを握り潰した。
「……来たか、アリア」
再びのグレイブ攻略戦。今度こそ確実に決着をつけるため、アリアは刃を振るう。
そこに魔族はどう絡むのか? カルラとネロはどう動くのか?
次回、城の中で吸血鬼との隠密戦闘。