131 死者の森 後編
後編です。
魔族と吸血鬼たちを一人で相手をすると言い放った私に、カルラがいつものように薄い笑みを浮かべながら軽く肩を竦める。
そんなカルラに背を向けてナイフを構えたまま一歩前に出た私に、サララと名乗った吸血鬼の魔族がピクリと眉を震わせた。
「……人族フゼイが。オマエ、身の程シラズ」
バシンッ!! とサララが黒鉄の鎖を地面で打ち鳴らすと、カルラの炎を警戒していた村人の吸血鬼と出来損ないどもが、突然意識が切り替わったかのように獣の形相で牙を剥く。
眷属たちの支配力を強めて統率しなければいけなかったサララは、不機嫌そうに金の瞳を細めて長く伸びた乱ぐい歯を剥き出した。その金の瞳はいまだにカルラを視界に入れている。吸血鬼が警戒するは魔術師。私のような近接戦闘系……特に斥候ならば、戦闘力が高くても大きな脅威ではないと考えているのだろう。
「オマエラ、コイツに礼儀を教えてヤレ」
『ぉおおおおおおおおっ!!』
主であるサララの命令に吸血鬼と出来損ないが雄叫びをあげる。
残っていた二体の村人吸血鬼が私の前に出ると、集められてきた生き残りの村人の中から、再び子どもの声が響いた。
「とうちゃーんっ!!」
どちらかが男の子の父親なのか、子どもの声が響いた瞬間、斧を持った狩人のような大柄な吸血鬼が子どものほうに顔を向ける。
「と、とうちゃ……」
怯えたような悲しげな声が男の子から零れる。だが、その男はもう人間ではない。
理性から解き放たれた吸血鬼の性が血縁者の血を求めて、背徳感から獣のような歪んだ笑みを浮かべさせていた。
「ぁあああ……ッ!!」
主の命令を飢えと欲望が上回り、自分の子どもとそれを庇う妻に飛びかかろうとしたその時――
ザシュッ!!
「がぁあっ!?」
それより早く飛び出した私のダガーが男の延髄を突き抜け、口から血塗れの切っ先が飛び出した。
「とうちゃん……ッ」
延髄を貫かれながらも男が呻きを漏らし、男の子の目が見開かれる。
生き物が即死する傷を受けても吸血鬼は死なない。首を貫かれた男が背後に手斧を振り回し、ダガーを引き抜きながら斧の下を掻い潜った私は、黒いナイフで男の首を半ばまで切り裂き、そのまま魔力を強く感じる心臓に黒いダガーを突き刺した。
「………ぁ?」
自分に何が起きたか分からないまま父親吸血鬼が崩れ落ち、仮初めの命が尽きて、ただの死体に戻る父親を、血飛沫を浴びた男の子が唖然とした顔で見つめていた。
「がぁああああああああっ!!!」
次の瞬間、最後の吸血鬼と出来損ないどもが私に向けて飛びかかってくる。支配されていても理性がないからこそ、吸血鬼を子どもの前で惨殺した私に向けるその瞳にわずかに怯えの色が見えた。
お前たちに罪はない。ただの哀れな被害者だ。でもお前たちは私の“敵”となった。
「がっ、」
斬撃型のペンデュラムの刃が飛び出してきた出来損ないの咽を水平に切り裂き、その眉間に黒いダガーを突き立てる。
スカートを翻しながら投げ放つ投擲ナイフがその後ろにいた男の両目に突き刺さる。
レベル4の身体強化を掛けながら飛び込んだ私の蹴りが男の首の骨をへし折り、宙で脚を振り回して回転しながら、黒いナイフで男の頸動脈を斬り裂いた。
着地する寸前に頭上に放っていた分銅型のペンデュラムを、着地と同時に弧を描いて振り下ろし、黒鉄の分銅が離れていた女の頭蓋を抉るように打ち砕く。
吸血鬼やそれの出来損ないと言っても、死に難い程度で戦闘力自体はそれほど大きく変わらない。下級吸血鬼なら精々が三割増し程度だろう。その死に難いことこそが大きな脅威なのだが、一番の脅威は生者が本能的に感じる不死者に対する恐怖だった。
でも私は怯えない。不死者であろうと何であろうと、この世の理で存在しているかぎり、殺し続ければいつか死ぬ。
夜の闇の中で黒い刃が唸りをあげ、出来損ないを殺していく。
それがもう人ではないと分かっていても、顔見知りが殺されていくことに生き残りの村人から悲鳴があがり、最後に残った村人吸血鬼の首の骨をダガーで砕きながら黒いナイフで斬り飛ばすと、村人たちは息を飲むように声を発することさえなくなっていた。
*
(……アレは本当に人間?)
その力のことではない。村人の姿をした出来損ないどもを無表情に屠っていくその少女に、人でなく魔物として育ったサララは、常人ではない精神力を感じた。
侮れない。この地で使い潰す眷属を増やすために作った配下も、瞬く間に滅ぼされてしまった。警戒するべきは魔術師の女だと考えていたが、サララは自分の間違いに気づいて黒鉄の鎖を握り直した。
人族の国家と魔族は何百年に渡って争い続けてきた。ここ数十年ほど大きな戦は起きていないが、小競り合いは続いており、魔族も次の大戦に向け各国に間者を送って暗躍を続けている。
人族は魔族に比べて力も弱く寿命も長くはないが、好戦的な性質とその数で他の種族を圧倒していた。その中でも、魔族国に近く戦士の国であるカルファーン帝国、莫大な財力を持つガンザール王国連合、魔族を敵とする聖教会を束ねるファンドリア法国、そして強大な国軍と大きな国力を有するクレイデール王国の四国は、魔族にとって放置してはおけない難敵であった。
闇エルフがいつから“魔族”と呼ばれるようになったのか知る者はいない。昔々、ただのエルフ種であった彼らの信奉する豊穣の女神が闇堕ちして、闇の女神という邪神になったことで彼らの肌色は黒く染まり、人族や他の亜人種は彼らの敵となったと言われている。
闇の女神は光の神に戦いを挑んで封じられたという。闇エルフにもう戦う理由はないが、光の神の信奉者は、闇エルフの黒い肌はいまだに闇の女神を信奉する証だと言い、自分たちを滅ぼそうとする敵と生き残るために戦わなければいけなかった。
殺さなければ殺される。生きるためには殺すしかない。人の命が安いこの世界では当たり前のことだ。それを批難するのは、生まれてから命の危険を感じたことのない世間知らずだけだろう。
サララの吸血氏族も生きるために戦わなければいけなかった。絶対数が少ない魔族国では通常の闇エルフだけでなく、吸血鬼や人狼のような知性ある魔物と化した者でさえも国民として扱われている。だが、元は同じ闇エルフであったとしても、血に飢えた魔物を信じ切ることは難しいのだろう。他の氏族と比べても少なすぎる百名しかいない吸血氏族は、仲間である他の氏族に自分たちが必要な存在であることを示さなければいけなかった。
だからこそ、魔族国より遠いこのクレイデール王国へ、手練れの十名だけで送り込まれた。見方を変えれば、少人数でも大きな戦果が期待できる吸血氏族しか、この国に潜伏して戦果を得ることができなかったのだ。
だが、吸血鬼は太陽の下を歩けない。外見が違いすぎるので闇エルフだとすぐにバレてしまう。
そんな彼らに接触をしてきた者達がいた。彼らは魔族であるサララたちに拠点を与えて必要な情報をもたらした。彼らには彼らなりの思惑があったが、サララたちはあえてそれに乗ってクレイデール王国で暗躍を始める。
そして、その情報を基にある計画を立てたサララたちのリーダーは事を起こすべく、サララを含めた数名に、地図にも載っていない寒村を襲って眷属を増やすように命じたのだ。
そんなサララの前に現れたのは二人の少女だった。斥候と魔術師の二人組。冒険者だろうか? どちらも戦闘力が1500もある高ランク者であったが、夜に立つ上級吸血鬼であるサララの敵ではない。
警戒するのは火炎魔術を使う魔術師のみ。そう考えていたサララは、魔術師を警戒するあまり、桃色髪の少女の力量を見誤った。
この斥候の少女は油断できない敵だ。サララは魔術師の少女が動く気配を見せないことを察して、魔術師を警戒しながらもまずはこの斥候を潰すべきだと考えた。
「オンナ……名を言え」
「アリア」
ガキンッ!!!
その瞬間、どちらも動いた気配すら見せずにサララの鎖が蛇のように襲いかかり、アリアが黒いダガーで受け流す。
サララの耳が横から迫る風切り音を捉えた。おそらくは先ほど見た糸の先に付けた黒い武器だろう。避ければ隙が生まれる。だが吸血鬼には吸血鬼の戦い方がある。
グシュッ!!
弧を描いて飛来した黒鉄の分銅をサララが左腕で受け止め、肉が弾け骨が砕けるが、サララは躊躇なく飛び込んで鎖を振るう。
その鎖の尖端をアリアが跳び下がるように避ける。戦闘力は2000近いサララに及ばずともアリアの速度はサララをわずかに上回っていた。
それでもサララは慌てない。下級吸血鬼なら再生に数十秒はかかる傷でも上級の吸血鬼なら数秒で元に戻る。不死者であるその身体には毒も効かず、生者のように疲労することもないのだから。
「オマエの負けだ。アリア」
「………」
わずかに速さで負けていようと負けるはずがない。アリアの刃は防御をしないサララを何度も斬りつけるが、それも瞬く間に再生する。
(無駄なことを)
そう思いながら鎖を振るい、躱したアリアがサララを斬りつける。だが、その一度の攻撃が二度になり、一度に三回斬りつけられるようになってサララは異変に気づいた。
(アリアの速度が増している!?)
息も荒く疲労を滲ませたアリアから汗が飛び散り、舞うように刃を振るう少女の背に光の残滓の如く銀の翼がはためいたように見えた。
いつの間にか両手の武器を使って怒濤の連続攻撃を繰り出すアリア。黒いナイフがサララの腱や筋を切り裂き、黒いダガーが目を貫き骨を砕く。
傷の再生が追いつかない。いや、そうではない。短時間に大量の再生を行なったことでサララが持つ魔素が枯渇しはじめていたのだ。このままでは殺される。ようやくその事実に気づいたサララは少女の貌を獣に変え、アリアの血と魔力を啜るために鎖を捨てて飛び出した。
致命傷に近い傷を受けても、死ななければ敵を殺せる。誇りさえかなぐり捨ててサララは最後の賭けに出た。だが――
「がっ!?」
再生しきれなかった膝関節が砕けて地に膝をつくサララ。
サララは無防備に攻撃を受けすぎた。それに気づくのが遅すぎた。
その目前で緩やかにも見える動きでナイフを背後に振りかぶるアリアを見て、吸血鬼になって初めて、サララの脳裏に数百年思い浮かべることすらなかった“死”という言葉が浮かんだ。
「――【神撃】――」
そしてサララが最後に見たものは、目の脇にある横になった地面と、黒い血を噴きあげる首を失った自分の身体だった。
「お前は驕りすぎた」
***
山間の村を襲った吸血鬼は駆逐した。実際には魔族の吸血鬼だが、その証拠となる死体は朝になると灰になりその魔石だけが残された。
それでも、その魔石を持って冒険者ギルドで鑑定すれば、今回の元凶が魔族であり吸血鬼であることも判明するだろう。そしてその魔石を売れば“彼ら”の当面の生活費にもなるはずだ。
生き残った村人は十数名しかいなかったが、彼らは村に残ることを選ばず領主のいる街に向かうと代理の村長がそう言った。数が少なくなったことで全員が馬車を使うことで明るいうちに人がいる場所に辿り着けるそうだ。
その時、背後から飛んできた石を無言のまま弾き落として視線を向けると、私へ石を投げた男の子を母親が慌てて抱き留めていた。
「なんで、父ちゃんを殺したっ!!」
母親に抱き留められながら男の子がそう叫ぶ。
「お前と私が弱かったからだ」
「なっ」
絶句する男の子に歩み寄り、冷たい目で見下ろしながら言葉を続ける。
「私が弱かったから、お前の父親を殺すしか救う道がなかった。お前が弱かったから、お前の父親が吸血鬼に襲われるのを止められなかった」
荷支度をしていた村人たちが足を止めて全員の視線が私に向けられた。
「奪われたくなかったら強くなれ。お前の父親は家族を守るために吸血鬼に向かっていったのだろう? 悔しいのなら私を殺せるくらい強くなれ。もう二度と誰にも奪われないように」
「…………」
男の子が下唇を噛みしめるように下を向き、村人の数人が目を瞑るようにして私から視線を逸らした。
この子に言ったことは私自身に向けた言葉でもある。
奪われたくなかったら強くなるしかない。弱ければ全てを失い、屍となるしかないのだから。
荷支度を済ませた村人たちが生まれ育った村から離れていく。ただその寸前、あの子の母親を含めた数人の村人が私に頭を下げ、一度も振り返らなかった男の子の瞳は、ただ真っ直ぐに前だけを向いていた。
そして――
「カルラ」
「やっぱりアリアは、血に塗れた姿がよく似合うわ」
返り血で汚れた私が声を掛けると、陶酔したような表情で近づいてきたカルラが私の頬に付いた血を指で拭い、甘露でも味わうように舐め取った。
「何を知っている?」
そう尋ねるとカルラは悪戯をした子どものように笑って朝の風に言葉を乗せる。
「もう分かっているのでしょ? わたくしが魔族をこの国に引き入れましたのよ」
次回、侯爵領に到着したアリアがグレイブの攻略に乗り出す。
グレイブと魔族の関係とは?